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【7】

疑惑の姫君(★)

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 午後の公務が一段落した。
 数年先の展望、そして羊皮紙に羅列された文字と数字、小難しい顔をしたオッサン達から解放されたフォルカーは、しばし自室で一人静かな時間の中にいた。
 最近少し夜遊びが過ぎたせいか、長椅子に座り暖炉の炎をぼうっと見ているとうっかり居眠りしそうになる。……いや、それも悪くないか。前に何処かの阿呆が掴んで投げきたクッションを数個、手慣れた様子で長椅子に並べるとゴロリと横になる。あくびを挟みつフォルカーは目を閉じ、すぅっと眠りの縁に足をかけた所で、コンコンコンというノックオンがまどろみを妨げた。

「………」

 小さく寄る眉根。またつまらない用事で秘書官が来たのかと苛立ちを押さえながら座り直す。明日の仕事の話なのか、それともさっきの会議で何か漏れがあったのか……。こちらの集中力はすっかり切れてしまっている。彼らでどうにかしてくれれば良いものを……。

 季節が良ければ邪魔が入らないような場所で一寝入りするのだが、冬はある程度の暖房設備は必須。今日も自室で済ますつもりだったが、今後も頻繁に昼寝が邪魔が入るようならば新しい場所を見つけなければならないだろう。

(そういえば去年はどうやっていたんだっけ……?)

 ……それほど邪魔は入らなかった気がする。全く無かったとは言わないが、それでも少ないと感じたのはきっとあいつ・・・が自分のかわりに話を聞いていたせいか……。急を要する案件なら起こしに来るし、そうでなければ起きた時にまとめて報告をする奴だった。あれはあれで多少なりとも役には立つ仕事をしていたということか。

 ふんと鼻を鳴らし、ノックオンの主に向かって「なんだ」と問う。すると扉の向こう側にいる衛兵から見知った人物の来訪を告げられた。組んでいた足を下ろす。

「通せ」

 王子の言葉から一呼吸置いて、ゆっくりと扉が開く。
 姿を表したのは見目麗しい一人の少女だ。ベルベッドのような濃いワインレッドのドレス、その裾を持ち上げお辞儀をすると印象的なピーコックグリーンの髪の毛先がふんわりと踊った。その後ろには何か包みを大切そうに抱えた侍女も控えていたが、少女が目配せをすると荷物を机に置き、一礼して退室した。

「ご機嫌麗しゅうございます、フォルカー様」
「エルゼ、いつ城へ?陛下に会いに来たのかい?」
「フォルカー様のご様子を伺いに来たのですわ。ダーナー様の式以降、お会いしていなかったですし……。あら、もしかしてご休憩中だったのかしら……?宜しければ、わたくしがお茶を煎れて差し上げますわ」

 そういうとエルゼは壁に寄せて置いてある細いテーブルに向かい、上に置かれているティーセットに手を伸ばす。薄い陶器が触れ合いカチャカチャと軽い音を立てた。

「へぇ?エルゼはそんな侍女みたいなこともするんだ?」

 少女の後姿を少し驚いた様子で見守るフォルカー。両親に溺愛されて育った彼女は根っからの箱入り娘だ。こういったことはしたことがないし、今後もすることはないだろうと思っていた。
 自分の新しい一面を見せることが出来たエルゼは少し嬉しそうに唇の端を上げる。

「フォルカー様と二人きりの時間を侍女に邪魔されるのは嫌ですし、それに…大切な方が口にするものですもの。難しいお料理は出来ませんけれど、お茶くらいはわたくしの手で煎れて差し上げたいと思って……。うちのメイド長に頼んで練習いたしましたの」

 しばらくするとフォルカーがいつも座っている場所に湯気の立つカップが置かれる。

「今日の茶葉はハニエルですのね。サーチェカ地方の最高級ですわ。少し温めのお湯でゆっくりと茶葉を戻すと、良い香りが出ますのよ」
「……へぇ。詳しいね。君にそんな一面があるとは思わなかった」
「父がよく練習相手になってくれましたわ。何度も何度もお茶を出しますでしょ?しばらくしたら『もうお腹がチャポチャポだよ、エルゼ』って……!ふふふっ」

 いつもは飛び上がるような気性の持ち主の彼女も今日は穏やかに見える。懇意にしていたダーナー卿の式を終えたばかりということもあるし、まだ本調子ではないのかもしれない。
 勧められるままフォルカーは彼女の煎れてくれたお茶を口にした。……ふむ、思っていたよりもちゃんと煎れられている。彼女のこういった努力家なところは素直に称賛されるべき所だろう。

「最近フォルカー様のご様子が変わったと…城の者たちが申しておりましたわ」
「変わった?」

 何処がどう変わったのか…という説明は少し言いにくそうだ。女性が言いにくいこと……、心当たりしかない。そのあたりの自覚はしているので、こちらも聞くこともしなかった。

「少しお疲れになっているんじゃないかと思って……。わたくし、良いものを持ってきましたの!」

 そういってエルゼは侍女が持ってきた包みを手に取ると、ぐいっとフォルカーへ差し出した。羽ペンより少し短いくらいの細長い包みで、布の上からリボンで結んであるというだけの簡単な包装だ。包みを外すと、よくなめした柔らかい革でくるくると巻いてある何かが現れる。さらに開いてみると、中から顔を見せたのは美しい装飾の施された金の……

「棒?」
「筒ですわ。こちらを窓に向けて、こちらから覗き込んで下さいな。そしてくるくると回しますの」
「ほぅ?」

  筒の中では窓から入った太陽光が反射を繰り返し、教会のステンドグラスのような色とりどりの文様を美しく浮かばせた。回す度にその柄を変化させ、フォルカーの口からも感嘆の声が漏れる。

「王妃様の故郷、オルギルモアからの輸入品ですわ。万華鏡という名前で、中が合せ鏡になってますの。そこにいくつか透明度の高いルビーを入れると、こんな風に見えるんですって…!」
「へぇ、こいつは美しい玩具だな。流石オルギルモアだ。珍しい代物に関してはネタが尽きない」
「部屋で過ごす時間が増える時期ですし、ちょっとした気晴らしになりますでしょ?」

 フォルカーは笑顔で礼を言う。久しぶりに間近で想い人の笑顔を見たせいか、エルゼも満面の微笑みで「はい!」と答えた。いつもながら健気な娘。その点に関してはフォルカーも納得するところだ。
 何の陰りもなく傍で花のような笑顔を見せる彼女に、ふっと身体の力を抜く。

「エルゼ……、私は今、心がとても疲れているようだ。今でも誰かが私を騙し、何か謀っているのではないかと…疑心暗鬼になってしまう」

 トーンの落ちた声と憂いをまとわせた表情に、エルゼは神妙な面持ちでぐっと身を乗り出した。

「フォルカー様……。やはりあの従者のことが気になっていますのね」

 エルゼは何度もポルトと会っている。知らない所でも色々と話をしていたみたいだし、もしかしたらローガンのように彼女も従者と懇意にしていたのかもしれない。

「――あれは……きっかけのひとつに過ぎない。エルゼ、君が思っている程、アレ・・で思い悩んではいないよ。色々とあったからね……。いっそ顔も知らぬ人間が犯人だったら気が楽だったのに、今回の騒動、出てくる名はどれも見知ったものばかりだ。今まで共にした時間はなんだったのだろうと……。胸が痛いよ」

 いつも口元に微笑みを湛え余裕ある話し方をする王子かれがこんな弱気な言葉をこぼしながら背を丸めるなんて……。その光景に、エルゼはこの事態がやはり小さいものではないことを痛感する。あの従者も大変だったとは思うが、元はと言えば身から出たサビ。やはり身分ある者の苦しみは、同じ様な生まれの者でないとわかり合えないのだ。
 彼の側にいるべきは、やはりあの従者でなく自分である。そう確信した。

「わたくしも、他家令嬢達との諍いは表には出ずとも絶えず起きておりました。自分より上の爵位への疎み、容姿への中傷、王子の傍いることへの妬み、嫉み……。権力欲に取りつかれた者達に向けられる笑みのなんと醜いこと。時々全てを捨てて旅に出たくなるほどですわ」

 エルゼはフォルカーの手に自分のそれを優しく重ねる。

「……わたくしですらそうなってしまうのです。次期ファールン王になる御身ともなれば、その重圧は想像もつかない程のものなのでしょう。……でもわたくしは…わたくしはずっとフォルカー様の味方です……!たとえお父様やお母様…陛下がなんと言っても、わたくしだけはずっとずうーっとフォルカー様の味方です……!!」
「本当かい?」
「はい……!わたくしが貴方を謀るだなんて…万にひとつもありはしませんわ……!決して…あるものですかっ」

 心許無い顔を見せる彼の支えになりたくて、心の拠り所になりたくて……。広い胸元に思わず飛び込んだ。白い手でぎゅっと上着を掴み、心も身体も寄り添うように目を閉じる。

「エルゼ……」
「心の準備が出来ていないのなら、わたくし達の婚約は先延ばしにしてもかまいません。まずはフォルカー様のお心の傷をゆっくり癒やして下さいませ。ずっとずっと…わたくしはお側におります」

 小さく丸い曲線を描く肩に手を置き、フォルカーはエルゼの身体を自分に寄せた。

「――……!」

 彼からのこんなアプローチは初めての出来事だ。突然開かれた未知の世界にエルゼの心臓がバクバクと鼓動を強める。

「……君に打ち明けたい悩みがある」
「え…ええ!なんでも仰って……!」

 熱っぽい菫色の瞳をじっと見つめながら、フォルカーの手が彼女の白い頬を撫でた。

「あの日…私を裏切っていた従者を愚かにも指輪の間へ連れて行った夜……。あの日のことがまだ私の胸の奥で…不穏な黒い霧にずっと包まれている気分なんだ」
「黒い霧……?」
「私を必死に探してくれた君まで泣かせてしまったしね……」
「いいえ…大丈夫ですわ!わたくし、全然気にしていなくってよ……!」
「そうか……。それでも私は…あの日以来、どうしても君のことが気になって……」
「フォルカー様……」

 フォルカーは訝しげに目を細めた。

「何故君は、城にいたはずの私を探しに大聖堂まで来たんだ?」
「っ?」



 丸い肩をなぞった手が一房の長い髪を手に取る。その感触を確かめるように指の腹で撫でるが、エルゼは何故か身体をこわばらせた。しかしすぐに微笑みを浮かべ「何のことですの?」と愛らしく小首をかしげる。

「あそこへ行ったことは従者と大聖堂にいた衛兵しか知らないはずだ。衛兵はずっと門の番をしていたし、従者が私の元を離れることも無かった」
「ぐ…偶然ですわ!きっとフォルカー様を想うあまり、神様がわたくしをそこへ向かうようにしてくれたのかもしれない……!」
「神が君の味方をしていたのなら、何故指輪の間に入る前にそれをしなかった?父や君にとってはかなり不都合なことだったろう?」
「さ…さぁ?神様に聞いてみないとその理由は……」

 エルゼはそういって笑って見せたが、フォルカーの心はまるで動いていないようだ。
 ――こんな子供だましにもならないような話で、彼が納得するわけがない。そうわかっていても上手く言葉は出てこない。
 そんな心境を知ってか知らずか、フォルカーは更に話を続ける。

「指輪の間にいた時間だってそれほど長くない。そんな短時間で君が城内を探し終え、ウルム大聖堂への道のりをそのヒールで歩いて来たとは…ちょっと考えられなくてね。もし衛兵の一人が私の命令を聞かずに城へ報告へ行ったとしても、あの広い城の中で一人の衛兵と君が出会う確率ってどれくらいなんだろうか、と」
「……っ」
「まるで行き先を知っていたみたいだ。もしかしてエルゼ…、君はダーナー卿から何か話を聞いていたんじゃないか?」

 フォルカーの口調はいつもと同じ様に穏やかだ。しかし段々と感情をなくしていく声音に…エルゼは背筋を凍らせた。こんな彼は初めて見る。
 上着を掴んでいた手が小さく震え始めた。さっきまで見つめ返していた瞳も、宙を彷徨っているように見える。

「……はははっ」
「!」

 突然笑いだしたフォルカー。あっけに取られたエルゼを抱き寄せぎゅうっと抱きしめた。

「謀るなんて万にひとつもない…か。そのひとつが来るの、早すぎない?」
「フォ…フォルカー様…!そ・それは…その……っ」
「良いんだよ、もう過ぎたことだ」

 子供をあやす様に「よしよし」と二三度髪を撫でてエルゼを立たせる。

「フォルカー様…!わたくし…!フォルカー様のことをずっとずっとお慕いしております……!その気持ちに嘘偽りは……っ。ダーナー様もそのことを十分考慮なさっていて……っ」
「わかったわかった。エルゼ、落ち着くんだ」

 なだめるような声に徐々に言葉を少なくしていくエルゼだが、何処とは説明のできないフォルカーの異変に不安が収まらない。

「衛兵!ここへ!」

 フォルカーの呼びかけに応え、二人の衛兵が扉を開く。

「エルゼを外へ。しばらくここへの往来は禁じる」
「そんな……!!お許しください、フォルカー様……!」
「怒っちゃいないさ。だから処罰もしない。ただ、しばらく顔を見たくないだけだよ」
「フォルカー様!お願いです……!わたくし…っ貴方のことを心から愛しているのです……!」

 衛兵に腕を捕まれながら強引に扉まで連れて行かれる少女。大粒の涙をボロボロと流して「話を聞いてほしい」と懇願するが、取り付く島もない。
 確かにダーナー卿から話を持ちかけられていた。でも「使者を送るので言われた場所へ向かうように」と言われていただけだ。
 ダーナー卿はその諜報力でエルゼの生まれのことまで調べ上げていて、二人の間に子はできないことも知っていた。
 それでも認めると…そう言ってくれたのだ。
 ……初めて……、初めてこんなに心強い応援者が現れた。協力しないなんて選択は選びようがなかった。
 例えそれが彼を弾劾する者達の声を大きくさせたとしても。
 そして、彼が一番大切にしている者を消してしまう結果になったとしても……。

 エルゼは思いの丈を叫んだ。その嘆きは神への祈りのようでもあった。

 全ては彼への愛あればこそ。
 彼だけが世界の全てなのだ。
 これは純粋な愛であり、裏切りでもなんでもない。
 なのに何故わかってもらえない?

「皆がわたくしたちを祝福してくれます……!何がご不満なのですか…!?陛下だって…お許しになられているのにっ!」
「ならば、次に父上が連れてくる見合い相手でも文句はないな」
「……っ!」
「君が大臣達の前で私をかばって発言してくれたこと、私に尽くしてくれたことには心から感謝している。今はいない我が従者も、君には心を許していたようだ」
「――っ……」
「気持ちは十二分に伝わっているさ。でも…君はずっと勘違いをしていることがある」
「勘違い……?わたくしの…愛しているというこの気持ちが…間違っていると仰るの……?」

 その言葉は嘘だ、即座にそう断言できる。
 子供の頃から想い焦がれ続けてきたこの気持ちの一体どこに嘘偽りがあると?
 異を唱えようとした口がわずかに開いたとき、フォルカーの言葉が落ちた。

「君が一番愛しているのは私ではない。君自身だ」
「!?」
「君は皆が思っているよりもずっと一途で努力家で…悪人でないことはわかっているさ。だから…君の未来の夫が、嘘偽り無く寄り添っていける相手であることを心から祈ってる」
「―――ッ!!!」

 絹を裂くような声。細い両腕は男達に強く掴まれ、抗っても抗っても引きずられていく。
 そして、断罪するかのように無情に閉じられた扉。
 視界が閉ざされてしばらくたっても、彼女の声が途絶えることはなかった。
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