上 下
19 / 35

第十九話 「静かなる怒り」

しおりを挟む
 
 今さっきまで腰に携えていたはずの宝剣。
 それがいつの間にか敵の手に渡っており、ヴァイスはひどく混乱した。
 やがてはっと我に返り、指を差して叫びを上げる。

「い、いったいいつの間にっ!? 貴様どうやって――!?」

 黒衣の少年はおどけたように返した。

「さーて、どうやったんでしょうかねぇ」

 次いでヴァイスを挑発でもするように、宝剣を手の上で弄ぶ。
 それにどれほどの価値が含まれているかもわかっていない様子に、ヴァイスの怒りはさらに増していった。

「こ、この、忌々しき盗人がぁ……! 今すぐにそれを返せッ!」

 スキルによって強化された脚力で、一気に少年へと肉薄する。
 すかさず奪い返すように宝剣に手を伸ばすが、少年はすべてが見えているかのように、ヴァイスの魔手を軽く躱した。
 タンッタンッとステップするようにヴァイスから距離をとり、今一度宝剣に目を移す。

「ま、僕個人としては、別にこんな物まったくほしくはないんだけど、依頼だから仕方ないんだよ」

 そして宝剣を懐に仕舞って、パンッと手を叩いた。

「さてと、これでその依頼も達成できたわけだけど……」

「に、逃げるのか貴様!? ”私の”宝剣を返せ!」

 少年がこの場からいなくなる気配を察し、ヴァイスは制止の声を掛ける。
 対して少年は”私の”という言葉を聞いて、密かに眉を動かした。
 僅かにフードを傾けて顔に翳りを作る。

「そう、このまま逃げても別にいいんだけど……なんでだろうな」

「……?」

「なんか不思議と、まだ全然帰る気になれないんだよな」

 少年は静かな声を零す。
 それを聞いたヴァイスはますます首を傾げ、同時に怒りも燃やした。

「な、何をわけのわからないことを言っている! 貴様が持っているそれは領主の証なんだぞ! 価値もわからぬ盗人ごときに触れていい権利などありはしない! 領主は私で、それは私の物であ――!」

 瞬間、少年の姿がパッと消えた。
 ヴァイスは驚きに目を見張る。
 すかさず視線を泳がせて少年の姿を探してみるが……
 見つけるより早く、左頬に傷みを感じた。

「うぐっ!」

 ヴァイスは先刻の少年の動きをトレースするように後方へと飛んでいく。
 料理の乗ったテーブルを蹴散らして地面に倒れると、頬を拭いながら体を起こした。
 目の前にはいつの間にか、拳を振り抜いた体勢で止まる少年が立っていた。
 遅れて”殴られた”のだと気付いたヴァイスは、掠れた声で叫ぶ。

「ぬ、盗人ごときが、いったい誰の頬を殴ったかわかって――!」

「そんなの知らないし興味もないよ。僕はただムカついた奴をぶっ飛ばしただけだ」

 いまだに顔はマスクに隠れているが、それでもその奥に怒りらしきものを確かに感じた。
 そしてヴァイスは今さらながら、少年が帰る気になれないと言った理由を悟る。
 こうして自分を殴るために、彼は帰ることができなかったのだ。
 何かしら自分に怒りを覚えて、宝剣を盗るだけでは収まらないと考えたのだろう。
 人知れずそうと悟っていると、不意に少年が言葉を零した。

「確かにこれで僕は正真正銘の盗人だ。誰かに説教できる立場でもないし、正義を振りかざすこともできない。でもな……」

 これだけは言っておくと言わんばかりに、少年は声を張り上げた。

「一生懸命な人をバカにしたり、笑ったりするのは絶対に許さない! それは僕だけじゃなく、他のみんなだってそうだ! これだけはよく覚えておけ!」

「……」

 ヴァイスは目を丸くして驚愕する。
 これを言うためだけに、少年はここに留まったのだ。
 そしてわざわざ姿を見せて、こっそり盗み出すことをしなかったのだ。
 少年が口にした言葉の意味を、ヴァイスはしばし理解することができなかった。
 だが、倒れたワイングラスを見て、ふと思い出す。
 先刻まで衛兵たちにしていた愚兄の話。
 もし奴がこの話を聞いて、怒りを覚えたのだとしたなら、説明がついてしまう。
 一生懸命な人をバカにしたり笑ったりするのは許さない。盗人風情が何をほざいているのか、といつものヴァイスならそう返していたことだろう。
 だが、殴られた衝撃と、盗みを働きながら相反する言動をする少年に違和感を覚えて、何も言葉が出てこなかった。
 そうして固まっていると、不意に少年はこちらに背中を見せ、短く別れの挨拶を飛ばしてきた。

「じゃあな」

 空気に溶け込むようにして姿を消してしまう。
 その光景に驚きを覚える余裕もなく、ヴァイスはただ食堂の床に座り込んでいた。



――――――――――



「あぁ~あ、ホントの泥棒になっちゃったなぁ」

 馬車に揺られながら、僕は掲げた宝剣を見つめてそう零す。
 これを見る度にそう思わされて、屋敷から逃げた後も度々言い知れぬ気持ちにさせてくれた。
 するとその様子を傍らから眺めていたリスカが、苦笑しながら言った。

「まあ、窃盗クエストを設定されてしまったので、仕方がないことなんじゃないんですか」

「うん、まあ、それもそうなんだけどね」

 しかしそれにしても現実味がない。
 これで僕は完全な泥棒になってしまったわけだ。
 犯罪ごとの少ない田舎に住んでいて、犯罪者は遠い存在だと思っていたんだけど。
 まさか自分がその犯罪者の仲間入りをしてしまうとは。
 僕は今一度宝剣に目を向けて、力なくぼやいた。

「これを盗ってこなかったら多額の罰金を払わされることになるし、闇クエストから逃げたら最悪殺されるかもしれないし、本当に仕方がないことだったんだよな。……って、そうやって心の中で言い訳とかしちゃってるから、なんだか複雑な気分なんだよなぁ」

「あ、あはは……」

 こちらの覇気のない様子に、リスカの苦笑は続く。
 それも仕方のないことだと思いながら、不意に僕は言葉を紡いだ。

「でもまあ……」

「……?」

「複雑な気分って言う割に、別にそこまで”悪い”気分じゃないんだよなぁ。正真正銘の泥棒になったっていうのにさ」

 そう言うと、リスカは僕を見る目を丸くした。
 自分でもおかしなことを言っているとは自覚している。
 泥棒になったっていうのに、そこまで悪い気分じゃないなんて、まるで根っからの犯罪者みたいな感想だ。
 でも事実、宝剣を盗み出したことに対して、そこまで悪い気分になっているわけではない。
 少なからずの罪悪感は確かにあるが、頭を抱えて悩むほどの気持ちにはなっていないのである。
 もしかしたらこれが、クロムさんが言っていたことの本当の意味なのかもしれない。

「僕に見合った依頼……か」

 ふと彼女が言っていたことを思い出す。
 もしクロムさんが今回の件のすべてを承知していて、その上で僕にこの闇クエストを設定したのだとしたら……
 僕に見合った依頼というのも、悔しながら理解できてしまう。
 しかしそれはあまりにも考えすぎかな、と無理矢理に思考を打ち切り、僕は今さらながらリスカにお礼を言った。

「そういえば遅くなっちゃったけど、リスカも手伝ってくれてありがとね。囮役なんて大変なことを任せちゃって」

「いえいえ、別にあれくらいはどうってことないですよ」

 リスカは笑顔で応えてくれる。
 対して僕も笑みを浮かべて、おどけた感じで感謝を示した。

「今度何か美味しいものでも奢るね」

「ほほう、それは楽しみにしておきます」

 僕の闇ギルドでの初依頼は、こんな形で幕を閉じた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄と領地追放?分かりました、わたしがいなくなった後はせいぜい頑張ってくださいな

カド
ファンタジー
生活の基本から領地経営まで、ほぼ全てを魔石の力に頼ってる世界 魔石の浄化には三日三晩の時間が必要で、この領地ではそれを全部貴族令嬢の主人公が一人でこなしていた 「で、そのわたしを婚約破棄で領地追放なんですね? それじゃ出ていくから、せいぜいこれからは魔石も頑張って作ってくださいね!」 小さい頃から搾取され続けてきた主人公は 追放=自由と気付く 塔から出た途端、暴走する力に悩まされながらも、幼い時にもらった助言を元に中央の大教会へと向かう 一方で愛玩され続けてきた妹は、今まで通り好きなだけ魔石を使用していくが…… ◇◇◇ 親による虐待、明確なきょうだい間での差別の描写があります (『嫌なら読むな』ではなく、『辛い気持ちになりそうな方は無理せず、もし読んで下さる場合はお気をつけて……!』の意味です) ◇◇◇ ようやく一区切りへの目処がついてきました 拙いお話ですがお付き合いいただければ幸いです

大器晩成エンチャンター~Sランク冒険者パーティから追放されてしまったが、追放後の成長度合いが凄くて世界最強になる

遠野紫
ファンタジー
「な、なんでだよ……今まで一緒に頑張って来たろ……?」 「頑張って来たのは俺たちだよ……お前はお荷物だ。サザン、お前にはパーティから抜けてもらう」 S級冒険者パーティのエンチャンターであるサザンは或る時、パーティリーダーから追放を言い渡されてしまう。 村の仲良し四人で結成したパーティだったが、サザンだけはなぜか実力が伸びなかったのだ。他のメンバーに追いつくために日々努力を重ねたサザンだったが結局報われることは無く追放されてしまった。 しかしサザンはレアスキル『大器晩成』を持っていたため、ある時突然その強さが解放されたのだった。 とてつもない成長率を手にしたサザンの最強エンチャンターへの道が今始まる。

転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】

ゼクト
ファンタジー
ファンタジー大賞に応募中です。 ぜひ投票お願いします ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった 【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。 累計400万ポイント突破しました。 応援ありがとうございます。】 ツイッター始めました→ゼクト  @VEUu26CiB0OpjtL

治療院の聖者様 ~パーティーを追放されたけど、俺は治療院の仕事で忙しいので今さら戻ってこいと言われてももう遅いです~

大山 たろう
ファンタジー
「ロード、君はこのパーティーに相応しくない」  唐突に主人公:ロードはパーティーを追放された。  そして生計を立てるために、ロードは治療院で働くことになった。 「なんで無詠唱でそれだけの回復ができるの!」 「これぐらいできないと怒鳴られましたから......」  一方、ロードが追放されたパーティーは、だんだんと崩壊していくのだった。  これは、一人の少年が幸せを送り、幸せを探す話である。 ※小説家になろう様でも連載しております。 2021/02/12日、完結しました。

【完結】【勇者】の称号が無かった美少年は王宮を追放されたのでのんびり異世界を謳歌する

雪雪ノ雪
ファンタジー
ある日、突然学校にいた人全員が【勇者】として召喚された。 その召喚に巻き込まれた少年柊茜は、1人だけ【勇者】の称号がなかった。 代わりにあったのは【ラグナロク】という【固有exスキル】。 それを見た柊茜は 「あー....このスキルのせいで【勇者】の称号がなかったのかー。まぁ、ス・ラ・イ・厶・に【勇者】って称号とか合わないからなぁ…」 【勇者】の称号が無かった柊茜は、王宮を追放されてしまう。 追放されてしまった柊茜は、特に慌てる事もなくのんびり異世界を謳歌する..........たぶん….... 主人公は男の娘です 基本主人公が自分を表す時は「私」と表現します

王子は婚約破棄をし、令嬢は自害したそうです。

七辻ゆゆ
ファンタジー
「アリシア・レッドライア! おまえとの婚約を破棄する!」 公爵令嬢アリシアは王子の言葉に微笑んだ。「殿下、美しい夢をありがとうございました」そして己の胸にナイフを突き立てた。 血に染まったパーティ会場は、王子にとって一生忘れられない景色となった。冤罪によって婚約者を自害させた愚王として生きていくことになる。

『殺す』スキルを授かったけど使えなかったので追放されました。お願いなので静かに暮らさせてください。

晴行
ファンタジー
 ぼっち高校生、冷泉刹華(れいぜい=せつか)は突然クラスごと異世界への召喚に巻き込まれる。スキル付与の儀式で物騒な名前のスキルを授かるも、試したところ大した能力ではないと判明。いじめをするようなクラスメイトに「ビビらせんな」と邪険にされ、そして聖女に「スキル使えないならいらないからどっか行け」と拷問されわずかな金やアイテムすら与えられずに放り出され、着の身着のままで異世界をさまよう羽目になる。しかし路頭に迷う彼はまだ気がついていなかった。自らのスキルのあまりのチートさゆえ、世界のすべてを『殺す』権利を手に入れてしまったことを。不思議なことに自然と集まってくる可愛い女の子たちを襲う、残酷な運命を『殺し』、理不尽に偉ぶった奴らや強大な敵、クラスメイト達を蚊を払うようにあしらう。おかしいな、俺は独りで静かに暮らしたいだけなんだがと思いながら――。

天才女薬学者 聖徳晴子の異世界転生

西洋司
ファンタジー
妙齢の薬学者 聖徳晴子(せいとく・はるこ)は、絶世の美貌の持ち主だ。 彼女は思考の並列化作業を得意とする、いわゆる天才。 精力的にフィールドワークをこなし、ついにエリクサーの開発間際というところで、放火で殺されてしまった。 晴子は、権力者達から、その地位を脅かす存在、「敵」と見做されてしまったのだ。 死後、晴子は天界で女神様からこう提案された。 「あなたは生前7人分の活躍をしましたので、異世界行きのチケットが7枚もあるんですよ。もしよろしければ、一度に使い切ってみては如何ですか?」 晴子はその提案を受け容れ、異世界へと旅立った。

処理中です...