俺の知らない大和撫子

葉泉 大和

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夢:まつりと茉莉

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 ***

「――ッ!」

 私の意識がハッキリとした時、誰かが物凄い音を立てて、一メートル以上は派手に吹っ飛んだ。私は何事かと、吹っ飛んだ名の知らない人に視線を向ける。その人の顔は殴られてボロボロになっており、見るも無残な状況だった。

 そして、背後から殺気を感じて、私は振り返る。そこには、こちらの方を、冷酷な目で見ている人物がいた。顔は逆光に照らされて分からないが、髪は黒く、線の細い体つきをしている。しかし、そんな視覚的情報よりも印象を強烈に焼き付けるのが、関われば命が危うくなるほど、危険な雰囲気だ。

 私は、この雰囲気を身近に感じたことがある。
 いや、そもそも私は、この場面を一度別の視点で見たことがある。忘れたくても、忘れられない嫌な思い出。なぜ、こんな場面を再び見ているのか。

「さっすがだね!」

 そんな人物に、まるで友達のように馴れ馴れしく近寄る女子が二人。その内の一人、由美は件の人物に近づき、もう一人である綾音は倒れている人物に足を向けていた。

「うわ……、さすがに相手に同情するわ」

 ブレザーの外ポケットに手を入れている綾音は、哀れむような目を向けながら、言葉を放つ。言葉とは裏腹に、その声音には思いやりがない。

「そいつが私の大事な物を傷つけようとしたのが悪いんでしょ? 自業自得よ」

 件の人物は興味なさげに言葉を返した。

「相手を血祭に上げるその強さ……、むむむ! 血祭まつりだね!」

 いい案を閃いたと言いたいように、由美が無邪気な声を上げた。そして、血祭まつりと呼ばれた件の人物――否、過去の私に由美は嬉しそうに抱きついた。

 これが、血祭まつりという伝説が生まれた瞬間だった。

 そう。これは、私――更科茉莉がまだ血祭まつりと呼ばれていた頃の記憶、その断片だ。

 ***

 私は今夢を見ている。
 それなのに何故、こんな一番封じたい記憶を、夢にまで見せられているのだろうか。これでは、ただの悪夢だ。
 疑問を確かめる猶予さえなく、場面が切り替わる。
 記憶の欠片が、否応なく私の意志に侵入してくる。自由意思を無視して、強制的に過去に向き合わされているようだ。

 ――血祭まつりの噂を聞き付けた奴らが、血祭まつりに拳を向ける。
 私は正当防衛として思い切り拳を振る。
 こうして、誇張された噂でしかなかったはずなのに、血祭まつりは噂を事実に変えてしまった。
 ……い。

 ――友達である由美と綾音が吹っ掛けた喧嘩に、血祭まつりは手を貸す。
 私は友達を守るため思い切り拳を振る。
 こうして、物事を解決する方法を間違った、荒々しい方法に血祭まつりは頼ることになった。
 ……なさい。

 ――鬼神の如き強さを持つ血祭まつりの力を求めた人が近寄り、血祭まつりが拳を貸す。
 私は誰かの役に立つと思って周りを血に染める。
 こうして、多くの相手を経て、血祭まつりの地位は絶対的なものになった。
 ごめんなさい。

 私は、何度も何度も、血祭まつりによって血の海に染まった場面を見続けた。
 こうしていざ振り返って見てみると、過去の血祭まつりは変わらない日々を生きていた。
 喧嘩を吹っ掛けられれば潔く買い、誰かに頼られれば喜んで力を貸す。細かいことは考えず、何も疑問に思うこともせず、ただ心を殺して相手を圧倒するだけの日々――。

 今思うと、一種の使命感のようなものだったと思う。
 力があるのだから、友達のために――、否、誰かのために使わなければいけない。
 そう自分の中で義務付けていたのだ。

 でも、今なら思い違いだったことが分かる。過去に血祭まつりが拳を振るった場面を見せられる度、私は心の中で何度も何度も謝った。

 そして、私は嫌気が差すほど目の前が赤く染まる場面を幾重にも見せられ――、血祭まつりが何も考えずに拳を振るう背景の四季が二回りもしてしまっていた。
 いつしか、血祭まつりは人の血を見ても、何とも思わない段階にまで来てしまっていた。血の海に一人立つ血祭まつりは恐ろしいほどまでに冷酷な視線を、倒れる人々に向けていた。

 ***

 そんな血祭まつりの運命を変えるための最初の一手となる出来事が起こった。

 今私の目の前にいるのは、中学三年の頃の血祭まつりだ。
 その日の私は珍しく喧嘩に明け暮れておらず、白を基調とした病院のある一室の前で立ち尽くしていた。

 何故そうしているのか、すぐに私は思い当った。

 この日は確かママが過労のために、倒れてしまった日だ。重なる心労に加え、寝不足が原因だった。元々体が弱かったママは、夜遅くまで起き続けたことで、体力を十分に回復できなかったのだ。半月ほど入院が必要だそうだった。

 ――私のせいだ。

 見舞いに来たはずの過去の私は、自ら病室の扉を開けることが出来なかった。病室の中からママとパパが何か話している声が聞こえる。それがより罪悪感を誇張させ、私の体を固くさせていた。

 いつまでそうしていただろう。私はずっと血祭まつりが立ち尽くす姿を見つめていた。いつもは何食わぬ顔で人を傷付けていたのに、いざ自分が傷付いてしまうのが怖かったのだ。

 行動を起こすことが出来ない血祭まつりの前に、ふと扉が開かれた。ママの同室にいる患者さんの友達だろうか、私と同年代のように見える男の子は頭を下げて、血祭まつりの隣を横切った。

 その空いた扉から、血祭まつりはパパとママと目が合ってしまった。
 硬直して動けなくなる私に、ママは笑って手招いてくれた。
 私のせいで倒れてしまったのは明らかなのに、ママは私を責めるような言葉を言わなかった。

「茉莉は強くて、優しくて、可愛い――私の自慢の子よ」

 むしろ、倒れる前――私の記憶に残っているままの笑みと変わらない笑顔を浮かべて、私の頭を撫でてくれた。

 それが、血祭まつりの心を決壊させた。

 私は今までなんて失態を犯していたのだろうか。あまりにも申し訳なくて、そんな資格なんてないと分かっていながらも、下を俯いて涙を流すことしか出来なかった。

 血祭まつりが喧嘩に耽るようになったのは、守るためだった。
 でも、それは違った。
 守るために振るっていた拳は、自分の大切な物を壊していたのだ。それだけではない。誰かにとって大事な物も、私は壊していた。

 そのことに、血祭まつりは気付いていなかった。いや、気付いて気付かないフリをしていた。
 自分の行動を正当化させるために、誤魔化し続けていたのだ。

 この日を境に、血祭まつりの凝固していた思考が、解かれていった。


 それからママが入院している半月の間は、なるべく病院に通い、ママを安心させるために、病室で苦手な勉強も頑張った。単純な私に出来ることは、それしか分からなかった。けれど、教科書や参考書をまともに見て来なかった私だけど、こうして真剣に読んでみると意外と面白かった。
 こうして私は知の海に潜り込むように、様々な知識を吸収していった。成長途中の子供が目に見えるものに何でも関心を持つように、私は本のページを捲った。ママが退院してからも空いた時間で勉強をし、いつしか学校でもマシな成績を取れるようになっていた。

 これで血祭まつりの道を脱却できれば文句はなかったのだが、私のお人好しな性格が邪魔をして、そうはいかなかった。
 私はまだ喧嘩の場から完全に足を洗い切ることが出来ていなかったのだ。

 由美と綾音が困ったように本気で頭を下げた時は、条件付きで力を貸した。
 中学を卒業するまでの期間限定であることと、八時までには家に帰ることだ。
 私にとってやはり友達も大事で、放っておくことは出来なかった。

 ――この頃、由美と綾音がいないところでは、血祭まつりの姿を見ることは難しくなっていた。

 ***

 中学校を卒業すると、周りに知り合いのいない高校に私は入学した。中学三年の夏ぐらいから勉強を頑張ったおかげだろう、県内でも有数の進学校に通っていた。ここは、争いとは無縁の世界だ。ママとパパは、自分のことのように喜んでくれた。
 それに由美と綾音にも中学を卒業してから喧嘩はしないと約束をしていた。さすがに友達との約束は守ってくれるだろう。

 これで私は血祭まつりという汚名を捨てて、完全に普通の女子高生になれると思っていた。

 けれど、そう事は上手く進まなかった。

 別々の高校に行ってからも、私は由美と綾音に事あるごとに呼ばれた。携帯の連絡を無視していると、私が通う高校に直接足を運んでまで血祭まつりを呼びに来た。
 不良っぽい姿の女子二人に頭を下げられてお願いされる私のことを、学友達がどう思ったかは想像するに容易かった。
 連日のように校門の前で由美と綾音に頭を下げられ、友達のお願いを無下に出来なかった私は、渋々と二人について行った。

 何度も何度もこのようなことを繰り返す内に、いつしか私の高校の中でも血祭まつりの噂が広まり、危険人物という烙印を押された私に近づく人はいなくなった。皆、私に他所余所しく接し、必要最低限のことを話す時でさえ、同い年だというのに敬語を使われた。


 そして、いつも通りに由美と綾音が私の元にやって来た、ある秋の夕暮れ。

「今回だけだって」

 綾音がぶっきらぼうに感情の籠っていない言葉と仕草を、私に向ける。

「茉莉が忙しいのは分かってるよ? でも、茉莉がいなきゃ、私達の面子が崩れるんだもん」
「……どういうこと?」
「血祭まつりと知り合いってだけで、私たち結構話題の中心なんだよ。皆、あの血祭まつりに会いたぁいっておねだりして来てさ。さっすが茉莉だよね!」

 喜々として語って来る由美の言葉を聞いて、私は心臓が掴まれるような思いがした。
 半年間耐えて築き上げてきたものが一気に瓦解する――、そんな感覚が私を襲う。

 由美の言葉を理解出来ないほど、私はお人好しではなかった。
 つまり、由美と綾音にとっては、私は腕が立つ血祭まつりでしかなく、自分の価値を引き出すためのアクセサリー程度にしか思われていなかったのだ。

 友達だと思っていた二人に裏切られ、せっかく勉強を頑張って、落ち着けると思った高校でも話せる人さえいない状況。

 何のために高校に通い、何のために生きようとするのか分からなくなってしまいそうだった。

 私はただ普通になりたかっただけなのに、周りがそうはさせてくれなかった。

 自業自得だってことは分かっている。全部、血祭まつりが――、私が蒔いた種だ。

 けれど、もう限界だった。
 私は自分の部屋に閉じこもって、声も上げずにただただ涙を流していた。こんなにも涙を流したのは、初めてだった。


 そんな時、パパが仕事の関係で別の県に引っ越すかもしれないという話が上がった。
 パパは私とママに任せると言ってくれたが、私は賛同した。

 このままこの場所に居続ければ、私は何も変わることが出来ない。私が血祭まつりと決別するためには、もうこれしか手段が残されていなかった。

 ママもパパについて行くと言い、更科家は引っ越すことが決まった。血祭まつりとして過ごした町で暮らすのも、今年いっぱいまでとなった。

 その間、私が引っ越すことは由美と綾音には言わなかった。それだけでなく、世間が年末で騒がしくなりこの町で過ごすのも数えるほどとなった頃、私は携帯を新しく契約し直してもらい、誰からも連絡が来ない状態にした。
 これで二人から呼び出されることはないだろう。

 さすがにやりすぎかとは思ったが、こうでもしなければ、私は一生血祭まつりのままだ。

 私は普通の女子高生になるために、血祭まつりに関することは全て捨てた。

 そして、更科家の引っ越しは年明けと共に行なわれた。

 ――唐突に消えた血祭まつりは、所在が眩み、巷で伝説とまで呼ばれるようになった。

 ***

 初めて見る松城高校の校舎を目にして、私の表情は傍から見ても分かるほど緩んでいた。

 これは私が初めて松城高校に通った日のこと――、始業式の場面だ。

 年明けに引っ越した町でパパは仕事の折り合いが上手くいかなくなり、転職をした。その都合で、また別の町――つまり、この松城町まで引っ越すようになった。
 パパは申し訳なさそうな顔をして何度も謝っていたが、私は何も言わなかった。勿論、ママも口を挟むことはしない。
 むしろ、私はパパに感謝しているくらいだ。

 この松城町は、昔住んでいた場所とは遠く離れており、血祭まつりの正体が私だとは誰も気付けないだろう。
 だから、ここから、ようやく新しい生活を始めることが出来る。

 まるで私の新たな門出を祝福してくれているように、爽やかな風と共に綺麗な桜が舞っていた。
 私は逸る鼓動を抑えながら、校門を通り、松城高校の敷地を踏んだ。

 時刻が登校時間にはまだ早いからか、校内に生徒はいなかった。少し残念に思ってしまったが、私が勝手に早く来ただけだから仕方ない。

 前日、パパとママと一緒に松城高校の先生方に挨拶をした私は、職員室に寄らずに直接自分の教室に入っていいことになっていた。だから、私は迷いなく足を進めた。

 自分のクラスを確認するために、ドキドキしながら、校舎の玄関前に設置されている掲示板のクラス表を見た。そこには、「更科茉莉」とちゃんと私の名前があった。そんな当たり前のことが、私には嬉しかった。私は何度も掲示板を振り返りながら、二年三組に足を運んだ。
 二年三組にいる人は、当然ながら誰も知らない。会う人会う人、皆が仲良くなれる可能性があるのだと思うと、あまりにも嬉しかった。

 そんなことばかり考えていたからだろうか、気付けば、二年三組の前に着いていた。

 私は胸に手を当てながらゆっくりと息を吐くと、扉に触れた。

 この扉を開ければ、今までの殺伐とした高校生活とは違う、普通の高校生活が待っている。そう考えると、普通の教室の扉のはずなのに、私には別世界に繋がる扉のように見えた。

 緊張したように、優しく丁寧に教室の扉を開けた。
 教室には誰もいなかったが、眩い日差しが私を温かく歓迎してくれた。

 ここが、私が通う教室――。

 その当たり前のことが、私の心を高揚させた。

 私は黒板に貼り出されている座席表を確認する。私の名前は一番後ろの席だ。一番話すことになるであろう、右隣に座る人物の名前を確認する。

「――諏訪、悠陽くん」

 私は顔も知らない男の子の名前を口にして、自分の席に座った。

 一番後ろの席に座ると、教室全体を見渡すことが出来た。二年三組のことをたくさん知れそうで、期待と希望に胸が膨らむ。

 教室の扉を見つめた。
 一番初めに来る人は、どんな人なんだろうか。

 隣の空いた席を見つめた。
 私の隣に座る諏訪悠陽君は、どんな人なんだろう。

 私は未来を見据えるように、前を見つめた。
 これから始まる高校生活は、どんな生活になるんだろう。
 これから先の私の未来には、きっと素晴らしい世界が待っている。

 そんな私の想像を現実に引き戻すように、どたばたと慌てるように誰かが教室に入って来た。

 突然のことに、私は肩を震わせたがすぐに平静を装う。
 彼は私のことを見ずに、そそくさと黒板に貼り出されている座席表を確認し始めた。

 一体、誰なんだろう。彼は。
 知りたい。話してみたい。友達に、なりたい。

「あ、あの!」

 私は勇気を振り絞って声を上げると立ち上がった。

「私、更科茉莉と言います。――あなたの名前は?」

 私の質問に対して、彼は無言のまま一度だけ私の方を見た。

 彼の瞳は、脅えることなく、真っ直ぐに私を捉えている。

 しかし、それも一瞬だけだった。すぐに彼は私から赤らめた顔を背け、私の右隣の席に座った。

 あ、と思った。

 私は彼が誰なのか、分かった。先ほど自分で口にしたばかりだ。

 それでも、彼の口からその名前を聞きたくて、私は知らないフリをする。
 なぜか顔を背ける彼に対して、私はじっと彼のことを見続けた。彼は観念したように、ゆっくりと口を開き――、

「諏訪悠陽。……同い年なんだから、ため口でいいよ」

 その時、不器用ながらも当たり前のように言ってくれた一言で、私のいる世界が少しだけ変わった気がした。

 ――諏訪悠陽との出会いが、私と血祭まつりを完全に決別させ、普通の生活を送れるようにしてくれるとは、この時の私はまだ知らない。
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