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10(終)

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「聞いてんのっ? ちょっとっ」

 興奮のためか、いつにも増して高い声が私の耳許で鳴っていた。

「少し、ウルサイ」

 私は手に持っていた箸で、目の前にあった加奈子の唇の上と下との両方をいっぺんに力強く挟んでやった。

「なにすんのよ」

 けれども加奈子は、少しも怯む事なく。簡単にその箸を振り払うと、手の甲で一度だけ唇を拭い、すぐにまた杉本の話題を再開させようとした。

「もう、うるさいってば。どうでもいいでしょう、私の事なんだから」

 加奈子に遠慮はいらない。私は思い切り、不機嫌な顔をしてやった。

「どうでもよくない」

 私に負けじと加奈子もまた表情を歪ませる。

「なんでよ」

「だって、親友だもん」

 真顔でそう言ってのける加奈子に、私は、深く深く、溜め息を吐いた。それしか、出来なかった。

「で。その『親友』サンは、貴重な昼休みにわざわざ、お小言をのたまいに、別のクラスにまで、てくてくと、来てくださいましたわけですか」

 私は、大真面目な顔の加奈子から机の上の弁当へと視線を移しながらで言ってやった。弁当の中身はまだ半分も減っていない。

「だけじゃ、ないよ」

 すると加奈子は、それまでとは打って変わって、声のトーンを抑えめに言った。

「伝言」

 が私の方はこれといって態度を改めるつもりもなく。まだ半分以上も中身の残っている弁当にぼんやりと目と心とを奪われたままでいた。

 そんな私を見てだろう、加奈子は先に念を押してきた。

「ちゃんと、聞いてね」

 その声は、真剣過ぎる声だった。加奈子には似合わない。その声色は他人が絡まなければ聞く事の出来ない声だった。

 私は手に持っていた箸を置き。顔を上げて、加奈子の顔を見た。

「ん」

 私の返事を合図に、加奈子は言った。

「『アリガトウ』、『サヨナラ』」

 真剣な顔をして、真剣な声で言った。

「そ」

 小さく漏らした私の、胸は鳴っていた。

(大丈夫。わかってる。)

 加奈子の声だけれど、加奈子の言葉じゃあない。頭では、理解出来ているのに。

 私は、ほんの少しの唾液ごと無理矢理に息を一つ、呑み込んだ。気を、取り直す。

 その伝言はすぐに杉本からだとは分かったが。その伝言の意味はまるで掴めなかった。

「杉本君にお返しの伝言は?」

「ない」

 私は即答した。加奈子は何も言わなかった。

「じゃ、伝えたよ」

 それだけを言い残して。私の目の前から離れていこうとする加奈子を、私は、

「七宮加奈子!」

 気が付けば、呼び止めてしまっていた。

「なになに?」

 と、おどけた調子で振り返った加奈子は、すっかり、いつもの加奈子だった。

 私は、加奈子の顔を見た。目を見つめた。

「んー」

 私は今、加奈子に、何を、言わせようとしていたのだろうか。

(どうか、してる。)

 私は弁当箱のすぐ隣に肘を付き、顔の横に立てたてのひらをゆらゆらと揺らして、誤魔化した。『バイバイ』、だ。

「なにそれぇー」

 あはは、と笑った加奈子は、

「またねんっ――」

 私を真似たつもりだったのだろうか、言った。

「――葉山香菜子っ!」

 大きく腕を振りながら、加奈子は教室から出ていった。

 用事の済んだ加奈子は、当たり前の事だけれど、一度もこちらに振り返ったりは、しなかった。



 食べかけの弁当を、鞄の中にしまい込む。それから、黒板の上にある丸い形の掛け時計を見た。

 どこか遠くでにぎやかなクラスメートたちから顔を背けるみたいにして、私は窓の外へと視線を流した。

 飽きっぽい私はやっぱり、まだまだ子供なのかもしれない。

 子供は壊したオモチャの事などはもう壊した事を最後にすっきりと忘れしまうものなのだ。

 杉本の『告白』は、私がそうさせたのだ。第三者の加奈子に泣いて難癖をつけておいて『アリガトウ』? そこからなにを期待していたんだか。そもそも加奈子に伝言を託すだなんて、逆効果もいいところだろうに――などと、私が杉本で笑う事ももうなかった。

(やっぱり、わかんないや。)

 青空の下。校庭の沿いに並べられ、吹かれる風に折られる事なく、例えば銃口からのぼる硝煙のように消え入る事もなく、ただただ枝先を揺らしているだけの木々。

 そんな窓の外を眺めながら、

(名前なんて、あるのかな。)

 いつものように、のんびりと。私は考えていた。



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