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多くの賓客をもてなす為の大広間に比べれば多少劣りはするものの、ここはファールンの中枢を担う数人の大臣と大聖堂からの使者達との会談を行うには十分な広さがあった。大きな窓には貴重な彩色ガラスがはめられていて、平らな床石に鮮やかな光の花を咲かせている。しかしそれを楽しむ者はこの場にはいない。
昼を知らせる鐘が鳴った後、フォルカーの元へ血相を変えた役人が駆け込んできた。
―――「陛下がお呼びです。至急王の間へ……!!」
そして今、数人の重臣達の視線の先で二人の若者が跪き頭を垂れている。
一人は王太子フォルカー。そしてもう一人は、王の血を分けるダーナー家嫡男にしてウルム大聖堂の司教クラウス。
二人の足元には真紅の絨毯が敷かれていて、数段の階段をはさみ、その上には特別な装飾を施された椅子…玉座に座すファールン王ウルリヒがいた。
固く結ばれた口元、眉間に深く皺を刻まれた険しい表情……。
その口から告げられたのはフォルカーですら予想もしていない事態だった。
「指輪が…消えた…!?!?」
大臣達のざわめきがそれに加わる。
朝の祭事の為に扉を開けたクラウスが指輪が無くなっていることに気がつき、すぐさま捜索が始められた。しかし午後になった今も指輪は見つからず、その理由も謎のまま……。
いつもは冷静なウルリヒ王も語気を強めずにはいられず、声を荒げた。
「あそこには衛兵もついていたはずだ。鍵もかかっていただろう…!まさか…お前達が何処かへ持ち出したのではあるまいな!?」
フォルカーとクラウスはその怒りを受け止めている。
「恐れながら陛下、昨晩私は病床の父のそばにおりました。我が屋敷にいる全ての使用人がその承人となってくれましょう」
白い式服に身を包み、若き日の父親と同じ蘇芳色の髪をしたクラウスは静かに頭を下げる。
親友の面影を残す姿に、ウルリヒは深く息を吐いた。
「ここ最近は随分と顔色が悪かったが……父君の具合はどうだ?」
「それは……。はい…今のところはなんとか……」
言葉を濁す。ウルリヒはそれ以上聞くことを止めた。
今まで辛苦を共にした盟友が危ないというのに、こんな不祥事が起きてしまうなんて……。事が大きくなる前になんとか見つけ出さなければならない。
噛み締めた怒りの矛先は一人息子のフォルカーにも向けられる。
「指輪の間の鍵は王の血に連なる者しか開けられぬ。フォルカー、お前は昨晩何をしていた?」
「そ・それは……」
口は重い。
大臣や司教達に囲まれ父王は今年一番機嫌が悪い。しかも指輪まで無くなった。ポルトの話をきり出すにはタイミングが悪すぎる。
かといって昨晩はエルゼやイダン、カールトンまでいたのだ。遅かれ早かれ父の耳には入る。それなら自分から伝えたほうが傷が浅く済むだろう。
喉がゴクリと動いた。
「陛下……昨晩、私は指輪の間におりました」
周囲から起きるざわめき。その場しのぎの嘘をついても後で自分の首を絞めるだけだ。馬鹿みたいに何でも話すつもりはないが可能な限り事実にそわせる。
「晩餐の後、神と祖先の王たちに祈りを捧げに参りました。しかし私が指輪の間にいた時は指輪に何の変化もありませんでしたし、室内に不審な者もおりませんでした。もし何かあったとすればその後のことだと思われます」
「そもそも何故部屋にまで入る必要があった?祈りなら主礼拝堂でも事足りるだろう」
「昨日の晩餐の件は国の将来に直結すること。ならば直接指輪にと…そう思ったのです」
「――――……」
王は本人すら気づいていないであろう息子の一瞬の表情の変化を見逃さない。
「その件は私が話を聞いてやると言ったはずだ。何故禁域にまで足を踏み入れる必要がある?あそこが我々にとってどんなに危険な所か、お前には十二分に教えたはずだ。この父に言えないような目的があったということか……!?」
フォルカーは何も話さず、奥歯を噛みしめている。
王子の沈黙に場内が更にざわざわと揺れはじめた。
「……まさか…お前が――……」
「いいえ!フォルカー様は指輪を持ち出したりなどしておりません!」
ざわついた場内を一掃したのは、大臣達をかきわけて入ってきたエルゼだ。隣には何故か昨日と同じ格好をしたカールトンがいる。あれから一晩中エルゼの子守をしていたのだろうか、眼の下に薄くクマができていた。
突然の乱入に男たちの視線は一気に集まったが、エルゼはかまうこと無く王の前に立つ。それには王の傍に控えていた従者フォンラントが思わず声を上げた。
「エルゼ殿…!!この場は限られた重臣しか参列できません……!いくら貴女といえども……っ」
「無礼をお許しください、陛下!わたくし、昨日フォルカー様と一緒にあの場におりました!お話をお聞きになってくださいっ!」
「……ふむ……」
当事者から話が聞けるのであればむしろ好都合だ。王は従者を下がらせて頷いた。
「わたくし、昨晩こっそりフォルカー様のお部屋に行きましたの。『あのお話』で驚かれたと思って……。でも見つからなかった。探して探して……大聖堂の指輪の間で見つけましたわ。でもお出でになる時には何も…普段用の指輪だって付けて無くて。片方は手ぶらだったしもう片方は……」
昨晩見た光景を思い出したのか、一瞬唇を噛む。
「そもそも…っ持ち出すことが目的じゃないんですもの……!ただ指輪をご覧になっただけだわ!それは、有史以来ファールン王にお仕え続けてきたシュミット家の名にかけて、わたくしエルゼが保証いたします!」
「エルゼ……?どうして……」
フォルカーの問いに、エルゼは表情を変えず答える。
「フォルカー様に変な嫌疑を掛けさせるわけにはいきませんもの……っ」
膠着するようにも見えたこの場へ、一人の男が歩を進めて頭を下げた。
「失礼を。私も昨晩、シュミット家のご令嬢をお迎えにイダン殿と大聖堂へ向かいました。恐れながら、この場での発言をお許し頂けるでしょうか」
「カールトンか。許す。何だ?」
「陛下の寛大なお心に感謝いたします。先ほどの殿下のご発言に、ひとつだけ事実と異なる部分がございます」
「と…いうと?」
「不審な者はいなかったと申されておりましたが……王族にしか入室できないあの場所に立ち入った者が……」
「!」
フォルカーの視線が反射的にカールトンに向かう。
カールトンが出入り口に合図を送ると二人の衛兵が身体を強張らせながら現れた。昨晩、ウルム大聖堂にいた衛兵の二人だ。イダンもその後ろに付き、二人に前に出るようにと促す。
「陛下、彼らは昨晩大聖堂の大門を護衛していた者たちです。お前達、殿下と一緒に部屋から出てきた者の名を言うんだ」
「し・しかし……!」
衛兵は王子の方をちらりと見た。口止めされている。撤回できるのはこの国にただ一人。
「かまわん。見たとおりに申せ……!」
国王が空気を重く振動させる。
ただでさえお目にかかることすら稀な大臣達に囲まれ、目の前には神にも等しい存在が……。一介の衛兵が耐えられるわけもない。王子には視線を合わせられず下を向いたまま平伏した。
「ポルト=ツィックラー……!!殿下の従者であるポルト=ツィックラーがおりました…!!」
「……!」
思わず息を呑むフォルカー。このタイミング…最悪だ。
「――聞けば彼の者、今は亡きマテック卿が領内から兵として招集した下級市民だとか。殿下の気まぐれを考慮したとしても、数ある貴族諸侯達を差し置いてのこの配属。さぞや優れた能力を持っているのかと思えば、そういうことでもない……。そんな者が禁域にまで入り込むまでとなり、聖神具まで消えたとなれば……腑に落ちない者も出てくるのでは?」
「黙れ、カールトン。我が従者をどこでどうしようと私の勝手だ。わざわざ家臣に許可を取れとでもいうのか……!?」
衛兵の後に続いたカールトンにフォルカーが重く圧をかける。
確かに従者の中には主人の風呂やトイレまで世話をする者もいる。周囲には頷く者もいたが、そうでない者もいた。大臣の一人が声を上げる。
「しかし皆の者…!我々ですら近づけぬ程の場所に身分なき者が出入りすることなど、許されるものなのか!?いくら殿下の我儘とは言え、これは歴代の王族が守り続けてきた決まりでもあるのに…!」
「ふむ……確かに。従者など入り口で待たせておけば済んだ話だ。何故あの従者だけが……?」
ざわりざわり。フォルカーとカールトン、二人の言葉の間で観衆が揺れる。イダンが一歩前へ出た。
「陛下、私めの発言をお許しください。実はポルト=ツィックラーに関しては従臣達から聞かれることも多く……少し調べてみたのです。衛兵の詰所や軍部から取り寄せた資料では国境近くの小さな村、ウィンスターの出ということになっておりました。しかし…正教会にある出生記録にはポルトという名が無かったのです」
「「……!」」
ポルトの真面目な性格を知る者は隣の者と顔を見合う。
「まだ確証を得るほどの調査はできておりませんが、殿下はあの者に特に信頼を寄せておられる様子……。フォルカー殿下は陛下にとってもただ一人の御子。とても心配しているのです。彼の者との関係を切れとまでは申しませんが、せめてことがわかるまでは、少し距離を置かれた方がよろしいのでは?」
「何を生ぬるいことを……!」
大臣の一人が苦々しく眉間にシワを寄せる。
役職者の中には身分にそぐわない昇進をしたポルトを疎ましく思う者も少なくない。そんな彼らからしてみれば、これは神が与えた絶好の好機。目障りな子犬を引きずり落とそうと、口々に叫んだ。
昼を知らせる鐘が鳴った後、フォルカーの元へ血相を変えた役人が駆け込んできた。
―――「陛下がお呼びです。至急王の間へ……!!」
そして今、数人の重臣達の視線の先で二人の若者が跪き頭を垂れている。
一人は王太子フォルカー。そしてもう一人は、王の血を分けるダーナー家嫡男にしてウルム大聖堂の司教クラウス。
二人の足元には真紅の絨毯が敷かれていて、数段の階段をはさみ、その上には特別な装飾を施された椅子…玉座に座すファールン王ウルリヒがいた。
固く結ばれた口元、眉間に深く皺を刻まれた険しい表情……。
その口から告げられたのはフォルカーですら予想もしていない事態だった。
「指輪が…消えた…!?!?」
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いつもは冷静なウルリヒ王も語気を強めずにはいられず、声を荒げた。
「あそこには衛兵もついていたはずだ。鍵もかかっていただろう…!まさか…お前達が何処かへ持ち出したのではあるまいな!?」
フォルカーとクラウスはその怒りを受け止めている。
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白い式服に身を包み、若き日の父親と同じ蘇芳色の髪をしたクラウスは静かに頭を下げる。
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言葉を濁す。ウルリヒはそれ以上聞くことを止めた。
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噛み締めた怒りの矛先は一人息子のフォルカーにも向けられる。
「指輪の間の鍵は王の血に連なる者しか開けられぬ。フォルカー、お前は昨晩何をしていた?」
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かといって昨晩はエルゼやイダン、カールトンまでいたのだ。遅かれ早かれ父の耳には入る。それなら自分から伝えたほうが傷が浅く済むだろう。
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周囲から起きるざわめき。その場しのぎの嘘をついても後で自分の首を絞めるだけだ。馬鹿みたいに何でも話すつもりはないが可能な限り事実にそわせる。
「晩餐の後、神と祖先の王たちに祈りを捧げに参りました。しかし私が指輪の間にいた時は指輪に何の変化もありませんでしたし、室内に不審な者もおりませんでした。もし何かあったとすればその後のことだと思われます」
「そもそも何故部屋にまで入る必要があった?祈りなら主礼拝堂でも事足りるだろう」
「昨日の晩餐の件は国の将来に直結すること。ならば直接指輪にと…そう思ったのです」
「――――……」
王は本人すら気づいていないであろう息子の一瞬の表情の変化を見逃さない。
「その件は私が話を聞いてやると言ったはずだ。何故禁域にまで足を踏み入れる必要がある?あそこが我々にとってどんなに危険な所か、お前には十二分に教えたはずだ。この父に言えないような目的があったということか……!?」
フォルカーは何も話さず、奥歯を噛みしめている。
王子の沈黙に場内が更にざわざわと揺れはじめた。
「……まさか…お前が――……」
「いいえ!フォルカー様は指輪を持ち出したりなどしておりません!」
ざわついた場内を一掃したのは、大臣達をかきわけて入ってきたエルゼだ。隣には何故か昨日と同じ格好をしたカールトンがいる。あれから一晩中エルゼの子守をしていたのだろうか、眼の下に薄くクマができていた。
突然の乱入に男たちの視線は一気に集まったが、エルゼはかまうこと無く王の前に立つ。それには王の傍に控えていた従者フォンラントが思わず声を上げた。
「エルゼ殿…!!この場は限られた重臣しか参列できません……!いくら貴女といえども……っ」
「無礼をお許しください、陛下!わたくし、昨日フォルカー様と一緒にあの場におりました!お話をお聞きになってくださいっ!」
「……ふむ……」
当事者から話が聞けるのであればむしろ好都合だ。王は従者を下がらせて頷いた。
「わたくし、昨晩こっそりフォルカー様のお部屋に行きましたの。『あのお話』で驚かれたと思って……。でも見つからなかった。探して探して……大聖堂の指輪の間で見つけましたわ。でもお出でになる時には何も…普段用の指輪だって付けて無くて。片方は手ぶらだったしもう片方は……」
昨晩見た光景を思い出したのか、一瞬唇を噛む。
「そもそも…っ持ち出すことが目的じゃないんですもの……!ただ指輪をご覧になっただけだわ!それは、有史以来ファールン王にお仕え続けてきたシュミット家の名にかけて、わたくしエルゼが保証いたします!」
「エルゼ……?どうして……」
フォルカーの問いに、エルゼは表情を変えず答える。
「フォルカー様に変な嫌疑を掛けさせるわけにはいきませんもの……っ」
膠着するようにも見えたこの場へ、一人の男が歩を進めて頭を下げた。
「失礼を。私も昨晩、シュミット家のご令嬢をお迎えにイダン殿と大聖堂へ向かいました。恐れながら、この場での発言をお許し頂けるでしょうか」
「カールトンか。許す。何だ?」
「陛下の寛大なお心に感謝いたします。先ほどの殿下のご発言に、ひとつだけ事実と異なる部分がございます」
「と…いうと?」
「不審な者はいなかったと申されておりましたが……王族にしか入室できないあの場所に立ち入った者が……」
「!」
フォルカーの視線が反射的にカールトンに向かう。
カールトンが出入り口に合図を送ると二人の衛兵が身体を強張らせながら現れた。昨晩、ウルム大聖堂にいた衛兵の二人だ。イダンもその後ろに付き、二人に前に出るようにと促す。
「陛下、彼らは昨晩大聖堂の大門を護衛していた者たちです。お前達、殿下と一緒に部屋から出てきた者の名を言うんだ」
「し・しかし……!」
衛兵は王子の方をちらりと見た。口止めされている。撤回できるのはこの国にただ一人。
「かまわん。見たとおりに申せ……!」
国王が空気を重く振動させる。
ただでさえお目にかかることすら稀な大臣達に囲まれ、目の前には神にも等しい存在が……。一介の衛兵が耐えられるわけもない。王子には視線を合わせられず下を向いたまま平伏した。
「ポルト=ツィックラー……!!殿下の従者であるポルト=ツィックラーがおりました…!!」
「……!」
思わず息を呑むフォルカー。このタイミング…最悪だ。
「――聞けば彼の者、今は亡きマテック卿が領内から兵として招集した下級市民だとか。殿下の気まぐれを考慮したとしても、数ある貴族諸侯達を差し置いてのこの配属。さぞや優れた能力を持っているのかと思えば、そういうことでもない……。そんな者が禁域にまで入り込むまでとなり、聖神具まで消えたとなれば……腑に落ちない者も出てくるのでは?」
「黙れ、カールトン。我が従者をどこでどうしようと私の勝手だ。わざわざ家臣に許可を取れとでもいうのか……!?」
衛兵の後に続いたカールトンにフォルカーが重く圧をかける。
確かに従者の中には主人の風呂やトイレまで世話をする者もいる。周囲には頷く者もいたが、そうでない者もいた。大臣の一人が声を上げる。
「しかし皆の者…!我々ですら近づけぬ程の場所に身分なき者が出入りすることなど、許されるものなのか!?いくら殿下の我儘とは言え、これは歴代の王族が守り続けてきた決まりでもあるのに…!」
「ふむ……確かに。従者など入り口で待たせておけば済んだ話だ。何故あの従者だけが……?」
ざわりざわり。フォルカーとカールトン、二人の言葉の間で観衆が揺れる。イダンが一歩前へ出た。
「陛下、私めの発言をお許しください。実はポルト=ツィックラーに関しては従臣達から聞かれることも多く……少し調べてみたのです。衛兵の詰所や軍部から取り寄せた資料では国境近くの小さな村、ウィンスターの出ということになっておりました。しかし…正教会にある出生記録にはポルトという名が無かったのです」
「「……!」」
ポルトの真面目な性格を知る者は隣の者と顔を見合う。
「まだ確証を得るほどの調査はできておりませんが、殿下はあの者に特に信頼を寄せておられる様子……。フォルカー殿下は陛下にとってもただ一人の御子。とても心配しているのです。彼の者との関係を切れとまでは申しませんが、せめてことがわかるまでは、少し距離を置かれた方がよろしいのでは?」
「何を生ぬるいことを……!」
大臣の一人が苦々しく眉間にシワを寄せる。
役職者の中には身分にそぐわない昇進をしたポルトを疎ましく思う者も少なくない。そんな彼らからしてみれば、これは神が与えた絶好の好機。目障りな子犬を引きずり落とそうと、口々に叫んだ。
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