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【6】

追憶

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 場末の薄暗い酒場、そんな雰囲気に似合わない小綺麗な格好をしたこの男は、依頼人ではなくその使いの者。
 まだ大人になりきれていないこちらの姿に若干の躊躇を見せたが、「相手が油断をするから仕事がしやすい」と話すと納得の表情を見せた。

 金貨の入った革袋をドンと机に置く。
 ある屋敷の女主人を始末し、屋敷に火をつけて全てを灰にしてほしい、そう話した。
 一緒に仕事をすることになったのは、たまたま居合わせた名も知らない男。随分と年上のようだが金に困っていたらしい。
 報酬が貰えるなら相手が誰だろうが関係ない。二人で依頼を引き受けた。

 標的は町の外れにあるやや小さめの屋敷に住んでいる。規模から見て本邸ではないのだろうがレンガの質一つ見ても手抜きがない。当然庶民が住める場所ではなく、むしろその庶民から何かにつけて金と収穫をもぎ取ろうとする支配層のものだった。

 住人達が寝静まった深夜に、窓の鍵を壊して進入する。
 召使い達はどうでもいい、ただ女主人だけは確実に……、そう言われていた。
 二階を仲間がまわり、自分は一階を見に行くことになった。
 月明かりだけが差し込む廊下、その中央にひとつだけ淡い光の漏れている扉がある。灯りに誘われる虫のように、ゆっくりとその扉に近づくとドアノブに手をかけた。

「……」

 淡い色彩のタペストリーが飾られている。木で出来たオモチャがいくつもあり、小さな小さなベッドが白い天涯の中に置かれていた。恐らく子供部屋だろう。
 窓際に椅子が一脚。そこには一人の女性が赤子を抱いて座っていた。小さく聞こえる子守歌は柔い真綿のようだ。
 これが依頼人の言っていた『女主人』なのだろうか?想像していた人物像とはまるで違う。貧乏人から金を巻き上げるような悪人というよりはむしろ――……

(っ!!)

 首を振って雑念を払う。
 体勢を低くし物陰に身を置きながら、腰に帯びていた細身のナイフを構える。
 何をしたのか知らないが、命を狙われるほど人に恨まれることをしたのは間違いない。 

(子供もろとも一緒に冥土へ送ってやる)

 静かに近寄ると女の白い首筋を狙ってナイフを振り上げた。その時、ふいに女が振り返る。

「ッ!?!?」

 突然現れた無法者の姿。女は驚きのあまり声が出ないのか口元を手で覆う。そのせいで持っていた子供を床に落としてしまった。

 ガタンッ

 ……それは思っていたより硬質な音。少年が目をやるとその姿に息を飲んだ。
 女が大切そうに胸に抱いていたのは子を摸した…木の人形だったのだ。
 一目でそうだとわかるものを、いい歳をした大人があやすものなのか?
 言いようのない違和感は不気味な悪寒を背筋に走らせ、本能的に二三歩後ずさりする。

「ああ…神様……!!」

 蝋燭の火を淡く反射する彼女の瞳が大きく見開く。結婚の印である指輪をはめた左手が伸びてくる。
 そして戸惑う少年に両腕を広げたかと思うと力いっぱい抱きしめた。

「やっと帰ってきたのね……!アデル!アデル…!私の可愛い子!」
「っ!?」

 首にあたる熱い息。女は泣いていた。
 今までいた場所には無かった香りがする。
 この身体に触れるのは、傷つけようとする情無き力ばかりだったが……この女の腕は力強くも柔らかい。
 思わずたじろいだ。

「こんなに大きくなって……!お母様はあなたのことをずっとずっと心配していたのよ。嗚呼…、なんて賢そうな瞳。きっとお父様に連れられてお勉強をしていたのね。なんて良い子なの!」

 黒髪を何度も撫で、頬に優しくキスをした。

「!!」

 油断させるつもりなのかとも考えたが、肌に落ちた女の涙が、抱きしめるその腕の感触が、決してそうではないと言っている。

「どうしたの?あなたのお母様よ?忘れてしまったわけじゃないでしょう?『お母様』って言って頂戴。ね?お願いよ」

 この女に会ったことは無い。勿論拒んだが、何度も何度もせがまれる。
 口にしたことのない言葉に胸の鼓動が激しくなり、女の表情をじいっと見つめた。 

「どうしたの?そんな顔して……」
「――……」

 大層な家に住んでいるというのに、女の肌のきめは悪く、目の周りは病的に落ちくぼんでいる。一瞬目を背けたくなるような風貌だが、それでも微笑む瞳は春のように優しかった。

(この瞳…見たことがある……)

 ふと見た店先で、道の脇で、家の前で、奉公していた屋敷の中で…生活をしていればごく自然に目にする『母親』の表情。それは自分には縁遠いものだったが、何故か瞼に残り時々夢の中で蘇る。
 それが今…確かにこの目の前に。

「アデル、お願い。母様は貴方のこと心から愛しているの。お願い。『母様』と呼んで頂戴」
「……」

 自分と同じ青い瞳と黒い髪を持った女。自分の母親もこんな感じだったのだろうか?
 大きな不安と小さな小さな期待を抱き……唇を動かした。

 刹那、喜びに溢れた笑顔を浮かべてた女は身体を抱きしめる。知らない感触だ。
 どうして良いかわからず頭が混乱する。
 手からナイフが落ち、そこではっと我に返った。

 ―――自分は彼女を殺しにきたのだ。

 しかし身体は全く別の行動を起こしていた。
 閉じられていた窓を開き、『今すぐ逃げろ!』と声を上げていたのだ。
 女は意味がわからない様子で笑う。 

「ふふっ元気なのね。でも今夜は遅いわ。おでかけは明日にしましょ?父様もきっともうすぐ帰ってくるわ。明日はゆっくりできると思うし……」

  廊下に出ると仲間に見つかってしまうかもしれない。立て付けの悪くなっていた窓に手をかける。風雨にさらされて枠が膨張しているようだ。それでも力を込めると少しずつ動き、人一人がやっと通れる程度にまでなった。
 裾の長いドレスを着た彼女でも乗り越えやすいように、子供用のイスを窓のすぐ下に置く。 

「早くここから逃げろ…!あいつが来る前に……!」
「あらあら、危ないでしょ。こっちへいらっしゃい。お腹はすいてない?温かいミルクをつくってあげるわ」

  女は暖炉の前へと誘い、少年の背を優しくさする。

 その時、扉が動いた。

 立っていたは物音に気がついた屋敷の使用人…ではなく、仲間の男。
 女を見るやいなや、手にしていた剣を振りかざす。
 女はとっさに少年を背に隠した。 

「待……っ」

 伸びた手の先で白刃が一直線に走った。
 女の膝がガタンと床板を鳴らすと身体はそのまま床に崩れ落ちる。
 まだ温かい血が赤い花弁のようにゆっくりと開いていった。

「――……」
「へへっ、女相手に何びびってやがる。抵抗でもされたのか?ニ階には火をつけておいた。広がる前に行くぞ!」

 口角をあげた男はそう言うと、女のために開けた窓から外へと出ていった。
 ――後から聞いた話だが、彼女は元々市街地の中心部に大きな屋敷を持つ伯爵夫人だったらしい。しかし子供を事故で亡くし心を病んでしまったそうだ。

 実家は狂った彼女を拒んだ。一番の味方であるはずの夫は彼女を守ることもなく、人目のつかない町はずれにあるこの屋敷に追いやった。そして自分は新しく若い女性と暮らし始めたらしい。

 この国は重婚を認めていない。
 仕事の依頼主は、妻が邪魔になった夫だった。

 まだ子供だった自分はしばらく何も手につかず、ただ遠い空を眺める日々を過ごしていた。
 あの夜のことが夢ではないのだと、右手の中にある数枚の金貨が言っている。


 ――『あの時、もし助け出せていたら…』


 過去に「もしも」は存在しないが、時々ふとそんなことを考える。
 助け出せたとしても、あの女の子供を蘇らすことは出来ない。自身を「子供だ」と偽ることも出来ない。結果を考えたらこれで良かったのかもしれない。

 手の中の数枚の金貨は無機質で、どれだけ光が反射しても美しいと思わなかった。

(世界とは…こんなものか……) 

  高貴な者も、卑しい者も、飢えた者も、与える者も、全てが希薄……。
 どこかで信じていた世界は、今まで見てきた通りのあっけないもので作られていた。







 目を覚ますとそこは見知らぬ部屋。
 何処かのベッドで寝かされているのだろう、柔らかい布団の上にいるのはすぐにわかった。
 天井の板はシンプルだが角までしっかりと作られている。視線を動かすと、壁には本が詰められた古い本棚に、質素で品の良い家具が揃えられていた。

 まだ夢の興奮から冷めやらぬ手が小さく震えて汗を握っている。時々起こるが、時間はかかっても収まらなかったことはないので放っておいた。
 よく見ると手首にはリボンが結ばれていて、『ここは安全』と書かれている。

「……」

 胸に誰かの腕が置かれている。まだ半開きの蒼い瞳が右肩に額をつけて眠る人物を見た。

「っ!?」

  ポルト=ツィックラー、あの王子の従者だ。
 ……兵士というには貧弱な腕をしている。もう忘却の彼方にあったような記憶を夢に見たのは、こいつせいだろう。

 それにしても浴室で戦った後、この腕で自分を担いできたということなのか?こんな貧弱な奴でも軍人は軍人ということか。

 浴場では油断をしてしまったが、完全に寝入っている今なら楽に仕留められる。
 白い首元に手を掛けたが、その腕に包帯が巻かれていることに気がついた。昨日の戦いで傷を負ったのだろう、その箇所が治療してあった。 

 小さく耳に届いたのは床板を踏みしめる音。止まるのと同時にドアがノックされた。

「……?」

 返事をする前にゆっくりと開き始めた扉、その後ろから顔を出したのは一人の老人だった。
 年齢は六十を過ぎた頃、華美ではないが良い身なりをしている。何処かの貴族かもしれない。
 老人は起きている青年の姿を見ると目尻を下げた。 

「やぁ、おはよう。そろそろ目を覚ます頃だと思ったよ」
「……」
「私はガジン=リーベント、王室付きの医師だ。今は謹慎中だがね。そこで寝てるポルトは私の元患者で、ちょっとした友人って所かな。君のことはポルトから聞いておるよ。ダーナー殿の新しい従者、マティアス=カールトンだね。よろしく」
「………」

 夜中に突然家のドアを叩く音がしたかと思ったら、見知らぬ男を担いだポルトがヨロヨロとしながら「彼を診て下さい」と訪ねてきたそうだ。
 ポルトには以前助手に医術書を渡して貰った借りもある。快く受け入れた。

「まぁ、診てみたら君には頬の傷以外目立った怪我はない。むしろポルトの頭に出来たたんこぶの方が痛そうだった位だ。全く浴場で喧嘩だなんて、何をしていたのやら……。それで、腕と頬以外に痛むところはあるかい?」
「……」

 小さく首を振る。
 ポルトはこの医者になんと説明をしたのだろう。彼の様子を見ると全てを話したというわけではないようだが……。
 ちらりとポルトを見ると、まだ眠っている。

「しばらくは君一人で寝かせていたんだけど、酷くうなされ始めてね。ポルトが側にいると言い出したんだ。随分恐い夢を見ていたんだろう。あ、そうだ。簡単なものしかないが、食事を持ってきた。もしお腹がすいているなら食べなさい 」
「……… 」
「はははっ、大丈夫大丈夫。変なものなんて入っとらんよ。今日の夕飯の残りだ。ダーナー邸で出てくるほど美味しくはないだろうが、これもなかなかイケる」

 小さなトレイをテーブルの上に置く。そこにはパンと湯気の立つスープ、よく焼かれた野菜が乗せられていた。野菜は自分で育てたものだそうだ。

「あとこれもあげよう」 
「?」
「効くかどうかはわからないが…傷の薬だ。古傷でも、ものによっては痕が薄くなる。一日一回、寝る前に塗ると良い。ポルトにもあげたんだよ」

 カールトンは手渡された陶器の瓶を見る。

「……不躾なことを聞くようで悪いんだが、君はポルトと…その…どんな関係なんだい?恋人とは思わないが友人というには少しぎこちない感じがしてね」

 青年は口を閉ざしたまま、目線も向けず何も語ろうとはしない。 

「ポルトが君を城の医務室でなくここへ連れて来た理由も少し気になってな。ま、言いたくなければいい。暇な年寄りの余計な想像だから気にしないでおくれ」
「………」
「 もうすぐ朝の鐘が鳴る。もう少し休んで行きなさい。あと……」
「?」
「ポルトに変なことをしないでおくれよ?この子は殿下のお気に入りだ」

 小さく眉間にシワを寄せたカールトンにガジンは笑う。

「私ももう少し休ませてもらうかな。久しぶりに新しい患者と話が出来て楽しかった。それじゃ、おやすみ」

 そういって老人は部屋を出ていった。
 視線の先には料理が置かれたまま。とりあえずテーブルに座り、スープに口をつけてみたが特に不味いとも美味いとも感じない。

 いつもと同じ、水と砂の味しかしなかった。

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