英雄の弾丸

葉泉 大和

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1-18 瞳に映されたのは

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「他の人とは誰のことだ? 仮に、シエル様が真に信頼を置いている者のことを言っているのであれば、別の場所でやるべきことをやっている。シエル様自身のことを言えば、同様にこの場所にはいらっしゃらない。もしオリエンスの民たちのことならば、交流所の一室で洗礼を受けるための待機期間中だ」
「洗礼?」
「この町の連中はまだシエル様に絶対服従を誓ってはいない。だから、そのために洗礼が必要なのだ。そうして全てを捨ててこそ、シエル様の真の手足となることが出来る」
「全てを捨てる……? 一体、洗礼というのは何をするのですか?」
「そこまで教える義理はない!」

 ハワードの話は気になる単語が底を尽きなかったため、クルムは疑問を重ね続けた。
 だが、ハワードは肝心なことは答えないまま、一歩を踏み出す。そして、手に持っている短刀を振ることで、クルムの質問をする権利ごと斬ろうとする。
 今度は大袈裟な行動で躱すことをせず、クルムは後ろに下がることでハワードの短刀を避けた。
 ハワードは不服そうな表情を浮かべる。

「ちょこまかと目障りな鼠だ。だが、それもそろそろ終わりだ」

 一瞬、視線を外の方に向けた。クルムもつられて、ハワードの視線を追う。
 いったい、外に何があるのだろうか。

 ――方角は商業区? いや、もっと先の……。

「次こそ息の根を仕留めてやる。我が目的の礎となれッ!」

 クルムの意識を自身に向けるように、ハワードは叫んだ。ハワードの叫び声をクルムが耳にしたのは、この時が初めてだった。
 ハワードの短刀は躊躇なく、クルムの心臓を目がけて一直線に進んでくる。今まで一番早い。
 終わらせに掛かって来ている――、そんな気迫が込められた一撃だ。

 しかし、当たり前だが、クルムはそれを受け入れるつもりはない。

 クルムは見切った動きで半身をずらした。
 すると、ハワードの短刀はクルムを捉えきれず、空を突き刺した。クルムを刺せると確信していたハワードは、何の感触も掴めなかったことで、勢い余ってよろめいてしまった。
 その隙を見計らって、クルムは短刀を持つハワードの手を叩く。ハワードは予期せぬ衝撃に、手から短刀を落としてしまった。
 金属が床に触れる音が、交流所のエントランスに響く。暫く反響音を奏でた後、再び静寂がエントランスを包んだ。

 ハワードの脳内を空白が占めていく。何が起こったのか理解できなかった。何の音が響いたのか分からなかった。
 それほどまでにクルムの反撃は、ハワードにとって衝撃であった。

 ハワードはゆっくりと自分の手を見つめる。あるはずの短刀はそこにない。視線を床に移すと、短刀が落ちていた。
 すぐに拾わなければと警告する本能通りに、ハワードは短刀に手を伸ばすが――、

「僕は、あなたのことを的確に状況を判断出来る冷静な人だと思っています」

 拾い終わる前に、ハワードの耳にクルムの言葉が降りかかる。優しい口調である一方で、どこか人を屈服させるような威圧感があった。

「そ、れがっ! なんだというのだ!」

 しかし、ハワードは簡単には屈しなかった。クルムの提案を拒むため、短刀を拾い、顔を上げる。
 だが、顔を上げた先に待っていたのは、またしてもハワードにとって理解し難い光景だった。
 クルムは、剣の柄より先――刀身が存在しない、壊れた柄を手に持っていた。
 思わず「は?」とハワードは小さく声を漏らした。

 最初、クルムはただのごみを持っているかのように思った。しかし、だんだんと頭が働いて来ると、その正体が何なのか、ハワードに思い当たる節があった。

「――まさか、トバス……か?」

 ハワードは自分の脳裏に浮かぶ可能性を言葉に出す。
 クルムは肯定も否定もしないまま、ただ剣の柄を持っているままだ。
 何も答えないクルムによって、トバスがクルムに倒されたということをハワードは認めざるを得なかった。

 トバスは、カペルについていく人々の中で、最も力が強い。今まで数多くの敵は、トバスによって倒してきたと言っても過言ではない。
 そのトバスが倒されたのであれば、ハワードにはクルムに勝てる術はなかった。

「……もう、好きにしろ。トバスに力の劣る私では、お前に敵わない」

 ハワードはクルムを視界から外すと、懺悔するように呟いた。その言葉には、一切の力が込められてはいなかった。
 一歩、一歩とクルムはハワードに近づく。
 クルムの足音が聞こえる度に、ハワードは体を震わせていた。
 そして、ハワードの目の前でピタリと足音は止んだ。クルムの影が、ハワードを包み込むように覆っている。

 これからクルムが何をしようとも受け入れる準備を、ハワードは心の中で整えた。

「まだ負けたわけじゃない――ですよね?」
「は?」

 全く予想していたものと違うクルムの言葉は、ハワードに拍子抜けした声を出させる。
 ハワードはクルムが言った言葉を全く理解することが出来なかった。

 ――負けたわけじゃない……だと? 何を言っているんだ、この男は。トバスでさえも勝てなかったお前に、私が勝てるわけがないだろう。

 そんな言い訳めいた言葉が、ハワードの脳を占めていく。
 そして、ハワードが考え続けていく内に思い浮かんだものは、カペル・リューグの姿だった。
 ハワードは頭の中で存在するカペルに、恐怖を覚えた。

 ――カペル様にこのことを知られたら、今度こそ私は殺されるだろう。どっちにしろ、私はもう終わっている。

 カペル・リューグはそういう人物だ。
 自分にとって使えないと判断したら、どんなものであろうと斬り捨てる。

 クルムの言葉を理解できないからか、もしくは先の言葉を求めてか、ハワードは死んだような目をクルムに向けた。
 茫然としているハワードに対し、クルムは言葉を続ける。

「僕はただ折れた剣を見せただけで何も言っていませんし、何もしていません。本当にシエル・クヴントの右腕だというのなら、喰らいついてでも、僕のことを足止めするはずですよね?」
「――っ」

 ハワードはクルムの言葉を聞くと、視界が揺らぐと同時に、脳が重くなった。ハワードを築いている世界が崩れ始める。そんな感覚だ。
 ハワードは耐えられずに、自分の意志とは無関係に頭が下がっていく。

 すぐに否定しなければ、と思った。
 そうしなければ、シエル・クヴントの右腕としての立場がなくなってしまう。

 でも、思いは言葉に出来ない。きっと今更どんな言葉を返したとしても、意味はない。

 本当にシエル・クヴントを慕っているのなら、即座にクルムの言葉を反対していただろう。
 本当にシエル・クヴントを慕っているのなら、死を覚悟してでもクルムに一矢報いようとするだろう。

 しかし、そうするには、もう時間が経ちすぎている――。
 今行なったならば、それは自らの意志ではなく、クルムに指摘されたからやったことに過ぎない。

 クルム・アーレントという存在をきっかけにして、ハワードの心の中が、徐々に、急速に、確実に、暴かれていく。
 
 クルムの言葉を認めてしまうならば――、
 本当はシエル・クヴントをただの傲慢で自己中心で扱いにくいただのカペル・リューグとして見ていると認めてしまったならば――、
 ハワードがカペルに仕えてきた時間に何の意味があるのだろうか。
 カペルのために行なった時間、全てが無駄になってしまう。

 ――それは、嫌だ!

「……私は、シエル様に救われた!」

 ハワードの渾身の叫びが、エントランス全体に響いた。
 ハワードは睨むように、クルムを見つめる。その瞳には否定、憤慨、葛藤など様々な感情が込められていた。
 今このように声を上げなければ、ハワードは自分自身のことを肯定出来なくなるだろう。

「カペル・リューグが英雄シエル・クヴントとして動くこと! それを支える! それが私の喜――」
「その、頬の傷は?」

 慟哭して叫ぶハワードの言葉を断ち切って、クルムはゆっくりと言葉を紡いだ。
 ハワードは心臓を掴まれる思いになりながら、自分の頬にある傷に触れた。その傷は、カペルによって出来た傷だ。

「昨日会った時は、そんな傷はありませんでしたよね? そんなことをする人が、本当に人を救うことができるわけありません。……絶対に」

 それは、クルムの思いやりから生まれた、ハワードのことを案ずる言葉である一方で、ハワードの心を折るのに十分過ぎるものだ。

 カペルと出会った時、ハワードは全てを失っていた。その時点では、カペルはシエル・クヴントの名をまだ語っていなかった。
 絶望に支配されていたハワードに対し、カペルは圧倒的な力で救い出した。
 そして、それだけではなく、カペルはハワードに手を差し伸ばしてくれた。ハワードは本当に全てからの支配から抜け出したくてカペルの手を掴んだ。
 全てを捨てたハワードは、カペルに従った。ハワードは絶望のどん底にいたから、カペルの意図の有無を抜きにしても、ただ単純に嬉しかった。
 ハワードはカペルに認められるように、分からないことも必死になってやったし、カペルの怒りに触れないように、出来なかったことも出来るようにした。
 そして、いつの間にかハワードはカペルの右腕としての地位に就いていた。

 しかし、蓋を開けてみれば、ただ利用されていただけだった。救われたのではなく、いいように使われていただけだったのだ。その裏付けとして、カペルは一度もハワードのことを労ってはくれなかった。

 クルムによって、ハワードは悟ってしまった。
 ハワードの心は、信念は――ハワードを支えていたものは、全て瓦解する。
 取るに足りないと思っていた目の前に人間に、ハワードは完全に負けたのだ。

 ――路地裏で石だと思って蹴り飛ばしたものは、ダイヤモンドの原石だった。

「――ッ、ゥ」

 何物も見極めることの出来ない自分を恥じて、ハワードは顔を上げることなく、ただ嗚咽を漏らしていた。
 それは、ハワードが戦意を喪失したことを意味していた。
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