上 下
2 / 26

2 変な令息

しおりを挟む



 さて。

 病人を馬車に乗せて一息ついたところで、元の作業に戻るわけだが、当然誰かが手伝ってくれるはずもなく。予洗い待ちの汚れた食器が折り畳みの簡易テーブルに乗せきれず、地べたにまで積み重なっている。離れた隙にかなり増えたようだ。当然形状別に仕分けなどされておらず、乱雑で、万が一にでも崩れたら高額な食器の数々が割れてしまう。慎重に食器の山を仕分け始めた。

 黄昏てきた空を見上げ、深い溜め息を吐く。

 食器を持ち帰るための荷馬車を操縦するのはアーネである。馭者は行きの分しか手配されていなかった。王家の馬車を利用するとなれば、それが例え荷馬車でも手続きは煩雑だ。更に馭者も手配しようとすれば更に面倒が増すため、ハーリス子爵令嬢は行きの分しか馭者を手配しなかった。上級メイドたちに毎回色々押し付けられるせいで馬車の操舵までできるようになってしまったアーネだが、プロではないため夜道は不安しかない。

 食器を持ち帰ったら今度は厨房で再度洗い治さないとならない。自尊心の高い料理人たちは手伝ってくれないし、厨房の下働きの人達は各々忙しい。

 しかも深夜を回ると従業員寮の門が閉まってしまう。それまでには終わらせたいところだ。城には仮眠室があるけれど、女性用の仮眠室を使えるのは上級メイドだけ。身分問わず使える仮眠室は男性用だけ。そうなると、掃除用具を集めている部屋で丸まって眠るしかない。あの部屋は石床なのでお尻が痛くなる。

 そんなことを鬱々と考えつつも手はとめない。この庭園で茶会を開く度、毎回石床で眠る羽目になっている。今日こそは回避したい一心で黙々と作業していく。持参したランタンに火を灯して、食事もとらず、淡々と。



「まさか、本当にまだいるなんて───」

 どのくらい経っただろう。不意に聞こえた声に集中力が途切れる。アーネが振り向くと、日中、一緒に病人を抱えた青年がいた。前髪で顔半分を隠しているが、どうやら安堵しているらしいことは見て取れる。

 相手は貴族なので、アーネはすかさず向き直り、深く一礼する。

わたくしに何か御用でしょうか?」

「お礼を───いや、やりながら話そう」

 言葉を遮った彼は徐ろに前髪をかきあげた。暗くて瞳の色まではわからないが、かなり整った容貌であることはわかる。そんなお貴族様が腕まくりまで始めたのを見てアーネは慌てた。

「な、何を」

「手伝うよ」

「いえいえ!どなたかは存じませんが、高貴な方のお手を煩わせるわけには参りません。これは───」

 わたくしの仕事です、と言おうとして声にならなかった。当然である。本来、アーネの仕事ではない。

 ちゅ、と頬に口付けされて、アーネの思考はそのままフリーズした。

「昼間のお礼だと思って手伝わせて」

 ニッコリと微笑む様は有無を言わせない。きっと頬へのキスなんて挨拶なのだと自身に言い聞かせるために深呼吸をする。今は仕事だ。ついでに開き直ることにした。相手がやると言うのだ、やらせればいい。

「では、お言葉に甘えさせて頂きます。わたくしは食器を軽く洗いますので、そこの布巾で水気を拭い、隣のスタンドに立てかけて頂けますか?」

「うん、それならできる」

 一度区切りを入れたお陰か、アーネは気合いを入れ直して新鮮な気持ちで作業の続きを始めることができた。もし彼が食器を傷つけてしまったら、と考えなかったわけではないが、その時はアーネが罪を被ればいいだけだ。いっそ、罪を被って今の職場から逃げ出した方が楽になれるかもしれない。

「俺はエスト。君は?」

 貴族のはずなのに彼は家名を名乗らなかった。その名前も本名か怪しいところである。短いので愛称かも知れない。

「アーネです」

「婚約者は?」

「平民にそんなものいるわけないでしょう」

 アーネは呆れと自嘲を滲ませる。

「上級メイドなのに、平民?」

「あ。」

 作業に夢中になっていたこと、疲労が蓄積していたこと。様々な要因が重なって、アーネは失念していた。貴族にしか入れない庭園に、貴族しかなれない上級メイドの服装でいることを。

 ほんの一瞬だけ手が止まったが、すぐに作業を再開する。それを目にした青年の手も作業を再開する。根掘り葉掘り尋ねてくるつもりはないらしい彼に、要らぬ罪悪感が芽生え、アーネは意を決して口を開いた。

「───上級メイドの方々は、貴族令嬢の皆様は、手が荒れるのを厭うんです」

「うん?」

「ですので、雑用を押し付けるために下級メイドのわたくしに上級メイドの制服を着せて毎回連行してくるのですよ。…内緒ですからね?」

「…うん」

 腑に落ちないと言いたげな声で、それでも青年は頷いてくれた。

 予洗い作業の終わりが見えて来た頃、彼は思い出したように話し始める。

「君に、昼間のお礼を言いたくて。ウィル───あの体調を崩した奴ね───を自宅に届けた後、一度こちらに戻ってきたんだ。ちょうど茶会が終わって撤収する馬車の行列が見えたから、それを追いかけて城に行った。でも、城で問い合わせても、帰城した上級メイドに赤髪の女性はいないと言われて困ったよ」

「まぁ、上級メイドではありませんしね」

「まさかと思って戻ってきたらいるし。こんな暗い森の中で1人とか、女の子なのに危機感足りないよ」

 説教のような、心配するような声音。どうして初対面なのに気にかけてくるのか、アーネには不思議だった。アーネが平民だと知った段階で、気にかける価値もないと立ち去ることもできたのに。彼はそれをしない。

 そもそも皿を拭く貴族男性なんて他に存在するのだろうか。

 ───変な人。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

放蕩娘は〝できそこない〟

葉月+(まいかぜ)
ファンタジー
王都東の交易都市を治める領主の娘は〝出来損ない〟だ。 父の後を継いで領主になることもできず、家を出された。

〖完結〗では、婚約解消いたしましょう。

藍川みいな
恋愛
三年婚約しているオリバー殿下は、最近別の女性とばかり一緒にいる。 学園で行われる年に一度のダンスパーティーにも、私ではなくセシリー様を誘っていた。まるで二人が婚約者同士のように思える。 そのダンスパーティーで、オリバー殿下は私を責め、婚約を考え直すと言い出した。 それなら、婚約を解消いたしましょう。 そしてすぐに、婚約者に立候補したいという人が現れて……!? 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話しです。

自称ヒロインに「あなたはモブよ!」と言われましたが、私はモブで構いません!!

ゆずこしょう
恋愛
ティアナ・ノヴァ(15)には1人の変わった友人がいる。 ニーナ・ルルー同じ年で小さい頃からわたしの後ろばかり追ってくる、少しめんどくさい赤毛の少女だ。 そしていつも去り際に一言。 「私はヒロインなの!あなたはモブよ!」 ティアナは思う。 別に物語じゃないのだし、モブでいいのではないだろうか… そんな一言を言われるのにも飽きてきたので私は学院生活の3年間ニーナから隠れ切ることに決めた。

婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた

cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。 お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。 婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。 過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。 ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。 婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。 明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。 「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。 そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。 茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。 幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。 「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?! ★↑例の如く恐ろしく省略してます。 ★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。 ★コメントの返信は遅いです。 ★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません

よくある婚約破棄なので

おのまとぺ
恋愛
ディアモンテ公爵家の令嬢ララが婚約を破棄された。 その噂は風に乗ってすぐにルーベ王国中に広がった。なんといっても相手は美男子と名高いフィルガルド王子。若い二人の結婚の日を国民は今か今かと夢見ていたのだ。 言葉数の少ない公爵令嬢が友人からの慰めに対して放った一言は、社交界に小さな波紋を呼ぶ。「災難だったわね」と声を掛けたアネット嬢にララが返した言葉は短かった。 「よくある婚約破棄なので」 ・すれ違う二人をめぐる短い話 ・前編は各自の証言になります ・後編は◆→ララ、◇→フィルガルド ・全25話完結

私に転生など必要ない!~生まれたときから勝確です~

三塚 章
ファンタジー
食堂で女性に絡んでいる悪人の前に現れたのは?

いらないと言ったのはあなたの方なのに

水谷繭
恋愛
精霊師の名門に生まれたにも関わらず、精霊を操ることが出来ずに冷遇されていたセラフィーナ。 セラフィーナは、生家から救い出して王宮に連れてきてくれた婚約者のエリオット王子に深く感謝していた。 エリオットに尽くすセラフィーナだが、関係は歪つなままで、セラよりも能力の高いアメリアが現れると完全に捨て置かれるようになる。 ある日、エリオットにお前がいるせいでアメリアと婚約できないと言われたセラは、二人のために自分は死んだことにして隣国へ逃げようと思いつく。 しかし、セラがいなくなればいいと言っていたはずのエリオットは、実際にセラが消えると血相を変えて探しに来て……。 ◆表紙画像はGirly drop様からお借りしました🍬 ◇いいね、エールありがとうございます!

【完結】公爵令嬢に転生したので両親の決めた相手と結婚して幸せになります!

永倉伊織
恋愛
ヘンリー・フォルティエス公爵の二女として生まれたフィオナ(14歳)は、両親が決めた相手 ルーファウス・ブルーム公爵と結婚する事になった。 だがしかし フィオナには『昭和・平成・令和』の3つの時代を生きた日本人だった前世の記憶があった。 貴族の両親に逆らっても良い事が無いと悟ったフィオナは、前世の記憶を駆使してルーファウスとの幸せな結婚生活を模索する。

処理中です...