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しおりを挟むキャシーが学院で孤立しているのはユーリエのせいではない。そう、キャシーが自分で気づけたことに、ユーリエは内心驚いていた。
今はリーナとして振る舞わなくてはいけないのに、つい、素で驚いていた。そんなリーナの表情から何を思ったか、キャシーは困ったように微笑む。
キャシーが学院の廊下を一人で歩く。それだけで周囲は怪訝な表情で視線を逸らし、ヒソヒソ話を始める。あまりいい気分ではないが、これまでの自分の行いが原因だと知った今となっては、当然の結果として受け止めている。
心は不思議と凪いでいた。
他の生徒から避けられるのは、婚約者の有無や身分の上下に関わらず、胸元を曝して親しげに異性へのみ話しかけていたからだ。身分も節度も、キャシーは何も知らなかった。実母からは男を操る術しか教わっていない。貴族社会における常識を知らない、非常識な異端児、それがキャシーの立ち位置。
あの女の娘より幸せになれ、あの女の娘より高い身分の婚約者を見つけろ、あの女の娘より多くの人を魅了しろ。
あの女の娘を不幸にしなければ、お前は幸せになれない。
繰り返された母の言葉は、キャシーの身動きを制限していく。キャシーの思考すら、何も考える必要は無いと怒る。会ったこともない異母姉の悪口を叩けば、母が褒めてくれる。母に褒められたいという理由だけで異母姉を貶めてきた。学院でも、母に褒められたい一心で、がむしゃらに高位令息を夢中にさせようとしてきた。周りなんて見なかったし、キャシーの世界は母が全てで、何も知ろうとしなかった。
異母姉は、レイモンド殿下の最有力の婚約者候補だ。異母姉からレイモンド殿下を奪う。異母姉より上に立つ。それだけしか頭になかった。
苦言を呈してくる人は皆、同じことが出来ないからこその負け惜しみだと鼻で笑い飛ばしてきた。虐められていると逆に訴えたことも多々ある。涙を見せて誘導すれば男たちは誰もがキャシーの味方をする。
寮生活初日からリーナに叱られて、目が覚める思いだった。母の怒り方は単なる癇癪で、理屈なんてなかった。対するリーナは、声を荒らげることなく、ダメな理由を教えてくれた。理解できるまで何度も何度も繰り返し説明してくれた。
胸元を見せるのは、色事で物事を解決させるのは娼婦の領分。彼女たちはその道で生きるプロであり、覚悟も何も無い者が半端に真似るのは彼女たちの生き様に対し、失礼だと、リーナは言った。
貴族に必要なのは、領民が飢えることなく生活できるように手配するための知識、対外国へ向けて自国を守るための交渉術や品格など、そういうもの。社交も一つの武器だ。ただし、社交界という一つの土台の上で、同じ基準の下行うことに意味がある。
貴族として生きる覚悟があるのなら貴族としての武器を持つ必要があり、自分から爵位を捨てて平民となることも一つの選択肢。
キャシーは改めて、自分に課せられた領分を考えていた。
公爵令嬢だと思い込んでいたが、あくまで異母姉の母親が公爵家の血筋であり、父親が公爵であってもキャシーに公爵令嬢を名乗る権利はない。自分のことなのに、リーナから教わるまでキャシーは知らなかった。周知の事実のため、より一層キャシーの振る舞いは、『公爵令嬢気取りの愚かな娘』として軽蔑されてきたらしい。
図星を突かれたと怒ることもなく、キャシーは至って冷静だ。図星というよりは寝耳に水。こんなにも容易に自分の世界や価値観が壊れる日が来るなんて、夢にも思わなかった。
もっと自身のことを知らなくてはいけない。キャシーは最近、異性を誘惑することよりも、そちらに関心が向いている。
こんな心持ちで日々を過ごすなんて生まれて初めてのことだ。
母と会わない日が続くのも生まれて初めてのことだが、不思議と寂しさなどは覚えなかった。母がいても、いなくても、キャシーの心は変わらず孤独である。
「リーナ!」
リーナが洗濯カゴを抱えて寮のクリーニングルームを訪れると、金髪の美少女メイドが手を挙げてリーナを呼ぶ。
寮の洗濯はクリーニングルームで手続きをして、全て専門業者に依頼をする。男子寮と女子寮は完全に遮断されており、こうした業者窓口も完全に男女別だ。令息付きの侍従と令嬢付きの侍女による恋愛沙汰で問題が発生することを未然に防いでいる。
故に、リーナに寮で会おうとすれば、誰かさんは必然的に女装するしかない。───金髪美少女メイドは、レイモンドだ。
「………何とお呼びすれば宜しいのでしょう?」
男性名も敬称も口にするわけにはいかない。というか、似合いすぎだろう。元の容貌が整っているだけに、化粧が映える。
「ふふ、似合う?可愛い?」
一国の王子がノリノリでメイド服を着て、元々男性にしてはやや高めの声を、更に高くして話しかけてくる。コレ、ワタシノ、スキナヒト。あまりの違和感の無さに女としての敗北を知り、リーナは天を仰いだ。
「殴りたいほどお似合いです」
「え、殴るの…?」
「冗談ですよ」
リーナは目を逸らしつつ、否定した。こんな奇跡の塊のような美少女(それにしては背が異様に高いが)を殴れるわけがない。
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