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第五話「海の手」②

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「ビーチに誰も居ない? 一応、ハイシーズンなんだけど、どう言う事?」

 誰が作ったのか解らない木のはしごをよじ登って、ビーチとの仕切りになってる堤防の上に、灰峰姉さんの隣に並び立つと周囲の様子が手にとるように見えた。
 
 花火の火薬の匂いが微かに残ってて、つい先程まで誰かが砂浜で遊んでたようなのだけど、見た所、浜辺には人っ子一人居なかった。

 立ち並ぶ海の家も夜は無人になっていて、浜辺には照明もなく、うっすらと霧も出て来ていて、何とも言えず不気味な雰囲気が漂っていた。

「……前にもあっただろ? 本当に、ヤバイところには、皆、なんとなく近づきたくなくなるんだ……。この様子だと、海で人死が出たばかりなのかもしれないね。海で人死が出ると、割と立て続けに事故が起きるんだけど、あれはそれなりの理由があるんだよ」

 死者が死者を呼ぶ……海ってのはそう言うものだと言う話を聞いたことがあった。
 死人が出た海では、しばらく泳いではならない……よく言われる話だった。
 
 まぁ、実際は商業的な理由があるし、知らずに海に来る人は止められない。
 海の家なんかも翌日には、何事もなかったかのように営業を続ける……そんなもんだ。

 海で戯れる人々は何があろうがお構いなしで、夏場ともなれば、昼夜問わず、海に人影が絶える事はない……そんな風に思っていたのだけど。
 
 地方なんかだと、人死が出ようものなら、無理矢理にでも遊泳禁止にするようなところもある……後日、そんな話も聞いた。

 けど、ここらは、曲がりなりにも湘南なんて呼ばれる地域……関東では、九十九里と湘南……この二つが夏の浜辺リゾートのツートップ。

 悪天候でもない限り、簡単には遊泳禁止にも出来ないのが実情だし、一日休みにするだけでも、海の家なんかの損失は馬鹿にできない。

 もっとも、俺らは海に釣りに来てるからな。
 行くも退くも、俺ら次第って訳だ。

 いかんせん、釣り人ってのは魚が釣れるなら、真夜中の心霊スポットだろうが、躊躇いなく突っ込んでいく。

 人が居ないなら、むしろ貸し切り……絶対、釣れる。
 そう考えるのが釣り人と言う人種の思考回路で、俺も順調にその思考に染められていた。
 
「……帰る? せっかくここまで来て、何だけど……。悪いけど、俺は初めて来るから、何とも言えない。判断は任せるよ」

 俺がそう言うと、姉さんも頭を抱える。

 ……何やら、葛藤している様子だった。
 
 なお、そんな事を言いながらも、俺自身は撤退するつもりなんて、これっぽっちもなかったし、灰峰姉さんがそんな事を言い出すはずがないと確信していた。

 ちなみに、こんな如何にもな状況にも関わらず、俺はこれっぽっちもビビってなかった。

 なにせ、ほんの少し前まで俺は旭興荘と言うお化け屋敷に住んでいたのだから。 
 そんな所に一年も住んでいれば、もう大抵のことにはビビらなくなる。
 
 生きてる人間ってのは、割と最強なのだ。

 何より、どうやら俺には、山神様の加護……みたいなのがかかってるらしい。
 この加護は、割と本物で、良くないものがいたとしても、俺を避けていく程らしい。
 
 ある意味、俺は怖いものなしと言えた。
 
「あはは……車出してもらって、それは流石に申し訳ないからね。まぁ、この漁港の中なら問題なさそうだから、せめて竿くらい振っていこう。言うまでもないけど、漁港と言えど、海に落ちたら結構ヤバイからね。足元だけは注意だ。でも、もし落ちてもそこら中に漁船の係留ロープがあるから、それに掴まればなんとかなる。それとこれは警告なんだけど、そこの堤防の階段から先には、行っちゃいけないよ……あそこから先はちょっとよろしくない」

 そう言って、姉さんは堤防に上がるコンクリの階段を指差す。
 そこから先は、割と本格的な外海に面してるらしく、波も荒れてるようで、沖に面してる堤防では、時々派手な波飛沫が上がって、堤防を超えてるように見えた。
 
 浜辺の方も、かぶと岩と呼ばれる小島が派手に波をかぶってて、なんと言うか……かなり荒れてるのが、俺にも解る。
 
 確か……台風が近づいてると言う話だったのだけど、思った以上に影響が出てるようだった。
 こんなに海が荒れてるんじゃ、海難事故の一つくらい起きても不思議じゃない……。
 
 台風はまだ太平洋の遥か遠く沖合にあって、雨の降る気配もないのだけど、海ってのは思いの外早く荒れ始めるって聞いてたけど、聞きしに勝るって感じだった。

 満潮の時間も近いようで、水位も確実に増えていっているようだ。
 
 ……灰峰姉さんの警告。
 その警告に逆らうとさすがに、何が起きるか解らない。
 
 君子危うきに近寄らずって奴だった。
 
「解った……なんとなく、ヤバそうな雰囲気なのは、俺にも解るからね。正直、あの先、どうなってるのか興味あるけど、警告というからには、従うとするよ」

 貸し切りの夜の堤防。
 海の中には、魚もいっぱい……絶対、釣れる気もするんだが。

 まぁ、大人しく言うことは聞いとく。

「そうしてくれ。正直、これはちょっと洒落になりそうもないからね。いいかい? 海ってのは、簡単に人が死ぬところなんだ……。君のことだから、この先、一人で海釣りをやる機会があるかも知れないけど、その事だけは肝に銘じておいてくれよ」

「はいはい、灰峰先生の仰る通りです……陸(オカ)ではともかく、海では姉さんの言う事には従うとするよ」

「よろしい。君は生徒としては実に見どころがあるからね。なるべく、お互い見える範囲にいよう。それと海って、割と毒持ちフィッシュなんかも釣れるから、変なのが釣れたら、無闇に触ったりせずに、まず私に見せに来ること。これ割と重要だよ? 海釣りってのは、色んな意味で経験がモノを言う世界なんだ……わかったかな?」

 無言で、敬礼。

 まぁ、釣りの経験に関しては、特に海釣りについては、灰峰姉さんの知識と経験値は圧倒的だ……はっきり言って、年季が違う。
 
 なんでも、小中学校時代に親父さんに連れられて、この辺りにもよく来ていて、餌釣りなら一通り経験してるらしい……要するに、筋金入りの釣りガール。

 船での沖の釣りもやってて、サメ釣った……なんてコトもあったらしい。
 
 一方、こちとら、山国生まれの山国育ち。
 
 海とか、全然馴染みがない。
 海で泳いだ覚えなんて、数えるほどだし、釣りに関しても、もっぱら淡水専門だった。
 
 実は、水平線を見ると気が狂いそうになると言う妙な恐怖症があるのだけど。 
 水平線が見えない内海とか、対岸が見える瀬戸内の海なら、別に問題ないと言う……。

 仲間内で泊まりで行った海旅行も、車出す奴の特権で、わざわざ西伊豆の戸田まで足を伸ばしたくらい。

 そこまで行くと車でも軽く片道三時間コースなんだけど、戸田の海は内海だから、静かなもの。

 海も湘南の海と比較にならないくらいに綺麗で、遠浅で穏やかで……いいところなのだ。
 少し位遠くても、足を伸ばす価値は十分あったし、実際、仲間達にも好評だった。
 
 この漁港も別に水平線は堤防に立たない限り、見えない。
 
 うん、悪くないね。
 水平線とか、あんなのじっと見てたら、間違いなく気が狂う……。

 特に夜の海なんて、冗談じゃない。
 あの果てのない暗闇は……訳もなく恐怖に駆られる。

 もっとも、見なきゃ、別に問題もない。
 それになんだかんだで、この釣り場に来て釣るぞと思う瞬間は俄然テンションが上がる。

 そんな訳で、色気も何もあったもんじゃない、夜の大磯漁港でのルアーフィッシングが始まるのだった!
 
 ……俺の持ってるタックルの中から、灰峰先生が見繕ってくれたのは、夜光素材製のバイブレーションと呼ばれる3cm程度の超小型ルアーだった。
 
 陸の釣りでは、買ったのはいいものの軽すぎて、全然飛ばない上に、全く釣れず、使いものにならないと言うことで、完全にお蔵入り状態だったのだけど……。
 
 そもそもこれは海用で、落とし込み釣り用なんじゃないかと言われて、今回出番がやってきたのだった!
 
 半信半疑で、足元に落として、言われるがままにロッドをシェイクしてると、ガツンと手応え!
 ぐんぐん引っ張られるバスともハスとも、ニジマスとも違う引き!
 
「……まさかの一発ヒット! 相変わらずのビギナーズラックだねぇ……小さいけど、カサゴだよ。おめでとう!」

 釣り上げてみたら、あれだけ引いたのが嘘みたいな15cm程度の小さい魚。

 ヒレをいっぱいに広げて、威嚇されてる。
 ヒレの先には、鋭いトゲが生えてて、陸の魚と比べると、如何にも攻撃力が高そうな魚だった。
 
「食えるんだっけ? でも、どう見ても小さいよね……」

「まぁ、これはさすがにリリースサイズだね。でも、これはテンション上がるね! 済まない……ファーストキャストは譲ってあげたから、次は私に釣らせて欲しいな……」

 ソワソワ、もじもじとしおらしい感じの灰峰姉さん。
 指咥えんな……可愛いんだけど。
 
 一匹釣ったし、ここは場所を譲るのが紳士ってもんだ。
 
 俺を見習ったらしく、蛍光ワームとジグヘッドと言う組み合わせで、落とし込み釣りを始める灰峰姉さん。
 
 俺も、適当に歩きながら、港の反対側に回ってみたり、スロープでルアーを投げるのだけど、全く反応がない。

 最初の一発はまぐれ当たりだったのかも。
 
 魚がいるなら、水面が盛り上がったり、ライズ……飛び跳ねてたりするものだけど、なんと言うか魚がいる気配がしない。

 灰峰姉さんも無言で、ちょっと歩いては丹念にシェイクしてを繰り返してるのだけど、未だにヒットは無いようだった。
 
 こう言うときに、下手に声をかけてはならない。
 頑張れって、念を送りながら、釣れることをただひたすらに祈る……弟子にできることはそんなものなのだ。
 
 一応、ネットは用意してあるから、大物が釣れたらすかさず、ネットアシストに入るつもりで、ほどほどの距離を維持する。
 
 それにしても、この港の中って、思ったより、狭い上にこの落とし込みしか出来そうもないと言うのが辛い所。
 
 なにせ、遠目にキャストしようにも船がぎっちり隙間なく並んでいるし、到るところに係留ロープが張ってあって、ルアーなんて飛ばそうものなら、確実に船やロープに引っかかる。
 
 そうなったら、船主にも大迷惑であるし、こっちもルアーロストで被害甚大。
 
 灰峰姉さんは、ああは言ってるけど、沖の方の堤防に入って、そっちで釣りやった方が絶対にいい気がしてくる。

 海が荒れ気味で、相応にリスクが有るのは解るけど……この調子だと、姉さんはボウズを免れそうもなかった。
 
「……姉さん、ダメそう?」

 そろそろ、タオル投げても良いような気がしてきたので、思い切って声をかけてみる。

「うーん、さっきの見延は、まぐれ当たりだったのかな。同じ様にやってるんだけど、掠りもしない……やり方を変えるべきなのか、いや……迷ったら負けだ。けど……うーん……。あ、そっちはどうだい? 何か釣れたかい?」

「全然だね……なんか魚の気配がしない。提案なんだけど、沖の堤防の方に行ってみない? 先客もいるように見えるし、先端まで行かなきゃ問題ないでしょ……ここ、船が邪魔で、ルアー釣りには向いてないよ」

「あー、うん。確かにそうなんだけど……人がいた? それは本当かい?」

「まぁ、ここからだとよく見えないけど。人影みたいなのが見えたし、遠くからロッドのキャスト音も聞こえてきたんだけど……」

 ……こちとら、聞き慣れた音だから、キャスト音は間違いはないと思うんだが。
 堤防の先端は真っ暗で照明も届かないから、何がなんだかって感じではある。
 
 もっとも、人影と言っても人間サイズの何か動くものが見えたってだけなんだがね。
 
「先客が居たように見えなかったんだがなぁ……。確かに、私もここじゃ無理だって、薄々感じていたんだけど……。さっきも言ったけど、階段より向こうの堤防は行かない方がいいと思うよ」

「まぁまぁ……試しに堤防の上をちょっと歩いてみるだけだよ。灰峰姉さんが行きたくないなら、無理に一緒に来なくてもいいよ。ちょっと様子見くらいさせてくれよ」

 見た感じ、少し海も落ち着いていて、沖の堤防にも波がかぶる……なんて事もない様子に見えた。

 多分、満潮の時刻を過ぎて、潮が引いてきてる……陸からの風が吹き始めてるから、文字通り風向きも変わってる……明らかに、来た時と状況が変わりつつあった。
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