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第十九話 「静かなる怒り」

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 今さっきまで腰に携えていたはずの宝剣。
 それがいつの間にか敵の手に渡っており、ヴァイスはひどく混乱した。
 やがてはっと我に返り、指を差して叫びを上げる。

「い、いったいいつの間にっ!? 貴様どうやって――!?」

 黒衣の少年はおどけたように返した。

「さーて、どうやったんでしょうかねぇ」

 次いでヴァイスを挑発でもするように、宝剣を手の上で弄ぶ。
 それにどれほどの価値が含まれているかもわかっていない様子に、ヴァイスの怒りはさらに増していった。

「こ、この、忌々しき盗人がぁ……! 今すぐにそれを返せッ!」

 スキルによって強化された脚力で、一気に少年へと肉薄する。
 すかさず奪い返すように宝剣に手を伸ばすが、少年はすべてが見えているかのように、ヴァイスの魔手を軽く躱した。
 タンッタンッとステップするようにヴァイスから距離をとり、今一度宝剣に目を移す。

「ま、僕個人としては、別にこんな物まったくほしくはないんだけど、依頼だから仕方ないんだよ」

 そして宝剣を懐に仕舞って、パンッと手を叩いた。

「さてと、これでその依頼も達成できたわけだけど……」

「に、逃げるのか貴様!? ”私の”宝剣を返せ!」

 少年がこの場からいなくなる気配を察し、ヴァイスは制止の声を掛ける。
 対して少年は”私の”という言葉を聞いて、密かに眉を動かした。
 僅かにフードを傾けて顔に翳りを作る。

「そう、このまま逃げても別にいいんだけど……なんでだろうな」

「……?」

「なんか不思議と、まだ全然帰る気になれないんだよな」

 少年は静かな声を零す。
 それを聞いたヴァイスはますます首を傾げ、同時に怒りも燃やした。

「な、何をわけのわからないことを言っている! 貴様が持っているそれは領主の証なんだぞ! 価値もわからぬ盗人ごときに触れていい権利などありはしない! 領主は私で、それは私の物であ――!」

 瞬間、少年の姿がパッと消えた。
 ヴァイスは驚きに目を見張る。
 すかさず視線を泳がせて少年の姿を探してみるが……
 見つけるより早く、左頬に傷みを感じた。

「うぐっ!」

 ヴァイスは先刻の少年の動きをトレースするように後方へと飛んでいく。
 料理の乗ったテーブルを蹴散らして地面に倒れると、頬を拭いながら体を起こした。
 目の前にはいつの間にか、拳を振り抜いた体勢で止まる少年が立っていた。
 遅れて”殴られた”のだと気付いたヴァイスは、掠れた声で叫ぶ。

「ぬ、盗人ごときが、いったい誰の頬を殴ったかわかって――!」

「そんなの知らないし興味もないよ。僕はただムカついた奴をぶっ飛ばしただけだ」

 いまだに顔はマスクに隠れているが、それでもその奥に怒りらしきものを確かに感じた。
 そしてヴァイスは今さらながら、少年が帰る気になれないと言った理由を悟る。
 こうして自分を殴るために、彼は帰ることができなかったのだ。
 何かしら自分に怒りを覚えて、宝剣を盗るだけでは収まらないと考えたのだろう。
 人知れずそうと悟っていると、不意に少年が言葉を零した。

「確かにこれで僕は正真正銘の盗人だ。誰かに説教できる立場でもないし、正義を振りかざすこともできない。でもな……」

 これだけは言っておくと言わんばかりに、少年は声を張り上げた。

「一生懸命な人をバカにしたり、笑ったりするのは絶対に許さない! それは僕だけじゃなく、他のみんなだってそうだ! これだけはよく覚えておけ!」

「……」

 ヴァイスは目を丸くして驚愕する。
 これを言うためだけに、少年はここに留まったのだ。
 そしてわざわざ姿を見せて、こっそり盗み出すことをしなかったのだ。
 少年が口にした言葉の意味を、ヴァイスはしばし理解することができなかった。
 だが、倒れたワイングラスを見て、ふと思い出す。
 先刻まで衛兵たちにしていた愚兄の話。
 もし奴がこの話を聞いて、怒りを覚えたのだとしたなら、説明がついてしまう。
 一生懸命な人をバカにしたり笑ったりするのは許さない。盗人風情が何をほざいているのか、といつものヴァイスならそう返していたことだろう。
 だが、殴られた衝撃と、盗みを働きながら相反する言動をする少年に違和感を覚えて、何も言葉が出てこなかった。
 そうして固まっていると、不意に少年はこちらに背中を見せ、短く別れの挨拶を飛ばしてきた。

「じゃあな」

 空気に溶け込むようにして姿を消してしまう。
 その光景に驚きを覚える余裕もなく、ヴァイスはただ食堂の床に座り込んでいた。



――――――――――



「あぁ~あ、ホントの泥棒になっちゃったなぁ」

 馬車に揺られながら、僕は掲げた宝剣を見つめてそう零す。
 これを見る度にそう思わされて、屋敷から逃げた後も度々言い知れぬ気持ちにさせてくれた。
 するとその様子を傍らから眺めていたリスカが、苦笑しながら言った。

「まあ、窃盗クエストを設定されてしまったので、仕方がないことなんじゃないんですか」

「うん、まあ、それもそうなんだけどね」

 しかしそれにしても現実味がない。
 これで僕は完全な泥棒になってしまったわけだ。
 犯罪ごとの少ない田舎に住んでいて、犯罪者は遠い存在だと思っていたんだけど。
 まさか自分がその犯罪者の仲間入りをしてしまうとは。
 僕は今一度宝剣に目を向けて、力なくぼやいた。

「これを盗ってこなかったら多額の罰金を払わされることになるし、闇クエストから逃げたら最悪殺されるかもしれないし、本当に仕方がないことだったんだよな。……って、そうやって心の中で言い訳とかしちゃってるから、なんだか複雑な気分なんだよなぁ」

「あ、あはは……」

 こちらの覇気のない様子に、リスカの苦笑は続く。
 それも仕方のないことだと思いながら、不意に僕は言葉を紡いだ。

「でもまあ……」

「……?」

「複雑な気分って言う割に、別にそこまで”悪い”気分じゃないんだよなぁ。正真正銘の泥棒になったっていうのにさ」

 そう言うと、リスカは僕を見る目を丸くした。
 自分でもおかしなことを言っているとは自覚している。
 泥棒になったっていうのに、そこまで悪い気分じゃないなんて、まるで根っからの犯罪者みたいな感想だ。
 でも事実、宝剣を盗み出したことに対して、そこまで悪い気分になっているわけではない。
 少なからずの罪悪感は確かにあるが、頭を抱えて悩むほどの気持ちにはなっていないのである。
 もしかしたらこれが、クロムさんが言っていたことの本当の意味なのかもしれない。

「僕に見合った依頼……か」

 ふと彼女が言っていたことを思い出す。
 もしクロムさんが今回の件のすべてを承知していて、その上で僕にこの闇クエストを設定したのだとしたら……
 僕に見合った依頼というのも、悔しながら理解できてしまう。
 しかしそれはあまりにも考えすぎかな、と無理矢理に思考を打ち切り、僕は今さらながらリスカにお礼を言った。

「そういえば遅くなっちゃったけど、リスカも手伝ってくれてありがとね。囮役なんて大変なことを任せちゃって」

「いえいえ、別にあれくらいはどうってことないですよ」

 リスカは笑顔で応えてくれる。
 対して僕も笑みを浮かべて、おどけた感じで感謝を示した。

「今度何か美味しいものでも奢るね」

「ほほう、それは楽しみにしておきます」

 僕の闇ギルドでの初依頼は、こんな形で幕を閉じた。
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