駄目×最高

春待ち木陰

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第01話

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 蝉の鳴き声のやかましい真夏の真昼、燦々さんさんと陽の降り注ぐ中、日陰のヒの字も見当たらない広く乾いたグラウンドでは、いかにも野球部同士らしい元気一杯な試合が繰り広げられていた。

 甲子園は勿論、地区大会にも何にも繋がってはおらず、勝とうが負けようが、それっきり、この一試合のみで完結している小さな小さな今大会ではあったが、これは、ただの練習試合などでは決して、なかった。

 毎年、この時期、この二校で行われ続けている、彼らの学校にとっては伝統的な一戦であり、何よりも、三年生達にとってはこの野球部、この仲間達で行える最後の試合でもあった。

 そんな「最後の試合」の最終回、ツーアウト・ランナー三塁という場面でバッターボックスに立っていたのは二年生の大山翔吾だった。翔吾は、この試合に出場している唯一の二年生であった。

 一塁側のベンチは、さっきまでの大声援が嘘だったみたいに静まり返っていた。先輩の三年生方、同学年の二年生達、後輩の一年生共、翔吾のチームメートは皆、息を呑むように黙りこくって、翔吾の一挙一動に注目していた。

 一球目、見逃しのボール。チームメートは息を吐く。

 二球目、空振りのストライク。三年生方が唸る。

 三球目、見逃しのストライク。一年生共は祈り始めた。

 状況は、最終回のツーアウトである。翔吾がここでアウトになれば「最後の試合」は終了であった。現在、翔吾達のチームは負けていた。点差はたったの一点ではあったが、確かに負けていた。都合良く、翔吾がホームランでも打ってくれたなら大逆転勝利だが、贅沢は言わない。アウトにさえならずに出塁してくれれば、負けるにしてもネクストバッターズサークルで待つ三年生で試合を終える事が出来る。一年生共の祈りは、そんな消極的なものが多かった。

「空振っちまえとか思ってる?」

 祈る一年生と一年生の間に、ひょっこりと顔だけを出した和泉光助が静かに囁いた。この光助は二年生で現在は野球部の副主将を務めており、この部活動のシステム上、事件か事故でも無い限りは次期の主将と決まっているようなものでもあった。

「むしろ、強烈なデッドボールを頭に喰らって死ねとか」

「え?」と驚いて、「いや、あの」と困っている一年生達の様子は完全に無視をして、光助は、わざとらしいほどに真剣な声色で重々しく囁き続けた。

「確かに翔吾は嫌な奴だよ。自分勝手で自己中心的で暴力的だ。『え? もしかして、ジャイアンのモデルとなった方ですか?』てなもんだ。人間としては最低の部類に入る。特に後輩、年下から見た大山翔吾は酷いもんだろう。立場的に逆らえないってのに『逆らわないって事は文句が無いんだな』って理解するような男だからな。日常的に多大な被害を被り続けているであろうお前ら一年生が、試合中の事故でアイツが逝くように願うくらいは、まあ、仕方がない事だろうよ。いや、当然の行為だ。フツウ。フツウ」

「そんな事」と否定の言葉を口にしながら、自分らの背後に位置していた光助に振り返ろうとした一年生の頭を片手で押さえて、

「人間としては最低だ。それは間違いない。でも」

 光助は断言をしてみせた。

「野球選手としては最高なんだ。それも間違いない」

 光助が言い終えるよりも少しだけ早く、カーンッと何とも気持ちの良過ぎる音が鳴り響いた。

 光助の手に押さえられて、振り返る事が出来ず、半ば強制的にバッターボックス上の翔吾を見続けさせられていた一年生が「わッ」と小さく叫んで立ち上がる。

「嘘だろ」

「凄え」

「マジか」

 どよめき始める一年生達を尻目に、三年生の一人が噛み締めるみたいに呟いた。

「入った」

 翔吾の打ったボールがセンター方向のフェンスをぎりぎりで越えたのだ。ホームランだ。

 その直後、

「ナイバッチーッ!」

 光助が大きく叫んだ。野球部的「ナイスバッティング」の口語だ。

 それを皮切りに「うおーッ」「凄えーッ」「ナイバッチーッ」とベンチ内の全員が一斉に大声を上げ始める。一年生、二年生、三年生の関係無く、皆が翔吾のホームランに大興奮をしていた。

 最終回のツーアウトで打順の回ってくる巡り合わせ、その状況でツーストライクから強振が出来る胆力と本当にホームランを放ってしまえる剛力が大山翔吾にはあった。

 そして、そういった選手には味方の沈みかかった空気や雰囲気や弱腰となってしまっている意識といった、不確かで不定形なものを、根こそぎ、ポジティブに変える事が出来てしまえる力強い魅力があった。安心感とでも言うのだろうか。それこそが光助の言うところの「最高の野球選手」の本質でもあった。

「ふふん」と得意げにダイヤモンドを一周して、ベンチ付近にまで帰ってきた翔吾は、

「凄えッス。凄えッス。凄えッス」

「ナイバッチッしたッ」

「翔吾先輩ッ」

 いつになく興奮した様子で、あまつさえ、まとわりついてくるように自分の事を取り囲んできた一年生共に「お、おお」と引き気味に驚いてしまった。

 翔吾にしても、三年、二年に出迎えられて、褒められ、喜ばれ、持ち上げられたりは、当然、するであろうと予想はしていて「さあ、褒めろ。讃えろ。さあ、さあ。お前ら。バッチ来い。俺様を良い気分にさせてやるぞ」といった心構えはあったのだが、まさか、一年生共がこんなふうに集まってくるとは思いもしていなかった。

 普段は、翔吾が呼ばなければ絶対に近付いては来ないような奴らだ。こちらから近付けば、逃げ出したいような顔をして背筋を伸ばすような奴らだ。何故だか知らないし知ろうとも思えないが、事実として、俺様の事を嫌いに嫌いまくっていた連中が、たったのホームラン一本でこれまでとは真逆の顔と態度とを見せてくるとは誰が思うだろうか。そもそもが、ホームランくらい、これまでにだって何本も、連中の前で打ってきている。今日に限って、

「センター柵越えって」

「マジで凄えッス」

「何なんですか。翔吾先輩って」

 この騒ぎだ。いや。「何なんですか」は、こちらの台詞だろう。本当に何なんだ、これは。意味が解らない。

「意味が解らない」?

 ああ、そうか。

 翔吾はピンときた。

「意味が解らない」とくれば、そういう事だ。

「和泉。またお前か。お前、また何かやったんだろう」

 訝しむというよりは呆れるみたいな表情で、翔吾は光助に声を掛けた。

 思い起こせば、入学当初や入部当初にも今と同じような事があった。それらのときの原因が和泉光助だった。当時、何をしたのかまでは知らないが、確かに、光助が何かをしたのだ。

「俺は別に」と光助は爽やかに微笑んだ。詐欺師みたいな顔だった。

「大山翔吾って野郎は自分勝手で自己中心的で暴力的で殺したいくらいに嫌な奴だよなって、ディスってただけで、お前が勝手にホームランなんか打つから、こんな事になったんだろ」

「あ?」と翔吾は片眉をひそめて、呟いた。

「意味が解らねえ」
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