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5 明るい兄
しおりを挟む「また会えて嬉しいよ、アーネ」
事実上の解雇となったアーネは、シンプルながらも質の良い馬車に乗せられ、着の身着のまま伯爵家へと届けられた。
待ち構えていたのは、前髪で顔を半分隠した青年。一瞬、エストかと思ったけれど、目の前の彼はウィルだとアーネの直感が働く。
「体調は如何ですか?」
「立ち話も何だし、取り敢えず中へ」
問いかけをはぐらかすように、彼はアーネの手を取り歩き出す。アーネは彼の態度を不思議に思ったが、従う以外の選択肢もない。
応接間に案内されると、彼は人払いを命じた。血の繋がらない未婚の男女を2人きりにする気は無いらしく、室内には護衛らしき人物だけが残る。
キョロキョロと室内を見渡したいところだが、そんなお行儀の悪い所を見せられないと気を引き締めるアーネに、彼は笑った。
「まずは座って。君は僕の命の恩人なんだから」
「いえ、私は何もしておりません」
事実だ。ただ、体調不良の彼を押し付けられて、慌てた。それだけしかしていない。結局彼を助けたのはエストである。エストが来なければ、アーネは彼を助けられなかっただろう。
「君が僕を助けようと、どうしようと焦る気配を察知できたからエストは僕に辿り着けたって言ってたよ。だから、ありがとう」
ウィルと呼ばれていた彼は、エストよりも纏う空気がふんわりとして柔らかい。
ウィルとエストの関係を尋ねてもいいものか。アーネは戸惑う。
相手は伯爵家。養女になるか否か、アーネに拒否権などない。ならば…と前向きに伯爵家について調べた。この伯爵家には令息が2人。長男は現在海外に留学中。そして次男。つまり、ウィルとエストの両者が伯爵家に所属しているわけではない。
「自己紹介がまだだったね。僕はヴィレストル・ジェノール。ウィルは愛称なんだ。表向き病弱設定なんで宜しくね」
「表向き、ですか?」
変な自己紹介だな、と。表向きに、設定。そもそもヴィレストルなら愛称はヴィルなのでは?───訝るアーネをよそに、ウィルはカラカラと笑う。
「僕はエストの影武者なんだ。この間の茶会ではうっかり毒盛られちゃって焦ったよー。アイツがしょっちゅう命を狙われるから、僕がしょっちゅう寝込む羽目になるんだよねぇ」
あはははははは。
響き渡る笑い声は軽い。内容は重い。アーネは頭を抱えた。知らなきゃ良かったと、心底思った。
「そんなこんなで、時々エストが僕に成りすますこともあるから気をつけてね!エストの名前呼んじゃダメだよ。逆に影武者中の僕を見つけても名前を呼んじゃダメ。わかった?」
いや、そのエストは一体何者なのか───疑問には思ったが、知らない方が良いこともあるかと言葉を呑み込む。
最初に2人に出会った時、2人とも前髪を下ろしていた。アーネを探して戻ってきたエストは前髪をかきあげた。顔を隠さない、あの姿がエストの本来の姿なのだろう。
「前髪が下りていたら、エスト様でもウィル様でも『お兄様』とお呼びすることにします」
「お兄ちゃんでもいいよ!」
食い気味に要求され、アーネは自分の中にあった緊張が完全に萎むのを実感した。
「結構です」
あの茶会には、エストは主催者側の賓客として特別参加しており、ウィルはそのエストの側近として参加していた。最初から2人共入れ替わった状態で参加していたようだが。
エストに扮したウィルは紅茶に盛られた毒に気づき、それを悟られないよう適当な言い訳をして席を離れ。エストの立場を守るために前髪を下ろし、変装用のジャケットを脱ぎ捨て本来の伯爵家令息───ウィルの姿でさ迷っていたらしい。
せめて乗ってきた馬車にさえ辿りつければ、解毒剤と専属医師が待機している。しかし、ことごとく見捨てられ、結果、アーネに押し付けられた。
「大変な、お立場なのですね…」
「継ぐ家のない次男以下にはあからさまに態度を変えるのは知っていたけど、まさか死にかけるとは思わなかったよ。下級メイドに降格させたくらいじゃ甘いよねってことで、嫁ぐ先が無くなるように業務態度が悪くて降格処分になった女だって、噂を流すように手配しちゃった」
実に愉しそうに、幼さまで滲ませて、ウィルはよく喋る。
上級メイドから降格処分となった者たちは20人ほど。その全員の周囲に噂を流したのだろうか。そもそも噂とは一体どうしたら流せるものなのだろうか。
よくわからない。
よくわからないが、兄となった人物の性格があまり宜しくないのはわかった。
「───程々になさって下さいね、お兄様」
「可愛い妹がそう言うなら検討しよう」
可愛いとは何だろう。アーネは栄養不足で同年代の子より小柄で貧相だ。成長期の少女にある柔らかさがアーネにはない。髪まで回す栄養などないとばかりに傷んでいる。例え体調を崩しても働くことを強要されたせいか、手の爪もところどころ歪んで段差がある。目の前にいるウィルの方が可愛いのではないかと、アーネは本気で考えた。
「お兄様の目は節穴ですのね」
「なかなか辛辣だね!妹って感じがする!いいね!」
前髪の奥で目を輝かせているようだ。この人の思い描く妹像は一体どうなっているのだろう。不安しかない。
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