13 / 76
第二章 栢原実果
第十三話
しおりを挟む「どうなの?」
制服からほのかにお好み焼きの匂いを漂わせている瑞姫は、チョコバナナを手に握っている。
「意外にもいい感じ」
ソースの匂いとチョコの匂いが混じった空気が漂っていて、露骨に顔をしかめながらわたしはそう答えた。
図書委員による展示は、校舎の隅の教室でひっそりと催されている。午後二時過ぎ、祐斗が特進科のシフトに入っている時間。わたしと瑞姫はここで待ち合わせをしていた。
ポスターに書かれたお勧め作品の紹介は熱がこもっているけれど、小難しすぎてわたしには理解不能だった。もっと軽い読み物が性に合っている。
横目でちらりと図書委員の女子生徒に訴えかけても意味がないのは当然で、彼女は椅子にだらりと腰かけてやる気なさそうにライトノベルのページをめくるだけだった。
いやいや、それの展示をしてくれよ。あなたもその本が好きなんでしょ? 机には「自由にお取りください」と書かれた紙が垂らされ、機関紙と思しき冊子が積まれている。というか、機関紙の宣伝はしなくていいのかよ。
「よかったじゃん。こっち手伝いに来たときも富田くん嬉しそうだったよ。なんとなく」
「マジで?」
「嬉しそうだね」
「そりゃ、ね。彼氏ゲットだよ」
おどけた調子で言いながらも、わたしは自分の顔が少し火照るのを感じた。
「いやいや、そうじゃなくて、本当に嬉しそうじゃん」
やはり見抜かれているらしい。
「なんでだろうね?」
「なにが?」
「わたしなんかでいいのかな?」
「いや、まだいいとは言われてないでしょ」
瑞姫の辛辣な一言。胸が締めつけられて、すこし呼吸が苦しくなる。本当に断られたりなんかしたら。でも、客観的にはそっちの可能性が高い。
「そうなんだよねぇ」
「告白するの? しないの?」
「うーん。いや、千載一遇のチャンスだし、いくよ」
「栢原さんすごーい。で、いつ?」
平坦な口調で言う瑞姫。
「明日、かな。文化祭終わるし」
「早くない?」
今度の瑞姫は本当に驚いた様子。
「でも、雰囲気いいときのほうが成功すると思うし、ダメならダメでさっと切り替えていかないといけないからね。早くこの劣等感から脱したい」
打算的な自分が顔を出す。
「腹黒いね。でも、そういうとこいいと思う」
瑞姫はしんみりとわたしを褒めて、「そろそろ時間だよ」と壁の時計を指さした。
「確かに。行かなきゃ」
一歩踏み出すわたし。
「頑張れ。わたしはこの展示見るから」
その場にとどまった瑞姫の声がうしろから聞こえてくる。
「そういえばさ」
わたしは立ち止まって振り返った。
「なに?」
首をかしげる瑞姫。
「瑞姫も感じるんじゃないの? そういう劣等感。誰か狙わないの?」
調子に乗っていたわたしは、瑞姫の心に悪戯を仕掛けてみた。
「実果わかってるでしょ? わたしは実果より可愛くなくて、コミュ力もない」
ちょっと眉間にしわを寄せて、不満げな顔をして、でも、発せられた声には諦念が詰まっていた。
「ごめ」
んね、と言いかけたけど、それはあまりに酷い言葉のような気がして、わたしは逃げるように教室を去った。
シフトから解放された祐斗と合流して、また適当にいろんな教室を回って、ちょうど四時になったとき、祐斗はわたしに別れを告げた。
「ごめん、俺、そろそろ行くから」
「えっ」
「夕方から用事あるって言ったじゃん」
そういえば言ってた気がする。でも、
「文化祭終わったあとって意味じゃないの?」
「あ、ごめん。そう思ってた? 実はこれからちょっと行かなくちゃいけなくて」
全身からすっと熱が引き、奇妙な冷静さが頭を支配する。そっか、そうだよね。瑞姫の言う通り、祐斗は断る性格じゃない。わたしが誘ったから、付き合ってくれただけ。興奮してたのも、わたし一人だけなのかもしれない。祐斗にはもっと優先しなくちゃいけない大事な用事がある。
「じゃあね。今日はありがと」
祐斗が去っていこうとする。冷静なわたしがどんどん大きくなっていく。逃しちゃいけない。あんなに勇気を振り絞ったのに。もっと追いすがれ。リスクはゼロだ。リターンに賭けろ。
「用事ってなに?」
祐斗は振り返る。
「いやぁ、それはちょっと秘密」
苦笑いしながら、ちらちらと目線を行先に向ける祐斗。急いでるのかも。でも、そんなこと気にしちゃいけない。少しはにかんだ感じは、もしかしたら他の女子とでも待ち合わせしてるのかもしれない。それを聞いたら、苦しくてしばらく立ち直れないかもしれない。でも、ここで粘らないと後悔する。
「すぐ終わる? 戻ってこれる? 一緒に帰りたいんだけど」
語尾が震えて、声がうわずった。自分じゃなくて、他の誰かが自分の背後から喋っているような感覚。思考は確かなのに、身体はふわふわしていて、どの部分も自分のものじゃないみたいだった。
祐斗は数秒、わたしを呆然と見つめて、
「すぐは終わらないけど、戻ってこれるよ。六時に部室棟の前でいい?」
そのままの表情でそう言った。わたしは思わず脱力して、膝から崩れ落ちそうになるのをなんとか踏みとどめた。冷静な思考の自分と、高ぶった感情の自分が徐々に一致していく。ちょっと指先を曲げてみて、自分の意思と身体の動きが一致しているのを確かめる。
「ありがとう。待ってるから」
「うん、じゃあね」
祐斗が廊下の奥へと去っていく。祐斗の姿が群衆にまぎれて、わたしの耳にはようやく周囲の音が入ってきた。廊下の真ん中で突っ立ちながら会話していたわたしたちは、人の流れを分割する中州になっていたみたい。
こんなときに中州なんて単語が浮かぶところ、それが特進科なんだろうなぁなんて思えるようになって、本当にいつものわたしが戻ってきた感じがする。
リスクはゼロだ。リターンに賭けろ。そんな荒ぶった声が聞こえるなんて、いつものわたしじゃない。「冷静なわたしがどんどん大きくなっていく」? そんなの嘘だった。野心家の自分も、計算高い自分も、どちらも興奮していた。
制服からほのかにお好み焼きの匂いを漂わせている瑞姫は、チョコバナナを手に握っている。
「意外にもいい感じ」
ソースの匂いとチョコの匂いが混じった空気が漂っていて、露骨に顔をしかめながらわたしはそう答えた。
図書委員による展示は、校舎の隅の教室でひっそりと催されている。午後二時過ぎ、祐斗が特進科のシフトに入っている時間。わたしと瑞姫はここで待ち合わせをしていた。
ポスターに書かれたお勧め作品の紹介は熱がこもっているけれど、小難しすぎてわたしには理解不能だった。もっと軽い読み物が性に合っている。
横目でちらりと図書委員の女子生徒に訴えかけても意味がないのは当然で、彼女は椅子にだらりと腰かけてやる気なさそうにライトノベルのページをめくるだけだった。
いやいや、それの展示をしてくれよ。あなたもその本が好きなんでしょ? 机には「自由にお取りください」と書かれた紙が垂らされ、機関紙と思しき冊子が積まれている。というか、機関紙の宣伝はしなくていいのかよ。
「よかったじゃん。こっち手伝いに来たときも富田くん嬉しそうだったよ。なんとなく」
「マジで?」
「嬉しそうだね」
「そりゃ、ね。彼氏ゲットだよ」
おどけた調子で言いながらも、わたしは自分の顔が少し火照るのを感じた。
「いやいや、そうじゃなくて、本当に嬉しそうじゃん」
やはり見抜かれているらしい。
「なんでだろうね?」
「なにが?」
「わたしなんかでいいのかな?」
「いや、まだいいとは言われてないでしょ」
瑞姫の辛辣な一言。胸が締めつけられて、すこし呼吸が苦しくなる。本当に断られたりなんかしたら。でも、客観的にはそっちの可能性が高い。
「そうなんだよねぇ」
「告白するの? しないの?」
「うーん。いや、千載一遇のチャンスだし、いくよ」
「栢原さんすごーい。で、いつ?」
平坦な口調で言う瑞姫。
「明日、かな。文化祭終わるし」
「早くない?」
今度の瑞姫は本当に驚いた様子。
「でも、雰囲気いいときのほうが成功すると思うし、ダメならダメでさっと切り替えていかないといけないからね。早くこの劣等感から脱したい」
打算的な自分が顔を出す。
「腹黒いね。でも、そういうとこいいと思う」
瑞姫はしんみりとわたしを褒めて、「そろそろ時間だよ」と壁の時計を指さした。
「確かに。行かなきゃ」
一歩踏み出すわたし。
「頑張れ。わたしはこの展示見るから」
その場にとどまった瑞姫の声がうしろから聞こえてくる。
「そういえばさ」
わたしは立ち止まって振り返った。
「なに?」
首をかしげる瑞姫。
「瑞姫も感じるんじゃないの? そういう劣等感。誰か狙わないの?」
調子に乗っていたわたしは、瑞姫の心に悪戯を仕掛けてみた。
「実果わかってるでしょ? わたしは実果より可愛くなくて、コミュ力もない」
ちょっと眉間にしわを寄せて、不満げな顔をして、でも、発せられた声には諦念が詰まっていた。
「ごめ」
んね、と言いかけたけど、それはあまりに酷い言葉のような気がして、わたしは逃げるように教室を去った。
シフトから解放された祐斗と合流して、また適当にいろんな教室を回って、ちょうど四時になったとき、祐斗はわたしに別れを告げた。
「ごめん、俺、そろそろ行くから」
「えっ」
「夕方から用事あるって言ったじゃん」
そういえば言ってた気がする。でも、
「文化祭終わったあとって意味じゃないの?」
「あ、ごめん。そう思ってた? 実はこれからちょっと行かなくちゃいけなくて」
全身からすっと熱が引き、奇妙な冷静さが頭を支配する。そっか、そうだよね。瑞姫の言う通り、祐斗は断る性格じゃない。わたしが誘ったから、付き合ってくれただけ。興奮してたのも、わたし一人だけなのかもしれない。祐斗にはもっと優先しなくちゃいけない大事な用事がある。
「じゃあね。今日はありがと」
祐斗が去っていこうとする。冷静なわたしがどんどん大きくなっていく。逃しちゃいけない。あんなに勇気を振り絞ったのに。もっと追いすがれ。リスクはゼロだ。リターンに賭けろ。
「用事ってなに?」
祐斗は振り返る。
「いやぁ、それはちょっと秘密」
苦笑いしながら、ちらちらと目線を行先に向ける祐斗。急いでるのかも。でも、そんなこと気にしちゃいけない。少しはにかんだ感じは、もしかしたら他の女子とでも待ち合わせしてるのかもしれない。それを聞いたら、苦しくてしばらく立ち直れないかもしれない。でも、ここで粘らないと後悔する。
「すぐ終わる? 戻ってこれる? 一緒に帰りたいんだけど」
語尾が震えて、声がうわずった。自分じゃなくて、他の誰かが自分の背後から喋っているような感覚。思考は確かなのに、身体はふわふわしていて、どの部分も自分のものじゃないみたいだった。
祐斗は数秒、わたしを呆然と見つめて、
「すぐは終わらないけど、戻ってこれるよ。六時に部室棟の前でいい?」
そのままの表情でそう言った。わたしは思わず脱力して、膝から崩れ落ちそうになるのをなんとか踏みとどめた。冷静な思考の自分と、高ぶった感情の自分が徐々に一致していく。ちょっと指先を曲げてみて、自分の意思と身体の動きが一致しているのを確かめる。
「ありがとう。待ってるから」
「うん、じゃあね」
祐斗が廊下の奥へと去っていく。祐斗の姿が群衆にまぎれて、わたしの耳にはようやく周囲の音が入ってきた。廊下の真ん中で突っ立ちながら会話していたわたしたちは、人の流れを分割する中州になっていたみたい。
こんなときに中州なんて単語が浮かぶところ、それが特進科なんだろうなぁなんて思えるようになって、本当にいつものわたしが戻ってきた感じがする。
リスクはゼロだ。リターンに賭けろ。そんな荒ぶった声が聞こえるなんて、いつものわたしじゃない。「冷静なわたしがどんどん大きくなっていく」? そんなの嘘だった。野心家の自分も、計算高い自分も、どちらも興奮していた。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
隣のロッカーが空っぽ
ほしのことば
青春
中学2年生の柳瀬美月のクラスに転校生がやってきた。転校生の渡辺七星は、ずっと空っぽだった美月の右隣のロッカーにカバンを力強く投げ込む。
明るく人と仲良くすることが得意なはずの美月は、不機嫌をあからさまに態度にする七星に戸惑いを覚えるが、自分とは対極な彼女にどこか惹かれる。
短い月日の中で2人は、言葉にしないながらも信頼を深めていく。美月にとって唯一本音を話せる相手になる。
行き場のない怒りをぶつける七星とぶつけられる美月、そしてそれを傍観するクラスメイト達。七星と出会って美月は、今まで知らなかった感情が見えてくる。中学生のまだ自分では抱えきれない感情を知り、向き合っていく。
誰にも話せなかったけど確かに育まれた、2人だけの友情ストーリー。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
自称未来の妻なヤンデレ転校生に振り回された挙句、最終的に責任を取らされる話
水島紗鳥
青春
成績優秀でスポーツ万能な男子高校生の黒月拓馬は、学校では常に1人だった。
そんなハイスペックぼっちな拓馬の前に未来の妻を自称する日英ハーフの美少女転校生、十六夜アリスが現れた事で平穏だった日常生活が激変する。
凄まじくヤンデレなアリスは拓馬を自分だけの物にするためにありとあらゆる手段を取り、どんどん外堀を埋めていく。
「なあ、サインと判子欲しいって渡された紙が記入済婚姻届なのは気のせいか?」
「気にしない気にしない」
「いや、気にするに決まってるだろ」
ヤンデレなアリスから完全にロックオンされてしまった拓馬の運命はいかに……?(なお、もう一生逃げられない模様)
表紙はイラストレーターの谷川犬兎様に描いていただきました。
小説投稿サイトでの利用許可を頂いております。
キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。
たかなしポン太
青春
僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。
助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。
でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。
「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」
「ちょっと、確認しなくていいですから!」
「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」
「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」
天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。
異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー!
※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる