皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴

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番外編

リーンの悩み

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無言でずっと悩んでいる心酔する主の前に護衛騎士が跪く。

「必ずお守りするので、願いを聞かせて下さい」

リーンは護衛騎士の顔をじっと見て覚悟を決め小さな声で呟く。
主の決死の願いに護衛騎士は笑顔で頷く。

「お任せください」


丁度リーンを諌める良識的な護衛騎士は席を外していた時だった。
もちろんいけないことはわかっていた。
それでもリーンは耐えられなかった。そして頼れるのは兄しかいない。信頼する護衛騎士に背中を押されて、飛び出した。



***
研究所に突然現れた皇太子妃を研究員は気にしない。
リーンは兄を探して歩きまわる。
研究員は研究第一の変わり者ばかりのため、皇太子妃の勝手な行動も目を瞑る。
自分の邪魔さえしなければ構わない。
どんなに身分が高くても研究の邪魔をするなら追い出すのが研究員である。
リーンはようやく兄を見つけたので、隣に座る。
兄王子は隣に座る妹の思いつめた深刻そうな顔を見て、研究を中断して手を繋いで来賓室に移動した。

「お兄様、私、おかしいんです」
「症状は?」
「一過性の心拍の上昇が…。激しい運動などしてませんのに」

兄王子は妹が本気で言っていることに違う意味で心配になった。
ふと妹の過去を思い出した。
自分の妹の一風変わった子供時代を。
幼い頃は自室で過ごし、元気になったら社交を叩き込まれ、留学して諸外国を回っていた。
父はリーンの部屋には許された者しか入れなかった。
母は伯爵家出身だが寵妃。
母に似たリーンは姫の中で一番気に入られていた。
家族の訪問を笑顔で迎え入れ、不満も言わずに病気と戦う妹は確かに健気で可愛かった。
他の姫のように我儘も不満も言わない。
誕生日に欲しいものを聞くと、「会いにきてくれただけで十分」と笑い、愛娘の病気が治らず悲しむ母に、「リーンは短い命でも優しい家族のもとに産まれて幸せです」と微笑みかける優しい妹だった。
兄王子はリーンが外の世界に憧れているのを知っていた。
窓からぼんやり、リーンに見せつけるように騒ぐ姫の様子を見ているときに「いいな」と呟いていた。
自分の呟きを聞かれたことに焦り慌てて笑ってごまかした妹が切なかった。
兄王子は小さい体で家族のために必死に強がり笑いながら病と戦う妹を死なせないために、世界を回ることにした。
国王は兄王子の決意を支援してくれた。
国王ではなく、父としてリーンに生きて欲しいと願っていた。
時間はかかってもリーンの治療法が見つかった。
リーンが元気になるに伴い母は生きぬくために知識と社交の技術を叩き込んだ。
リーンは優秀だった。
病弱だったリーンの世界は両親と兄と弟と忠臣だけ。
ただ部屋から出たリーンには義理の姉達からのやっかみが待っていた。
初めてリーンが視察に出ると、民達の歓迎に驚き、純粋に笑顔を向ける民達に嬉しそうに笑っていた。
リーンは頭の回転が早く母の指導のおかげで社交もうまかった。ただ義姉達はリーンを嫌い、リーンが国内での交友を広め、姫として認められれば認められるほど、向ける視線が冷たくなっていく。深窓のリーン姫は義姉達が王族なのに、なにもしないリーンを蔑んで広めた言葉だった。
リーンは負けずに王族としての努めを意識して行動していた。それでもリーンが部屋にこもっていた7年間は消えない。責任感の強いリーンにとっては負い目だった。
父がリーンの留学を許したのも、国内より国外のほうが気が休まると思ったから。
兄王子は今後リーンが生き抜くために伝手を増やせと宿題を出すと想像以上の成果で帰ってきた。まさか留学先から縁談の申し込みが殺到するとは予想していなかった。
国王はリーンを手元に置きたかったが、優秀な妹は有能な駒になってしまった。
リーンが婚約者候補の中で一番国の力が弱い小国の皇子を選んだことで義姉たちのやっかみはおさまった。

兄王子が珍しくぼんやりと過去を思い出す姿にリーンは心配になってきた。

「お兄様、聞いてますか?」
「聞いてるよ」

兄王子にリーンの言葉はきちんと耳に入っていた。
心拍が上がって、何も考えられなくなって、体が熱くなり、自分がおかしいと深刻そうに語る言葉を。
父が聞いたら悲しむだろうと思いながらも兄としては幸せそうな妹の姿は複雑だけど歓迎した。幸せそうな妹に免じて王宮で会った皇子とリーンの夫が違うことは目を瞑る。
そして兄として優秀なのに鈍い妹にかける言葉は一つだった。

「旦那に言ってみろ」
「嫌です」
「その病は治らなくても支障はない」

リーンの生活には支障があった。
だから離宮を抜け出してきた。ルオに話せるなら抜け出すなんてしなかった。興味なさそうな顔をしている兄をリーンは睨みつける。

「あります。困ります。公務にも」

バンと乱暴に扉が開く音がした。
ルオが駆け込み兄を睨んでいらリーンの肩に手を伸ばす。

「突然いなくなるから心配した。具合が悪いのか?」

リーンは自分を抱き寄せる夫の胸をそっと押して、兄王子を見た。
兄は妹を適任者に任せることにした。

「リーン、その症状が起こるときって、同じ相手といるときだろ?」

リーンは兄の見立てに驚く。
ルオを見ると自分がおかしくなることは伏せていた。

「お兄様、」
「症状ってなに!?義兄上、リーンは!?」


ルオはリーンの護衛騎士が主を探して訪ねてきたので不在に気づいた。
部屋に争った後はなく、リーンについていた護衛騎士は手練でリーンに心酔していた。
イナはリーンは自分で抜け出したと進言し、行き先の心当たりを聞いたルオは馬で飛び出した。
突然リーンが離宮を抜け出し、義兄を訪ねるなどルオは嫌な予感しかしなかった。
ただイナは全く心配していなかった。
落ち着いているイナの様子にルオの側近は寵妃に振り回されている主を待つことにした。

兄王子は妹に振り回されている真っ青な顔で自分を見ている義弟に笑う。

「誰かさんといると心拍が上がって、何も考えられなくなって、体が熱くなるらしい。俺は妹のこの病を治したほうがいいのか?」

ルオは力が抜けて、リーンの肩に顔を伏せる。

「ルー様!?」

悲鳴をあげたリーンの声にルオはゆっくりと顔をあげた。
心配そうに自分を見ているリーンに笑いかける。

「俺のほうが重症ですから必要ありません。お騒がせしました。帰るよ。勝手に離宮を抜け出さないで。護衛がいても心配だから。その病は俺が教えてあげるよ」

ルオはリーンの肩を抱き、膝の裏に腕をいれて優しく抱き上げる。

「え!?いえ、私はお兄様にご相談を」
「その病は専門外だ。俺は研究したいからさっさと帰れ」
「お兄様は妹よりも研究なんですか!?」
「探究心をとめることは死ぬことと同じだ」

ルオは兄王子に助けを求めて騒いでいるリーンを馬に乗せて、離宮を目指す。
研究所を出た途端にリーンは人目を気にして静かになった。
リーンはルオの馬に相乗りさせられ、寝室まで運ばれベッドに降ろされた。自分はおかしいが、具合は悪くなかった。

「執務に戻らなくていいのですか?」
「リーンが愛しすぎて無理。集中できないから、明日から頑張るよ」

リーンの心拍がまた上がった。
最近、ルオを見ると起こる症状だった。
ルオは胸に手を当てているリーンを抱き寄せて、耳を自身の左胸に当てさせた。リーンの耳に聴こえる心臓の音がいつもより速かった。

「俺はリーンを見つけると目で追うし、いつもリーンのことが頭から離れない。リーンのことしか考えられない。ずっと俺の腕に閉じこめていたい。リーンが他の男といると嫉妬で狂いそうになる。リーンが腕の中にいると幸せでたまらない。まだまだ止まらないけど大丈夫?」

リーンはルオの言葉に、目を潤ませて顔を真っ赤に染めている。
ルオは欲望に負けそうになるが、理性を総動員していっぱいいっぱいのリーンに手を出すのを我慢した。

「ルオは顔、あ、赤くならない」

ルオは赤面しそうになると、顔を見られないようにリーンを抱きしめてごまかしていた。
むしろ最初の頃は赤面していたのはルオだった。ルオはリーンの記憶に残っていないことを喜ぶべきか悲しむべきか一瞬迷った。

「時々なるけど、必死で抑える方法を習得したから。俺はリーンのその病との付き合いは長いから。死ぬまで付き合うつもりだよ。」
「なんで」

ルオはリーンが鈍いことはよくわかっている。いっぱいいっぱいのリーンの長い髪をすきながらゆっくりと言葉をかける。
自分で説明するのは照れくさくても、腕の中の妻を誰にも見せたくなかった。

「幸せな病だから。それに嬉しいよ。俺はリーンに思われなくてもずっとリーンを愛するつもりだけど、まさかな。願いが叶うなんてな。俺にとってリーンが特別なように、リーンにとって俺は特別なんだよ」
「特別?」
「リーンの症状は世間では恋と言われるものだよ。一緒に祭で踊った夜は俺はリーンのことが頭から離れなくて眠れなかった。相手のことしか考えられなくなる。一緒にいると幸せでたまらない。どうすれば伝わるかな。俺はリーンを誰よりも愛してるし大切に思っているよ。リーンのためならなんでもしてやりたくなる」

ルオの言葉でリーンは自分がおかしくなっているのがわかっていた。
体は火照り、さっきから心臓の動きもどんどん速くなり収まらない。

「ルオといるとおかしくなる。でも腕の中にいると、安心する。会いたくてたまらなくなる。公務に支障が」

瞳を潤ませ、真っ赤な顔で悩んでいるリーンにルオは笑う。
一番心配するのは公務ということにも。

「それなら会いにくればいい。リーンならいつでも歓迎するよ」
「どうすればいいのかな」
「そのままでいいよ。俺としてはもっと重症化してほしいけど。でもどんなリーンも愛しすぎてたまらない」
「ルオはおかしい」

リーンは自分の深刻な悩みをそのままでいいと笑う夫に戸惑っていた。

「嫌?」
「ううん。どんどんおかしくなってルオから離れられなくなったらどうしよう」
「大歓迎だけど」

リーンはルオに見つめられ見惚れていたが、しばらくすると思考する余裕がでてきた。

「公務に支障がでます。でも、病気じゃないんだね。良かった」

一人納得して頷いているリーンの顔にそっと手を添えてルオが覗き込んだ。

「どうした?」
「病気になると、皆が悲しい顔をするの。私はそんな顔は見たくなかった。本当は苦い薬も苦しい治療も、嫌だった。私が辛い顔すると皆のほうが痛そうな顔するの。それが一番嫌だった」

ルオはリーンを強く抱きしめる。
凛として気高く慈悲深い妃が、寂しがりやで怖がりなことに気付いていた。悲しいほどに、人のために無理をすることも。

「リーンらしいな。もし病気になったら、泣き叫んでいいよ。俺はリーンが生きるためならなんでもする。俺が泣いたらリーンが慰めてくれればいい。弱音もどんな感情も俺が受け止めてやるから。生きるために頑張ってくれって頼み続けるけど。俺の前では無理しなくていい」

無茶を言う夫にリーンが小さく笑う。

「どうせ死ぬならルオの腕の中で死ねたらいいな。一人の部屋は寂しいから」
「縁起でもないことを。でも俺はリーンを一人にさせたりしないよ」
「ルオは不思議。ついつい甘えたくなる。そのうち、一人で立てなくなったらどうしよう」
「そしたら俺が抱き上げるよ。リーンは俺の側にいればいい。それに愛しい妻に甘えられて、喜ばない男はいないよ」
「ルオはすぐにからかう」
「全部本気だから。でもリーンのその病気は俺だけにして。他の男は駄目だ。甘えるのも」

真っ赤な顔で潤んだ瞳で見つめる妻にルオの理性が負けた。

「ごめん。リーン、愛しすぎて我慢できない」

リーンは甘さのこもった視線にたえきれず、目を閉じると口づけられた。
そのまま二人は互いの熱に溺れた。
空気の読める家臣は呼ばれるまで二人の邪魔をすることはなかった。

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