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12「病める時も健やかなる時も――」

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 テルマお姉さまは凛とされていて格好良くて、とても優しい方だった。クラウディウスは半年前からずっとテルマェイチを大好きだとは思っていたが昨日今日でもっともっと大好きになってしまった。

 アムレート公爵家の養子となった半年前からクラウディウスはずっと怯えていた。不安だった。アムレート公爵家の方々は皆、良い方々ばかりだった。誰も誰かを殴らない。誰も誰かの食べ物を盗まない。誰も怒鳴らず、誰も泣いてはいなかった。

 一日に三度も食べ物がもらえる。飲みたいときに水が飲める。その家の中は冬でも暖かい。アムレート公爵邸はまるで「神の教え」の中に登場する「天の国」みたいな場所だった。

 だけども。だからこそ。クラウディウスは不安だった。「本当の自分」を知られてしまったら、それこそ「天の国」から「地の獄」へと落とされるかもしれない。

 ――ううん。今ある「しあわせ」を取り上げられてしまう事が怖いのではなくて。

「バレたら『地の獄』に落とされるかも」くらい重い罪を隠し持っているという事、今は優しい皆が本当は――「本当のクラウディウス」には優しくなんてしてくれないかもしれないと不安に思う、つまりは優しい彼らを疑ってしまっているという自分の罪の深さが怖かった。

 本当の自分。本当のクラウディウス。育ての親である教会の神父さまが言うには、クラウディウスの体は成長が遅かった。現に十二歳を過ぎてもまだオチンチンは取れていなかった。それはとても珍しい事なのだという。神父さまも他の大人の方も皆、クラウディウスの体の事は無闇に他人に言ってはいけないと教えてくれていた。

 だが実際にはクラウディウスが公爵家にやってきたその日のうちにすぐ、体の事はキルテンにバレてしまった。クラウディウス専属のメイドだという彼女には着替えの手伝いから入浴の手伝いまでしてもらわなければいけないらしく、クラウディウスも多少の抵抗は試みたものの貴族の令嬢を脱がし慣れているというキルテンに対しては何の意味も為さずに剥かれてしまった。裸を見られた――が、しかし。「プロフェッショナル」を自称した彼女は「クラウディウス様を淑女に仕立てるのが私の仕事ですので」とクラウディウスの体を笑ったりや気味悪がったり、珍しがったりすらもせずにクラウディウスを「アムレート公爵令嬢(妹)」として扱ってくれたのだった。

 あれから半年が経った今では専属メイドのキルテンはクラウディウスにとって最も信頼の出来る人物の一人だった。大好きだ。

 そんなキルテンに「まあ。良い機会ではないかと」と背中を押された事もあって、昨夜はテルマからのお誘いを受けた。一緒に風呂に入る事になった。

 そして。クラウディウスの体を見たテルマェイチは気を失った。

 キルテンに「湯あたり」だと言われて一時は飲み込もうともしたがやっぱり、どう考えてもテルマはクラウディウスの体を見て驚いて、驚き過ぎて倒れてしまったのだとしか思えなくなってしまった。

 自分の「罪」のせいでお姉さまは倒れてしまった。

 ごめんなさい。ごめんなさい。思うだけじゃなくてちゃんと謝りたかった。

 次の日の朝。クラウディウスは早く早く謝りたくて――それも嘘ではないけれど、本当の本当は早く確かめて「楽」になりたくて。押し潰されそうなこの不安から解放されたくて。テルマの部屋の前にまで行ってしまった。

 もしかしたら。本当にテルマお姉さまは「湯あたり」だったのかもしれない。

 もしくは突然だったから。昨日はクラウディウスの体に驚き過ぎてしまったけれど今日からはまた昨日の夜までと同じように接してくれるかもしれない。まるで何事も無かったかのように。

 でも。きっと。そうはならない。分かっている。知っている。

 クラウディウスの「本当の自分」は「大きな罪」だった。

 クラウディウスの――いや。クロウの「大罪」を知った人間は皆、変わる。

 姉の部屋のまだ開かないドアの前。クラウディウスは寒さに耐えるようにぎゅっと自身を抱き締める。もう痛くなんてないはずの腕に腹に顔に頭に熱がこもる。

 そして。ドアは開き。閉じた。

 ほら。こうなった。分かっていた。知っていた。クラウディウスの予想は当たってしまった。涙をこらえる。

「あれ? お姉さま? お忘れ物ですか?」

 大きく口を開ける。

「えっ? なんですかっ? お姉さまっ?」

 元気な声を出す。

「あ、あのっ。お先に食堂でっ、お待ちしてますっ」

 笑え。笑え。笑え。笑え。笑え。

 これで「しあわせ」は終わるが、わたしにはかなしく感じる権利など無いのだ。

 それはわたしには与えられるはずのなかった「しあわせ」だったのだ。

 理不尽に奪われたのではなくて。間違って与えられていたものがきちんと取り上げられただけなのだ。はじめからわたしの「しあわせ」ではなかった。

 はじめからわたしのものではなかったものを正当に取り上げられてかなしむなんておかしい。これで当然。これが正解。さっきまでが「ラッキー」だったのだ。

 むしろ不正に「しあわせ」を頂いていた事を謝罪しなければいけない立場だ。

 朝食の時間。食堂にて。クラウディウスは何を言われても泣かないと決めていた。そんな権利は無いから。泣くわけにはいかなかった。

 しかし「姉」の口から出た言葉は、

「クラウディウスには申し訳ないけれども試験で少しだけ手を抜いてもらって、今後の実技はわたくしと一緒に中の上ランクの授業に参加しましょう」

 だった。

 涙がこぼれた。

 テルマはぎょっとした。クラウディウスの涙を誤解した。

「ふ、不正は駄目よね。そうよね。ええ。分かってるわ。ごめんなさい。わたくしはクラウディウスと一緒の授業が受けられたら良いなあと思っただけなのよ。大丈夫。泣くほど嫌がる事をやらせたりしないわ。大丈夫よ。どうか泣き止んで」

「いいえ。いいえ。いいえ、お姉さま。これは嬉し涙です。わたしはしあわせです。わたしもお姉さまと一緒に授業が受けたいです」

「しあわせだなんて……そ、そんな大仰なお話では……。うう、胸が痛みますわね」

 はじめてだった。

 神父さま方のように何も見なかった、何も無かった事にされるわけでもなく。キルテンのように全く気にされなかったわけでもなく。気を失うほどに驚かれて、ドアも固く閉じられたのに。そこからまた寄り添ってくれるヒトなんて。

 ――同じ馬車に乗っても良いの?

 本当に? わたしの体……「本当のわたし」は、気味が悪くは無いですか?

 我慢していますか?

 我慢してくれるのですか?

 わたしのせいで体調が悪くなるなら、わたしが治します。

 わたし、魔力治療は得意なんです。

 手を握らせて下さい。

 柔らかい。細い指。つるりとした。痛くない。怖くない。お姉さまの手。

 もう離したくない。離せない。

「クラウディウスはわたくしの妹――ただの『妹』でございます」

 嗚呼。お姉さま。

 わたし、クラウディウスはお姉さまの妹です。お姉さま。お姉さま。お姉さま。


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