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第二章 栢原実果
第十三話
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「どうなの?」
制服からほのかにお好み焼きの匂いを漂わせている瑞姫は、チョコバナナを手に握っている。
「意外にもいい感じ」
ソースの匂いとチョコの匂いが混じった空気が漂っていて、露骨に顔をしかめながらわたしはそう答えた。
図書委員による展示は、校舎の隅の教室でひっそりと催されている。午後二時過ぎ、祐斗が特進科のシフトに入っている時間。わたしと瑞姫はここで待ち合わせをしていた。
ポスターに書かれたお勧め作品の紹介は熱がこもっているけれど、小難しすぎてわたしには理解不能だった。もっと軽い読み物が性に合っている。
横目でちらりと図書委員の女子生徒に訴えかけても意味がないのは当然で、彼女は椅子にだらりと腰かけてやる気なさそうにライトノベルのページをめくるだけだった。
いやいや、それの展示をしてくれよ。あなたもその本が好きなんでしょ? 机には「自由にお取りください」と書かれた紙が垂らされ、機関紙と思しき冊子が積まれている。というか、機関紙の宣伝はしなくていいのかよ。
「よかったじゃん。こっち手伝いに来たときも富田くん嬉しそうだったよ。なんとなく」
「マジで?」
「嬉しそうだね」
「そりゃ、ね。彼氏ゲットだよ」
おどけた調子で言いながらも、わたしは自分の顔が少し火照るのを感じた。
「いやいや、そうじゃなくて、本当に嬉しそうじゃん」
やはり見抜かれているらしい。
「なんでだろうね?」
「なにが?」
「わたしなんかでいいのかな?」
「いや、まだいいとは言われてないでしょ」
瑞姫の辛辣な一言。胸が締めつけられて、すこし呼吸が苦しくなる。本当に断られたりなんかしたら。でも、客観的にはそっちの可能性が高い。
「そうなんだよねぇ」
「告白するの? しないの?」
「うーん。いや、千載一遇のチャンスだし、いくよ」
「栢原さんすごーい。で、いつ?」
平坦な口調で言う瑞姫。
「明日、かな。文化祭終わるし」
「早くない?」
今度の瑞姫は本当に驚いた様子。
「でも、雰囲気いいときのほうが成功すると思うし、ダメならダメでさっと切り替えていかないといけないからね。早くこの劣等感から脱したい」
打算的な自分が顔を出す。
「腹黒いね。でも、そういうとこいいと思う」
瑞姫はしんみりとわたしを褒めて、「そろそろ時間だよ」と壁の時計を指さした。
「確かに。行かなきゃ」
一歩踏み出すわたし。
「頑張れ。わたしはこの展示見るから」
その場にとどまった瑞姫の声がうしろから聞こえてくる。
「そういえばさ」
わたしは立ち止まって振り返った。
「なに?」
首をかしげる瑞姫。
「瑞姫も感じるんじゃないの? そういう劣等感。誰か狙わないの?」
調子に乗っていたわたしは、瑞姫の心に悪戯を仕掛けてみた。
「実果わかってるでしょ? わたしは実果より可愛くなくて、コミュ力もない」
ちょっと眉間にしわを寄せて、不満げな顔をして、でも、発せられた声には諦念が詰まっていた。
「ごめ」
んね、と言いかけたけど、それはあまりに酷い言葉のような気がして、わたしは逃げるように教室を去った。
シフトから解放された祐斗と合流して、また適当にいろんな教室を回って、ちょうど四時になったとき、祐斗はわたしに別れを告げた。
「ごめん、俺、そろそろ行くから」
「えっ」
「夕方から用事あるって言ったじゃん」
そういえば言ってた気がする。でも、
「文化祭終わったあとって意味じゃないの?」
「あ、ごめん。そう思ってた? 実はこれからちょっと行かなくちゃいけなくて」
全身からすっと熱が引き、奇妙な冷静さが頭を支配する。そっか、そうだよね。瑞姫の言う通り、祐斗は断る性格じゃない。わたしが誘ったから、付き合ってくれただけ。興奮してたのも、わたし一人だけなのかもしれない。祐斗にはもっと優先しなくちゃいけない大事な用事がある。
「じゃあね。今日はありがと」
祐斗が去っていこうとする。冷静なわたしがどんどん大きくなっていく。逃しちゃいけない。あんなに勇気を振り絞ったのに。もっと追いすがれ。リスクはゼロだ。リターンに賭けろ。
「用事ってなに?」
祐斗は振り返る。
「いやぁ、それはちょっと秘密」
苦笑いしながら、ちらちらと目線を行先に向ける祐斗。急いでるのかも。でも、そんなこと気にしちゃいけない。少しはにかんだ感じは、もしかしたら他の女子とでも待ち合わせしてるのかもしれない。それを聞いたら、苦しくてしばらく立ち直れないかもしれない。でも、ここで粘らないと後悔する。
「すぐ終わる? 戻ってこれる? 一緒に帰りたいんだけど」
語尾が震えて、声がうわずった。自分じゃなくて、他の誰かが自分の背後から喋っているような感覚。思考は確かなのに、身体はふわふわしていて、どの部分も自分のものじゃないみたいだった。
祐斗は数秒、わたしを呆然と見つめて、
「すぐは終わらないけど、戻ってこれるよ。六時に部室棟の前でいい?」
そのままの表情でそう言った。わたしは思わず脱力して、膝から崩れ落ちそうになるのをなんとか踏みとどめた。冷静な思考の自分と、高ぶった感情の自分が徐々に一致していく。ちょっと指先を曲げてみて、自分の意思と身体の動きが一致しているのを確かめる。
「ありがとう。待ってるから」
「うん、じゃあね」
祐斗が廊下の奥へと去っていく。祐斗の姿が群衆にまぎれて、わたしの耳にはようやく周囲の音が入ってきた。廊下の真ん中で突っ立ちながら会話していたわたしたちは、人の流れを分割する中州になっていたみたい。
こんなときに中州なんて単語が浮かぶところ、それが特進科なんだろうなぁなんて思えるようになって、本当にいつものわたしが戻ってきた感じがする。
リスクはゼロだ。リターンに賭けろ。そんな荒ぶった声が聞こえるなんて、いつものわたしじゃない。「冷静なわたしがどんどん大きくなっていく」? そんなの嘘だった。野心家の自分も、計算高い自分も、どちらも興奮していた。
制服からほのかにお好み焼きの匂いを漂わせている瑞姫は、チョコバナナを手に握っている。
「意外にもいい感じ」
ソースの匂いとチョコの匂いが混じった空気が漂っていて、露骨に顔をしかめながらわたしはそう答えた。
図書委員による展示は、校舎の隅の教室でひっそりと催されている。午後二時過ぎ、祐斗が特進科のシフトに入っている時間。わたしと瑞姫はここで待ち合わせをしていた。
ポスターに書かれたお勧め作品の紹介は熱がこもっているけれど、小難しすぎてわたしには理解不能だった。もっと軽い読み物が性に合っている。
横目でちらりと図書委員の女子生徒に訴えかけても意味がないのは当然で、彼女は椅子にだらりと腰かけてやる気なさそうにライトノベルのページをめくるだけだった。
いやいや、それの展示をしてくれよ。あなたもその本が好きなんでしょ? 机には「自由にお取りください」と書かれた紙が垂らされ、機関紙と思しき冊子が積まれている。というか、機関紙の宣伝はしなくていいのかよ。
「よかったじゃん。こっち手伝いに来たときも富田くん嬉しそうだったよ。なんとなく」
「マジで?」
「嬉しそうだね」
「そりゃ、ね。彼氏ゲットだよ」
おどけた調子で言いながらも、わたしは自分の顔が少し火照るのを感じた。
「いやいや、そうじゃなくて、本当に嬉しそうじゃん」
やはり見抜かれているらしい。
「なんでだろうね?」
「なにが?」
「わたしなんかでいいのかな?」
「いや、まだいいとは言われてないでしょ」
瑞姫の辛辣な一言。胸が締めつけられて、すこし呼吸が苦しくなる。本当に断られたりなんかしたら。でも、客観的にはそっちの可能性が高い。
「そうなんだよねぇ」
「告白するの? しないの?」
「うーん。いや、千載一遇のチャンスだし、いくよ」
「栢原さんすごーい。で、いつ?」
平坦な口調で言う瑞姫。
「明日、かな。文化祭終わるし」
「早くない?」
今度の瑞姫は本当に驚いた様子。
「でも、雰囲気いいときのほうが成功すると思うし、ダメならダメでさっと切り替えていかないといけないからね。早くこの劣等感から脱したい」
打算的な自分が顔を出す。
「腹黒いね。でも、そういうとこいいと思う」
瑞姫はしんみりとわたしを褒めて、「そろそろ時間だよ」と壁の時計を指さした。
「確かに。行かなきゃ」
一歩踏み出すわたし。
「頑張れ。わたしはこの展示見るから」
その場にとどまった瑞姫の声がうしろから聞こえてくる。
「そういえばさ」
わたしは立ち止まって振り返った。
「なに?」
首をかしげる瑞姫。
「瑞姫も感じるんじゃないの? そういう劣等感。誰か狙わないの?」
調子に乗っていたわたしは、瑞姫の心に悪戯を仕掛けてみた。
「実果わかってるでしょ? わたしは実果より可愛くなくて、コミュ力もない」
ちょっと眉間にしわを寄せて、不満げな顔をして、でも、発せられた声には諦念が詰まっていた。
「ごめ」
んね、と言いかけたけど、それはあまりに酷い言葉のような気がして、わたしは逃げるように教室を去った。
シフトから解放された祐斗と合流して、また適当にいろんな教室を回って、ちょうど四時になったとき、祐斗はわたしに別れを告げた。
「ごめん、俺、そろそろ行くから」
「えっ」
「夕方から用事あるって言ったじゃん」
そういえば言ってた気がする。でも、
「文化祭終わったあとって意味じゃないの?」
「あ、ごめん。そう思ってた? 実はこれからちょっと行かなくちゃいけなくて」
全身からすっと熱が引き、奇妙な冷静さが頭を支配する。そっか、そうだよね。瑞姫の言う通り、祐斗は断る性格じゃない。わたしが誘ったから、付き合ってくれただけ。興奮してたのも、わたし一人だけなのかもしれない。祐斗にはもっと優先しなくちゃいけない大事な用事がある。
「じゃあね。今日はありがと」
祐斗が去っていこうとする。冷静なわたしがどんどん大きくなっていく。逃しちゃいけない。あんなに勇気を振り絞ったのに。もっと追いすがれ。リスクはゼロだ。リターンに賭けろ。
「用事ってなに?」
祐斗は振り返る。
「いやぁ、それはちょっと秘密」
苦笑いしながら、ちらちらと目線を行先に向ける祐斗。急いでるのかも。でも、そんなこと気にしちゃいけない。少しはにかんだ感じは、もしかしたら他の女子とでも待ち合わせしてるのかもしれない。それを聞いたら、苦しくてしばらく立ち直れないかもしれない。でも、ここで粘らないと後悔する。
「すぐ終わる? 戻ってこれる? 一緒に帰りたいんだけど」
語尾が震えて、声がうわずった。自分じゃなくて、他の誰かが自分の背後から喋っているような感覚。思考は確かなのに、身体はふわふわしていて、どの部分も自分のものじゃないみたいだった。
祐斗は数秒、わたしを呆然と見つめて、
「すぐは終わらないけど、戻ってこれるよ。六時に部室棟の前でいい?」
そのままの表情でそう言った。わたしは思わず脱力して、膝から崩れ落ちそうになるのをなんとか踏みとどめた。冷静な思考の自分と、高ぶった感情の自分が徐々に一致していく。ちょっと指先を曲げてみて、自分の意思と身体の動きが一致しているのを確かめる。
「ありがとう。待ってるから」
「うん、じゃあね」
祐斗が廊下の奥へと去っていく。祐斗の姿が群衆にまぎれて、わたしの耳にはようやく周囲の音が入ってきた。廊下の真ん中で突っ立ちながら会話していたわたしたちは、人の流れを分割する中州になっていたみたい。
こんなときに中州なんて単語が浮かぶところ、それが特進科なんだろうなぁなんて思えるようになって、本当にいつものわたしが戻ってきた感じがする。
リスクはゼロだ。リターンに賭けろ。そんな荒ぶった声が聞こえるなんて、いつものわたしじゃない。「冷静なわたしがどんどん大きくなっていく」? そんなの嘘だった。野心家の自分も、計算高い自分も、どちらも興奮していた。
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