相変わらず、です

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相変わらず、です

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 本日は晴天なり。通勤通学で混雑する駅の改札を抜け、目的の線路へ向けて階段を上る。駆け上がりたいのは山々だが、人が多くて無理そうだ。勢いで上りきった方が疲れないというのが持論である。残念だ。嫌なら一本早いダイヤに合わせて行動するべきなのだが、私には難しい。布団の誘惑には抗えない。それでも年頃の女子高生らしく、身だしなみを整える時間だけは確保できているのだから、結構頑張って起きている方だと思う。

 私の目の前には他校の男子生徒が数人。談笑している、というか、はしゃいでいる?男はいつまで経っても子供なのよ、と友人が愚痴を溢していたが、男兄弟も彼氏もいない私にはよくわからない。目の前の談笑?は、最早どつき漫才の様相で。何がそんなに面白いのだろうというくらい爆笑しながら騒いでいる。混雑で騒がしい人の流れの中でも、彼らの笑い声は一際大きい。

 よくわからないノリでどつき合い、その拍子に、

 私の目の前の男子がバランスを崩して落ちてきた。

「え、」

 避けられず、押し出され、階段を踏み外し、

 あ、落ちるわ、これ…

 せめて他人様を下敷きにしませんように!





「おい!」

 大声で怒鳴り付けられ、私はガクンと激しく身体を揺らした。驚き、瞬いて、目の前を凝視する。

 赤い絨毯、光の降り注ぐシャンデリア、固唾を飲む無数の気配。

「…え?」

 階段を落ちる際にも「え」としか言えなかったな、そういえば。そんなことを呑気に思いながら、強い敵意を向けてくる目の前の相手に意識を向ける。素人目に見ても高級だと理解できる生地のスーツ?を身に纏っている男性。スーツというか、型は燕尾服に近いかもしれない。中性ヨーロッパを舞台にした映画でしか見たことのない男性の正装だ。白いジャケットの襟元を縁取るサファイヤブルーの刺繍が輝いている。男性は、なんというか、人形のように整った容貌で、整いすぎて特徴がない。

「聞いているのか」

 苛立ちを隠さない男に睨まれ続け、こちらも負けじと苛立ってきた。人形野郎、お前の名前なんてそれで充分だ。文字が勿体ない。

「いいえ、まったく」

「もう一度言ってやる、ありがたく思え」

 よく見れば私たちを囲むように大勢の人が立っていた。仮装パーティーか何かなのか、誰も彼もが中世ヨーロッパのようなドレスにタキシード姿。扇子で口許を隠している女性たちの仕草はまるで平安京のようで、そのギャップが面白い。仮装であれ正装であれ、人々は思い思いに着飾り、美しく輝いてる。

 なんで、その中心で、私は見世物になっているのか!舌打ちしたい気分だ。

 人形野郎が私の名を呼ぶので、改めて意識をそちらに戻す。

「お前との婚約を破棄する!そして、彼女を虐げた罪でお前を国外追放とし、俺は彼女と婚約する」

 彼女?どれ?と思ったら、人形野郎の腕にしがみつく、これまた青い目のお人形のような女性がいた。確かに可愛い女性だが、なんというか、残念ながら人形野郎の隣にいると霞んでしまう。

「いつからそこにいたんですか?」

 思わず全力で首を傾げてしまった。どうやら気にくわなかったらしく、人形野郎は地団駄を踏み、女は唇を引き結んだ。

「最初からいただろうが!俺がエスコートしてきたのは彼女だ!いくら婚約者でも誰がお前なんか喜んでエスコートするかよ!だからお前は婚約者がいるのにも関わらず惨めに一人で現れたんだろうが!!」

「ご説明ありがとうございます」

「どういたしまして!」

「彼女を虐げた罪…、そんなもの、全く心当たりはありませんでしたが、この存在感のなさでは、気づかずうっかり無視していたかも?」

 もう、存在が希薄すぎて忘れる。どうしても人形野郎の方に目がいってしまう。

「失礼なひとね!」

 可愛らしく唇を尖らせる姿は、彼女の計算高さを物語っている。なるほど、苦手なタイプだ。しかし、無視をしていいという道理もないだろう。

「ごめんなさい。…えぇと、お名前は何とおっしゃるのです?」

「貴女ねぇ、とぼけるのもいい加減にしなさいよ!殿下の隣に立つのは、この私なの!みっともなく足掻くのはやめなさい!見苦しい女ね!」

 謝ろうとしたら更に怒らせたらしい。そんなことを言われても知らないものは知らないのだが、何がそんなに気にくわないのか。彼女はそんなに有名なのだろうか。

 有名といえば、人形野郎、殿下、なの?王子なの?そう言われれば、そうだ。どうして今まで忘れていたのだろう。彼は私の婚約者で、この国の王子だ。いやいや、王子って何?私は駅の階段から落ちたはず。

 混乱した頭を抱えて、その場に座り込む。広がったドレスの裾を覆うレースの上で、散りばめられた真珠がまるで涙のよう。

「なんだ?這いつくばって許しを請う気になったか」

「それはありません。ただ、安堵して気が抜けたようです」

 ふるふると首を横に振って微笑めば、人形野郎は怪訝な顔をした。

「安堵?」

「はい。貴方と結婚しても苦労するのは目に見えてましたから。今でも学園の先生方から貴方の苦情を聞かされて苦労してるんです、今後政務に関わるようになったらと思うと頭が痛くて痛くて」

「ふ、不敬だぞ!俺が無能だとでも言うのか!」

「こんな大勢の前で女性一人の一生を踏みにじるようなクズ野郎を誰が敬いますか、アホらしい。敬われたいなら、それ相応に相手を尊重して下さい」

 婚約破棄された時点で貴族令嬢に明るい未来はない。醜聞の中、早ければ明日にでも修道院に送られるだろう。もう今更だ。言いたいことは言っておかないと、きっと後悔する。

 離れたところで威張り散らしていた人形野郎が、歩き始めた。ゆっくり近づいてくる。

 手を伸ばせば彼の裾を掴める程度の距離で、彼は立ち止まる。見上げれば彼は、今にも泣き出しそうな瞳をしていた。

「お前は、俺を尊重してくれていたのか?」

「私は!」

 彼が苦しんでいるのは知っていた。婚約者である私と比較され、優秀な弟とも比較され、出来損ないなどと心ない揶揄を浴び、彼はずっと苦しんでいた。気づけば私の存在は彼にとって重荷になっていた。彼が他の女性に安らぎを見出だしたのは必然だろう。この婚約破棄で彼の心が救われるなら、願ってもないことである。

 私は、悪役になろう。

 そう意を決した私の目に、彼のブーツが目に入った。

 仲良しの男の子と政略の結果、婚約者となり、初めて正式に出席したパーティーでのこと。大好きな初恋の人にエスコートして貰えるのが嬉しくて舞い上がり、気合いをいれてお洒落をしたのだが、当時八歳だった私たちは身長があまり変わらず、私がハイヒールを履いたら殿下より高くなってしまったのだ。今なら気にしないであろう、妬みを含んだ嘲笑が聞こえてきて、堪らなく恥ずかしかったのを覚えている。その次のパーティーではヒールのない平らな靴を履き、今度は着こなしのセンスを疑う陰口が飛び交った。それに怒った殿下は、「次は絶対にハイヒールを履いてこい」と命令したのである。彼に嫌われたかもしれない、そんな不安と共に向かった三度目のパーティー。彼はシークレットブーツを履いてきたのだ!「これで大丈夫だろう」と、彼は恥ずかしそうにそっぽ向いていた。…そのブーツで社交ダンスを踊った結果、彼は足を捻ってしまったのだけれど。

 あれ以来、彼は身長が伸びても、厚底の靴ばかり履く。お前がどんなに高いヒールを履いても大丈夫だと。

 あの厚底は、彼の優しさであり、私の隣に立つための靴だ。

「わたし…は、」

 彼は、見栄っ張りで、子供っぽくて、傷つきやすい、優しい人だ。欠点のないところを探す方が難しいほど欠点だらけだ。人の名前は覚えられなくて社交は下手だし、学業も伸びないし、たまに何もないところで躓いているし。

 それでも、私は、彼が好きだ。

「…私は、今でも、高さが控え目なヒールの靴ばかり選んでしまいます」

 貴方の隣に立つための靴を。

 例え、貴方が馬車で迎えに来てくれなくても、隣に立てなくても、選んでしまう。

 意味が通じたのだろうか。彼の頬を一筋の涙が伝う。

 涙を見せぬようにと顔を背けつつ、彼は手を差し出してきた。思わず笑みが溢れる。エスコートして貰う時のように、彼の手に触れる。緊張しているのか、彼の手は汗をかいているのに冷たい。

 やり直せるかもしれない。そんな希望が生まれた瞬間、

 彼の腹部を長い金属が貫いた。

「………え?」

 びちゃびちゃ、と生温い液体が降り注いでくる。

 今夜、彼のパートナーを勤めていた女性が、彼を背後から刺したのだ。



 さようなら。

 それは誰から誰への挨拶だったのか。





「…え?」

 スーツ姿の大人たちが私を取り囲んで、口々に「大丈夫か!」とか何とか言ってくる。どこかへ向かって「救急車を!」と叫んでいる人もいる。状況がわからないまま、立てるかと聞かれ、大人たちに支えられて移動する。

 不思議と痛みはない。階段から落ちたのに。白昼夢を見た程度だ。

 それもそのはず。

 私のいた場所に、私の下敷きになった男子高校生が倒れていた。仰向けに倒れ、頭から血が出ている。

 血の気が引いた。

 私のせいで、怪我をした人が目の前にいる。それなのに、私は頭が真っ白になって、なにを言ったらいいかわからなかった。思わずその場に座り込んで、彼へと手を伸ばす。

「や、やだ。やだよ。ねぇ、まって」

 私を置いて行かないで。

 初対面の人間のはずなのに、切ない。一緒にいたい。他でもない彼に、傍にいて欲しい。頭が悪くたって構わない。見栄っ張りだって構わない。責任から逃げたって構わない。

「おねがい、しなないで」

 しがみつく手に、ぬるりとした感触が触れ、ぞっとした。また、あの感触だ。また、

「…勝手に殺すな」

 吐き捨てるような声音が、私の思考を遮る。

 ぬるりとした感触は、血で汚れた彼の手だった。痛いほど、私の手を握り返してくれる。

「バカ、もう二度と勝手に死なないで!」

 そう、叫ばずにはいられなかった。救急車の到着を告げる騒ぎの中、誰もそのおかしな会話を気に留めたりしなかったのが幸いである。

 私も階段から落ちたということで、念のため精密検査を受けるために病院へ搬送された。私がぼろぼろ泣きながら彼の手を離さなかったせいもある、と思う。



 その日のうちに、私たちは自己紹介をして、連絡先を交換して、結婚の約束をした。

 覚えているか、なんて、お互い口に出して確認したことはないが、

 彼はいつも厚底の靴を選ぶ。

 私はいつも控え目なヒールの靴を選ぶ。

 それと、彼の欠点が増えていて、尖端恐怖症になっていた。

「うん。私はそんな貴方が大好きです」

「なんだ、急に。気持ち悪いな」

 照れると顔を背ける癖も、彼は相変わらずのようです。



【終】

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