駄目×最高

春待ち木陰

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第02話

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 翔吾のツーランホームランにより、劇的な大逆転勝利で幕を閉じた「最後の試合」の帰り道、「すげかった」「かっけかった」「サイコーだった」と興奮の冷めやらぬ一年生達の中で一人だけ、一ノ瀬夏純は無言のまま、不機嫌そうに下唇を押し曲げていた。

「何だ。どうした?」

 夏純の様子に気が付いた三年生の三浦一太郎が気安く声を掛ける。

「あ。いや」と、よりにもよって三浦一太郎に気遣われてしまった夏純は、

「すみません」

 本当に申し訳なさそうな顔をして応えた。

 一ノ瀬夏純は入部をしてから野球を始めた初心者で、そんな初心者の相手をよくしてくれていたのが三年生の三浦一太郎だった。

 三浦は小学校の低学年からと野球歴こそ長かったが、その実力は控えめで、性格の方もまた、良く言えば穏やかで、悪く言えば闘争心に欠けていた。

 本来なら、すぐ上の二年生を飛び越えて最上級生の三年生が野球初心者な新入部員の相手をする事などありえないのであろうが、三浦の面倒見の良さは部内に知れ渡ってしまっており、冗談や軽口の一つとして悪気なく「マネージャー」呼ばわりをされてしまう事もあるくらいで、誰も「三年生の手を煩わせるな」と新入部員を咎めたりはせず、三浦に代わって夏純の相手をしてやろうというような二年生や一年生が現れなかった事からも分かるように、夏純と三浦の交流を不自然と感じていた人間はこの野球部に一人も居ないようであった。

 またその控えめな実力のお陰か、三浦が自身の練習を多少、疎かにしてしまっていたとしても、コーチやら顧問やら他の三年生達やらから何か、せっつかれてしまうような事も無かった。

「ん? 本当にどうかしたのか?」

 三浦は、あまりにも神妙な様子に見えた夏純に改めて尋ねてみた。

「あの」と夏純は少しばかり口ごもりながら、

「今日の試合」

 ポツリ、ポツリと答える。

「大山先輩がホームランを打って、終わって」

「ああ。凄かったな。流石は翔吾だったな」

 三浦の何気ない相槌に、夏純は俯いてしまった。

 何だ。どうした。三浦は今度は、声には出さず、不思議と似合う大人びた困り顔でもって、夏純の様子を見守った。

 三浦が見ていた限りでは、あの時、ベンチで夏純も他の一年生達と同じように大はしゃぎをしていたように思えたが、言われてみれば、その後、翔吾が戻ってきた際には他の一年生達と一緒の輪には入らず、遠巻きに翔吾の事を眺めていたような気もしてきた。

「自分も、ああいうふうになりたい、でも、なれないよな。そんな感じか?」

 三浦は、俯いたままの夏純の事をあやすみたいな穏やかさで囁いた。すると、

「俺は」

 と夏純が勢い良く顔を上げてくれた。

「俺は三浦先輩みたいになりたいです。大山先輩じゃなくて」

 言いながら、また俯き始めてしまった夏純に、三浦は「おいおいおい」と、おどけた口調で応えた。

「自分で言う事でもないけど。俺、野球は下手クソだぞ。実際、レギュラー争いで二年の翔吾に余裕で負けてるわけだしな」

 それから、少しだけ真面目な顔をして、

「目標にするなら、簡単に届きそうなところでお手軽に済まさないで、頑張っても頑張っても手が届かないかもしれないくらい、高くしたほうが良いと思うぞ」

 三浦は言ってくれた。それでも、夏純は首を横に振る。

「大山先輩は、本当に凄い選手だと思いますけど。凄い選手だから、今日も試合を終わらせてしまいました」

 今日の試合は、三年生達にとって大事な「最後の試合」だった。

 その「最後の試合」に、十一人居る三年生の中でただ一人、三浦一太郎だけが一瞬たりとも出場させてもらえていなかった。スターティングメンバーの九人からは漏れてしまった者達も、代打やリリーフで一度はグラウンドの土を踏んでいたのに、今日の三年生方の中で一人だけ、三浦のユニフォームだけが最後まで真っ白なままだった。

「もう最後だからって。昨日だって、居残りでバッティング練習してたりしたじゃないですか。俺も少しは手伝える事があるかもって。一緒になって」

 三浦は、すぐに「あー」と口こそ開いたものの何を言えば良いのか、何と言えば良いのか、迷っているのか、考えているのか、それとも何か、とにかく、二の句が継げていなかった。

 そんな三浦の異変には気が付いていないまま、とつとつと夏純は続ける。

「大山先輩が悪いわけなんて、全然、ないんですけど。ただの言い掛かりなんですけど。もし、あの時、大山先輩がホームランなんて打たないで出塁だけしてたら、あの後、三浦先輩が代打で出られてたかもしれないじゃないですか」

「それは無理だろ」

 不意の即答だった。その声は予想外の方向から聞こえてきていた。三浦の声じゃない。

「大山先輩」

 夏純が振り返った先には、その声の主であろう大山翔吾が居た。

 先程の会話が陰口のように聞こえてしまっていただろうが、そうだったとしたら、ゴメンナサイ。夏純は無言のまま、さっと頭を下げたが、翔吾の方は怒っても笑ってもいない、普通の顔をしていた。

 夏純と三浦の二人の会話に急に口を挟んできた大山翔吾は、何かを言いたげながらも答えに困っていた様子の三浦に対して、助け舟を出してやったわけでもなく、大山先輩、大山先輩と妙に自分の名前が聞こえてきていたからという単純な理由で、深い考えなどは何も無く、ほとんど反射的に答えてしまっただけだった。

 ただ、翔吾の答え自体に嘘はなかった。いい加減でテキトウな答えをしたわけではなかった。

 そして、それは聞かされた側にも伝わっていたようで、翔吾の「即答」の言い方やその声色から、嘘とも冗談とも思えなかった夏純は、

「それは無理って。何でですか」

 下げていた頭を上げるや否や、本日も大活躍のヒーロー様に向かって、真っ正面から食って掛かってしまった。

「試合に出てたら、三浦先輩のせいで負けてたとか言うんですか。勝ち負けよりも大事な事が」

「足。折れてる奴が野球の試合になんか出られるわけねえだろ」

 興奮していた夏純とは対照的な気の抜けた顔と声とで翔吾は答えた。

「え? 足?」と目を丸くした夏純に、

「足の『指』な。歩けないような大袈裟な怪我じゃない」

 三浦は観念をしたみたいな苦笑い顔で白状をしてみせた。

 三浦一太郎としては、翔吾がこれ以上、何か余計な事を言い重ねるよりも前に、早いところ、こんな話は終わらせてしまいたいところだったが、

「でも。昨日、俺と一緒に練習してたし」

「んで。今日の朝の段階で医者の診断付きで『折れてる』って事は、その練習で折ったんじゃねえの。夜に折ってたら、朝の集合に間に合ってないか、まだ、病院に行けてないだろ。救急搬送されるような怪我でもねえし。まあ、想像だけどな」

 三浦の懸念を、翔吾が現実のものとしてしまう。

 翔吾が口にした「想像」は正解だった。勉強は苦手らしい翔吾だったか、直感は鋭いというのか、勘が良過ぎるというのか、ただ、それを口にする事で聞かされた側がどう思うのかまではまるで考えられていないところが、実に大山翔吾らしかった。

「翔吾。変に気を遣わせないように、試合に出る予定の三年とスタメンだったお前には伝えて、逆にベンチの一年、二年には伝えないでおこうって話しただろう」

 咎めるというよりは、たしなめるように三浦は言ったが、

「もう試合は終わったんだから影響はねえッスよ」

 翔吾には、そもそもの意図が伝わっていなかったようだった。三浦は息を吐く。

「あの。三浦先輩。足、昨日の練習で怪我をしたんですか」

 おずおずとではあったが、はっきりと尋ねてきた夏純に、

「だな」

 嘘はつけない。三浦は小さく頷いた。

「あのときですか」

 さっと夏純の顔色が青白くなる。血の気が引くとは、この事か。

 昨日、居残りでしていた打撃練習中に三浦が自打球を受けて、うずくまるという事があった。夏純のほうったボールを三浦が力一杯に打ち損じた結果、打たれたボールが打った三浦自身の足先に当たったわけなのだが、そんなものは打ち損じた三浦の責任だ。ボールを放っただけの夏純には何の責任も無い。少なくとも三浦本人は完全にそう考えていた。

 デッドボールではなかった。夏純が下手な放り方をしたわけでもなかった。

 三浦が勝手に怪我をしたのだ。夏純は何も悪くない。が、三浦の思う一ノ瀬夏純の性格上、どう言って聞かせようとも、夏純は気にしてしまうだろうと思った。そんな必要など全く無いのに、重く受け止めてしまうだろうと思った。

 それならば、いっその事、怪我も何も知らせない方が良いのではないかと三浦なりに考えたのだ。それを今更、

「この怪我は俺の責任で、お前のせいじゃない。何も気にするな」

 等と言ってみたところで、

「じゃあ、どうして、黙ってたんですか。怪我の原因が俺だって事を隠す為に、俺を庇って」

 となるに違いない。

 三浦一太郎の気遣いは、何だか裏目に出てしまったようだった。難しいもんだな、と三浦は感じ入る。やっぱり、和泉光助のように上手くは出来ないか。

 光助のように上手くは出来ないが、

「まあ、聞けよ。正直、今日の試合に出られなかったのは残念だったけどな。一昨日までは、これで野球はオシマイだって思ってたのにさ、今日、試合に出られなくて、野球が出来なくて、ああ、また、野球がしたいなって、俺は野球を辞めたくないんだなって事に気付けたからな。下手だろうが何だろうが俺は野球が好きなんだなって事を再確認させてもらえたんだ。むしろ、感謝だよ。俺はまだ野球を続けられる。仮に今日、試合に出られてたら、きっと、燃え尽きたつもりになって、野球を辞めて、多分、後悔してたと思うよ」

 三浦なりに素直な気持ちを率直に伝える事は出来たのではないだろうか。

「俺は野球をまだまだ続けるから。お前も頑張れよ。来年には、今の翔吾みたいに、二年生でレギュラーになってやるってくらいの気持ちでな」

「無理だろ。フツウに考えて」と冷静に呟かれた大山翔吾の独り言は無視をして、いや、その独り言さえも踏まえた上でか、

「俺、やっぱり、三浦先輩みたいになりたいですッ」

 夏純は真っ直ぐに三浦の目を見て、言い切った。そこにはもう、おずおずとした血色の悪い少年は居なくなっていた。

「マネージャー志望か」

 またしても呟いてくれた翔吾をきっと睨み付けながら夏純は、出来る事ならば本当にこの男からレギュラーの座を奪ってやりたいと奥歯を強く噛み締めた。

「俺、頑張りますから。三浦先輩も頑張ってください」

 奥歯を強く噛みながら、変な口調で夏純はうそぶく。

「俺、ゼッタイに大山先輩なんかよりも上手くなって、痛ッ」

 その途中で、翔吾のデカい拳が夏純の左頬を強く撫でた。

「なにすんですかッ」

「あ? 今のは俺は悪くないだろう」

「ヒトを殴っておいて、何が悪くないんですか」

「お前な、先輩を睨むな。先輩を『なんか』とか言うな」

「そ、そんな事で急に殴ってくる先輩なんて睨まれて当然なんですよ。大山先輩なんて、大山先輩なんかですよッ。痛いッ」

 夏純と翔吾の遣り取りを、三浦は驚きの表情で見守っていた。

 後輩を殴る翔吾を見るのは珍しくなかったが、三浦が止めに入ったり、効果は薄いながらも一応はたしなめたりするよりも先に、翔吾に対してしっかりと文句を言った後輩を見たのは、これが初めての事かもしれなかった。三浦は、

「案外、本当に」

 遠くを見るように、もしくは眩しがるみたいに、その目を細めた。
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