2 / 5
ホワイトガーデン/二話
しおりを挟む
「ねえねえ、竹村が行方不明になったんだって!」
朝、教室に着くとクラスメイトの声が修司の耳に飛び込んで来る。
確かに昨日は一日中誰も竹村の姿は見ていなかった。
修司とマカ、二人の頭に浮かんだのはエカテリーナの顔。彼女が何か知っていると直感的に思った。教室の奥、窓際の席にいる優等生の影井英人(かげいえいと)が二人を窺っていた。まるで観察しているみたいだ。修司が英人に気づくとつかつかと歩み寄る。英人は修司を見上げてニヤリと笑う。自分は知っているぞ、と言いたげな表情のように修司には見えた。
「影井君?」
「何かな? 椎名君」
ふふん、と鼻を鳴らす。修司は小馬鹿にされている気がしてむっとした。
顔は整っているが友達はいないタイプらしく、誰かと仲良くしている姿を修司は見たことがない。ただ、そんな英人に好意を持っている女子は何人かいるらしい。
「君たちも竹村の事、何かあると思ってるんだろ? あいつが急にいなくなるなんて変、いや変過ぎるだろ。もし、調べる気なら俺も一緒にやらせてくれないか」
英人の急な申し出に修司は困惑する。自分が竹村失踪について調べるなんて微塵も考えていなかったのだ。どうするか、と尋ねるようにマカの方を見る。マカは意味が読み取れずにじっと修司を見つめ返す。それを周りが囃し立てて始めたので慌てて二人は目を逸らす。
「仲良いね。幼馴染なんだったけ? もしかして俺がいると邪魔かな?」
あくまでもクールで素っ気ない言い方。英人の本音が修司には捕らえられないでいる。英人の次の言葉を待つ。
「俺は俺で調べてみるさ。何かわかったらまた声かけさせてもらうよ」
そう言って修司を手で払った。
席へ戻る時に一度振り返って英人を見る。
英人は何やらノートを取っていた。
「ねえマカ、エカテリーナの事気にならない?」
自分の席に荷物を置くとマカの席に行って相談する。ちょうどマカは一人で料理の本を読んでいた。
「正体を調べようって?」
マカの問いに黙って首を縦に振る。本を閉じ修司に顔だけを向けていたマカが向き直る。マカも首を振ると「後で」とだけ言ってまた本に目を落とした。クラスの女子がマカを囲んで色々聞くが、「何でもない」とだけ返事して本に集中していた。
幼馴染で同じクラス。それだけで何かと詮索を受けるし、二人をくっつけたがる。二人にしてみれば、ただの幼馴染でそれ以上でも以下でもないのに。特に新しいクラスになったばかりの頃は一日中夫婦ネタにされ弄られていた。今でも一部で囃し立てて喜ぶ輩がいるくらいだ。変に否定すると余計に何か言われるので、二人は軽く受け流したり早々に話題を切り替えたり、あまり深く関わらないようにしていた。
そんなクラスの中でエカテリーナは二人を幼馴染の良い距離感をすぐに理解してくれていた。そんな彼女は二人にとって一緒にいて心地良いクラスメイトだった。たしかに彼女には秘密があると思っている。でも、どこかで彼女を疑いたくない気持ちもあり、やっぱり怪しいと思う気持ちもあった。だからこそ、気にはなりつつも一歩踏み込む事には躊躇している。二人とも、本当にエカテリーナの事を調べるのか、と自問自答を繰り返す。どこかでやらない理由を探しつつ。
「おはよう修司」
ビクリ、と体を振るわせる。
エカテリーナが隣で二コリと微笑んでいた。
ぼーっと放課後の事を考えていた所にいきなり挨拶され修司は驚き戸惑う。
「今日はお出かけの日をいつにするか決めません?」
「そ、そうだね」
修司の額には汗が浮き出る。目も上手く合わせられない。
心配するようにエカテリーナは修司の顔を覗き込んだ。その時初めてしっかりと目が合ったのだが、修司はすぐに目を逸らす。
「どうかしたの?」
「どうもしてないけど」
間髪を入れずに答える。
「怪しい」
一瞬だけ真顔になるものの、すぐにいつもの穏やかな笑顔に戻る。コロコロと鈴を鳴らすように笑うエカテリーナを見て、彼女の中にある秘密の端がちらりと覗いた気がした。
急にぞくり、と背中に寒気が走る。見回しても誰かが修司を見ているわけではない。暖かい日にも関わらず思わず腕を擦る。
「やっぱりいつもと違うわ。なんて言うか、よそよそしい、かな?」
「そんな事ないよ」
慌てて否定する修司の様子を見て、エカテリーナの口元だけが怪しく笑う。
「マカさんと何か企んでますわね?」
「え? な、何で?」
「やっぱり。二人で私を驚かせようって秘密の会議をするつもりなんですね。仕方ない、私は当日まで楽しみにして待つ事にしますわ」
修司は「頼む」と言うと机に突っ伏して、そのままエカテリーナから表情を隠そうとしていた。
エカテリーナはそんな修司を見て、またコロコロと笑った。
「で、エカテリーナの事だけどさ。一緒に遊びに行くって約束、いつにしようか?」
二人だけの帰り道。
たった二日。
エカテリーナと一緒に帰ったのは、一昨日と昨日のたった二日間だけなのに、二人はもの寂しさを感じている。少し間を空けてからマカが返事した。
「今度の日曜で良いんじゃない?」
空を見ながらふと思った事に口にしてみる。
「彼女の家に行けないかな?」
ずっと考えて出した結論。
修司にとっては当然の帰結。
エカテリーナの秘密を知るに最も早くて確実な方法だと彼には思えたから。きっと何かが掴めるはずと考えていた。竹村の事と何も関係ない事だってわかるだろう。そうあって欲しい。だから彼女の家に行く必要がある。修司はそんな風に思っていた。
逆にその発言を聞いたマカは目を見開いて修司を見る。
「本気? 彼女、町を案内して欲しいって言ったのよ。そんな事言ったら絶対変に思われるわよ。それに…………」
急に声のトーンを落としたマカが少し俯き加減になる。
「それに?」
ゆっくり、はっきりと修司が聞き返す。
「何だか、無事に帰れない気がする」
か細い声。最後の方は修司がほとんど聞き取る事ができないくらいだった。
ゆっくりと日が沈む。少しずつ影が伸びるのを二人、見つめる。
「帰れない、か」
口にしてみる。修司には現実味が感じられなかった。一度、彼女の家は見ている。マカも一緒だったし、あの時は何もなく無事に帰ってきた。ちょっとだけ不思議な体験をしただけとしか思えない。マカは何でそんなに不安がっているのだろう、と修司は不思議に思う。
修司がマカの手を握る。意識したわけではなかった。当たり前のように、自然にそうしていた。
マカがギュッと握り返す。
顔を合わせないままで帰り道を歩く。今日は修司がマカの手を引く。とぼとぼと修司の後を付いて行くマカの頬には涙の跡ができている。
本人が気付いた時にはもう泣いていた。
「修司と二度と会えなくなりそうな気がする。怖い。あの子と、深く関わっちゃいけない。なぜだかわからないけど、そう、感じるの」
体を寄せる。マカは震えていた。
エカテリーナを調べると修司が言い出した時から漠然とした恐怖がマカの中に現れ、恐れの感情に支配され、マカは不安を消す事が出来ない。
「別に死ぬわけじゃないし大丈夫だよ」
修司は繋いだ手を離し頭を優しく撫でる。小さい頃からやっている事。マカが不安がっている時は、いつもこうして寄り添っていた。何度も大丈夫だと言い聞かせる。それでも、今のマカは嫌々と首を振るだけだった。
家の前まで来る。マカはしっかりと修司の袖を握り締め離さない。
「ごきげんよう」
ビクリとして振り返る。
「エ、エカテリーナ……」
マカの表情が恐怖に歪む。一歩、二歩、と後退る。修司は突然の事に混乱していた。二人を交互に見ながら、どうしたら良いのかわからずにおろおろするばかりだった。
エカテリーナは微笑みを湛えたままじっと動かないでいる。微かに呼吸しているのがわかるくらいで、不気味なほどにただ静かに立っている。まるで生きた人形。使い古された表現であってもそれ以上に言いようのない、ある種の無機質さを持った異様な立ち姿。優しい風にスカートが揺れる。真っ白なドレスはどこか異国めいていて異世界の住人のようでもあった。
「何しに来た?」
最初に出てきた言葉がそれだった。流石に修司もエカテリーナに何か感じたらしい。強い目付きでエカテリーナに尋ねる。エカテリーナは眉一つ動かさず優しさを含んだ眼差しを返すだけだった。
「黙ってたらわからないじゃないか」
修司の語気が強くなる。言葉の端々に恐怖が混じり、声は僅かに震えている。目を逸らしてしまいそうになるが、どうにか堪えてエカテリーナを見据える。
額には汗。
拳を硬く握り締める。
エカテリーナは少しも変化も見せず、すぅ、と音もなく二人に近づいた。
足音さえも全くない。
気づいたら目の前にいた。修司にはそんな風に見えた。
息遣いさえ聞こえてきそうな距離。
瞳に互いの姿が映る。
「何を怖がっているの? ただ、お出かけの日をいつにするか聞きたくて来ただけですわ」
冷たい手が修司の頬を撫ぜる。
住所を言った事はなかったのに彼女はいきなり現れた。付いて来ていたなら後ろに気配を感じていたはずのなのに、それもなかった。彼女は幽霊か、はたまた化け物か。マカは少し離れた場所から二人のやり取りを見ている。
唾を飲み込んで大きく深呼吸。
「今度さ、エカテリーナの家に、行ってみたいんだけど」
勇気を振り絞って口に出す。
エカテリーナの顔が赤くなる。
「それは……、いきなり家に行きたいって…………」
「な、何を想像してんだよ!」
慌てて打ち消す。
すっと表情が消えるエカテリーナ。
「あら、残念ね。お茶くらい出しますのに」
ぽかんとする修司。混乱して口をパクパクさせる。自分の考えが見透かされているような気がした。
それを見たエカテリーナはがクスクスと笑い出すした。そこでやっと修司は自分がからかわれている事に気付く。
「うふふ。そうね、町を案内してもらったら、その後で家でお茶でもしませんか? 興味があるのでしょう?」
いきなりの提案に逆に何か企んでいそうだと修司は訝る。彼女はそんな風に思っているのも見越して続ける。
「気になるんでしょ? ただの転校生じゃない、とか思ってるんでしょ? 何か、私との距離感が他の方たちと違うもの。マカさんもさっきからこっちを窺ってますし」
ちらりとマカを見てから続ける。
「だから、怪しい所なんてない事を証明しなくては、ね?」
修司の汗が止まらない。目が泳ぐ。
「怖がらなくても良いのに」
再びエカテリーナの手が修司の頬に触れた。
「今度の日曜日かしら」
「聞いてたのか?」
ようやく声を絞り出す。
「当たったみたいね」
フフッと笑う。
彼女の笑顔に修司はゾクリとした。
「マカさんもごきげんよう。日曜日楽しみにしてますわね」
マカとエカテリーナの目が合った途端、エカテリーナがスッと消えるようにいなくなる。
修司の顔は真青になり、腰が抜けてへたり込む。さらに体が小刻みに震えていた。
マカが修司の背中を摩る。
冷たい。
恐怖が背中を駆け上がる。
もしかしたら自分たちはとんでもない事に巻き込まれているのだろうか、という思いが浮かんだ。
朝、教室に着くとクラスメイトの声が修司の耳に飛び込んで来る。
確かに昨日は一日中誰も竹村の姿は見ていなかった。
修司とマカ、二人の頭に浮かんだのはエカテリーナの顔。彼女が何か知っていると直感的に思った。教室の奥、窓際の席にいる優等生の影井英人(かげいえいと)が二人を窺っていた。まるで観察しているみたいだ。修司が英人に気づくとつかつかと歩み寄る。英人は修司を見上げてニヤリと笑う。自分は知っているぞ、と言いたげな表情のように修司には見えた。
「影井君?」
「何かな? 椎名君」
ふふん、と鼻を鳴らす。修司は小馬鹿にされている気がしてむっとした。
顔は整っているが友達はいないタイプらしく、誰かと仲良くしている姿を修司は見たことがない。ただ、そんな英人に好意を持っている女子は何人かいるらしい。
「君たちも竹村の事、何かあると思ってるんだろ? あいつが急にいなくなるなんて変、いや変過ぎるだろ。もし、調べる気なら俺も一緒にやらせてくれないか」
英人の急な申し出に修司は困惑する。自分が竹村失踪について調べるなんて微塵も考えていなかったのだ。どうするか、と尋ねるようにマカの方を見る。マカは意味が読み取れずにじっと修司を見つめ返す。それを周りが囃し立てて始めたので慌てて二人は目を逸らす。
「仲良いね。幼馴染なんだったけ? もしかして俺がいると邪魔かな?」
あくまでもクールで素っ気ない言い方。英人の本音が修司には捕らえられないでいる。英人の次の言葉を待つ。
「俺は俺で調べてみるさ。何かわかったらまた声かけさせてもらうよ」
そう言って修司を手で払った。
席へ戻る時に一度振り返って英人を見る。
英人は何やらノートを取っていた。
「ねえマカ、エカテリーナの事気にならない?」
自分の席に荷物を置くとマカの席に行って相談する。ちょうどマカは一人で料理の本を読んでいた。
「正体を調べようって?」
マカの問いに黙って首を縦に振る。本を閉じ修司に顔だけを向けていたマカが向き直る。マカも首を振ると「後で」とだけ言ってまた本に目を落とした。クラスの女子がマカを囲んで色々聞くが、「何でもない」とだけ返事して本に集中していた。
幼馴染で同じクラス。それだけで何かと詮索を受けるし、二人をくっつけたがる。二人にしてみれば、ただの幼馴染でそれ以上でも以下でもないのに。特に新しいクラスになったばかりの頃は一日中夫婦ネタにされ弄られていた。今でも一部で囃し立てて喜ぶ輩がいるくらいだ。変に否定すると余計に何か言われるので、二人は軽く受け流したり早々に話題を切り替えたり、あまり深く関わらないようにしていた。
そんなクラスの中でエカテリーナは二人を幼馴染の良い距離感をすぐに理解してくれていた。そんな彼女は二人にとって一緒にいて心地良いクラスメイトだった。たしかに彼女には秘密があると思っている。でも、どこかで彼女を疑いたくない気持ちもあり、やっぱり怪しいと思う気持ちもあった。だからこそ、気にはなりつつも一歩踏み込む事には躊躇している。二人とも、本当にエカテリーナの事を調べるのか、と自問自答を繰り返す。どこかでやらない理由を探しつつ。
「おはよう修司」
ビクリ、と体を振るわせる。
エカテリーナが隣で二コリと微笑んでいた。
ぼーっと放課後の事を考えていた所にいきなり挨拶され修司は驚き戸惑う。
「今日はお出かけの日をいつにするか決めません?」
「そ、そうだね」
修司の額には汗が浮き出る。目も上手く合わせられない。
心配するようにエカテリーナは修司の顔を覗き込んだ。その時初めてしっかりと目が合ったのだが、修司はすぐに目を逸らす。
「どうかしたの?」
「どうもしてないけど」
間髪を入れずに答える。
「怪しい」
一瞬だけ真顔になるものの、すぐにいつもの穏やかな笑顔に戻る。コロコロと鈴を鳴らすように笑うエカテリーナを見て、彼女の中にある秘密の端がちらりと覗いた気がした。
急にぞくり、と背中に寒気が走る。見回しても誰かが修司を見ているわけではない。暖かい日にも関わらず思わず腕を擦る。
「やっぱりいつもと違うわ。なんて言うか、よそよそしい、かな?」
「そんな事ないよ」
慌てて否定する修司の様子を見て、エカテリーナの口元だけが怪しく笑う。
「マカさんと何か企んでますわね?」
「え? な、何で?」
「やっぱり。二人で私を驚かせようって秘密の会議をするつもりなんですね。仕方ない、私は当日まで楽しみにして待つ事にしますわ」
修司は「頼む」と言うと机に突っ伏して、そのままエカテリーナから表情を隠そうとしていた。
エカテリーナはそんな修司を見て、またコロコロと笑った。
「で、エカテリーナの事だけどさ。一緒に遊びに行くって約束、いつにしようか?」
二人だけの帰り道。
たった二日。
エカテリーナと一緒に帰ったのは、一昨日と昨日のたった二日間だけなのに、二人はもの寂しさを感じている。少し間を空けてからマカが返事した。
「今度の日曜で良いんじゃない?」
空を見ながらふと思った事に口にしてみる。
「彼女の家に行けないかな?」
ずっと考えて出した結論。
修司にとっては当然の帰結。
エカテリーナの秘密を知るに最も早くて確実な方法だと彼には思えたから。きっと何かが掴めるはずと考えていた。竹村の事と何も関係ない事だってわかるだろう。そうあって欲しい。だから彼女の家に行く必要がある。修司はそんな風に思っていた。
逆にその発言を聞いたマカは目を見開いて修司を見る。
「本気? 彼女、町を案内して欲しいって言ったのよ。そんな事言ったら絶対変に思われるわよ。それに…………」
急に声のトーンを落としたマカが少し俯き加減になる。
「それに?」
ゆっくり、はっきりと修司が聞き返す。
「何だか、無事に帰れない気がする」
か細い声。最後の方は修司がほとんど聞き取る事ができないくらいだった。
ゆっくりと日が沈む。少しずつ影が伸びるのを二人、見つめる。
「帰れない、か」
口にしてみる。修司には現実味が感じられなかった。一度、彼女の家は見ている。マカも一緒だったし、あの時は何もなく無事に帰ってきた。ちょっとだけ不思議な体験をしただけとしか思えない。マカは何でそんなに不安がっているのだろう、と修司は不思議に思う。
修司がマカの手を握る。意識したわけではなかった。当たり前のように、自然にそうしていた。
マカがギュッと握り返す。
顔を合わせないままで帰り道を歩く。今日は修司がマカの手を引く。とぼとぼと修司の後を付いて行くマカの頬には涙の跡ができている。
本人が気付いた時にはもう泣いていた。
「修司と二度と会えなくなりそうな気がする。怖い。あの子と、深く関わっちゃいけない。なぜだかわからないけど、そう、感じるの」
体を寄せる。マカは震えていた。
エカテリーナを調べると修司が言い出した時から漠然とした恐怖がマカの中に現れ、恐れの感情に支配され、マカは不安を消す事が出来ない。
「別に死ぬわけじゃないし大丈夫だよ」
修司は繋いだ手を離し頭を優しく撫でる。小さい頃からやっている事。マカが不安がっている時は、いつもこうして寄り添っていた。何度も大丈夫だと言い聞かせる。それでも、今のマカは嫌々と首を振るだけだった。
家の前まで来る。マカはしっかりと修司の袖を握り締め離さない。
「ごきげんよう」
ビクリとして振り返る。
「エ、エカテリーナ……」
マカの表情が恐怖に歪む。一歩、二歩、と後退る。修司は突然の事に混乱していた。二人を交互に見ながら、どうしたら良いのかわからずにおろおろするばかりだった。
エカテリーナは微笑みを湛えたままじっと動かないでいる。微かに呼吸しているのがわかるくらいで、不気味なほどにただ静かに立っている。まるで生きた人形。使い古された表現であってもそれ以上に言いようのない、ある種の無機質さを持った異様な立ち姿。優しい風にスカートが揺れる。真っ白なドレスはどこか異国めいていて異世界の住人のようでもあった。
「何しに来た?」
最初に出てきた言葉がそれだった。流石に修司もエカテリーナに何か感じたらしい。強い目付きでエカテリーナに尋ねる。エカテリーナは眉一つ動かさず優しさを含んだ眼差しを返すだけだった。
「黙ってたらわからないじゃないか」
修司の語気が強くなる。言葉の端々に恐怖が混じり、声は僅かに震えている。目を逸らしてしまいそうになるが、どうにか堪えてエカテリーナを見据える。
額には汗。
拳を硬く握り締める。
エカテリーナは少しも変化も見せず、すぅ、と音もなく二人に近づいた。
足音さえも全くない。
気づいたら目の前にいた。修司にはそんな風に見えた。
息遣いさえ聞こえてきそうな距離。
瞳に互いの姿が映る。
「何を怖がっているの? ただ、お出かけの日をいつにするか聞きたくて来ただけですわ」
冷たい手が修司の頬を撫ぜる。
住所を言った事はなかったのに彼女はいきなり現れた。付いて来ていたなら後ろに気配を感じていたはずのなのに、それもなかった。彼女は幽霊か、はたまた化け物か。マカは少し離れた場所から二人のやり取りを見ている。
唾を飲み込んで大きく深呼吸。
「今度さ、エカテリーナの家に、行ってみたいんだけど」
勇気を振り絞って口に出す。
エカテリーナの顔が赤くなる。
「それは……、いきなり家に行きたいって…………」
「な、何を想像してんだよ!」
慌てて打ち消す。
すっと表情が消えるエカテリーナ。
「あら、残念ね。お茶くらい出しますのに」
ぽかんとする修司。混乱して口をパクパクさせる。自分の考えが見透かされているような気がした。
それを見たエカテリーナはがクスクスと笑い出すした。そこでやっと修司は自分がからかわれている事に気付く。
「うふふ。そうね、町を案内してもらったら、その後で家でお茶でもしませんか? 興味があるのでしょう?」
いきなりの提案に逆に何か企んでいそうだと修司は訝る。彼女はそんな風に思っているのも見越して続ける。
「気になるんでしょ? ただの転校生じゃない、とか思ってるんでしょ? 何か、私との距離感が他の方たちと違うもの。マカさんもさっきからこっちを窺ってますし」
ちらりとマカを見てから続ける。
「だから、怪しい所なんてない事を証明しなくては、ね?」
修司の汗が止まらない。目が泳ぐ。
「怖がらなくても良いのに」
再びエカテリーナの手が修司の頬に触れた。
「今度の日曜日かしら」
「聞いてたのか?」
ようやく声を絞り出す。
「当たったみたいね」
フフッと笑う。
彼女の笑顔に修司はゾクリとした。
「マカさんもごきげんよう。日曜日楽しみにしてますわね」
マカとエカテリーナの目が合った途端、エカテリーナがスッと消えるようにいなくなる。
修司の顔は真青になり、腰が抜けてへたり込む。さらに体が小刻みに震えていた。
マカが修司の背中を摩る。
冷たい。
恐怖が背中を駆け上がる。
もしかしたら自分たちはとんでもない事に巻き込まれているのだろうか、という思いが浮かんだ。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
スケートリンクでバイトしてたら大惨事を目撃した件
フルーツパフェ
大衆娯楽
比較的気温の高い今年もようやく冬らしい気候になりました。
寒くなって本格的になるのがスケートリンク場。
プロもアマチュアも関係なしに氷上を滑る女の子達ですが、なぜかスカートを履いた女の子が多い?
そんな格好していたら転んだ時に大変・・・・・・ほら、言わんこっちゃない!
スケートリンクでアルバイトをする男性の些細な日常コメディです。
就職面接の感ドコロ!?
フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。
学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。
その業務ストレスのせいだろうか。
ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。
たなかいくん家のトナカさん
田中マーブル(まーぶる)
キャラ文芸
田中井くん家にはいとこの女の子、渡仲あんずが毎日やってきます。同じ学校に通う二人の日常を綴るお話です。
ショートショートの1話完結。
四コママンガみたいな感じで読めるように書いていきます♪
女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。
矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。
女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。
取って付けたようなバレンタインネタあり。
カクヨムでも同内容で公開しています。
オワリちゃんが終わらせる
ノコギリマン
キャラ文芸
根崩高校の新入生、磯崎要は強烈な個性を持つ四方末終――オワリちゃんに出会う。
オワリちゃんが所属する非公認の「幽霊部」に入ることになった要は、怪奇現象に悩む生徒から次々と持ち込まれる依頼をオワリちゃんとともに解決していくことになる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる