婚約破棄の裏事情

夕鈴

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番外編

おまけ 第一王子

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第一王子の趣味はお忍びである。
王家の象徴の金髪を隠してしまえば王族とはわからない。
外見をごまかしても仕草も性格もは変わらず、平民らしさのカケラもない態度はどこかの貴族のお遊びだと民達は思っている。空気の読める民も臣下も敢えて口に出さない。

いつもなら第一王子は広場で子供達と遊んでいたが今日のお忍び場所は違った。
教会に王族が訪問すると知った民達が、王族を一目見ようと集まっており、第一王子は賑わう民の中に紛れていた。

王家の紋章入りの馬車の到着に民達がさらに盛り上がる。
馬車から第一妃が降り、後ろにカローナ続く。第一妃の一歩後を歩き、手を振る民達に上品な笑みを浮かべ綺麗な礼をして教会の中に足を進めた。民達は美しい妃と初めて見る愛らしい少女に興奮して盛り上がる。5歳のカローナの初めての視察は王族として教会に祈りを捧げる作法の披露だった。妃教育の一貫のため第一王子の付き添いは許されず、当分は母と共に視察に回ると聞いたが、幼い婚約者が心配で様子を見るために足を運んだ。第一王子が付き添い面倒を見たいという願いはカローナの教育不足を理由に断られた。社交デビューをしていない幼いカローナに公に公務は任せられないとは第一妃は息子に教えるつもりはなかった。

「殿下、ご立派ですね」
「あやつはなんでもこなすからのぅ」

第一王子の話し方は偉大な前王である祖父を真似ていたので、外見に似合っていないが誰も指摘しない。
第一王子は教会の中の様子は見れないが、民に微笑みかけ礼をして無事に馬車に乗り込む姿を見届けたので侍従と共に王宮に戻った。
侍従は勉強に忙しくあまり会えない婚約者に第一王子が偶然を装い会いに行く姿を微笑ましく見守っていた。

****

3人の王子は仲が悪い。
公式行事以外では、顔を合わさせないように日頃から第一王子の侍従は気をつけている。第一王子とともに書庫から本を借り第一王子の部屋に向かっていると運悪く第二王子と顔を合わせる。

「これは兄上、今更そのようなものを」

第一王子は視線を向けずに通り過ぎようとしたが第二王子の言葉に足を止め視線を向ける。
第二王子は第一王子の持つ本を見て、兄にだけ見えるようにバカにするような笑みを浮かべる。手にしていたのは第二王子がすでに読み終えた歴史の本。第一王子よりも第二王子の方が教育は進んでいた。

「なにが、言いたい」
「言葉にしないとわかりませんか?」

声を荒げる第一王子と静かに言葉返す第二王子との口論が始まる。
第一王子の侍従は二人の口論を止められる人物を3人しか知らず、慌てて適任者を探しに足を早めて立ち去る。第二王子の側近は楽しそうに二人のやりとりを眺めているのであてにならない。
第二妃主催のお茶会が開かれているサロンに入り、侍従が礼をすると探し人のカローナと目が合う。侍従が深く頭を下げるとカローナは微笑む。

「第二妃殿下、楽しい席をありがとうございました。誠に勝手ながら中座をお許しください」
「構いません。忙しいのに呼び出してごめんなさい」
「いえ、妃殿下のご招待を受けられ光栄でした」
「また招待状を送りましょう。どうぞ。お行きなさい」
「ありがとうございます。失礼いたします」

カローナは綺麗な礼を披露してゆっくり立ち上がる。カローナは中座した自分の無礼に批難がはじまるのがわかり、心の中で隣に座っていた妹に迷惑をかけてごめんと謝りながら侍従に近づく。良識ある侍従が茶会にまで呼びにくるなら緊急の第一王子関連とは考えなくてもわかっていた。内輪の茶会での評判を気にしている場合でないことも。

「カローナ様、申しわけありません」
「構いません。気にしないでくださいませ」

侍従は微笑むカローナに状況を説明しながら足早に案内する。
王子の喧嘩を防げなかったとカローナは申しわけない顔で謝罪する侍従に微笑みかける。目の前には今にも剣を抜きそうな不機嫌な第一王子と笑顔で挑発している第二王子が口論をしていた。カローナは大事になる前に自分を呼び出した侍従にむしろ感謝した。
冷静な第二王子が第一王子にだけは挑発するのも、短気な第一王子が流せないのもカローナは良く知っている。
第二王子は第一王子の教育の遅れや欠点を指摘するのは日常茶飯事。しかも周囲には嫌味とわからない言い回しで第二王子は第一王子を怒らせるのが上手かった。カローナはそんな優秀さはいらないと思いながら、優秀と囁かれる第二王子の最大の欠点と思っていても不敬なので口に出さない。
カローナは二人に近づき息を吸って、いつもより少し大きい声出す。

「恐れながら第二王子殿下、誤解でございます。第一王子殿下は私に付き合ってくださっております。第一王子殿下の貴重なお時間を私がお借りするのをお許しくださいませ」

頭を下げたカローナに王子達は口論をやめ、視線を向ける。

「カローナ、こやつに頭を下げるな。そなた、なぜここに」
「お守りも大変だねぇ」
「は!?」
「殿下、そろそろご予定が。先生がお待ちですわ。許されるなら私もご一緒させてください」

カローナが頭を下げて第一王子の批難すべき所は全て自分の所為と言えば第二王子が追及しない。聡明な第二王子は幼いカローナを批難して立場を悪くするようなことはないと知っていた。第一王子の教育が第二王子より遅れているのは幼いカローナに足並みを合せてくれると主張する。言い訳には無理があるとわかっても、なぜか周りが信じるのでカローナは笑顔の圧力で押し通す。
第一王子は頭を上げたカローナに微笑まれ不機嫌を隠さずに踵を返す。カローナは第二王子に礼をして第一王子の後を追いかける。
第二王子は幼い婚約者に嗜められる兄を見て申しわけない顔を作りカローナの背中を見つめる。第一王子が喧嘩をやめて立ち去ったのはカローナを自分に近づけたくないと気付かないカローナに心の中で笑う。
第二王子は第一王子にいつも喧嘩を仕掛け、不仲を家臣達に見せつける。
第一王子は短気で喧嘩を買うが決して自分から喧嘩を売らない、第ニ王子に負けるなと母親に厳しく言われていても第一王子は、ほぼ会わない弟には無関心だった。ただ会うたびに第二王子が挑発するので次第に嫌悪を抱く。そして性格の悪い弟を大事な婚約者に近づけたくなかった。
第二王子は国王の期待する兄弟で仲良く国を治めるのは嫌だった。
第二王子は一人で全てを動かしたい。そして不仲に見せれば王位争いが起り、周囲も様々な思惑を持って動き出し、それらを思い通りに動かすのも楽しかった。王位争いは第二王子にとっては大事な遊びの一つだった。
第三王子は二人の兄王子を徹底的に避け、ほとんど話さず、無口な第三王子の存在は王宮では忘れられていた。そのため王位争いは実質は第一王子と第二王子の一騎討ちだった。

カローナは周囲の使用人や大臣達の視線にため息を飲み込みながら不機嫌な第一王子を追いかける。
いつも第二王子が喧嘩を仕掛けるのに、高慢な第一王子が優秀な弟王子を目の敵にしていると誤解されているのを知っているのは侍従とカローナだけ。侍従が否定しても主を庇っているようにしか見えない。カローナは王族のことを口に出せない。カローナにできるのは第一王子の印象が悪くならないように第一王子を気遣い喧嘩を止めるだけだった。

「あやつは気に入らん」

カローナは第一王子との付き合いも4年目であり幾つかの機嫌の取り方は覚えていた。歩みを止めた第一王子にようやく追いつき微笑みかける。

「殿下、お茶を用意させていただいてもよろしいでしょうか?お勉強の合間にうかがいますわ」
「そなたが淹れるのか?」
「はい。ご令嬢達ほどの腕はございません。お部屋に足を運ぶのをお許しください」
「好きにせよ。ノックもいらん。勝手に来るがいい。」
「かしこまりました」

侍従は第一王子の機嫌が直ったのでほっと息をつく。第一王子は第二王子ほど優秀ではないがお忍びで民に紛れて子供に武術を教えたり、孤児院に出かけたり民のことを大事に思っているのは知っていた。
半歩後を歩くカローナの歩調に合せてゆっくりと自室を目指す第一王子を見ながら、いずれ二人で手を取り合って民のために国を治めてくれると信じていた。

****

「カローナ、そなたも女なら願いの一つもしてみせよ」
「お気持ちだけで十分ですわ。私は殿下のお役に立てれば光栄ですわ」
「違う、そうではなく、機嫌の一つもとれる、」
「殿下、こちらにいましたの!!探しましたの」


侍従はカローナと第一王子が話しているといつも令嬢達が割り込んでくるのにため息を飲み込む。不敬でも自分よりも家格の高い令嬢達に何も言えない。令嬢達が来るとカローナは笑みを浮かべて礼をして立ち去ってしまう。王子はいつも気付いたころにはカローナがいなくなり不機嫌になる。そして呼び出して当たってしまうという悪循環が起こっていた。

「殿下、ご令嬢たちをお断りしませんか?」
「カローナの友人を無下にはできん。それに、酷いことを」
「謝罪なさったほうが」

翌日は笑顔で態度の変わらないカローナを見て第一王子は安心してしまう。侍従は視野の広く気遣い上手のカローナは第一王子の嫉妬をわかっていると勘違いしていた。侍従は第一王子に進言する自分が第二王子に目をつけられているのに気付かなかった。
男爵家の次男の侍従は突然両親に呼び出され、国王陛下の計らいで留学に送り出される。引継ぎもいらないので国王の命のためしっかり勉強し経験を積んできなさいと第一王子に挨拶する暇もなく送り出された。
留学から戻れば第一王子に仕えるように取り計らうので王子の側近としてふさわしくなるようにと言われ国を追い出されたのはカローナが10歳で第一王子が14歳の時だった。

侍従は10年間の留学を終えて帰国すると王宮には第二王子しかいなかった。
侍従は五年前の第一王子がカローナを冷遇し、冤罪を被せて婚約破棄した騒動を聞き驚く。
侍従は第一王子がカローナを大事にしていたのを知っていた。カローナに任せる仕事は簡単なものか二人でできる仕事ばかりだった。カローナと一緒にいたいと言えない不器用な第一王子が共に過ごせるために任せていた。ただカローナが優秀なため一人で片付けてしまい計算が狂い、仕事を完璧に片付ける姿に落胆半分、優秀さに関心半分と複雑な心境を抱えていたが。
侍従は第一王子が治める伯爵領を目指し、第一王子が暮らしているとは思えない古く薄汚い伯爵邸に息を飲む。そして視察を終えて戻った10年ぶりに顔を見る第一王子を見てさらに息を飲んだ。輝かしい金髪は荒み、バランスのよい筋肉をつけた体幹はやせ細り、自信に満ちていた覇気が一切ない。

「そなたは」
「お久しぶりです。留学より帰参しました。またお仕えさせてください」
「好きにせよ。」

侍従は力のない無感情な声で話し、伯爵邸に入っていく第一王子を追いかけると執務室で執務をしていた。

「帰ってきたのか」

侍従は第一王子の部屋で控える男に見覚えがあった。かつての第二王子の友人であり、第一王子をバカにしていた男が心を入れ替えて仕えるとは思えなかった。

「なんで、貴方が」
「お前を戻したなら殿下の遊びも終わりだ」
「まさか、騙したのか!?」
「さぁな」

狂ったように執務をする第一王子に悲しくなり側を離れたのを後悔した。側にいて力に慣れたかはわからないが、それでも第二王子派の側近を外した方がいいと言う進言はできた。第一王子はどんな身分の低い者でも躊躇いなく耳を貸せる器の持ち主だった。
侍従は棚に置いてあるティーカップに目を止めた。
カローナに贈りたかったのに素直に言えずに渡せなかった。それでも第一王子がカローナの思い出の品として大事にし、優しい目でいつも眺めていた。
隣に置いてある缶の蓋を開けると懐かしい香りの茶葉だった。カローナが愛用していた茶葉で第一王子が一番好きなお茶。お茶が苦手な第一王子が好んだのはカローナの淹れたものだけだった。

「毎年、匿名で贈られてくる。怪しいから一度捨てようとしたら斬りかけられたよ」

侍従は茶葉とティーカップを手に取り、お茶を用意する。
第一王子の机にそっと置くと第一王子は懐かしい香りに顔を上げる。

「カローナ」

カップに手を伸ばし口をつける。

「カローナ、帰ったか」

第一王子の笑う視線の先は昔カローナがよくいた場所だった。
集中力の凄まじい第一王子はカローナがお茶を出すといつも気付いて顔を上げる。触れても呼んでも気付かないこともよくあり、カローナに頼んで時間のあるときにお茶を淹れてもらっていた。放っておくと休憩もしないで没頭してしまう。気分にムラがあっても、しっかり与えられたものをこなしていた。
他の令嬢が周りにいても大事にしているのはカローナだけだった。カローナの幻覚を見ている第一王子に侍従は胸が苦しくなり決意する。
第一王子に疎まれていると勘違いしているカローナに会いに行き誤解を解こうと。
カローナと婚姻した第三王子との接点はわからないが第一王子と第三王子は険悪な雰囲気ではなかったので、話せばわかってもらえるかもしれないと。

侍従はカローナに会うためにマグナ公爵家に面会依頼をすると了承の返事をもらい訪ねると現れたのはマグナ公爵を継いだ第三王子。

「僕の妻に何の用?カローナに余計なことを教えるのは許さないよ」
「殿下、カローナ様とお話させていただくことはできませんか?」
「兄上に仕えるのはいいけど、カローナに関わらないで。あの頃の辛い記憶はいらない」
「誤解です。第一王子殿下はカローナ様を慈しんでおられました」
「カローナに伝わらなければ意味はないよ。たとえ兄上が被害者でもカローナを傷つけたのは変わらない。僕は事実よりもカローナが大事だから」

第三王子の言葉と冷たい瞳で見据えられ侍従はわかった。
平凡王子と言われていた第三王子が第二王子と手を組んで仕掛けたことを。カローナは美人で気立てもよくて、欠点は見当たらない。第三王子がカローナに惚れても不思議に思わない。

「兄上は見張っているよ。バカなことはしないほうがいいよ。暗殺も得意だし。僕も」

冷たく笑う第三王子に影の薄い平凡王子の面影はない。
ノックの音がして入って来たのはお盆の上にお茶を乗せたカローナだった。
第三王子が目を丸くして慌てて立ち上がり、お盆を取り上げテーブルに置く。

「ロナ!?どうしたの?」
「お客様が来てると聞いたのでお茶を」
「侍女に任せて休んでなよ」
「私は病人ではありません。あら?お久しぶりですわね。貴方がいなくなって殿下が荒れて大変でしたの」

第三王子は楽しそうに笑うカローナを抱き寄せ、部屋から出て行く。
入れ替わりに執事がお盆の上に置かれたお茶を侍従の前に置く。

「よければお召し上がりください」

侍従は出されたお茶に手を伸ばすと懐かしい味と違っていた。
お茶を飲みながら、カローナの様子を思い浮かべる。カローナは新しい世界で暮らしている。昔よりも表情が柔らかくなり、第三王子とも親しそうだった。第三王子も冷たい顔が嘘のように優しい顔で見ていた。第一王子はカローナの幸せを壊すのは望まないだろう。
侍女が訪れてマグナ公爵夫妻は多忙で時間が取れないと謝罪し侍従を見送る。
侍従はカローナを頼るのは諦め、伯爵領に帰って第一王子の側にいることにした。

侍従から見て第一王子は抜け殻だった。
第一王子の側近は入れ替わり、侍従と共に仕えていた者は誰もいない。第一王子とカローナの治める国を夢見て語り合った友人は一人も。
自分と同じように傍を離れさせられたのがわかり、自分の浅はかさを後悔した。
第一王子は食事は薬湯ですませ、睡眠もほとんど取らない。
狂ったように執務をして、領民の前に出る時だけ身なりを整えて領主の仮面を被る。
公務については耳を傾けるが体調管理については誰が何を言っても聞かなかった。
第一王子の生活は執務をするか、カローナを探すかだった。そして屋敷の中で第一王子を案じるのは侍従だけで、周りにいるのは第二王子の回し者達。
第一王子が過労と栄養失調で倒れたのは当然の結果だった。むしろ今まで倒れないのが奇跡だった。

「殿下、治療を」
「いらぬ。すぐ良くなる。医務官などいらぬ」

第一王子は治療を拒否する。
寝台から起き上がり執務をしようとするので、寝台でできるように整える。
侍従は第一王子は頑固で融通の効かないことを知っていた。そして唯一止められる人間はもういない。

侍従と第一王子を見ながら罪悪感に苦しむ男がいた。
イナナに買収され第一王子に仕える元第二王子の友人だった。
第一王子が狂っているのを知っているのは一部の者達だけで、民の前では領主として振る舞っていた。
妻がいなくなり追いかけもせず伯爵領のために尽くした領主は民には愛された。伯爵が呟くカローナの名は逃げ出した妻の名前だと誤解されていた。
屋敷に帰るとかつての婚約者の面影を探す第一王子に段々罪悪感を覚えはじめていた。
無理が祟って倒れ、寝台で生活する第一王子は侍従の言葉も無視して医務官の診察を拒否した。もう長くないのは誰の目にも明らかだった。
どんどん起きる時間も少なくなり、一日中眠り時々目を開くとカローナの名前を呟く。
侍従が悲痛な顔で献身的に第一王子の世話をする姿が余計に罪悪感を刺激する。
かつては王子の誰よりも明るく笑った第一王子。カローナも第一王子を慕ってお互い想い合っていた。自分達が壊した。カローナが嫌がることを喜びますよと教え、傷ついてるのに喜んでいると騙した。第一王子は幸せそうに笑っていた。優しくできないと悩むのをカローナには必要ないと言いカローナの瞳がどんどん空虚になっていくのを見て第二王子が笑い、自分もよくやったと褒められ笑っていた。
でも第一王子がここまで壊れるとは思っていなかった。
イナナ達に知られれば報復されるかもしれない。介入しなければ二人はきっとうまくいっていた。第一王子の恋心を利用して二人を引き裂いたことに後悔していた。
男は勇気を出してカローナに偽名で手紙を出した。


カローナは自身に届いた手紙に首を傾げる。
「どうかもう長くない伯爵に会って欲しい」と一言だけ綴られていた。理由はわからないが自分にできることがあるなら会うことにした。
第一王子と第三王子は仲が悪いので義母に相談すると快くアリバイ工作をしてくれた。義母に護衛を借りて伯爵家を訪ねると寂れた伯爵邸にカローナは目を丸くする。伯爵領は活気に満ちているのに邸だけが手入れをされていない。とても元王族の第一王子が住んでいるとは思えなかった。

「はじめまして。先触れもなく申し訳ありません。お手紙をいただいたのですが」

男はカローナの姿を見て駆け寄り頭を下げた。

「カローナ様、ありがとうございます」
「頭をあげてください。私にできることがあるかはわかりませんが、ご夫人は」
「亡くなられました。どうか伯爵に」

カローナは男の懇願に負け何も言わずに案内される部屋に入った。
第一王子に付き添っていた侍従は目を丸くした。

「カローナ様!?ありがとうございます!!どうぞこちらに」

侍従は第一王子の眠るベッドの横の椅子を勧める。
椅子に座ったカローナは寝台で眠る第一王子の輝かしい金髪は荒み、痩せ細り別人のようだった様子に息を飲む。

「カローナ」
「殿下」

懇願の声にカローナは条件反射で返答し、伸ばされるやせ細った手をそっと両手で握る。

「カローナ」

擦れても懇願する聞き覚えのある声にカローナは笑う。困っているのに言えない人だった。いつも命令するのに、本当に困った時はカローナの名前を呼ぶか黙ってしまう元婚約者。

「はい。どうされました?」

第一王子はゆっくりと目を開け、目の合う赤い瞳に何度も口にしても答えが返ってこなかった問いを口にする。

「すまなかった。私は、そなたを、うらん、でお、るか?」

カローナは擦れている声を聞き砕いた氷を用意するように控えている侍従に頼み、向き直る。懐かしい黄金の瞳を見つめて微笑む。

「殿下を恨んだことはありません。殿下の幸せを願っております」

第一王子の見るカローナは背を向けて何も言わずに消えてしまった。
カローナは受け取った氷水から小さい氷を取り出し第一王子の唇に当てる。第一王子は氷水が好きだった。第一王子はゆっくりと口に含み氷を舐める。
第一王子の具合が悪い時はいつも氷を口に含ませ水分を取らせていた。視察先で第一王子が熱を出したこともあったなぁとカローナは昔を懐かしんでいた。10年もすればカローナの中では全てが終わったことだった。

「カローナ」
「はい。」

第一王子はゆっくりと目を閉じて眠りについた。

「医務官は?」

カローナが侍従に聞くと首を横に振る。衰弱して長くないのは明らかでカローナはかつての婚約者の手を両手で握り目を閉じて祈る。

「殿下、私はいつまでも殿下の幸せを祈ります。私なんかに思われて迷惑かもしれませんがお許しください。どうか幸せに。民に愛され尽くされた殿下のことを皆が讃えます。第二王子殿下達は優れていました。ですが殿下もすばらしい王族でした。殿下が立て直した伯爵領は花が芽吹いて民達も活気が溢れて美しい場所でしたわ。私は殿下の成したことを心に刻みます。お疲れ様でした」

第一王子の安らかに眠る顔を眺めてカローナは手を離してゆっくりと立ち上がる。第一王子に付き添う侍従達にどうか最期まで側にいてあげてほしい。嫌いなカローナよりも友人が側にいるほうが穏やかな最期を迎えられると頼み礼をして立ち去った。
侍従は感謝を告げるだけで何も言わない。
優しいカローナは真実を知れば自分を責める。それは第一王子が望まないとわかっていた。

「殿下は気づかないんだよ。ずっとカローナ様を探すだけ」
「殿下は単純ですから。目の前の物を必死に向き合おうとする人です。お忍びせずに堂々としていれば違ったでしょうか。カローナ様の視察を心配してこっそり見に行ってたのに。民のために頑張ってたのに全てが空回り。王子の中で一番民に心を砕いていたのは殿下だ。こんな悲しい最期を迎えるとは。まさか第三王子殿下がカローナ様を慕われていたとは思いもしなかった」

第一王子が侍従達に看取られ息を引き取ったのはカローナが会った3日後だった。
第一王子の葬儀にはカローナと第三王子が参列した。
第一王子のためにたくさんの領民が花と祈りを捧げる。
涙を流し祈りを捧げるカローナの肩を第三王子が抱いていた。

「兄上、お疲れ様でした」
「殿下、どうか安らかに。」

「奥様、来なかったね」
「カローナ様はどうして出て行ったんだろうか」

カローナの耳を第三王子は塞ぐ。余計な言葉は聞かせたくなかった。
カローナが悲報を聞いて一人で伯爵領に出かけたのを聞いて第三王子は慌てて追いかけた。伯爵領で伯爵夫人が出て行ったのも、領民が妻の名前をカローナと勘違いするのも知らないでほしかった。
第三王子は第一王子がカローナの心に残るのは嫌だった。これ以上、傷ついてほしくなかった。
第三王子は会話が終わったので耳から手を離しカローナを強く抱きしめた。

「ロナ、ごめん」

カローナは第三王子の後悔を滲ませる声に兄の死を悲しんでいると思った。亡くなった人とやり直すことはできない。

「殿下はサンに無関心でしたわ。私は自分のことでいっぱいでした。サンと過ごしてあげてくださいって伝えられなくてごめんなさい」

第三王子は優しい声で背中を叩くカローナの勘違いに気が抜けた。兄と仲良くしようなんて一度も思ったことはなかった。第三王子は兄弟の情は一切ない。

「兄上、宝物は僕が大事にしますから安心してください。いつか会えたら少しだけなら見せてあげます」

第三王子は不思議そうな顔をするカローナの手を引いて歩き出した。
二人は第一王子が立て直した伯爵領を歩いて目に焼き付け、マグナ公爵領に帰っていった。

葬儀が終わった夜に一人の男が教会を訪れた。
牧師は男を快く迎え入れ望むまま懺悔に耳を傾ける。

「俺は罪を犯しました。
かつて想い合う二人を引き裂きました。少女の心を傷つけるように仕向けて少年に歪んだ世界しか見えないように仕組みました」
「どういうこと?」

男は聞き覚えのある声に真っ青になる。

「役目をおえたから報酬を渡しにきたけど、話がありそうね」

冷笑を浮かべるのは王妃のイナナ。

「陛下はいないわ。話しなさい。私の知らない事実がありそうね。嘘をついたら生き地獄に落としてあげるわ。ふふ」

男は扇子で手をパチパチと叩く真っ黒い笑みを浮かべるイナナに怯えて真実を話した。
カローナを壊したのは第一妃と第二妃派と第二王子。
カローナを多忙に追いこんだのは第一妃と第二王子。
第一王子を操っていたのは第二王子と。

イナナは男の話に怒りに震え扇子を折った。多少の関与は匂わせられていたが全て仕組まれていたとは思っていなかった。
イナナは男と牧師に他言無用と命令する。神を信じないイナナは牧師を脅すのに躊躇いはなく簡単だった。
その足で一番事情に詳しそうな元第三妃を訪ねてさらに怒りに震える。
元第三妃は深夜に冷笑を浮かべて訪ねてきたイナナに脅され全部話して震えながら謝罪した。
第三妃もカローナを救う方法を一つだけ持っていた。第一王子に現状を伝えれば変わる可能性はあった。ただあくまでも可能性なので危険な賭けはしたくなかった。
第三妃に手を出せばカローナに怒られるのでイナナは一旦怒りを鎮める。心の中で呟いた呪詛も。
カローナを多忙に追い込んだ一端を担った義兄である第三王子には嫌がらせを決めた。
第一妃を煽った第二妃。すでに第一妃の心は折っていた。第三妃に第一王子への嫌がらせを止められた理由も理解はした。どんな理由があっても許さないが、死者に呪いをおくるほどイナナは暇ではなかった。

第二王子はお忍びから帰ったイナナにさらに憎しみの瞳を向けられて喜んでいると第三王子が駆けこんで来た。

「兄上、どういうことですか!?なんでマグナ公爵の僕が半年も外交に出ないといけないんですか?今回はカローナを連れて行くなって」

「お姉様達は私に任せて行ってらっしゃいませ。義兄様」

イナナは第三王子に冷笑を浮かべ、第三王子は喧嘩を売られたのがわかり冷笑を返す。

「わかりました。妻と共に出かけてきます。業務は義父上達に任せます。個人で連れて行くのは問題ありません。ロナも僕と離れたくないって言いますし」
「お姉様は置いてきなさいよ。命令よ」
「どうぞ裁きたければご自由に。僕はカローナに慰めてもらうよ。それにカローナが僕のために動いてくれるよ。僕の妻はやる気になれば優秀なので」

イナナは性格の悪い第三王子を睨む。カローナのお願いには敵わないので別の嫌がらせを考えることにした。
第二王子は愉快に二人のやりとりを眺めていた。
第二王子は自分に楽しみをたくさんくれた第一王子に感謝した。
第一王子は臣下に好かれていた。つい手を貸したくなる人物だった。それは第二王子自分にはないものだった。第一王子を慕う者はどんどん遠方に飛ばした。飛ばした者は第一王子のためになるならと言い残して去っていた。自分を支持しない人間も操るのも第二王子には愉快だった。
歴史に名を残したのは第二王子。多くの人の心に残ったのは第一王子だった。
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