英雄の弾丸

葉泉 大和

文字の大きさ
上 下
86 / 154

3-19 オレオル

しおりを挟む
 ***

 時は少し遡り、戦う相手を失ったバルット荒地でオレオルはただ一人佇んでいた。

 オレオルは茫然と空を見上げていた。左目が熱く疼いている。

 ――あなたは何のために世界最強を目指すのですか。

 先ほどクルムに言われた一言が、心の奥底をかき乱していた。

「……く」

 オレオルは左目を抑え、疼く痛みを鎮めようと試みる。

 どうしてオレオルは戦うようになったのか、否、強さを求めるようになったのか。確かに一度はその決意を固め、その目的に向かって真っすぐ歩んできたはずなのに、どうして今はハッキリと答えられなくなったのか――、それがオレオルにとって負けたこと以上に悔しかった。

 静まるバルット荒地で、オレオルは一度抱いたはずの決意を確かめるために過去へと潜っていく。

 深い深い闇だ。何も見えず、何も聞こえない。意識を手放せば、どこまでも奥底へと沈んでいって、二度と帰って来れないような錯覚に陥ってしまいそうだ。

 しかし、オレオルは止まることなく、更に深く記憶を辿っていく。

 やがて記憶の奥底へと潜り込んでいくうち、音が聞こえた。暗闇の中で、微かな音が鳴り響く。その音によって、オレオルの最奥にある記憶が甦った。

 そうだ、始まりはこの音からだった。

 ――オレオル・ズィーガーの記憶は、じゃらじゃらとした金属のぶつかるような音から始まる。

 オレオルの頭上では、金銭のやり取りが行なわれていた。その音を、オレオルは地面を見つめながら、ただ何となく聞いていたことは覚えている。

 金を受け取った男は、その量を確かめると、

「オレオルの取り扱いには気を付けることですね。一見子供のように見えますが、こいつはただの人の子とは違います。安易な行動一つで、命を落としかねないですよ」

 そう言い残して足早に去っていった。

 その足取りには温情も未練もなく、ただ義務的に金を受け取り、オレオルを引き渡していたことから、今の人物はオレオルの身内ではないのだろう。

 そして、オレオルを引き取った男――、否、オレオルを買い取った男は、満足気にオレオルのことを見つめると、

「……合格だ。ついて来い、今日からお前は俺のモノだ」

 颯爽と踵を返し、幼いオレオルの歩幅など気にすることなく、長い足を有効に使って歩き始めた。

 オレオルはどうすべきか戸惑い、一度後ろを振り向いた。後ろには数十の人が倒れ込んでいる。嫌な鉄の臭いが、オレオルの鼻腔をくすぐった。その臭いに顔をしかめながら、オレオルは男の方に顔を戻した。いつの間にか暗い路地裏から抜け出した男の背中は、明るい光の中へと消えていく所だった。
 前髪が邪魔してはっきりと開けない視界の中、オレオルは出会ったばかりの男の後を追いかけた。

 ***

 あれから数年の時が経過し、それでも尚、オレオルは自分を買い取った男――コルド・ブリガンの下に付いていた。

 コルド・ブリガンという人物は、トリクルという町に拠点を置いて活動をしている商売人で、且つ犯罪者だった。しかし、所在も罪も分かっているのに、誰もコルドを捕まえることは出来なかった。

 コルド自身に知恵も力も備わっていることもあったが、コルドの後ろに付いている人物達がより危険だったからだ。コルドは高い金を払って、多くの護衛を雇い、自分の身を守らせていた。
 そして、守らせるだけではなく、積極的に人員を各地に送り、様々な犯罪を犯させた。

 その影響で、コルド・ブリガンという名は裏社会だけでなく、表社会にも浸透し始めていた。
 コルドの名を聞けば誰もが耳を塞ぎ、コルドの姿を見れば足がすくむ――、すなわちコルド・ブリガンとその関係者は、人々にとって恐怖の対象となった。

 しかし、そんな現実を分かりながらも尚、オレオルはコルドから逃げ出そうとは思わなかった。

 たとえオレオルがコルドから逃げ出すことに成功したとしても、オレオルには自分ひとりで生き抜く力がないのだ。コルドに従えば、飯も食えるし、寝るところにも困らない。

 オレオルはただ肉体を生かす――、それだけのためにコルドに従っていた。

 そんなオレオルの思惑を知ってか知らぬか、コルドはとにかく自らの傍にオレオルを置いていた。
 コルドと交渉に来る外部の者は、幼く、見た目も汚らしいオレオルを傍に置くコルドのことを、好奇に満ち溢れた瞳で見つめていた。中には、頭がおかしくなったのではないかとコルドを馬鹿にする者もいた。
 しかし、オレオルの実力を目の当たりにすると、誰もがその考えを翻し、コルドにひれ伏すようになった。そうして、コルドの交渉が円滑に進むようになるのだ。

 いつもコルドの命令に従いながら生きてきたオレオルの世界は、コルドの周りとトリクルという町しかなかった。それ以上のものを、コルドは与えない。

 その運命をオレオルは受け入れていた。

 オレオルは考えることを放棄してコルドの命令に従って、ただただ時の流れに身を任せながら、その日その日を生き延びていた。

 今更、人並みの人生を送れるとは思わなかったし、オレオルには夢も希望も見い出せなかった。

 だから、何も高望みはしない――、子供が故に弱いオレオルは本気でそう考えていた。

 ――そんな子供とはかけ離れた思考を持つオレオルを根本から覆す出逢いがあったのは、丁度この頃だった。


 その日、コルドからトリクルの町を自由に歩くことを許されていたオレオルは、一人で町の中を歩いていた。月に一度か二度、コルドから許可が下されるのだ。
 しかし、町を自由に歩いてもいいと言われても、オレオルには何の目的もなかった。

 町で売られている商品を見ても一切心は惹かれなかったし、雑踏の中の話し声なんて不愉快にしかならなかった。

 与えられた限りある自由時間を、ただトリクルの端まで行き来するだけで無駄に費やす――、オレオルは伸びた前髪を上げることなく、狭まれた視界で多くの人が行き来する通りを、与えられた任務をこなすように黙々と歩いていた。

「ちょっとあなた!」

 そんな時だった。
 突如オレオルの背後から、幼い女の子の声が響いた。しかし、オレオルは自分に当てられた物とは思いもせず、黙々と歩き続けた。その歩き方には、一切の躊躇も配慮もない。

「そこの前髪のせいで前が見えていないあなたに言ってるのよ! 待ちなさい!」

 だが、離したと思った少女の声は、どんどんとオレオルに近づいてきた。女の子がオレオルに近づいてくること、そして女の子の話の中に出て来た前髪という単語――、ようやく少女の目的が自分にあることに気が付いたオレオルは、足を止め振り返った。

 髪に隠れた視界の中、オレオルよりも背の低い少女が息を切らしながら近付いて来るところだった。伸びた前髪のせいで顔はよく見えない。

 やがて、少女がオレオルの前にまで来ると、

「……っ。あなた、私とぶつかったのだから謝りなさい!」

 息を整えてから、オレオルに向けてビシッと言い切った。

 オレオルは何も言わずに、黙って目の前にいる少女を見つめた。コルドに買われて以来、オレオルが一度も出会ったことのないタイプだった。オレオルの周りにいる人間は、いつもオレオルのことを蔑むか、関わりを持とうとしないか、取り繕うようにおだてるか――、とにかく肯定的な感情をぶつけられたことはなかったのだ。

 こうして思いの丈を真っ直ぐにぶつけられたのは、初めてのことだった。

「……悪かった」

 オレオルは少女の剣幕にやられて、自然と言葉を紡いだ。ひどく滑舌の悪い言葉だったかもしれない。普段オレオルには人前で話す経験は少ないのだ。オレオルはいつの間にか少女から視線を外し、俯いていた。

 しかし、少女はオレオルの言葉を正確に聞き取り、受け止めると、

「まったく、こんなにたくさんの人がいる道なんだから、ちゃんと気を付けなさいよね」

 ふと少女の纏う雰囲気が柔らかくなったのを、オレオルは感じ取った。言葉の言い方にはどこか棘があるものの、嫌悪を感じさせない。

 オレオルは下に向けていた顔を、少女の方へ向けた。
 やはりオレオルの長い前髪が邪魔をして少女の顔は見えないが、その口元がやんわりと上がっているのだけは見えた。

 そして、少女は一つ溜め息を吐くと、

「それにこんな前髪をしていたら、ぶつかるのも当然に決まってるわ」

 一歩オレオルとの距離を詰めた。少女はオレオルの顔を見上げるように覗き込むと、ふっと笑みを作った。

「――ねぇ。あなた、名前は?」
「……オレオル」
「そう、オレオルね」

 今しがた聞いたオレオルの名前を確かめるように、少女はオレオルの名前を呟くと、自分の頭からカチューシャを取り外した。

 そして、そのカチューシャで優しくオレオルの髪をかき上げた。ゆっくりとゆっくりと世界が広がっていく。

「うん! これでよく前が見えるんじゃないかしら、オレオル! それに、こんな綺麗な瞳を前髪で見えなくするなんてもったいないわ!」

 オレオルの目に、パッと花が咲いたように笑う可憐な少女が映った。日の光に照らされた少女は、どこか神々しくさえ見える。そして、その少女の瞳の中に、琥珀色の双眸を持った少年がいる。

 世界が百八十度変わるような衝撃がオレオルの中に走った。

 ――これが初めてオレオルがはっきりと見た景色だった。

「ねぇ、オレオル! ついてきて! 教えたい場所があるの」
「――」

 初めての衝撃に茫然とするオレオルは、言葉を発する間もなく、少女に手を引っ張られていった。少女の腰まで届く長い髪が、走る度に揺れる。

 目の前にいる少し強引な少女は、やはりオレオルが出会ったことのないタイプの人間だった。

 オレオルは訝しむような瞳を、自分でも知らぬうちに当てていた。

 少女はオレオルの視線に気付くと、

「私はクレディ。家名は男らしくって嫌いだから言わないわ。だからね、私のことはクレディって呼んで! さぁ、早く行くわよ、オレオル!」

 初めて見る花が咲くような笑顔にオレオルは心を奪われながら、なすがままに前へと進んでいった。

 これが、オレオルの運命を変える少女――クレディとの最初の出会いだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

陛下から一年以内に世継ぎが生まれなければ王子と離縁するように言い渡されました

夢見 歩
恋愛
「そなたが1年以内に懐妊しない場合、 そなたとサミュエルは離縁をし サミュエルは新しい妃を迎えて 世継ぎを作ることとする。」 陛下が夫に出すという条件を 事前に聞かされた事により わたくしの心は粉々に砕けました。 わたくしを愛していないあなたに対して わたくしが出来ることは〇〇だけです…

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

追放聖女。自由気ままに生きていく ~聖魔法?そんなの知らないのです!~

夕姫
ファンタジー
「アリーゼ=ホーリーロック。お前をカトリーナ教会の聖女の任務から破門にする。話しは以上だ。荷物をまとめてここから立ち去れこの「異端の魔女」が!」 カトリーナ教会の聖女として在籍していたアリーゼは聖女の証である「聖痕」と言う身体のどこかに刻まれている痣がなくなり、聖魔法が使えなくなってしまう。 それを同じカトリーナ教会の聖女マルセナにオイゲン大司教に密告されることで、「異端の魔女」扱いを受け教会から破門にされてしまった。そう聖魔法が使えない聖女など「いらん」と。 でもアリーゼはめげなかった。逆にそんな小さな教会の聖女ではなく、逆に世界を旅して世界の聖女になればいいのだと。そして自分を追い出したこと後悔させてやる。聖魔法?そんなの知らないのです!と。 そんなアリーゼは誰よりも「本」で培った知識が豊富だった。自分の意識の中に「世界書庫」と呼ばれる今まで読んだ本の内容を記憶する能力があり、その知識を生かし、時には人類の叡知と呼ばれる崇高な知識、熟練冒険者のようなサバイバル知識、子供が知っているような知識、そして間違った知識など……旅先の人々を助けながら冒険をしていく。そうこれは世界中の人々を助ける存在の『聖女』になるための物語。 ※追放物なので多少『ざまぁ』要素はありますが、W主人公なのでタグはありません。 ※基本はアリーゼ様のほのぼの旅がメインです。 ※追放側のマルセナsideもよろしくです。

アラヒフおばさんのゆるゆる異世界生活

ゼウママ
ファンタジー
50歳目前、突然異世界生活が始まる事に。原因は良く聞く神様のミス。私の身にこんな事が起こるなんて…。 「ごめんなさい!もう戻る事も出来ないから、この世界で楽しく過ごして下さい。」と、言われたのでゆっくり生活をする事にした。 現役看護婦の私のゆっくりとしたどたばた異世界生活が始まった。 ゆっくり更新です。はじめての投稿です。 誤字、脱字等有りましたらご指摘下さい。

10歳で記憶喪失になったけど、チート従魔たちと異世界ライフを楽しみます(リメイク版)

犬社護
ファンタジー
10歳の咲耶(さや)は家族とのキャンプ旅行で就寝中、豪雨の影響で発生した土石流に巻き込まれてしまう。 意識が浮上して目覚めると、そこは森の中。 彼女は10歳の見知らぬ少女となっており、その子の記憶も喪失していたことで、自分が異世界に転生していることにも気づかず、何故深い森の中にいるのかもわからないまま途方に暮れてしまう。 そんな状況の中、森で知り合った冒険者ベイツと霊鳥ルウリと出会ったことで、彼女は徐々に自分の置かれている状況を把握していく。持ち前の明るくてのほほんとしたマイペースな性格もあって、咲耶は前世の知識を駆使して、徐々に異世界にも慣れていくのだが、そんな彼女に転機が訪れる。それ以降、これまで不明だった咲耶自身の力も解放され、様々な人々や精霊、魔物たちと出会い愛されていく。 これは、ちょっぴり天然な《咲耶》とチート従魔たちとのまったり異世界物語。 ○○○ 旧版を基に再編集しています。 第二章(16話付近)以降、完全オリジナルとなります。 旧版に関しては、8月1日に削除予定なのでご注意ください。 この作品は、ノベルアップ+にも投稿しています。

美少女に転生して料理して生きてくことになりました。

ゆーぞー
ファンタジー
田中真理子32歳、独身、失業中。 飲めないお酒を飲んでぶったおれた。 気がついたらマリアンヌという12歳の美少女になっていた。 その世界は加護を受けた人間しか料理をすることができない世界だった

処理中です...