52 / 95
52.ジョンの話
しおりを挟む
52.
サフソルムとぼくはヴェリアヌスの姫君の居場所から離れ、透明な海の波が打ち寄せる浜辺に戻ってきていた。
ネコは少し大人しくなっていて、「泣いたぞ、歌うたい」といった。でも歌で泣いたのか、姫君に捕まったことで泣いたのかは不明だった。
ぼくらは波打ち際から十分に離れた砂浜に腰を下ろした。
赤い鳥がまたここにやってきてくれるはずだ、とネコはいった。
いっぽうでぼくは考えていた。
歌を終え、迫力ある姫君に手招きされて、びくつきながら近くへと寄った。サフソルムはついては来ず、ぼくが動いたからネコの姿はマントから置き去りになって丸見えになった。ぼくは姫君のそばでゆっくりとひざまずいて、もう一度お辞儀をした。姫君は赤い口を開いて笑っていた。そしてささやくような声で見事であったと歌をほめ、貝殻で作った箱をぼくに渡した。そしてまた何ともいえない顔で笑い、唐突に、おまえもイェンドートとスタティラウスの世界を去って、このヴェリアヌスの世界に住んでみてはどうかといって、可笑しそうに笑った。さてどう断ろうかと迷っているうちに、姫君はさらに不思議な声音で続けた――小さいけれども耳にはよく届いたのだ。
私はイェンドートの世界が好きではない。隙あらばその領土を奪ってやろうと思っている。私には半身半魚あるいは半身半獣の屈強な戦士たちの大きな軍隊があるのだから。イェンドートたちが好きではない理由はいくつもあるが、そもそもマグナスが、――彼はヴェリアヌスの世界でも有名である――、なぜイェンドートの世界にいるのか知っているかい? なぜマグナスが天から落ちてきたのかを。本人は知っているのか知らないのか。私は会ったことがないのだからね、聞いてみたいとは思っているけれど。彼は、イェンドートの雷で落とされたのさ。奴らは彼の羽根を奪った。そのうえで彼を可愛がり、そばに住まわせている。こんなおかしな話はないだろう?
ぼくは驚き、恐れおののきながら、ヴェリアヌスの目を見た。虹彩がタコのように変化した。姫君はふふふ、と笑った。
ぼくはもう一度お辞儀をして立ち上がった。戻ろうとして、姫君に背中を向けたけれど、ささやき声だけが耳に届いた。
――それともう一つ。私が聞いたマグナスの秘密を教えよう。今となってはどうってことない話さ。意地悪で話すわけじゃないよ。おまえにも興味があるのではと思ってのこと。マグナスはあんなに可愛くて素敵なのに、子供の頃には自分のことを否定していた。親がいなくて自分の居場所がなかったんだ。
ああ、それならぼくと変わりません、全くもって心配ご無用、ただぼくは可愛くもないけれど、と口を開きかけたときに、ヴェリアヌスの姫君はこう、付け加えた。
――父親か母親のどちらかが違う生き物だったという話だよ。彼の住む世界は崇高なところでね、周りはそんな彼を奇異の目で見ることもせず、愛情を持って接していた。だけど彼は自分を否定して、ずっと自分で自分を苦しめていたのだとか。
不思議なことに姫君の声は耳の良いサフソルムにも届いていないようだった。ぼくは思わず走り出し、サフソルムはそれよりもずっと速く、ぼくの前を駆けて、姫君に暇乞いすることもせず、洞窟の外へと飛び出してきたのだった。
真っ青で穏やかな海を見つめているとネコがいった。「オレさまが一時捕まったことを誰にもゆうな」
「いわないよ。それにいう誰かもいないよ」
「なかなかの恐怖だった」
「ああ、そうだろうね」
「ヴェリアヌスは古き良き時代から生き長らえてきた者たちを一日ほどで呼び寄せるといった。つまりワクワクランドから三百日も離れたところから、だ」
「すごいや。まぁ、何がなんだかよくわからないけど」
ぼくはヴェリアヌスから聞いたことは本当だろうかと考えていたけど、サフソルムにもいわないでおこうと決めた。
サフソルムとぼくはヴェリアヌスの姫君の居場所から離れ、透明な海の波が打ち寄せる浜辺に戻ってきていた。
ネコは少し大人しくなっていて、「泣いたぞ、歌うたい」といった。でも歌で泣いたのか、姫君に捕まったことで泣いたのかは不明だった。
ぼくらは波打ち際から十分に離れた砂浜に腰を下ろした。
赤い鳥がまたここにやってきてくれるはずだ、とネコはいった。
いっぽうでぼくは考えていた。
歌を終え、迫力ある姫君に手招きされて、びくつきながら近くへと寄った。サフソルムはついては来ず、ぼくが動いたからネコの姿はマントから置き去りになって丸見えになった。ぼくは姫君のそばでゆっくりとひざまずいて、もう一度お辞儀をした。姫君は赤い口を開いて笑っていた。そしてささやくような声で見事であったと歌をほめ、貝殻で作った箱をぼくに渡した。そしてまた何ともいえない顔で笑い、唐突に、おまえもイェンドートとスタティラウスの世界を去って、このヴェリアヌスの世界に住んでみてはどうかといって、可笑しそうに笑った。さてどう断ろうかと迷っているうちに、姫君はさらに不思議な声音で続けた――小さいけれども耳にはよく届いたのだ。
私はイェンドートの世界が好きではない。隙あらばその領土を奪ってやろうと思っている。私には半身半魚あるいは半身半獣の屈強な戦士たちの大きな軍隊があるのだから。イェンドートたちが好きではない理由はいくつもあるが、そもそもマグナスが、――彼はヴェリアヌスの世界でも有名である――、なぜイェンドートの世界にいるのか知っているかい? なぜマグナスが天から落ちてきたのかを。本人は知っているのか知らないのか。私は会ったことがないのだからね、聞いてみたいとは思っているけれど。彼は、イェンドートの雷で落とされたのさ。奴らは彼の羽根を奪った。そのうえで彼を可愛がり、そばに住まわせている。こんなおかしな話はないだろう?
ぼくは驚き、恐れおののきながら、ヴェリアヌスの目を見た。虹彩がタコのように変化した。姫君はふふふ、と笑った。
ぼくはもう一度お辞儀をして立ち上がった。戻ろうとして、姫君に背中を向けたけれど、ささやき声だけが耳に届いた。
――それともう一つ。私が聞いたマグナスの秘密を教えよう。今となってはどうってことない話さ。意地悪で話すわけじゃないよ。おまえにも興味があるのではと思ってのこと。マグナスはあんなに可愛くて素敵なのに、子供の頃には自分のことを否定していた。親がいなくて自分の居場所がなかったんだ。
ああ、それならぼくと変わりません、全くもって心配ご無用、ただぼくは可愛くもないけれど、と口を開きかけたときに、ヴェリアヌスの姫君はこう、付け加えた。
――父親か母親のどちらかが違う生き物だったという話だよ。彼の住む世界は崇高なところでね、周りはそんな彼を奇異の目で見ることもせず、愛情を持って接していた。だけど彼は自分を否定して、ずっと自分で自分を苦しめていたのだとか。
不思議なことに姫君の声は耳の良いサフソルムにも届いていないようだった。ぼくは思わず走り出し、サフソルムはそれよりもずっと速く、ぼくの前を駆けて、姫君に暇乞いすることもせず、洞窟の外へと飛び出してきたのだった。
真っ青で穏やかな海を見つめているとネコがいった。「オレさまが一時捕まったことを誰にもゆうな」
「いわないよ。それにいう誰かもいないよ」
「なかなかの恐怖だった」
「ああ、そうだろうね」
「ヴェリアヌスは古き良き時代から生き長らえてきた者たちを一日ほどで呼び寄せるといった。つまりワクワクランドから三百日も離れたところから、だ」
「すごいや。まぁ、何がなんだかよくわからないけど」
ぼくはヴェリアヌスから聞いたことは本当だろうかと考えていたけど、サフソルムにもいわないでおこうと決めた。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる
葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。
アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。
アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。
市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。
〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。
藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった……
結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。
ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。
愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。
*設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
*全16話で完結になります。
*番外編、追加しました。
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
君は妾の子だから、次男がちょうどいい
月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、マリアは片田舎で遠いため、会ったことはなかった。でもある時、マリアは、妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは、結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる