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しおりを挟む「───で。何故レイモンド殿下にお渡ししたんだ?お前は婚約を嫌がっていたじゃないか」
ガラス玉を渡した相手について父から問われると、何となく気恥しい。答えにくい。
大切な人に渡すよう母から言われていたことを考えても、欠かさず祈りを込めていたことを思っても、どう転んでも答えは出ている。リーナとしての日々を最後にして、もうレイモンドと笑い合える日など来ないと、決別の意味もあった。───そう、決別のために特別なものを渡したいと望むほどに、ユーリエはレイモンドに惹かれていたのだ。
「嫌がったのは、別にレイモンド様のことがお嫌いだからではありません。ただ、誰かに陥れられ、レイモンド様から罪を追及されて婚約破棄される白昼夢を見たから、婚約者になるのを拒んだのです」
婚約破棄されて傷つくのが嫌だった。傷つくとわかっていたのだ。相手への想いが強いほど婚約破棄などされれば深く傷つく。どうやら夢の暗示する通り、ユーリエはずっとレイモンドのことが好きだったらしい。
「予知夢の類か。ミレーユも何かにつけて夢を見たと言っていた。信じたくないから信じないと言い張っていたな」
たかが夢だ。その気持ちもわからなくはない。
『ママはね、信じなかったの。だから、パパは惑わされてしまった』
お母様は、生家に伝わる聖女の言い伝えも、己の見た夢も、信じなかった。当時のユーリエが幼いながらも無条件に夢を信じて“彼”との婚約を回避したのも、迷わず公爵家を離れたのも、恐らく母の伝えてくれた後悔が心に残っていたからだろう。
「ミレーユは、ユーリエを産んでから予知夢を徐々に見なくなった。ユーリエには夢などに縛られない無限の可能性があるのだろうと笑っていたよ」
実際は、物凄く縛られている。同時に回避すべく、とことん抵抗している。その結果が今だ。レイモンドがキャシーに操られなかったのは僥倖である。
数日後、父経由でレイモンドから待ち合わせ場所の連絡が来た。
貴族をターゲットにした高級店ばかりが並ぶ通りの一角。肩を寄せ合い立ち並ぶ、淡い色彩の壁紙がお洒落な建物。女性用の肌着専門店である。オーダーメイドが基本なのだが、店舗には製品見本のコルセットなどが飾られている。やたら生地が透けているベビードールなどもあり、ユーリエは気恥しさからそちらを見ることが出来ない。とてもレイモンドが足を踏み入れるとは誰にも思われないであろう店である。
そんな店の左隣には古めかしい外観の輸入書籍専門店がある。両店舗は別々の建物に見えるが、実は2階で繋がっているのだ。レイモンドは書店側から、ユーリエはブティック側から入り、2階の応接間を借りることで人知れず会うことができる。
ちなみに、このブティックのオーナーはレイモンドの叔母である侯爵夫人。書店のオーナーはその夫だ。リーナとして夫人と共に何度か足を運んだこともあり、馴染みの場所である。
「侯爵夫妻には頭が上がりませんわね」
今度何かお礼をしなくては。ユーリエは思わず遠い目になった。目の前では侯爵家から手配された使用人たちが2人のためにアフタヌンティーのセッティングをしてくれている。場所を借りるだけで良かったのに至れり尽くせりだ。
やや予定より遅れて姿を現したレイモンドは、まるで悪夢の中の“彼”のように仏頂面だ。しかし、“彼”の感情の機微を隠すための仏頂面ではなく、本当に機嫌が今ひとつのようだ。
「どうかなさいました?」
「………侯爵に、叔母の機嫌をとるよう、頼み込まれた。夫婦喧嘩に巻き込まないで欲しい」
何でアイツの頼みを聞かなきゃならないんだ、とボヤきつつ、レイモンドはソファに腰を下ろした。
「侯爵夫人の機嫌ですか。───御用達のスイーツ専門店で、夫人が愛してやまないチーズケーキを特注したら如何でしょう。砂糖の薔薇などで飾り付けを特別にしたら宜しいかと」
「さすが、叔母お気に入りの“リーナ”だ。すぐに侯爵経由で手配させよう」
レイモンドの言葉と視線を受け、給仕の1人が頭を下げて立ち去る。
「レイモンド様に万が一のことがありましても、私は“リーナ”として侯爵家で生きていけそうですわね」
「───好きな女性を次々侯爵に盗られるようで面白くないんだが」
再び憮然とするレイモンドに、ユーリエはクスクスと笑った。
「レイモンド様の口から“リーナ”の名前を聞くと私も妬くんです」
「どちらもユーリエだろうに」
仕方ないな、と言いつつ、彼は少し照れくさそうに苦笑する。
温かくも、しっかりとした鼓動で胸が満たされていく。こんな時間が続けばいいと思うし、失いたくないと望む。
徐ろに取り出した水晶玉を両手で包み込み、レイモンドと過ごす時間を思う。それだけで、水晶玉は柔らかな熱を帯びていく。これは思いを篭めるというより、思いで包む作業だ。
「私の恋心を、他の誰でもない貴方に差し上げましょう」
新しいガラス玉を差し出すと、レイモンドは眼球が飛び出さんばかりに目を大きく見開いて驚いた様子だった。
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