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「え………?」

 ───せっかく君がくれたものなのに

 そう聞こえたような気がする。空耳だろうか。

「とにかく、変なんだ。側近候補たちも、入学した途端、突然人が変わったかのようにキャシーを擁護するようになって。婚約者候補たちは次々に辞退の申し入れをしてきている。皆口々に、僕とキャシーが相思相愛だから身を引くと。全くわけがわからないんだ!僕が好きなのは君だけなのに!!」

 ユーリエの戸惑いに気づかず、泣き出しそうな勢いでレイモンドは捲し立てながら再びユーリエを抱き締める。

 最早ユーリエもわけがわからない。

 そのガラス玉は“リーナ”が渡したものだし。

 側近候補者はキャシーが誘惑したのを見たけれど。

 婚約者候補たちの相思相愛発言は理解できないし。

 何より───

「好き?誰が、誰をですか???」

「え!?まさかユーリエも僕とあの阿婆擦れが相思相愛だとか言い出さないよね!?」

 あ、あばずれ…。王子の口から聞くには、随分と品のない単語が出てきたけれど、今はそれどころではない。

「それは今のところ御座いませんが───」

「今のところって何!」

 ユーリエの前では無口だったはずなのに、まるでリーナの前にいるかのようにレイモンドは表情豊かに話す。ユーリエのキャパシティはパンク寸前だ。

「待って!いえ、お待ちになって下さい!まず、その、殿下は、私とどなたかをお間違いではないでしょうか」

 ぴたり、と。殿下は動きを止めた。そして、あぁ!と得心したように声を上げる。

「ユーリエはリーナで、リーナはユーリエだろう?間違えてはいない。とはいえ、気づいたのはこの部屋に入ってからだけど」

「───人違いです」

「身長も一緒だし、僕を見上げる眼差しも一緒で、声も同じだ。間違いない」

 迷いのない薄氷色の瞳。生まれ持った神々しさを纏うかのような自信で断言されると、二の句が告げない。こんなことで、天が与えしカリスマを発揮しないで欲しいとも思う。

 もう誤魔化せないのだから、潔く認めるしかない。

「他でもないレイモンド殿下を欺き、申し訳ございませんでした」

 深々と頭を下げたいのに、レイモンドに抱きしめられて阻まれた。

「許さない。これからも僕の誰にも言えない本音も弱音も、他でもない君が受け止めてくれ。君以外の誰かなんて、探すつもりは無い」
 
 リーナがレイモンドに告げた『一刻も早く本音を話せる人をお探し下さい。───“私”ではない誰かを』というセリフへの答えなのだと気づく。

 ユーリエは、脳裏に浮かんだ悪夢を回避することだけを考え、あらゆることを選択してきた。全てユーリエ自身のためだった。

 間違いかもしれない、後悔するかもしれない。それでも、“彼”ではない、目の前にいる彼を受け入れたいとユーリエは願った。

 夢に出てくる“彼”は仏頂面だったけれど、今目の前にいるレイモンドは不安そうな表情で瞳を揺らしている。まるでよく似た別人のよう。

 レイモンドの腕の力強さが、これが夢ではないことを教えてくれた。

「その罰、喜んで承りましょう」

 抵抗をやめて、ユーリエは彼に寄りかかる。彼が嬉しそうに頬を染めたのがわかった。

「一生かけて償ってくれ」

「ふふ、酷いプロポーズ」

「プロ───!!」

 耳まで赤くして、ぱくぱくと口を開け閉めする様が愛しい。

「違うのですか?」

「ちゃんと、やり直すから、忘れてくれ」

「嫌です。私が殿下から頂いた大切なお言葉ですもの、お返しできませんわ」

 もう無理に無関心を装う必要も意味もないだろう。身構えることなく、ユーリエは微笑んで、そっとレイモンドから離れた。

 名残惜しそうに、レイモンドの手が宙を彷徨い、すぐに下ろされる。

「あのガラス玉は何なんだ?単なるガラス玉とは思えないんだが」

 レイモンドが首を傾げるので、ユーリエもつられて首を傾げた。

「単なるガラス玉ですよ?その辺の雑貨屋さんに売っているものです。大きくなって大切な人が出来たら、月の光に翳して祈りを込めたガラス玉を、相手に渡すようにと母が───」

 何故今まで忘れていたのだろう。

 不意に蘇ったのは、母との思い出。

『ママも、ママのママから教わったのよ。でも、ママはね、信じなかったの。だから、パパは惑わされてしまった』

 父は何に惑わされたのだろう。

 母が信じていれば、父は惑わされなかったのだろうか。

「どうした、ユーリエ?」

「あ、いえ。父に聞けば何かわかるかもしれません」

 レイモンドは眉を顰めた。

「公爵はキャシーの味方なのでは?」

「表向きは。実情はそうでも御座いません。私には常に協力的です」

 父は惑わされたのだと、母は言っていた。そして、それは、このガラス玉で回避できることも。

 母は、愛人と庶子のことなど知らないと、ユーリエはずっと思っていた。しかし、本当は知っていたのだ。知っていて、知らないふりをしていた。それは、もしかしたら父を守れなかったことに対する母なりの贖罪だったのかもしれない。そもそも、5歳の幼子さえ気づくことを、父の片腕として領地運営や家計に携わっていた母が、気づかないわけがないのだ。

 どうして、今まで、そんな当たり前のことに気づかなかったのだろう。まるで目隠しでもされていたかのような気分だ。

 しかし、女に惑わされるのをガラス玉で防げるというのも妙な話だ。一体父は何に惑わされたというのか。

 父がユーリエに協力的なのは罪悪感からだと思っていた。───でも、他に理由があるとしたら?

「ユーリエがそう言うなら信じよう。だが、気をつけてくれ」

「殿下、」

「レイモンドだ。ユーリエにだけは名前で呼ばれたい」

 真っ赤な顔で、やや仏頂面をしながら告げられた言葉に、胸が温かくなる。

「はい、レイモンド様。次からは外で会いましょう。学院内ではどこにキャシーの目となり耳となる者がいるか、わかりません」

「なら、視察先で会おう」

「でしたら、侯爵に伝言を。侯爵は、リーナが私だと言うことを存じておりますし、父と職場が一緒ですの。遠回りにはなりますが、私の元に届きますわ」

 侯爵は複数いるが、2人の間に共通する知り合いの侯爵はたった1人だけだ。初恋の叔母を盗られたという苦手意識が蘇ったらしく、渋面顔になったが、それでも彼は頷いてくれた。そんな彼が微笑ましい。

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