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ホワイトガーデン/一話
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ホワイト・ガーデン
「今日のあなたには死ぬほど人生を変える運命的な出会いが待っているかもよ」
椎名修司は家を出る直前、テレビから流れるそんな占いの言葉を何気なく聞いていた。
まさか、それが現実に起こるとも知らずに……。
・ ・ ・
新しいクラスになって二ヶ月程経ったある日、二年三組に転校生がやって来た。
皆と同じ制服なのに、銀髪碧眼で白い肌の少女は大人びていて、とても同じ中学二年生には見えない。
彼女の登場でクラスの空気がガラリと変わった。
「初めまして、エカテリーナと申します。この町の事を色々教えてくださいね。よろしくお願いします」
教師に指示された席へと歩き出すと周囲から溜息が漏れた。それ程彼女の立ち居振る舞いが美しかったのだ。一歩毎に彼女の足元から白い花が咲く様に錯覚した者がいるほどに。
彼女は席に着くと早速隣の男子に話しかけた。小柄で大人しそうな、クラスでもあまり目立たない生徒。
「あなた、名前は?」
「椎名修司」
修司はエカテリーナをチラリと見ただけで俯く。
少し気弱そうな少年の佇まい。
「そんなに照れなくても良いのに。よろしくね修司」
修司の手に自分の手を重ねてジッと目を見る。
周囲からの冷ややかな視線に修司はますます顔を上げられなくなってしまった。
「そんなに珍しいのかしら。この町にだって色んな国の人が住んでいるのよ。私だけ特別に見られてるみたい。ま、確かに普通じゃないかもしれないけど」
意味あり気な発言を織り交ぜて、エカテリーナが口を尖らせる。
「君が、凄く、美人だからだよ」、
俯いたまま修司がボソリと言った。
エカテリーナは天井に視線を向けながら「ふーん、そうなのかなあ」と呟く。ニヤリと笑ったように修司には見えた。
窓際の席でもないのにヒヤリとした風を修司は感じて思わず腕を摩る。
おかしいな、今日は暖かいってテレビでは言っていたのに。そう思って首を傾げる。ふと幼馴染の少女と目が合った。
少し離れた席にいた村中マカは修司とエカテリーナのやり取りを眺めていた。
幼馴染である修司が、というよりも、綺麗な転校生が気になってしょうがなかった。その美しさに一目で心を掴まれていた。たまたま隣の席になっただけであんなに親しげにしている修司を見て、少しばかり妬いてる自分に気付く。つい、自嘲気味に笑みになる。短めの髪を触り、あんな風になりたいと転校生をじっと眺めていた。
もしかしたら、彼女はこの時すでにエカテリーナに対して何かを感じていたのかもしれない。
放課後、エカテリーナは取り囲んでいたクラスメイトの間をすり抜けて教室を出る。休み時間の度に取り囲まれてはたまったものではないだろう。その様子は異常なほどだった。
出て行った彼女に釣られるようにして、教室は急に人がいなくなる。クラスメイトに押しのけられていた修司はようやく自分の机に戻って帰りの支度を始められた。彼女の隣の席でいる限り毎日こうなるのか、と思い、修司は気持ちが滅入る。
「一緒に帰りたかったんじゃない?」
すでに支度を終えたマカがふいに話しかける。
からかうような言い方。
修司はいつもの事と意に介さなかった。
「お前も追いかけていったと思ってたよ」
手を止める事も顔も上げることもせずに返事する。お互いに言っている事が同じだと気づいて二人は思わず吹き出した。ふと二人だけの空気が辺りを漂う。今日はそんな二人を冷やかす者はもう残っていない。
自然と目が合う。
「一緒に帰ろっか」
マカが修司の手を引く。修司よりもちょこっとだけ背の高いマカの方がいつも引っ張る側だ。
教室を出たところで階段の方から悲鳴が聞こえてきる。二人が目を向けると人だかりが出来ていた。様子を見に行こうとマカが修司を引っ張る力が強くなる。
二人が近づくと、すうっと人波が引いて悲鳴を上げた当人が見えた。階段を下った踊り場で女子生徒が倒れている。彼女の腕がありえない方向に曲がっていた。
彼女を突き落とした犯人でも来たのだろうか、急に倒れていた女子生徒の顔が恐怖の色に染まる。
「何があったんだ、お前ら?」
二人の肩に手が置かれて振り返る。
ジャージ姿の教師竹村だった。
「押したのか? どっちだ?」
半分ふざけた言い方をしながらも二人の肩を掴む手に力を込める。
こうして生徒に圧を掛けようとするのが彼のやり口だ。
「私たちじゃありません」
毅然とマカが言い返す。
しかし、竹村には全く通じなかった。むしろ、言い返してくるのを面白がっている節さえある。
「お前ら以外に誰もいないじゃないか」
薄ら笑みを浮かべて言う。
確かに周囲にはもう修司とマカしかいない。
こんなタイミングで現れるなんて都合が良すぎる。
竹村は女子生徒に見向きもしないで二人の顔を交互に見る。階段の踊り場では生徒が小さく低い呻き声を上げて助けを求めているのに、まるで聞こえていないかのように振舞う。
「彼女はほったらかしで良いんですか?」
恐る恐る修司が上目遣いで尋ねる。
「今すぐ死ぬようには見えないぞ? 介抱してる間に逃げようとか考えてたのか」
ちらり、と見るだけで、すぐに視線を二人に戻す。助ける気はさらさらないらしい。
「そんな事は……」
どう答えたら良いかわからず修司は言葉に詰まる。
「考えてました、とでも言いたいのか? 言いたいよな? 自分のやった事が怖くて仕方ないもんな。でもな、悪い事は悪い事なんだ。先生はな、ただ、悪い事をしたらちゃんと責任を取れる人間になって欲しいだけなんだよ。わかるな?」
竹村が今度は二人の肩をポンポンと軽く叩く。あくまでもやさしく言い聞かせるように。ただ、その顔は純粋にこの状況を楽しんでいる事を隠しきれていなかった。
マカは去年転校したという先輩を思い出す。その子は竹村に反抗していたらしかった。一つ上の学年だったが生徒たちの間では噂になっていて有名だった。
曰く、
「逆らったせいで、竹村に処刑された」と。
事実、その先輩と仲の良かった子が連絡を取ろうとしても全く繋がらず、どこで何をしているのか誰も知らなかった。
そのせいで信憑性が高まり、竹村は生徒たちの中で恐怖の対象としての存在を絶対的なものとしていた。
他にも、生徒の不祥事をでっち上げて保護者から金を取っているとか、ストレス発散のためにおとなしい生徒を呼び出しては殴っているとか、怪しい話が生徒たちの間だけに広まっていた。
「ほら、早くしないといつまで経っても怪我人がほったらかしになるぞ」
修司とマカの顔を交互に見る。
それでも竹村本人は怪我人の事などどうでも良かった。
「だから……」
「椎名だったのか。いくらいじめられっ子でも、こんな陰湿な事しちゃいかんなあ。気持ち悪がられてイラッとしたか?」
悪びれた様子もなく軽い感じで言う竹村。むしろニヤニヤと修司を見つめる。
修司がいじめられた事実はない。少し気弱でクラスでは目立たなく、行事にも積極的に関わるタイプではないが、いじめのターゲットにされるタイプでもなかった。もちろん、気持ち悪いなんて言われた事もない。
「先生?」
階段下からエカテリーナの声がする。
戻って来たのだろうか。
さっきまでは確かにいなかったはずだった。
「まずは怪我した生徒を助けるの先ではないですか?」
心の内で修司とマカがその通りと頷く。いつの間にか生徒の胸元には茎までも白い花が置かれていた。誰も見たことない不思議な花だった。
「転校生か。だったらお前がやれば良いだろ。先生は犯人を自白させるのに忙しいんだ」
面倒くさそうに竹村が答える。
「犯人なんていませんわ。ただの事故なんですから。それとも何かご存知なのかしら」
じっと竹村を強く見つめる。竹村も修司とまかの肩を掴んだまま、エカテリーナを見つめ返す。それはほんの短い時間で、すべてを見透かされるような感覚の陥った竹村は目を逸らす。
「私の言う事、信じられませんか?」
小首を傾げて微笑む。不思議な魔力でも篭っているように全員が見入ってしまう。竹村も例外ではない。今度は眦(まなじり)を下げて生徒たちが一度も見た事がない表情で竹村はエカテリーナを見ている。なんとも締まりのない顔だ。修司たちは初めて見る竹村の姿につい苦笑いを浮かべる。竹村がそれに気づくと黙れとでも言うように睨みつけたので、皆、黙り込んだ。
「幸いにも彼女は意識もありますし命に問題のある怪我ではありません。ただ、骨折しているみたいなので早急に病院に連れて行く必要があります」
倒れている生徒に膝枕して優しく頭を撫でる。「大丈夫?」とエカテリーナが声をかけると、怪我の生徒は涙を流した。
少しして別の教師がやって来る。誰かが呼んできたのだろう。もしかしたらエカテリーナが呼んできたのかもしれない。乾(いぬい)と言う女性の先生だ。急いで女子生徒の所へ駆け寄り様子を診る。生徒が痛みによる呻き声を上げる。
「骨折してるみたいね。竹村先生手伝ってもらえるかしら?」
「え、いや、私は…………」
しどろもどろしている態度に乾が不快を露にする。
「竹村先生。生徒を守り導くのが教師の務めではなくて? 優先するのは怪我をした生徒の手当てでしょ」
「う、うむ」
竹村は渋々と修司とマカを開放し階段を下りる。放す時に舌打ちした音を二人は聞き逃さなかった。
「あの、僕たちは?」
「後は先生たちで大丈夫だからあなたたちは帰りなさい」
乾に促されて二人はその場から離れた。
倒れている生徒の胸元にあった花はなぜか萎れていた。
・ ・ ・
修司とマカが校門から出た所で、追いかけて来たエカテリーナが追いつく。音もなく現れたエカテリーナに二人は少々驚いた。
「一緒に帰りませんか?」
「わざわざ走って来たの?」
そう聞いてみたものの、少しも息を切らしていない。
なぜマカがそんな事を聞いたのか修司は不思議に思った。
「ええ、椎名君は初めての友達ですし」
あっけらかんと答えるエカテリーナに微かな違和感みたいなものを感じる。それは、マカ自身も気づかない程の小さな感覚。
「私、修司の幼馴染の村中マカ。よろしくね」
そう言って手を差し出す。
「ええ、よろしくマカさん」
エカテリーナの手はヒンヤリとして心地良く感じられた。微かな違和感もすでに掻き消されて彼女への興味だけが心に留まっている。
「家はどっちなの? 方向が違ってたら一緒には帰れないし」
そう言った修司をマカは黙って見ていた。エカテリーナへ興味が無いのか少し冷めた接し方だな、とマカは思った。
「つまらない事言わなくて良いの、修司。せっかくなんだから遠回りしてでも一緒に帰れば良いじゃない。ね?」
修司の前を塞ぐように立ちエカテリーナに笑いかけるマカを見て、修司は大きく息を吐いて肩をすくめる。修司もマカに対しては普通にしていられる。幼馴染という関係がそうさせいるのだろう。
「うふふ、仲が良いのね」
エカテリーナは学校での修司とは違う素の修司を見た気がした。
「腐れ縁ってやつですよお」
ふるふると首を振るマカ。手まで同じように全力否定を表すが、顔はまんざらでもない様子に見える。修司は修司で目を閉じうんうんと頷く。やっぱり嫌がっている素振りはない。それを見たエカテリーナはさも可笑しそうにしていた。
「私、変な事言ったかなあ?」
腕を組み考え込むような仕草を見せるマカ。
ただ、頭の中では特に何も考えてはいなかった。
「ふふ。楽しそうで良いなあって思っただけです。お二人と友達になれて嬉しいわ」
二人の前に出ると、そう言ってエカテリーナは微笑む。
「私もエカテリーナと友達になれて嬉しいよ」
マカがエカテリーナの腕にポンポンと軽く触れた。
とても綺麗だけど、どこか不思議で怪しい。そんなエカテリーナにマカは強く惹かれていた。
「そう言えば、あの竹村先生っていつもあんな感じですの?」
エカテリーナが思い出したように話を振る。
「ああ、いっつも偉そうしててさ。何でも人のせいにしやがって。まともに話も聞いてくれないんだぜ」
修司が答える。マカと一緒だったからか、エカテリーナにも普通に喋れていた。
「それは災難でしたね」
「修司のせいで私まで犯人にされそうになったもんなあ」
じろりと修司を睨んでみせる。
そんな仕草もまたエカテリーナには羨ましく思えた。
「別に俺のせいじゃないじゃん」
お互いに口を尖らせたので、エカテリーナはまた声を上げて笑った。
「良いわね、幼馴染って。私はそういう人いないから…………」
寂しげな感情が言葉の最後に見え隠れする。そんな感情を掬い取るかのように修司も言葉を漏らす。
「そうなんだ」
少しの沈黙。
「あ、気にしないでくださいね。何度も転校してるから仕方ない事ですし。それに色んな町に知り合いが出来るんですのよ。今日だってこうして二人と友達のなれましたし」
エカテリーナが笑顔を作る。そして、二人の顔を見て何かを思いついたように手を叩く。
「今度二人にこの町を案内してもらって良いかしら? 二人ともっとお話して仲良くなりたいし、ね?」
「良いわね。あ、でもこいつも一緒なの?」
親指で修司を指して苦笑いをする。
「もちろん。お二人と一緒に行きたいんだもの」
修司とマカの手を取る。
突然手を握られて二人とも顔が赤くなった。
「しょうがない。三人で行きますか」
プイ、とマカは二人からから顔を背けてそう言った。
「三人で。約束ですよ」
話しながら歩いている内に見慣れない場所に来てしまっていた。近くに大きな家がある。この町で生まれ育った修司もマカも初めて見る家だ。
「あそこ、私の家です」
二人が見ている大きな家を指す。
「エカテリーナってお嬢様なんだ」
マカが目を輝かせる。逆に修司は知らない家を訝(いぶか)しげに眺めていた。
「修司?」
「こんな場所あったっけ?」
マカに尋ねる。
修司の記憶にはこんな建物の存在はなかった。
「私に聞かれても。確かにこの辺って来た事ないかも」
「だよな」
マカの言葉を聞いて、この辺に来た事ないだけか、と自分を納得させた。いくらずっと住んでいるとはいえ、町の全部を知っているわけではないのだから。
「あの、お二人とも家の方向が違うのですね。後ろに真っ直ぐ行けば戻れるはずですから。では、私はこれで」
会釈をしてエカテリーナは家へと入って行く。
修司とマカは顔を見合わせると歩いてきた道を戻って行った。しばらく進んだ所で知っている場所に出る。辺りを見回しても良く知っている場所なのに、エカテリーナの家からどの道を通ってきたのかわからなかった。
「修司、エカテリーナの家ってさ」
「うん」
二人はそれ以上言葉を発する事なく並んで家路に就く。家の前で別れる時にやっとお互いに「じゃあ」とだけ言った。
・ ・ ・
翌日の放課後、調理実習室。
広い室内に家庭科部のメンバーがポツポツ集まって来る。とは言え、全員揃っても五人の小さな部だ。全員エプロンを着ける。後ろの席は荷物置き場になっていて、いつも前の席の一つに全員が固まっていた。
ここでもやっぱり話題は昨日の事故だ。今朝の新聞にも小さく記事が載っていた。結局不運な事故という事で落ち着いたらしい。あの女子生徒は骨折はしていたものの、いたって元気だそうだ。念のため検査入院しているとの事で今日は休んでいた。
「村中さんってあの現場にいたんでしょ?」
部員の一人がマカに尋ねる。
「え? 誰がそんな事言ったの?」
「竹村に捕まったって聞いたよ」
「ああ。その話か」
一つ息を吐く。
頭の中は殆どエカテリーナの家の事で占められていた。
彼女は一体何者なのか。
昨日から怖さと興味がグルグル回っていた。
「そうなのよ。勝手に犯人扱いされてさ。本っ当に迷惑。大体さ、事故が起こった後で現場の階段に行ったんだから知ってるはずないっての」
あの時のエカテリーナを思い出しながら、なんとなく修司の方を見る。修司はそ知らぬ顔で目を逸らした。男子は修司一人。だからいつもは会話の輪に加わる事はなく、部が始まるまでは皆と少し離れた所で静かにしている事が多かった。他の部員にとってもそれが当たり前になっている。
「ふーん。で、怪我した子ってどんな子なの? 噂では竹村から迫られてたらしいけど」
知らないと答えたマカに尚も食い下がる。
「クラス違うからなあ。よく知らないんだ」
「竹村に嵌められたんじゃない? あいつ、よくうちの部に来て食べ散らかして帰るし、ホント迷惑でムカつくよね。偉そうにしてるしさ。この間なんか、私、体触られたんだよ」
思い当たることがある。だからあの時、竹村の食べている物にタバスコを大量に入れてやったんだ。睨まれたような気がしていたし、もしかしたら仕返しのタイミングを計っていたのかもしれない。まだどこかで何かされるかも、とマカは警戒感を募らせた。
急に扉が開き、人が入って来る。
修司の体がブルッと振るえた。
すでに部員は揃っている。それに顧問が来るにはまだ早い時間でもあった。自然と全員の視線が侵入者に集まった。
「こんにちは。家庭科部はここでよろしいですか?」
「エカテリーナ!」
マカが訪問者の名を口にする。昨日と違って少し警戒してエカテリーナを見る。昨日、突然現れて突然姿を消したエカテリーナの家をずっと不気味に思っていたのだ。そして、そこで暮らすエカテリーナも普通の人間じゃないような気がしていた。
「修司とマカさんがこちらにいらっしゃると聞いたので私も参加してみようかと」
微笑みながら二人に向けて軽く手を振る。修司は手を振り返したが、昨日の事を思い出していたマカは作り笑いを返すのが精一杯だった。
「あの子が噂の転校生?」
エカテリーナを初めて見る生徒たちのテンションが上がる。昨日の教室での挨拶の時もそうだったが、彼女は人を惹きつける何かを持っているらしい。
「皆さんもよろしくお願いしますね」
にっこりスマイルを振り撒くと黄色い声が響いた。一瞬で魅了されてしまったようだ。エカテリーナを中心に輪が出来る。教室でのあの光景が再現されたみたいだ。
「はいはい。部活始めるわよ」
いつの間にか来ていた顧問の乾が手を鳴らしながら教壇に立つ。
「え、と。まずは、今日はエカテリーナさんが体験参加します。仲良くしてあげてね。それから、今からやる事黒板に書くから。ちょっと待っててね」
生徒たちに背を向け板書を始める。
すると、エカテリーナが小声でマカに聞いた。
「ここって何する集まりなの?」
「家庭科部ってのはね、料理する部活よ。去年の文化祭の時にはクッキーを焼いて出したのよね」
つい抑揚のない言い方になってしまう。
「あら、おもしろそう」
そんなマカの態度に気を留める事もなく、エカテリーナは手を合わせて興味を示す。
黒板では今日作る料理のレシピが埋まっていっている。全て書き終えると乾は生徒の方に向き直った。
「今日はポテトサラダを作ります」
簡単な説明と指示を受けて全員がジャガイモの処理を始める。ぐるりと切れ目を入れるだけで皮は剥かない。黒板にも皮を剥くとは書かれていなかった。
「本当にこんなんで大丈夫なんですか?」
生徒の一人が質問する。「やってみたらわかる」と言う乾に半信半疑で作業を続ける。レンジに入れて暫し、熱々になったイモの皮を剥いていくと簡単に出来た。潰したイモを一人分ずつ分けて、それぞれが家から持って来た具材を混ぜていく。修司はコーンやキュウリにハムとツナ缶、マカは細かく刻んである玉ねぎや人参にカニカマだ。
「エカテリーナさんはどうしましょう。何も用意してないわよね」
「これあげるよ」
修司が使わなかったツナを差し出す。嬉しそうに受け取るエカテリーナを見て他の生徒がはっとする。
「じゃあ私はこれ」
「私もあげる」
修司に倣って全員が余った具材を渡していく。感謝の言葉をかけてから貰った具材を混ぜてサラダを完成させ、満足そうな表情を浮かべる。出来上がりを見てみると、結局エカテリーナのサラダが一番豪華になっていた。机には全員のポテトサラダがずらりと並び、具材や盛り付けにそれぞれの個性が垣間見える。一通り出来上がりを確認した後、各々自分の分を取って席に着いた。
「随分豪勢になったわね」
エカテリーナのポテトサラダをみて乾が笑う。
「皆さんのおかげです」
そう言って一口食べると味に納得するかの様に頷く。それから全員で食べ比べをしての品評会が始まった。味付けが濃いだの具の組み合わせが悪いだのと皆が好き勝手言う。最終的には各々自分の作った物が一番だったという事に落ち着いた。
「中々楽しかったわ。家庭科部っていつもやっているの?」
昨日と同じ帰り道でエカテリーナが尋ねる。今日も修司、マカとの三人。
「週に一回。別に大会に出るわけじゃないし、のんびりしたもんだよ」
修司の隣で頷き同意するマカ。彼女も部の緩めの雰囲気が好きだった。
家庭科部は学校の中でも一番暇な部活と言われていたし、実際にそうであった。その為、参加しないで籍だけ置こうとする生徒もいたが、そういった生徒は顧問の乾が入部を認めなかった。そのお陰でいい加減な部員は一人もいなく、皆真面目に料理に取り組んでいる。
あの交差点に着くと二人の足が自然と止まる。交通量もまばらの寂しい交差点。急に止まる二人を見たエカテリーナは不思議そうに首を傾げた。ただ、それもほんの短い間だけ。
「じゃあ、ここでお別れね」
と一人交差点の先に歩いて行く。
一度振り返り、小さく手を振った。
「ねえ」
「うん」
二人が見たのは、すうっと幽霊のように消えていくエカテリーナの姿。顔を見合わせるとお互いの顔色が青くなっていた。確信を持って二人が首を振る。マカはエカテリーナに対する恐怖のような感情を強くしていた。一方、修司の方は恐怖よりも興味が湧き上がって来ていた。
「今日のあなたには死ぬほど人生を変える運命的な出会いが待っているかもよ」
椎名修司は家を出る直前、テレビから流れるそんな占いの言葉を何気なく聞いていた。
まさか、それが現実に起こるとも知らずに……。
・ ・ ・
新しいクラスになって二ヶ月程経ったある日、二年三組に転校生がやって来た。
皆と同じ制服なのに、銀髪碧眼で白い肌の少女は大人びていて、とても同じ中学二年生には見えない。
彼女の登場でクラスの空気がガラリと変わった。
「初めまして、エカテリーナと申します。この町の事を色々教えてくださいね。よろしくお願いします」
教師に指示された席へと歩き出すと周囲から溜息が漏れた。それ程彼女の立ち居振る舞いが美しかったのだ。一歩毎に彼女の足元から白い花が咲く様に錯覚した者がいるほどに。
彼女は席に着くと早速隣の男子に話しかけた。小柄で大人しそうな、クラスでもあまり目立たない生徒。
「あなた、名前は?」
「椎名修司」
修司はエカテリーナをチラリと見ただけで俯く。
少し気弱そうな少年の佇まい。
「そんなに照れなくても良いのに。よろしくね修司」
修司の手に自分の手を重ねてジッと目を見る。
周囲からの冷ややかな視線に修司はますます顔を上げられなくなってしまった。
「そんなに珍しいのかしら。この町にだって色んな国の人が住んでいるのよ。私だけ特別に見られてるみたい。ま、確かに普通じゃないかもしれないけど」
意味あり気な発言を織り交ぜて、エカテリーナが口を尖らせる。
「君が、凄く、美人だからだよ」、
俯いたまま修司がボソリと言った。
エカテリーナは天井に視線を向けながら「ふーん、そうなのかなあ」と呟く。ニヤリと笑ったように修司には見えた。
窓際の席でもないのにヒヤリとした風を修司は感じて思わず腕を摩る。
おかしいな、今日は暖かいってテレビでは言っていたのに。そう思って首を傾げる。ふと幼馴染の少女と目が合った。
少し離れた席にいた村中マカは修司とエカテリーナのやり取りを眺めていた。
幼馴染である修司が、というよりも、綺麗な転校生が気になってしょうがなかった。その美しさに一目で心を掴まれていた。たまたま隣の席になっただけであんなに親しげにしている修司を見て、少しばかり妬いてる自分に気付く。つい、自嘲気味に笑みになる。短めの髪を触り、あんな風になりたいと転校生をじっと眺めていた。
もしかしたら、彼女はこの時すでにエカテリーナに対して何かを感じていたのかもしれない。
放課後、エカテリーナは取り囲んでいたクラスメイトの間をすり抜けて教室を出る。休み時間の度に取り囲まれてはたまったものではないだろう。その様子は異常なほどだった。
出て行った彼女に釣られるようにして、教室は急に人がいなくなる。クラスメイトに押しのけられていた修司はようやく自分の机に戻って帰りの支度を始められた。彼女の隣の席でいる限り毎日こうなるのか、と思い、修司は気持ちが滅入る。
「一緒に帰りたかったんじゃない?」
すでに支度を終えたマカがふいに話しかける。
からかうような言い方。
修司はいつもの事と意に介さなかった。
「お前も追いかけていったと思ってたよ」
手を止める事も顔も上げることもせずに返事する。お互いに言っている事が同じだと気づいて二人は思わず吹き出した。ふと二人だけの空気が辺りを漂う。今日はそんな二人を冷やかす者はもう残っていない。
自然と目が合う。
「一緒に帰ろっか」
マカが修司の手を引く。修司よりもちょこっとだけ背の高いマカの方がいつも引っ張る側だ。
教室を出たところで階段の方から悲鳴が聞こえてきる。二人が目を向けると人だかりが出来ていた。様子を見に行こうとマカが修司を引っ張る力が強くなる。
二人が近づくと、すうっと人波が引いて悲鳴を上げた当人が見えた。階段を下った踊り場で女子生徒が倒れている。彼女の腕がありえない方向に曲がっていた。
彼女を突き落とした犯人でも来たのだろうか、急に倒れていた女子生徒の顔が恐怖の色に染まる。
「何があったんだ、お前ら?」
二人の肩に手が置かれて振り返る。
ジャージ姿の教師竹村だった。
「押したのか? どっちだ?」
半分ふざけた言い方をしながらも二人の肩を掴む手に力を込める。
こうして生徒に圧を掛けようとするのが彼のやり口だ。
「私たちじゃありません」
毅然とマカが言い返す。
しかし、竹村には全く通じなかった。むしろ、言い返してくるのを面白がっている節さえある。
「お前ら以外に誰もいないじゃないか」
薄ら笑みを浮かべて言う。
確かに周囲にはもう修司とマカしかいない。
こんなタイミングで現れるなんて都合が良すぎる。
竹村は女子生徒に見向きもしないで二人の顔を交互に見る。階段の踊り場では生徒が小さく低い呻き声を上げて助けを求めているのに、まるで聞こえていないかのように振舞う。
「彼女はほったらかしで良いんですか?」
恐る恐る修司が上目遣いで尋ねる。
「今すぐ死ぬようには見えないぞ? 介抱してる間に逃げようとか考えてたのか」
ちらり、と見るだけで、すぐに視線を二人に戻す。助ける気はさらさらないらしい。
「そんな事は……」
どう答えたら良いかわからず修司は言葉に詰まる。
「考えてました、とでも言いたいのか? 言いたいよな? 自分のやった事が怖くて仕方ないもんな。でもな、悪い事は悪い事なんだ。先生はな、ただ、悪い事をしたらちゃんと責任を取れる人間になって欲しいだけなんだよ。わかるな?」
竹村が今度は二人の肩をポンポンと軽く叩く。あくまでもやさしく言い聞かせるように。ただ、その顔は純粋にこの状況を楽しんでいる事を隠しきれていなかった。
マカは去年転校したという先輩を思い出す。その子は竹村に反抗していたらしかった。一つ上の学年だったが生徒たちの間では噂になっていて有名だった。
曰く、
「逆らったせいで、竹村に処刑された」と。
事実、その先輩と仲の良かった子が連絡を取ろうとしても全く繋がらず、どこで何をしているのか誰も知らなかった。
そのせいで信憑性が高まり、竹村は生徒たちの中で恐怖の対象としての存在を絶対的なものとしていた。
他にも、生徒の不祥事をでっち上げて保護者から金を取っているとか、ストレス発散のためにおとなしい生徒を呼び出しては殴っているとか、怪しい話が生徒たちの間だけに広まっていた。
「ほら、早くしないといつまで経っても怪我人がほったらかしになるぞ」
修司とマカの顔を交互に見る。
それでも竹村本人は怪我人の事などどうでも良かった。
「だから……」
「椎名だったのか。いくらいじめられっ子でも、こんな陰湿な事しちゃいかんなあ。気持ち悪がられてイラッとしたか?」
悪びれた様子もなく軽い感じで言う竹村。むしろニヤニヤと修司を見つめる。
修司がいじめられた事実はない。少し気弱でクラスでは目立たなく、行事にも積極的に関わるタイプではないが、いじめのターゲットにされるタイプでもなかった。もちろん、気持ち悪いなんて言われた事もない。
「先生?」
階段下からエカテリーナの声がする。
戻って来たのだろうか。
さっきまでは確かにいなかったはずだった。
「まずは怪我した生徒を助けるの先ではないですか?」
心の内で修司とマカがその通りと頷く。いつの間にか生徒の胸元には茎までも白い花が置かれていた。誰も見たことない不思議な花だった。
「転校生か。だったらお前がやれば良いだろ。先生は犯人を自白させるのに忙しいんだ」
面倒くさそうに竹村が答える。
「犯人なんていませんわ。ただの事故なんですから。それとも何かご存知なのかしら」
じっと竹村を強く見つめる。竹村も修司とまかの肩を掴んだまま、エカテリーナを見つめ返す。それはほんの短い時間で、すべてを見透かされるような感覚の陥った竹村は目を逸らす。
「私の言う事、信じられませんか?」
小首を傾げて微笑む。不思議な魔力でも篭っているように全員が見入ってしまう。竹村も例外ではない。今度は眦(まなじり)を下げて生徒たちが一度も見た事がない表情で竹村はエカテリーナを見ている。なんとも締まりのない顔だ。修司たちは初めて見る竹村の姿につい苦笑いを浮かべる。竹村がそれに気づくと黙れとでも言うように睨みつけたので、皆、黙り込んだ。
「幸いにも彼女は意識もありますし命に問題のある怪我ではありません。ただ、骨折しているみたいなので早急に病院に連れて行く必要があります」
倒れている生徒に膝枕して優しく頭を撫でる。「大丈夫?」とエカテリーナが声をかけると、怪我の生徒は涙を流した。
少しして別の教師がやって来る。誰かが呼んできたのだろう。もしかしたらエカテリーナが呼んできたのかもしれない。乾(いぬい)と言う女性の先生だ。急いで女子生徒の所へ駆け寄り様子を診る。生徒が痛みによる呻き声を上げる。
「骨折してるみたいね。竹村先生手伝ってもらえるかしら?」
「え、いや、私は…………」
しどろもどろしている態度に乾が不快を露にする。
「竹村先生。生徒を守り導くのが教師の務めではなくて? 優先するのは怪我をした生徒の手当てでしょ」
「う、うむ」
竹村は渋々と修司とマカを開放し階段を下りる。放す時に舌打ちした音を二人は聞き逃さなかった。
「あの、僕たちは?」
「後は先生たちで大丈夫だからあなたたちは帰りなさい」
乾に促されて二人はその場から離れた。
倒れている生徒の胸元にあった花はなぜか萎れていた。
・ ・ ・
修司とマカが校門から出た所で、追いかけて来たエカテリーナが追いつく。音もなく現れたエカテリーナに二人は少々驚いた。
「一緒に帰りませんか?」
「わざわざ走って来たの?」
そう聞いてみたものの、少しも息を切らしていない。
なぜマカがそんな事を聞いたのか修司は不思議に思った。
「ええ、椎名君は初めての友達ですし」
あっけらかんと答えるエカテリーナに微かな違和感みたいなものを感じる。それは、マカ自身も気づかない程の小さな感覚。
「私、修司の幼馴染の村中マカ。よろしくね」
そう言って手を差し出す。
「ええ、よろしくマカさん」
エカテリーナの手はヒンヤリとして心地良く感じられた。微かな違和感もすでに掻き消されて彼女への興味だけが心に留まっている。
「家はどっちなの? 方向が違ってたら一緒には帰れないし」
そう言った修司をマカは黙って見ていた。エカテリーナへ興味が無いのか少し冷めた接し方だな、とマカは思った。
「つまらない事言わなくて良いの、修司。せっかくなんだから遠回りしてでも一緒に帰れば良いじゃない。ね?」
修司の前を塞ぐように立ちエカテリーナに笑いかけるマカを見て、修司は大きく息を吐いて肩をすくめる。修司もマカに対しては普通にしていられる。幼馴染という関係がそうさせいるのだろう。
「うふふ、仲が良いのね」
エカテリーナは学校での修司とは違う素の修司を見た気がした。
「腐れ縁ってやつですよお」
ふるふると首を振るマカ。手まで同じように全力否定を表すが、顔はまんざらでもない様子に見える。修司は修司で目を閉じうんうんと頷く。やっぱり嫌がっている素振りはない。それを見たエカテリーナはさも可笑しそうにしていた。
「私、変な事言ったかなあ?」
腕を組み考え込むような仕草を見せるマカ。
ただ、頭の中では特に何も考えてはいなかった。
「ふふ。楽しそうで良いなあって思っただけです。お二人と友達になれて嬉しいわ」
二人の前に出ると、そう言ってエカテリーナは微笑む。
「私もエカテリーナと友達になれて嬉しいよ」
マカがエカテリーナの腕にポンポンと軽く触れた。
とても綺麗だけど、どこか不思議で怪しい。そんなエカテリーナにマカは強く惹かれていた。
「そう言えば、あの竹村先生っていつもあんな感じですの?」
エカテリーナが思い出したように話を振る。
「ああ、いっつも偉そうしててさ。何でも人のせいにしやがって。まともに話も聞いてくれないんだぜ」
修司が答える。マカと一緒だったからか、エカテリーナにも普通に喋れていた。
「それは災難でしたね」
「修司のせいで私まで犯人にされそうになったもんなあ」
じろりと修司を睨んでみせる。
そんな仕草もまたエカテリーナには羨ましく思えた。
「別に俺のせいじゃないじゃん」
お互いに口を尖らせたので、エカテリーナはまた声を上げて笑った。
「良いわね、幼馴染って。私はそういう人いないから…………」
寂しげな感情が言葉の最後に見え隠れする。そんな感情を掬い取るかのように修司も言葉を漏らす。
「そうなんだ」
少しの沈黙。
「あ、気にしないでくださいね。何度も転校してるから仕方ない事ですし。それに色んな町に知り合いが出来るんですのよ。今日だってこうして二人と友達のなれましたし」
エカテリーナが笑顔を作る。そして、二人の顔を見て何かを思いついたように手を叩く。
「今度二人にこの町を案内してもらって良いかしら? 二人ともっとお話して仲良くなりたいし、ね?」
「良いわね。あ、でもこいつも一緒なの?」
親指で修司を指して苦笑いをする。
「もちろん。お二人と一緒に行きたいんだもの」
修司とマカの手を取る。
突然手を握られて二人とも顔が赤くなった。
「しょうがない。三人で行きますか」
プイ、とマカは二人からから顔を背けてそう言った。
「三人で。約束ですよ」
話しながら歩いている内に見慣れない場所に来てしまっていた。近くに大きな家がある。この町で生まれ育った修司もマカも初めて見る家だ。
「あそこ、私の家です」
二人が見ている大きな家を指す。
「エカテリーナってお嬢様なんだ」
マカが目を輝かせる。逆に修司は知らない家を訝(いぶか)しげに眺めていた。
「修司?」
「こんな場所あったっけ?」
マカに尋ねる。
修司の記憶にはこんな建物の存在はなかった。
「私に聞かれても。確かにこの辺って来た事ないかも」
「だよな」
マカの言葉を聞いて、この辺に来た事ないだけか、と自分を納得させた。いくらずっと住んでいるとはいえ、町の全部を知っているわけではないのだから。
「あの、お二人とも家の方向が違うのですね。後ろに真っ直ぐ行けば戻れるはずですから。では、私はこれで」
会釈をしてエカテリーナは家へと入って行く。
修司とマカは顔を見合わせると歩いてきた道を戻って行った。しばらく進んだ所で知っている場所に出る。辺りを見回しても良く知っている場所なのに、エカテリーナの家からどの道を通ってきたのかわからなかった。
「修司、エカテリーナの家ってさ」
「うん」
二人はそれ以上言葉を発する事なく並んで家路に就く。家の前で別れる時にやっとお互いに「じゃあ」とだけ言った。
・ ・ ・
翌日の放課後、調理実習室。
広い室内に家庭科部のメンバーがポツポツ集まって来る。とは言え、全員揃っても五人の小さな部だ。全員エプロンを着ける。後ろの席は荷物置き場になっていて、いつも前の席の一つに全員が固まっていた。
ここでもやっぱり話題は昨日の事故だ。今朝の新聞にも小さく記事が載っていた。結局不運な事故という事で落ち着いたらしい。あの女子生徒は骨折はしていたものの、いたって元気だそうだ。念のため検査入院しているとの事で今日は休んでいた。
「村中さんってあの現場にいたんでしょ?」
部員の一人がマカに尋ねる。
「え? 誰がそんな事言ったの?」
「竹村に捕まったって聞いたよ」
「ああ。その話か」
一つ息を吐く。
頭の中は殆どエカテリーナの家の事で占められていた。
彼女は一体何者なのか。
昨日から怖さと興味がグルグル回っていた。
「そうなのよ。勝手に犯人扱いされてさ。本っ当に迷惑。大体さ、事故が起こった後で現場の階段に行ったんだから知ってるはずないっての」
あの時のエカテリーナを思い出しながら、なんとなく修司の方を見る。修司はそ知らぬ顔で目を逸らした。男子は修司一人。だからいつもは会話の輪に加わる事はなく、部が始まるまでは皆と少し離れた所で静かにしている事が多かった。他の部員にとってもそれが当たり前になっている。
「ふーん。で、怪我した子ってどんな子なの? 噂では竹村から迫られてたらしいけど」
知らないと答えたマカに尚も食い下がる。
「クラス違うからなあ。よく知らないんだ」
「竹村に嵌められたんじゃない? あいつ、よくうちの部に来て食べ散らかして帰るし、ホント迷惑でムカつくよね。偉そうにしてるしさ。この間なんか、私、体触られたんだよ」
思い当たることがある。だからあの時、竹村の食べている物にタバスコを大量に入れてやったんだ。睨まれたような気がしていたし、もしかしたら仕返しのタイミングを計っていたのかもしれない。まだどこかで何かされるかも、とマカは警戒感を募らせた。
急に扉が開き、人が入って来る。
修司の体がブルッと振るえた。
すでに部員は揃っている。それに顧問が来るにはまだ早い時間でもあった。自然と全員の視線が侵入者に集まった。
「こんにちは。家庭科部はここでよろしいですか?」
「エカテリーナ!」
マカが訪問者の名を口にする。昨日と違って少し警戒してエカテリーナを見る。昨日、突然現れて突然姿を消したエカテリーナの家をずっと不気味に思っていたのだ。そして、そこで暮らすエカテリーナも普通の人間じゃないような気がしていた。
「修司とマカさんがこちらにいらっしゃると聞いたので私も参加してみようかと」
微笑みながら二人に向けて軽く手を振る。修司は手を振り返したが、昨日の事を思い出していたマカは作り笑いを返すのが精一杯だった。
「あの子が噂の転校生?」
エカテリーナを初めて見る生徒たちのテンションが上がる。昨日の教室での挨拶の時もそうだったが、彼女は人を惹きつける何かを持っているらしい。
「皆さんもよろしくお願いしますね」
にっこりスマイルを振り撒くと黄色い声が響いた。一瞬で魅了されてしまったようだ。エカテリーナを中心に輪が出来る。教室でのあの光景が再現されたみたいだ。
「はいはい。部活始めるわよ」
いつの間にか来ていた顧問の乾が手を鳴らしながら教壇に立つ。
「え、と。まずは、今日はエカテリーナさんが体験参加します。仲良くしてあげてね。それから、今からやる事黒板に書くから。ちょっと待っててね」
生徒たちに背を向け板書を始める。
すると、エカテリーナが小声でマカに聞いた。
「ここって何する集まりなの?」
「家庭科部ってのはね、料理する部活よ。去年の文化祭の時にはクッキーを焼いて出したのよね」
つい抑揚のない言い方になってしまう。
「あら、おもしろそう」
そんなマカの態度に気を留める事もなく、エカテリーナは手を合わせて興味を示す。
黒板では今日作る料理のレシピが埋まっていっている。全て書き終えると乾は生徒の方に向き直った。
「今日はポテトサラダを作ります」
簡単な説明と指示を受けて全員がジャガイモの処理を始める。ぐるりと切れ目を入れるだけで皮は剥かない。黒板にも皮を剥くとは書かれていなかった。
「本当にこんなんで大丈夫なんですか?」
生徒の一人が質問する。「やってみたらわかる」と言う乾に半信半疑で作業を続ける。レンジに入れて暫し、熱々になったイモの皮を剥いていくと簡単に出来た。潰したイモを一人分ずつ分けて、それぞれが家から持って来た具材を混ぜていく。修司はコーンやキュウリにハムとツナ缶、マカは細かく刻んである玉ねぎや人参にカニカマだ。
「エカテリーナさんはどうしましょう。何も用意してないわよね」
「これあげるよ」
修司が使わなかったツナを差し出す。嬉しそうに受け取るエカテリーナを見て他の生徒がはっとする。
「じゃあ私はこれ」
「私もあげる」
修司に倣って全員が余った具材を渡していく。感謝の言葉をかけてから貰った具材を混ぜてサラダを完成させ、満足そうな表情を浮かべる。出来上がりを見てみると、結局エカテリーナのサラダが一番豪華になっていた。机には全員のポテトサラダがずらりと並び、具材や盛り付けにそれぞれの個性が垣間見える。一通り出来上がりを確認した後、各々自分の分を取って席に着いた。
「随分豪勢になったわね」
エカテリーナのポテトサラダをみて乾が笑う。
「皆さんのおかげです」
そう言って一口食べると味に納得するかの様に頷く。それから全員で食べ比べをしての品評会が始まった。味付けが濃いだの具の組み合わせが悪いだのと皆が好き勝手言う。最終的には各々自分の作った物が一番だったという事に落ち着いた。
「中々楽しかったわ。家庭科部っていつもやっているの?」
昨日と同じ帰り道でエカテリーナが尋ねる。今日も修司、マカとの三人。
「週に一回。別に大会に出るわけじゃないし、のんびりしたもんだよ」
修司の隣で頷き同意するマカ。彼女も部の緩めの雰囲気が好きだった。
家庭科部は学校の中でも一番暇な部活と言われていたし、実際にそうであった。その為、参加しないで籍だけ置こうとする生徒もいたが、そういった生徒は顧問の乾が入部を認めなかった。そのお陰でいい加減な部員は一人もいなく、皆真面目に料理に取り組んでいる。
あの交差点に着くと二人の足が自然と止まる。交通量もまばらの寂しい交差点。急に止まる二人を見たエカテリーナは不思議そうに首を傾げた。ただ、それもほんの短い間だけ。
「じゃあ、ここでお別れね」
と一人交差点の先に歩いて行く。
一度振り返り、小さく手を振った。
「ねえ」
「うん」
二人が見たのは、すうっと幽霊のように消えていくエカテリーナの姿。顔を見合わせるとお互いの顔色が青くなっていた。確信を持って二人が首を振る。マカはエカテリーナに対する恐怖のような感情を強くしていた。一方、修司の方は恐怖よりも興味が湧き上がって来ていた。
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