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12  動き出した

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 良くも悪くも、動き出した世論は止まらない。



「どういう、つもりだ…」

 厳つい彫像のような国王が問う。口を動かすのも億劫そうな話し方だ。面倒事になったと思っているのが伝わってくる。

 エストは、不敵に笑うだけ。

 国王が言いたいのは、夜会でエスト───ウェスティール王子が行ったことについてだ。

 滅多に社交の場に出ない王子が、ただ1人を特別扱いした。巷には2人を題材にした娯楽文学書まで出回り、いつ婚姻を発表するのかという問い合わせが城にまで来る始末。大々的に行動してしまった以上、王家の信頼や威厳を守ろうとするなら撤回するのは愚策だと言える。いっそこの騒ぎに乗じて2人を祝福した方が、民からの信頼や後押しは得られることだろう。

「死にたくない、それだけです」

 護衛も側近も人払いをした謁見の間は酷く寒々しい。いっそ他人だったらまだ互いの線引きが明瞭で楽だっただろう。ここにいるのは、王と王子であり、父と息子。下手な他人より遠くにいる身内のくせに、いざとなれば急に誰よりも近くに踏み込んでくる。

「男爵家出身の元メイドに王妃が勤まるとでも思うのか!」

 国王は壁を揺らすのではないかと錯覚するほどの威圧感で声を荒らげた。エストに幼さが少しでも残っていれば畏怖を覚えたかもしれない。そのような可愛げはとうに失わしているので意味が無い。

「俺は王になりませんし、彼女を王妃にするつもりもありません」

「長男はお前だ!紛れもない王と王妃の子であるお前が王にならずにどうする!」

 その国王の言葉が、エストの胸奥で燻っていた黒いマグマのようなドロドロとした感情を呼び戻す。

「今度は俺がアンタを捨てる番だ。跡継ぎなら第二王子がいるだろ」

 エストは不遜を承知で、不敵に笑う。国王が第二王子を選びたくない理由を、エストは知っている。

「生意気な…!」





「アーネ!アーネ!!」

 前触れもなく屋敷を訪れた粗末な衣服の女性が、門扉の鉄格子にしがみついてアーネの名前を連呼していた。警備兵が引き離そうにも尋常じゃなく血走った目で助けを求めていると。

 そういう日に限って養父母もウィルも不在だ。しかもその女が衆目を集めていると聞き、近所迷惑を危惧したアーネは仕方なく護衛を引き連れて門を確認しに行くことにした。

 その不審人物の顔立ちには確かに見覚えがある。まるで別人のような変貌を遂げているが、忘れるはずもない。

「ライナ夫人…」

「アーネ、いえ、アーネ様!私が愚かだったのです!どうか、どうか、ご慈悲を!!」

 目の前の彼女は記憶の中の姿に程遠い。まるで別人。上級メイドたちにアーネという労働力を差し出す見返りとして受け取った賄賂で高級な化粧品を買い漁り自身を磨いていた女性が、まるで物乞いのように地べたに這い蹲っている。神に祈るような殊勝さがあればまだ同情心も湧いただろうが、涙を流すその口元は笑っており、アーネを未だに利用出来ると思い込んでいるようで不快だ。

「あの女、旦那に離縁されたんですって。当然よね、伯爵令嬢に窃盗の濡れ衣を着せたんだから」

 サラが耳打ちする。ライナ夫人にバレたくないのか、メイドキャップを深く被って俯きがちなサラだが、それでもアーネから離れようとはしない。むしろアーネを庇うように門とアーネの間に体を滑り込ませてくる。

 サラが言うことには、彼女は有責で離縁され慰謝料を払うはめになり、実家の援助も得られず、親戚を頼り住み込みで家政婦として働いていたらしい。そこまではまだ良かったのだという。

「お嬢様をモデルにした小説に登場する悪役の特徴があの女そのものだったためか、近所から疑いを向けられ、肩身が狭くなったらしいわよ」

「───小説?なにそれ?」

 ありもしない恋愛模様が捏造されているのは知っているが、まさかそれが口頭のみに留まらず書籍という目に見える形になっているなどとは夢にも思わなかったアーネは大きく目を見開いた。サラにとってアーネの反応は予想の範疇だったらしく、ひとつ頷くだけで話を続ける。

「そこにね、慰謝料を取り立てに来た元旦那が払って貰えなかった腹いせに、まさしく彼女が王宮で令嬢を虐げた悪女だと言い触らしたのだとか。結果、彼女は現在住所不定無職になっている、というわけよ」

 誰の支援も受けられないどころか、身バレすると石を投げられる。そんな絶望的な状況らしい。

「え、なに、彼女の肖像画でも描いてあるの?文章だけでそんなにすぐわかるもの?」

「王宮で働いている下っ端がどれだけいると思う?読めば誰のことかなんてすぐに見当がつくわよ!あの女、上位貴族たちが自分のバックについているんだと偉そうに他の部署でも顰蹙を買ってばかりだったしね。真っ先にライナ夫人の名前は出回ったでしょうよ」

 小説だから、恐らく登場人物の名前は変えてあるのだろう。それでも実在の人物だと特定できるような、そこまであからさまに内情を暴露するような小説。よく王家が許したものだと感心してしまう。脳裏でエストとウィルがニヤリと笑ったような気がした。

「ねぇ、アーネ」

 猫なで声が地面から這い上がってくる。

「アーネは私を助けてくれるでしょう?働き始めたばかりの貴女をフォローし、面倒を見てきたのは私なのよ。私に恩があるはず。貴女は恩を仇で返したりしないでしょう?」

 元・ライナ夫人は、見慣れた慈愛に満ちた笑みを浮かべ、鉄格子の間からやつれた腕を、手をアーネへと伸ばす。

 警戒するように、サラや護衛たちが気色ばんだ。


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