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しおりを挟むレイニール伯爵家の若夫婦は、どこにでも転がっているような政略結婚で夫婦となった。
新郎は次期伯爵、カリエス・レイニール。
結婚して3ヶ月経つが、妻であるマリエンヌは未だにカリエスに会ったことがない。
高位貴族としては異例なことに結婚式は行わなかった。今後も行う予定はない。新郎不在で、義両親と国の役人に見守られる中、マリエンヌは一人で婚姻誓約書にサインをした。マリエンヌが見た時には既に夫の欄は埋められていた。
当然初夜などもない。夫の居場所を訊ねても、誰一人として口を割らない。義両親すら顔を背ける。
一応、嫁のお披露目として義母が茶会を開いてくれた。これによりマリエンヌの立場は周知されたが同時に『夫に相手にされないお飾り妻』として噂の的だ。
「こんなことってある!?」
マリエンヌは、パッとしない平凡なワンピース姿で町に赴き、友人に愚痴った。
元々マリエンヌは貧乏男爵家の令嬢で、行儀見習いを兼ねて王都にある公爵家でメイドとして働いていた。一生このままお仕えしていてもいいのでは?と思ったところに突然降って湧いた結婚。爵位の差から断れないため、突然仕事を辞めることになり、やり甲斐を見出していたマリエンヌは非常にガッカリした。それでも貴族令嬢として務めを果たそうと嫁いだのに、夫は透明人間だ。
最早、鬱憤も限界である。
「あらあら、マリーちゃん。うちは居酒屋じゃないのよ」
指先まで美しく魅せる、マリエンヌの友人。濃い目の化粧ながら、しつこさを感じさせない爽やかさと軽やかさ。しなやかな筋肉を、サラすべの青い新作ドレスに包み隠すも、溢れ出す色香は無尽蔵。
マリエンヌより女性的魅力を全面に押し出す男性。それがマリエンヌの友人だ。かなり美しく、男女ともに目を奪われる存在だが、生物学上は男性。後ろ姿は、背の高いスレンダーな美女。美女の中の美女。でも男性。緩く巻いた長い栗色の髪を肩口から前面に流している、セクシーな美女。
ちなみに彼の店は化粧品店である。居酒屋でも飲み屋でもないし、人生相談室でもない。
「慰めて、エリスちゃん!!」
マリエンヌがヤケクソになりながら叫ぶ。彼?彼女?は朗らかな笑顔を絶やさない。マリエンヌの癒しであり、人生の潤いだ。
「さぁ、おいで!!」
友は両腕を広げて待ち構えてくれた。マリエンヌは躊躇わずその腕に飛び込み、豊満な胸筋に顔を埋める。
ステキ!
この胸筋!!
良質な筋肉って、柔らかいのに弾力もあって、本当にステキ!!
マッチョなわけではなく、あくまでスレンダーな見た目。それなのに、このしっかりした筋肉を隠し持っているなんて卑怯!!
すぅー、ふはぁーっ
マリエンヌは全力で深呼吸をする。ついでに嗅ぐ。薔薇の香りなのに、甘すぎず、ほんのり混ざったグリーン系の香りと相俟って不思議と爽やかだ。バランスがいい。すごい。
「癒されるぅぅぅッ」
「それは良かったわ。───さすがに王家主催の夜会には身代わりなんて用意できないでしょうし、本物に会えるまでもう少しの辛抱よ」
抱き締めてくれる腕の、ハリのある肌にウットリとしているマリエンヌの頭を撫でながら、大柄の彼はウィンクした。
「王家?夜会?そんなのがあるの?」
「マリーちゃんの旦那さん、王太子の側近でしょ?招待されるわよ、嫌でもね」
億劫そうに美しすぎる彼が溜め息を吐けば、それだけで一枚の絵画のよう。カンペキとはこういうことなのだと、心底マリエンヌは思う。納得する。
納得したけれど、別のところが引っかかった。
「───え、私の夫って王太子の側近なの?」
「もっと自分の旦那に興味持ちなさいよォォォ!なんで知らないの!?マリーちゃんの働いていたサーリズ公爵家の令息と一緒に補佐官として王宮で働いてるのよ!!」
綺麗な化粧が浮くほどに青ざめた彼がマリエンヌを前後に揺さぶる。
「そうそう、私が公爵家で働いている時にエリスちゃんと出会ったのよね!あれは運命だったと思うの」
「ワタシとの出会いを反芻してる場合じゃないでしょ!!旦那よ、ダンナ!!」
「うーん、一度も現れない男にそこまで興味持てないかな」
「辛辣!!!!!事情があるのよ、仕方ないのよ、見捨てないで!!」
「心外だわ。私がエリスちゃんを見捨てるはずないじゃない」
「そうよね!ありがとう!って、そうだけど、そうじゃないのよ!!」
マリエンヌが帰宅すると、家令から王家主催の夜会の招待状を渡された。
「ドレスはどうしましょう。お義母様に相談できるかしら」
「若奥様宛にこちらをお預かりしております」
すかさず家令が運ばせた箱には、ドレスと靴が揃っていた。マリエンヌが袖を通したこともない、鮮やかな黄色だ。
「どなたから?」
「若旦那様からでございますよ」
むしろそれ以外の人物からだったら色々と問題がある。これでも一応新婚なのだ。
「なんでこの色なのかしらね…?」
一体誰が着ることを想定していたのだろう。邪推する思考が横切り、コレを着るのは嫌だと、心が迷いのない反応をする。立場を考えれば拒否権などない。
黄色いドレスに、黄色い靴。
別の箱を開ければ赤い宝石のついた装飾品たち。
絶対的に綺麗なそれらを目の前にしてもマリエンヌの心が踊ることは無い。鉛を含んだように重たい空気が肺を満たしている。
行きたくない。着たくない。
己の責任と役割を忘れてしまえたら…と夢想するだけ。
「まぁ、若旦那様の髪の色!こちらは瞳の色ですわね!」
メイドが楽しそうに騒ぎ立てる。マリエンヌとしては、見たことないから知らん、としか思えない情報だ。
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