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最終章 終わらない夢
最終話 まりあと不気味なおばけの国
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「行っちゃったネェ、まりあチャン」
だだっ広い校庭の一点を眺めながら、クラウンがしみじみと呟いた。彼の足元に居る白い犬も同じ場所を見つめている。そこには、数秒前まで現世への扉が立っていた。扉の主であるまりあが潜ったら、現れた時同様、忽ち光と共に消え去ってしまったのだ。今はもう、跡形も無い。
生命の光を纏う彼女が居なくなったことで、夜の学校は一層冷たい暗闇に満ちていた。最愛の飼い主に置いて行かれた小さな忠犬は、名残惜しそうにその場を動かずにいる。クラウンはそっと溜め息を吐き、シフォンに訊ねた。
「どうして、守れない約束をしたノォ? 天国にはもう戻れないんデショ?」
すると彼は、驚いたようにピエロ服の青年を振り仰いだ。
「何で……」
知っているのか、と問うような口振りだった。図星だったらしい。クラウンが見解を述べる。
「ハロウィンの夜、たまにこの世界の住人が姿を消す。それってたぶん、運良く現世と繋がって戻れたんだろうケド、その代わりいつも向こうの世界から生きた子が迷い込んできてたんだヨネェ。つまり、ここから出るには、誰か身代わりが必要ってコトなんじゃないカナァって」
シフォンは苦い臭いを嗅いだ時のように、鼻を顰めた。
「鋭いね。……その通りだよ。まりあを連れ戻す代わりに、ぼくがここに残るって契約だったんだ」
「相変わらず、カミサマは残酷だネェ」
やれやれと芝居がかった所作でクラウンが肩を竦めて見せると、シフォンは真剣な声音で告げた。
「でも、まりあは知らなくていい。そんなこと」
知らせなくても、いつかはバレちゃうだろうに。そう考えて、クラウンは内心苦笑した。
だけど、ああでも言わなければ、優しい彼女はきっと愛犬が自分の犠牲になることを良しとしなかっただろう。
(不器用だナァ)
彼女も、この犬も。
けれど、その不器用さが、愛おしくも思えた。
その件はそれ以上深くは言及せず、クラウンは別の質問を飛ばすことにした。
「これから、どうするノォ?」
「どうもしないさ。……そうだね。神様の加護が切れる前に、この世界のまだ見ぬ場所を冒険するのも有りかもしれないね」
初めてシフォンが前向きな発言をする。彼なりに気持ちの踏ん切りが付いたのか、あるいは、いつまでもくよくよしていたら飼い主に申し開きが立たないとでも思ったのかもしれない。
その実直な態度が彼らしく、クラウンはふわりと笑み崩れた。まりあだけでなく、この白い犬のことが好きになっていた。
だから、こう提案してみた。
「それなら、ボクもご一緒していいカナ? ボク、記憶の欠片を探すのは得意なんだヨネェ。もしキミが失くしたら、ボクがキミの分まで見つけてあげるヨ」
◆◇◆
ゆっくりと、目を開いた。白い光が網膜を焼く。眩さに再び目を瞑った。まだ現世の扉の光の中に居るのかと思った。
けれど、そうではない。今一度、恐る恐る瞼を持ち上げてみると、薄ぼんやりと白飛びした視界に何かが映り込んできた。
次第に明るさに目が慣れてくると、それが何かがハッキリと分かった。
「まりあ!」
泣き出しそうな顔で、真理子がこちらを覗き込んでいた。いつかの記憶と重なる表情だが、今度は隣に正人も一緒だ。これは、過去の追憶ではない。現在の、現実の光景なのだ。
改めて現状を把握する。病院のベッドの上に横たわる自分。天井からは吊り下げられた白い電灯。どうやら、眩しさの原因はこれらしい。
「ママ……正人さん……」
喉からはやはり掠れた声しか出ない。まりあが呼ぶと、二人は満面に安堵と喜色を滲ませた。すぐに堪えかねたように真理子が抱き着いてきた。
「まりあ! ああ、良かった! あんた、もう意識が戻らないかもしれないんじゃないかって言われてたのよ!」
良かった、良かった。そう繰り返す母親の腕の力は強い。若干痛みを覚えつつも、まりあは何だか申し訳なくなって、ぽつりと零した。
「ごめんなさい……馬鹿なことして」
「全くよ!」
ぷりぷり怒る真理子を宥めて退かしてから、まりあは心配そうに見つめる正人の方にも目線を送る。起き上がるにはまだ身体が怠かったので、ベッドに横になったまま声を掛けた。
「正人さんも……心配かけて、ごめんなさい」
正人は首を横に振った。
「とにかく、まりあが気が付いて良かったよ」
身体は大丈夫? と気遣ってくれる彼に、まりあは小さく首肯した。
彼女がどうしてこんなことをしたのか、気になっていない筈がないのに、今は無理をさせない方が良いとの判断だろう。正人は多くは語らない。
「ちょっと待ってて! 先生呼んでくる!」
思い出したように慌ただしく身を翻そうとする真理子を、まりあがそっと呼び止めた。
「ママ……わたし、夢を見ていたの」
「夢?」
立ち止まり、真理子が怪訝そうにまりあを見つめた。正人の視線も感じる。まりあは何処か夢うつつに続けた。
「おばけだらけの町に迷い込んじゃう夢」
「悪夢じゃない」
「うん……でもね、夢の中で、シフォンが出てきたんだよ」
「シフォンが?」
「そう。シフォンが、そこからわたしを連れ出してくれたの」
他にも、半面だけピエロマスクを被った青年が助けてくれたり、包帯だらけの医者が実はいい人だったり。おばけ同士でも恋が芽生えることもあったりして。
「だから、怖い夢だったけど、悪いことばかりじゃなかったよ」
いつか、全て話せるだろうか。隣で、笑って一緒に。
――きっと、そんな日もそう遠くはない。
◆◇◆
その夜、まりあは夢を見た。シフォンとクラウンがあの世界を旅する夢。
不気味で、不思議な、おばけの国。恐ろしいのに、何処か胸躍る。一匹の白い犬と、一人の青年ピエロの痛快な冒険活劇。
まりあはそれを俯瞰するように、少し遠くから眺めていた。彼らは、彼女には一切気が付かない。
ほんのちょっぴり、淋しいけれど――きっと、それでいい。
やがて、一人と一匹の姿が紅い月の照らす地平線の彼方に溶けて消えるまで、まりあはいつまでも彼らを見送っていた。
いつまでもいつまでも、見送っていた。
~Maria in spooky wonderland~
だだっ広い校庭の一点を眺めながら、クラウンがしみじみと呟いた。彼の足元に居る白い犬も同じ場所を見つめている。そこには、数秒前まで現世への扉が立っていた。扉の主であるまりあが潜ったら、現れた時同様、忽ち光と共に消え去ってしまったのだ。今はもう、跡形も無い。
生命の光を纏う彼女が居なくなったことで、夜の学校は一層冷たい暗闇に満ちていた。最愛の飼い主に置いて行かれた小さな忠犬は、名残惜しそうにその場を動かずにいる。クラウンはそっと溜め息を吐き、シフォンに訊ねた。
「どうして、守れない約束をしたノォ? 天国にはもう戻れないんデショ?」
すると彼は、驚いたようにピエロ服の青年を振り仰いだ。
「何で……」
知っているのか、と問うような口振りだった。図星だったらしい。クラウンが見解を述べる。
「ハロウィンの夜、たまにこの世界の住人が姿を消す。それってたぶん、運良く現世と繋がって戻れたんだろうケド、その代わりいつも向こうの世界から生きた子が迷い込んできてたんだヨネェ。つまり、ここから出るには、誰か身代わりが必要ってコトなんじゃないカナァって」
シフォンは苦い臭いを嗅いだ時のように、鼻を顰めた。
「鋭いね。……その通りだよ。まりあを連れ戻す代わりに、ぼくがここに残るって契約だったんだ」
「相変わらず、カミサマは残酷だネェ」
やれやれと芝居がかった所作でクラウンが肩を竦めて見せると、シフォンは真剣な声音で告げた。
「でも、まりあは知らなくていい。そんなこと」
知らせなくても、いつかはバレちゃうだろうに。そう考えて、クラウンは内心苦笑した。
だけど、ああでも言わなければ、優しい彼女はきっと愛犬が自分の犠牲になることを良しとしなかっただろう。
(不器用だナァ)
彼女も、この犬も。
けれど、その不器用さが、愛おしくも思えた。
その件はそれ以上深くは言及せず、クラウンは別の質問を飛ばすことにした。
「これから、どうするノォ?」
「どうもしないさ。……そうだね。神様の加護が切れる前に、この世界のまだ見ぬ場所を冒険するのも有りかもしれないね」
初めてシフォンが前向きな発言をする。彼なりに気持ちの踏ん切りが付いたのか、あるいは、いつまでもくよくよしていたら飼い主に申し開きが立たないとでも思ったのかもしれない。
その実直な態度が彼らしく、クラウンはふわりと笑み崩れた。まりあだけでなく、この白い犬のことが好きになっていた。
だから、こう提案してみた。
「それなら、ボクもご一緒していいカナ? ボク、記憶の欠片を探すのは得意なんだヨネェ。もしキミが失くしたら、ボクがキミの分まで見つけてあげるヨ」
◆◇◆
ゆっくりと、目を開いた。白い光が網膜を焼く。眩さに再び目を瞑った。まだ現世の扉の光の中に居るのかと思った。
けれど、そうではない。今一度、恐る恐る瞼を持ち上げてみると、薄ぼんやりと白飛びした視界に何かが映り込んできた。
次第に明るさに目が慣れてくると、それが何かがハッキリと分かった。
「まりあ!」
泣き出しそうな顔で、真理子がこちらを覗き込んでいた。いつかの記憶と重なる表情だが、今度は隣に正人も一緒だ。これは、過去の追憶ではない。現在の、現実の光景なのだ。
改めて現状を把握する。病院のベッドの上に横たわる自分。天井からは吊り下げられた白い電灯。どうやら、眩しさの原因はこれらしい。
「ママ……正人さん……」
喉からはやはり掠れた声しか出ない。まりあが呼ぶと、二人は満面に安堵と喜色を滲ませた。すぐに堪えかねたように真理子が抱き着いてきた。
「まりあ! ああ、良かった! あんた、もう意識が戻らないかもしれないんじゃないかって言われてたのよ!」
良かった、良かった。そう繰り返す母親の腕の力は強い。若干痛みを覚えつつも、まりあは何だか申し訳なくなって、ぽつりと零した。
「ごめんなさい……馬鹿なことして」
「全くよ!」
ぷりぷり怒る真理子を宥めて退かしてから、まりあは心配そうに見つめる正人の方にも目線を送る。起き上がるにはまだ身体が怠かったので、ベッドに横になったまま声を掛けた。
「正人さんも……心配かけて、ごめんなさい」
正人は首を横に振った。
「とにかく、まりあが気が付いて良かったよ」
身体は大丈夫? と気遣ってくれる彼に、まりあは小さく首肯した。
彼女がどうしてこんなことをしたのか、気になっていない筈がないのに、今は無理をさせない方が良いとの判断だろう。正人は多くは語らない。
「ちょっと待ってて! 先生呼んでくる!」
思い出したように慌ただしく身を翻そうとする真理子を、まりあがそっと呼び止めた。
「ママ……わたし、夢を見ていたの」
「夢?」
立ち止まり、真理子が怪訝そうにまりあを見つめた。正人の視線も感じる。まりあは何処か夢うつつに続けた。
「おばけだらけの町に迷い込んじゃう夢」
「悪夢じゃない」
「うん……でもね、夢の中で、シフォンが出てきたんだよ」
「シフォンが?」
「そう。シフォンが、そこからわたしを連れ出してくれたの」
他にも、半面だけピエロマスクを被った青年が助けてくれたり、包帯だらけの医者が実はいい人だったり。おばけ同士でも恋が芽生えることもあったりして。
「だから、怖い夢だったけど、悪いことばかりじゃなかったよ」
いつか、全て話せるだろうか。隣で、笑って一緒に。
――きっと、そんな日もそう遠くはない。
◆◇◆
その夜、まりあは夢を見た。シフォンとクラウンがあの世界を旅する夢。
不気味で、不思議な、おばけの国。恐ろしいのに、何処か胸躍る。一匹の白い犬と、一人の青年ピエロの痛快な冒険活劇。
まりあはそれを俯瞰するように、少し遠くから眺めていた。彼らは、彼女には一切気が付かない。
ほんのちょっぴり、淋しいけれど――きっと、それでいい。
やがて、一人と一匹の姿が紅い月の照らす地平線の彼方に溶けて消えるまで、まりあはいつまでも彼らを見送っていた。
いつまでもいつまでも、見送っていた。
~Maria in spooky wonderland~
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