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02 田沼さんは吸血鬼?

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 てくてくてく――ピタッ。

 田沼さんの足が止まった。

(……どうして?)

 教室から出ていた数分の間に、

「もー。サイアクじゃね?」

「マジウケる」

 田沼さんの席にクラスメイトの沢田恵が座っていた。

 占拠されていた。

 陣取られていた。

(なんで私の席に沢田さんが座ってるんだろう。……嫌がらせ? 沢田さんと揉めた覚えはないんだけど、でも、そう思ってるのは私の方だけで。私が無意識にしている言動で沢田さんが気分を害した可能性も。)

 単なる想像である。妄想と言ってもいい。それは田沼さんにもわかってはいたが、

(でも「人間が想像した事は必ず実現する」みたいな事を何人もの偉人さんが言ってるし。私程度の人間が想像できちゃう事は夢よりも現実にずっと近いというか。)

 陰キャな田沼さんはネガティブな出来事の原因を自身に求めがちであった。

(謝った方がいいよね。でも。何を謝ればいいんだろう。わからない。とんちんかんなことを謝ったら余計に怒らせちゃいそうだし。……ごめんなさい。わからないけどごめんなさい。わからなくてごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。)

 沢田恵の後頭部を凝視しながら田沼さんは心の中で平謝りをしていた。

 が当然、沢田恵には伝わらない。

 友達とのお喋りに夢中となっていた沢田恵は、自身の背後に田沼さんが佇んでいることにすら気が付いてなかった。

 沢田恵は田沼さんの椅子に座ってその後ろの席の大野悠と顔を突き合わせていた。

「ウケんなし!」

 沢田恵が言った。大きな声だった。言われた大野悠は意に介さずといった感じで、

「ギャハハッ」

 と大きく笑っていたが沢田恵の背後三歩ほどの位置で立ち尽くしていた田沼さんは全くの無関係で自分に向けられた言葉では無いとわかってはいるのに「目の前で唐突に怒声を上げられた」というだけのことで、

(ひぅッ!?)

 野生の小動物よろしくビクッと身をすぼめてより一層、硬く固まってしまった。

 沢田恵と大野悠はいわゆるギャルだった。

 茶髪でも金髪でもないカラーの髪の毛。つけまはばっちり。目尻もはっきり。涙袋もくっきり。ラメでキラキラ。鼻筋、鼻先、頬にもささっと。上唇は気持ち大きく、下唇は整える程度のギャル×ナチュラルの令和式メイク。制服のスカートもパンツが見えそうなくらい短いし、シャツの胸元もわざと広げてネックレスなんかを見せ付けていた。

 田沼さんとは真逆の二人だ。

 中学一年生のときに「なんかこわい」と美容院デビューをしそこねて未だに近所の理髪店で髪を切ってもらっている田沼さんは前髪ぱっつんのシンプルなロングヘアーだった。もちろん染髪もしていない。真っ黒髪だ。

「ずっとウチに通い続けてくれるのは嬉しいけど素子ちゃんも高校生になるんだし、他の子達みたいに美容院に行った方が……。うーん。わかった、わかった。もう言わないから。ありがとうね。僕としては素子ちゃんに来てもらえるのは凄く嬉しいよ。うん。お礼に今日は腕によりをかけて顔剃りさせて頂くよ。美容院では出来ないサービスだからね。ついでに眉も整えてあげちゃう」

 というわけで。プロの手によって眉毛だけは綺麗に整えられているも化粧っ気が皆無な田沼さんとしては、逆に眉だけがきちっと整えられている現状が気恥ずかしくて「あの、そこだけは長めで」とお願いした前髪で必死に眉毛を隠そうとしていた。

 それは、自宅では堂々としている田沼さんが人前となると途端に俯き加減となってしまう理由の一端でもあった。

 不意に、

「あ」

 大野悠が声を上げた。その目は沢田恵の背後に向けられていた。

「あ?」と沢田恵が大野悠の目線を追って振り返る。

 沢田恵の背後に突っ立っていた田沼さんと振り返った沢田恵の目と目がばっちりと合ってしまった。

 ノーメイクな丸い目とオトナ顔負けのバッチリ目が正面切って向かい合った結果、

「田沼さんじゃん」

「……ぅぃ」

 田沼さんはまともに返事をすることも目を逸らすことも出来ずにただただ固まってしまったのだった。

 心では連呼していた「ごめんなさい」の「ご」の字も出てこなかった。

 まるで蛇に睨まれた蛙状態だ。

 ついさっきまで野生の小動物だったのに今度は両生類になってしまった。

「なになになに。どしたの? あたしになんか用事?」

 テンション高めの沢田恵が広角を上げて「ん?」と田沼さんの瞳を覗き込む。

 非常に眩しい微笑みだった。

(沢田さんは太陽か。眩しすぎて灰になりそうだ。……嗚呼。私は暗闇でしか生きられない吸血鬼。お天道様に顔向けできない日々を過ごす者でございます。)

 素敵な人を目の当たりにしてしまうと自身の矮小さを自覚させられて自然と卑屈になってしまう田沼さんなのであった。

 しかし「小動物」から「両生類」ときたので次は昆虫かそれとも一足飛びに微生物かななどと思ったら「吸血鬼」とは。田沼さんはついに実在をやめてしまわれた。

「田沼さん? おーい。田沼さーん?」と灼熱の太陽が近付いてきていた。

 じりじりと田沼さんの身が焦げていくが最早、逃げられもしない。

 外見上は真顔のまま、

「…………」

 その内心では冷や汗をたっぷりとかいて田沼さんはフリーズしていた。

「ストップ。ストップ。沢田。止まれって」

 大野悠が沢田恵の襟首に指先を引っ掛けて田沼さんから引き離す。

「あんだよ。大野。邪魔すんなし」

 太陽の笑顔を曇らせて沢田恵が大野悠に抗議する。

「田沼さんが用事あんのはあんたじゃなくて。あんたの座ってる椅子だから」

 全てを察してくれているらしい大野悠が端的に物申してくれた。

「ん? 椅子?」

「そこ田沼さんの席だから」

「あー」

 大野悠の言葉に頷いた沢田恵はくるりとまた田沼さんに振り向いて、

「勝手に借りちゃってごめんね。半分こしよっか」

 椅子にお尻を付けたままガバッと大股を広げてみせた。

 太ももと太ももの間に座面の茶色が顔を覗かせる。

「いや全部返せや」という大野悠の言葉は完全にスルーされていた。

「え?」

 田沼さんは呟いた。

「ほらほら。座って。座って。遠慮しなさんな」

 沢田恵が田沼さんの手を取って引っ張る。引っ張る。

「やめなさい」という大野悠の言葉は再びの完全スルーであった。

 田沼さんは考える。

(なになになになに。どういうこと。どうすればいいの。私が沢田さんの股の間に座るの? ママと幼子みたいに? いやいやいやいや。恐れ多い。怖い。怖い。怖い。でも。断ったら断ったで私が沢田さんに喧嘩を売ってる感じになっちゃわないかな。「あんたと一緒の椅子になんか座れないわよ!」的な。えー。どうしよう。どうしよう。どうしよう。というか本当に座ってもいいものなの? 沢田さんの言葉を真に受けて座った瞬間に「マジで座ってんじゃねーよ。冗談だよ。わかれよ」って冷たい視線に刺されない? どうする。どうする。どうするの。この間0.05秒でもないのに沢田さんはずっと股を広げ続けてるし。私が座るまでずっとそうしてるの? パンツが見えそうだよ。私のせいで沢田さんのパンツが! 私のせいで。言わば私が沢田さんのスカートをめくりあげているような状況になってない? 私は同性に痴漢する痴女なのか。「痴漢」の「漢」は「男」って意味だった気もするけどでもカッコイイ女性の事を「漢だ」って褒めることもあるし「漢」は性別を超えた単語だから「痴漢する痴女」も日本語としては間違ってないかもしれないけど待って「痴漢」の「漢」はどう考えても褒め言葉としての「漢」じゃなくてやっぱり「男」って意味で使われてる漢字だと思うから「痴漢する痴女」は言葉として矛盾してるんじゃないかしらん。)

 田沼さんは混乱していた。

 明らかに考えすぎであった。色々な意味で。

 しまいにはボカンと大爆発、もしくは煙がモクモクモクとばかりに思考がショートしてしまった田沼さんは(…………。)と何も考えられなくなってしまった。

 魂が抜け落ちたお人形状態の田沼さんは、

「ほらほらおいで」

 と沢田恵に促されるままちょこんと本当に彼女の股の間に腰を下ろしてしまった。

 背筋を伸ばしてお行儀良く。膝と膝は合わせて。重ねた両手を下腹部に添える。

「やだカワイイ」

 大野悠の呟きは安定のスルー。

 田沼さんは二人羽織でもされるかのように沢田恵の正面に背中を向けてその椅子に座っていた。田沼さんのお尻が沢田恵の太ももと太ももにサンドされている。

「う……うぅ……」

 田沼さんの耳許で沢田恵が唸っていたが、田沼さんに反応は無かった。

 その不穏な唸り声は田沼さんの耳にこそ入ってはいたものの田沼さんの脳にまでは届いていなかったのだ。

 田沼さんの脳みそは先程のショートの影響でまだまだ休止中であった。

「……もう無理っ!」

 耳許で叫ばれた。

(――ッ!?)

 田沼さんの脳みそがショック療法的に再起動させられる。

「なに……」と振り返ろうとした田沼さんの白い首筋に――はぐっと沢田恵の犬歯が浅く突き立てられた。

「ぎゃーッ!?」

 と田沼さんは半ば反射的に悲鳴を上げてしまった。

(本物の吸血鬼は沢田さんでした。私ごときがおこがましくも「吸血鬼」を自称したから。太陽の光が平気どころか太陽と一体化された吸血鬼神の沢田さんがお怒りになられてしまった。申し訳ございません。ワタクシなど所詮は物語の冒頭でお別れの雑魚キャラです。噛ませ犬にも足りない。高貴な吸血鬼様の餌にございますゆえ。)

 田沼さんは、

(ばたんきゅー……。)

 と「言い残す」ならぬ「思い残して」まぶたを閉じた。

「うーわ。なにやってんのよ。沢田。ヤバ。それはさすがに引くわー。無いわー」

「ちょっ。ちがっ。あたしはただちょこっと田沼さんをモフってみようとしただけ。急に田沼さんが振り向くから。たまたま首に当たっちゃっただけで」

 ぎゃーぎゃーといつも以上ににぎやかなギャル二人の遣り取りを遠くに聞きながら田沼さんは深い深い闇の中へと旅立っていってしまったのであった。


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