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 よし、逃げよう。

 善は急げとばかりに踵を返したが、ガシッと腕を掴まれた。恐る恐る視線を持ち上げると、見覚えのない青年が私の腕を掴んでいる。一応貴族名鑑に目を通しては来たが、当主の似顔絵はあっても子息の似顔絵までは載っていない。載っていたところで美化された似顔絵から本人を察するのは難しいかもしれないが。

 で、誰?何?

「すまない、ご令嬢。少々気分が優れないので俺を休憩室まで案内してくれないか」

 私は上から下まで青年を眺めた。顔色は良好、足腰もしっかりしている。体調不良には見えない。

「他を当たって頂けます?」

 腕を振り払おうとするが、力が強い。離れない。私はとにかくこの場から逃げたいのに邪魔をする。苛立たない方がおかしいだろう。

「皆、あちらに夢中で声を掛けにくいんだ」

 私の婚約者を巡り、同じ配色の3人娘は未だに騒いでいる。そちらを一瞥し、再び青年を見遣る。青年の黒い瞳は、自分だけ逃げるな、と言っているように思えた。

 ではこの青年を利用しよう。門番や衛兵の証言だけでは揉み消され、来なかったことにされる恐れもある。なにせ末姫が醜態を晒している。王家が面子の為にどんな話をでっち上げて何を犠牲にするかわからない。私は恐らく婚約者共々犠牲になる側の人間だろう。しかし、身分ある第三者が証言してくれれば私の失態をでっち上げることは出来ないかもしれない。

「貴方様よりも私の方が気分は優れませんわ」

 声を潜めて申告すると、青年は軽く屈んで顔を近づけてきた。

「何故?」

 揶揄するような囁きに、肩を竦めて応える。

「あの騒ぎの中心にいるのは私の婚約者ですので」

「奇遇だな。今夜俺の婚約者として発表されるはずだった相手もあの中心にいる」

 3人のうちどれだろう。美人なのは間違いない。

「いいわ。支え合いましょう、お互いに・・・・ね」

 青年がこの場を逃げ出すための口実に使われる。その見返りとして私がこの場に居たことを証言して貰う。これは双方に利益のある取引だ。





「これは一体なんの騒ぎだ」

 国王夫妻が登場しても尚、令嬢による男の取り合いは続いていた。困り果てていたその場の者達は場を収めてくれる人物の登場に安堵の息を吐きながら頭を下げ平伏する。醜く争っていた者達もワンテンポ遅れて平伏した。

「お父様!私とサフィは愛し合っているの!」

 許しも得ずに口を開いた命知らずはもちろん末姫だ。周囲はギョッとして息を呑む。

「まだそのような戯言を!彼が愛しているのはこの私よ!!」

 更に度肝を抜いたのは男爵家の養女だ。王族だからこそ辛うじて許される蛮行に追従するなど正気の沙汰とは思えない。

 さすがに伯爵令嬢はその辺りを弁えたらしく、口を噤んだままこうべを垂れている。

 陛下は嘆息すると、伯爵令嬢に顔を上げる許可を与え、発言を許した。

「恐れながら申し上げます、陛下。姫様の発言は妄言であり、男爵令嬢の主張は虚言で御座います」

 彼が想うのは自分だと、伯爵令嬢は確信を持っていたが証拠はない。故に口には出さなかったが、その目は確実に肉食獣の如き輝きでギラギラと輝いている。狙った獲物は逃がさないと。

 3人の女の間で縮こまっている侯爵令息は、痴女に襲われたかのようにジャケットが脱げかけ、中のシャツもよれている。その姿はどこか哀れで情けなく頼りない。

「侯爵令息よ、答えよ。貴殿は彼女たちを弄んだのか?」

「と、とんでもございません!自分には幼い頃より婚約者がおりますれば、他の女性がいくら魅力的でも心を奪われるわけには参りませんので!ただ良き友人関係を築けたらと、お茶をしただけです!惑わせるような言葉を口にした覚えは微塵も御座いません!」

 果たして男女の友情は成立するのかなどとこの場で論じるつもりは毛頭ない。どうしたものかと陛下が思案する中、「本当は私を愛しているのでしょう!」「婚約者の手前素直になれないのね、お可哀想に!」などと末姫と男爵令嬢が騒ぎ始めるのだから頭が痛い。

 そこに部下が情報をもたらす。陛下の憂いはある種局地的に晴れたと言えよう。



「まず、侯爵令息よ。そなたの婚約は白紙撤回とする。これは王命だ」

「え………!?」

 令息の顔が絶望に染まる。やった!と末姫は手を叩いて喜び、男爵令嬢はガッツポーズを披露した。伯爵令嬢はしおらしく俯いたままだが、その口元には笑みが浮かぶ。

 それも束の間。

「秩序を乱したこの4人を捕縛せよ」

 国王の冷静な指示に、彼らは絶望と驚愕を浮かべた。





 彼の実家は何かと理由をつけて私の家にお金をせびる。お金を融通しなければ婚約破棄をして貴様の娘を傷物にしてやると彼の父である侯爵が、私の父を脅迫しているのを聞いたことがある。身分差で強引に押し切られ縁談を断れなかったことを父は常に悔いていた。

 一方の彼は私を前にすると文句ばかり。

『何故お前みたいな冴えない女が僕の婚約者なんだ』

 こんな婚約は嫌だと。それは私も同感だった。

 婚約解消なら兎も角、破棄となればワケありと見なされ次はない。だったら私は修道女にでもなればいい。だから、早く私を解放して欲しい。そう願い、父に訴えたこともある。しかし父は私の将来を思って首を縦に振らず、いつか必ず機会は来るはずだから耐えろと。


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