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05 田沼さんの選択。
しおりを挟む田沼素子はぼっちである。
ぼっちに降りかかる試練のひとつに「二人組つくってー」があった。
それはおもに体育の授業等で頻出する難問である。
教師は気軽に「二人組」と口にするがクラスに友達が居ない田沼さんの辞書にそのような言葉は載っていないのだ。
「ふたり……ぐみ……?」
と当初はその言葉の意味さえ田沼さんには理解が出来なかった。いや、日本語としては分かる。「二人の組」だ。それは分かるが解らないとでも言おうか。
田沼さんの脳みそが理解を拒絶したのだ。思考を鈍らせる。
ただ幸い田沼さんのクラスの女子の数は2で割り切れる偶数名であり、田沼さんのクラスと合同で体育の授業を受けている隣のクラスの女子の人数も偶数であった。
田沼さんが本当に最後の一人として取り残されてしまうことはないのだ。
田沼さんの他にも必ず誰か一人は残るのだから。
余り者同士で否応なしに組まされることに関しては、
(私でごめんなさい。残り物に福が無くてごめんなさい。)
という気持ちが強すぎて余ったという事を屈辱的だとか恥ずかしいだとかと考える心の余裕はなかった。
「田沼さん!」
ネガティブに陥りかけていた田沼さんに大きな声がかけられる。
「え……?」と田沼さんが振り向くよりも早く、
「田沼さん、ひとり? 二人組の相手は居ないの?」
彼女は言った。元気な声だった。明るい笑顔だった。
「……はい」
と素直に田沼さんは頷いた。
田沼さんは声をかけてきてくれた彼女に敵意や警戒心のような感情を少しも抱かなかった。それは田沼さんが鈍感であったせいではなくて、
「じゃあ。私と組になろう!」
彼女に悪意が全く無かったからだろう。
田沼さんは鈍感どころかむしろ敏感に彼女の厚意を察していた。
「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」
「どういたしまして! こちらこそよろしく!」
彼女の名前は飯場ひと花。男の子みたいなベリーショートの黒髪が特徴的なクラスメイトだった。ついでに言えば飯場ひと花は体育委員でもあった。
そんな初日以降、体育の授業で「二人組つくってー」と言われるたびに必ず、飯場ひと花が「田沼さん!」と声をかけてくれて「ありがとうございます」と田沼さんは飯場ひと花に二人組の相手となってもらっていた。
しかし。田沼さんと飯場ひと花は友達にはなれていなかった。
飯場ひと花との交流は体育の時間だけ――どころか二人組で準備運動をしたりする間だけというあっさりとした関係だった。
二人組が解消されればその体育の時間内でも特に話したりはしない。
田沼さんは飯場ひと花の事を、
(いいひとだなあ。)
と思っていた。
(友達でもないのに気を遣ってくれる。飯場さんはいいひとだ。)
でも、
(友達ではないから。約束もしてるわけじゃないから。今日は声をかけてくれないかもしれない。ううん。「かけてくれないかも」じゃない。「かけてくれない」のが普通で。もしも声をかけてくれたならそれは奇跡的幸運なんだ。)
体育の時間のたび田沼さんはまるで自分に言い聞かせるみたいに考えていた。
ならば田沼さんの方から飯場ひと花に声をかければ良いではないか――それは正論のようにも聞こえるが、
(先手必勝とか「攻撃は最大の防御」とか孫ちゃん先生も言っていたけど。元気で明るくていいひとの飯場さんだから「私と組になろう!」が「先手」の「攻撃」になるわけで。運動音痴で真っ暗でダメなひとの私なんかが「組になってください」って先に言ってもそれには旨味が何もない、いわば攻撃力がゼロの一撃だから「え? なんで?」って簡単に防がれちゃう。全然「攻撃」になってない。)
田沼さんにとっては机上の空論でしかなった。
(ううん。ちゃんと防いでくれるならまだいい方で。飯場さんはいいひとだから私に「組になってください」って言われたら本当は嫌だと思っても「いいよ」って言ってくれちゃうかもしれない。それは困る。いいひとの飯場さんに嫌な思いをさせてまで組になってもらうわけにはいかない。いままでの恩を仇で返すことになる。)
田沼さんが思うには飯場いち花の「私と組になろう!」はメリットしかないが田沼さんの「組になってください」はデメリットしかないから、自分から声をかけにいくことはできないということだった。
相手を飯場いち花に限った話ではない。
(体育の参加人数は偶数。最終的にあぶれた一人が私というババを引き受けることになるんだから。ババの方から個人を選ぶ必要はないよね。サイアクの結果はまだ出ていない途中でババを押し付けられるよりも人事は尽くしたいものだものね。)
引っ込み思案だとか勇気が足りないだとか積極性に欠けるだとかとはまた少し違う田沼さん一流の心の動きだった。
田沼さんにとって「田沼素子」と組をつくることは百害あって一利ないような完全なる「マイナス要素」だった。
だから自分から声をかけない。
更には「声をかけてほしいな」と求めるような視線も送らない。
送らないようにとは思っているがその感情は漏れ出れしまっているかもしれない。
だから田沼さんは飯場いち花の方を見ない。
「そういう目」で見ないのではなくて物理的に見ない。
飯場いち花を視界に入れない。
飯場いち花だけではない。
無意識におねだりをしてしまわないように田沼さんは誰とも目を合わせない。
そんなわけで、
「田沼さん!」
と声をかけられるたび
「え……?」
田沼さんは驚いたような顔をする。嬉しいよりも何よりもまずは驚いてしまう。
その後、声をかけてくれた飯場いち花の顔を見てわずかに緊張が緩む。田沼さんの自覚なく浮かんだかすかな笑みに(へへへ。)と飯場いち花も破顔する。
「いいひと」だと田沼さんに思われている飯場いち花だが正直な気持ち、初日に声をかけた際の田沼さんのそのかすかな笑みを見逃してしまっていたら二度目はなかったかもしれない。いや、どうかな。あったかもしれないけど。なかったかもしれない。
飯場いち花は「いいこと」をしようと思って田沼さんに声をかけているのではないのだ。
田沼さんがほっとした顔を見たくて。見ると自分もほっとするから。
言葉にするならそんな理由だ。ただそれだけであった。
飯場いち花は田沼さんが考えるよりももっとずっと単純な女だった。
――しかし。何故か本日の「二人組つくってー」で、
「田沼さん」
と田沼さんに声をかけてくれたのは、
「え……? ……大野さん?」
クラスに二人しか居ないギャルのうちの一人である大野悠だった。
「沢田が今日は風邪で休みでさー。あたし一人で困ってんだー。田沼さん組んでくれないかなー」
「え? え? え?」
(え? え? え?)
表でも裏でも。驚き慌てる田沼さん。けれどもその提案を断る理由はなかった。
相手の方からババを引き受けてくれるというのだから。
断る理由どころか断る権利が無いように田沼さんは感じていた。
(でも。)
「田沼さんていつもは飯場と組んでるけど」
田沼さんが思うことすら躊躇した言葉を大野悠は簡単に口にする。
「約束とかしてないんだったら」
約束はしていない。
仮にここで大野悠からの提案を断ったとしてもこの後、飯場いち花が田沼さんに声をかけてくれるかどうかはわからない。
いや「声をかけてくれない」のが当然なのだ。田沼さんはそう思っていたはずだ。
(でも。)
「一回くらいあたしと組んでみない?」
そう言った大野悠からもあの日の飯場いち花と同じく、田沼さんは悪意を全く感じ取れなかった。
(でも。)
深呼吸するみたいに息を深く吸い込んだ田沼さんが、
「……――」
開いた口から言葉が今まさに発せられるその寸前、
「田沼さん!」
聞き慣れてしまってはいけないその声が田沼さんの耳に届けられたのであった。
「ひとり? だったら私と組に――あれ?」
「残念。今日の田沼さんは一人じゃないのよね」
予想外の状況に驚きを隠せない飯場いち花と何故か強気な面持ちで挑発的な言葉を口にする大野悠が顔を合わせる。
続いて、
「田沼さん?」
「田沼さん」
と二人は揃って田沼さんのことを見た。
まるで唐突に訪れたモテ期のようだった。
「今日は大野さんと組むの?」
「そうそう。あたしと組もうよー」
「え……? あの……」
「大丈夫? 本当は困ってない?」
「困ってないよねー。てかそう言われることが困るよねー」
数多あるラブコメの主人公はどれもはたから見ていると「ケッ!」って感じだが、
「いえ……、ええと……」
当事者は本当にツラいのかもしれない。
田沼さんは今度、いままでよりも少しだけ優しい気持ちでラブコメ漫画を読む事ができるようになるかもしれなかった。
「田沼さん?」
「田沼さーん」
「あ……え、と……」と二人に追い詰められた田沼さんが下した結論は、
「そうだ。大野さんと飯場さんの二人で組になれば解決だ」
だった。
「え?」
「は?」
目を見交わした大野悠と飯場いち花が声を合わせる。
「「いやいやいやいやいや」」
大きく手を振る。首を振る。
そんな二人の言動を田沼さんは、
(大野さんも飯場さんもやっぱりいいひとだ。)
と捉えてしまっていた。
(二人が組んで私が余ることを気にしてくれてるんだ。)
自分と組むことはマイナス要素でありデメリットしかない。自分はババ抜きでいうところのババであると認識していた田沼さんとしては冗談でもとんちでも何でもなく本気で良い答えを考えついたと思い「大野さんと飯場さんの二人で」と提案していたのだった。
「あの。私の事は気にしないで大丈夫ですから。二人で組んでください」
「「いやいやいやいやいやいやいやいやいや」」
その後、体育の準備運動はイレギュラーながら三人一組でこなされた。
ドタバタとあんなことがあったから次回からは本当の本当に声をかけてもらえなくなるだろうと考えた田沼さんだったが、
「田沼さん!」
すぐ後日、その予想は簡単に外れてしまうのであった。
「奇跡」は続く。
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