じゃじゃ馬令嬢の嫁入り

ひづき

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 まず、採寸。ひたすら採寸。あとはあらゆる色の布地を顔に合わせて、ああでもない、こうでもないと、小柄な白髪マダムを中心にスタッフが駆けずり回る。ただひたすらじっとして、ただされるがままにされる、それが離宮到着の初日だった。

 一息つく間もないのは当然だろう。なにせ事前準備も情報もない急な注文で、しかも決められた期限内に王弟の婚約者に相応しい品を複数仕立てなくてはならない。時間はいくらあっても足りないとばかりに、その場でデザインから仮縫いまでザクザクと作業が進んでいく。

 気品に相応しいゆとりなど、気にしている余裕もない。離宮は職人たちの戦場と化している。

 ただの人形になりつつ、隙を見て、道中を共にしてきた侍女に声をかけた。

「この離宮の管理者にご挨拶したい旨をお伝えして。あと、知識やマナーの教師はどなたがいらっしゃるのか確認して」

「───何故そのようなことを?」

 一瞬憮然とした侍女だが、疑問の方が勝ったらしく、素直に問うてきた。ならば、こちらも素直に応えるまでである。

「一週間もお世話になるんだもの、挨拶くらいしたい、でも私はここを動けない。そもそも身分に関わらず客人が管理者のいる裏方を訪ねるわけにもいかない。だから、実際に会えるかは兎も角、貴方を気にかけていますよ、と遠回しに伝えるだけでも心は伝わるわ」

「そういうものです?」

「たぶんね。どなたが教育をになって下さるのかを事前に知りたいのもそう。例えばマナーに関しては恐らく高位貴族のご夫人がいらっしゃるわ。事前に確認した上で領地などについての少しでも勉強をしておけば、少なくとも話題には事欠かないし、相手に不快な思いをさせずに済むでしょう?」

「にわか過ぎて逆に怒らせたらどうするんですか」

「素直に教えを乞うのよ。ここまでは知っていますが詳しくは知らないので教えて頂けますか?ってね。いくつか質問したいことを想定しておくと、興味を持っているということは伝わるわ」

 会話をしている間にも、何色もの布地が宛てがわれ、その隙に髪をカットされていく。馬や羊の毛は手入れしても、自身の髪を気にかけたことはあまりない。今までは両者に、商品になるか、ならないかの差があった。けれども、今後は貴族として、令嬢としての自分に商品価値を見出さなくてはならない。手入れをするというのは、こういうことなのかと、改めて体感した思いである。

 散っていく髪は人参色をしていた。温かい色だが、ハッキリしない印象を与える色でもある。

 視線を戻して侍女の様子を窺えば、彼女は何か考え込んでいるようだ。少ししてから納得したように軽く頷き、頭を垂れた。

「承りました」

 どうやら先程のやり取りは納得のいくものだったらしい。侍女は足早に立ち去っていく。良くも悪くも、己の心に素直な人なのだろう。裏表がなくて貴族としては生きにくそうだ。





 毎日朝から晩まで、マナーの確認と、必要とされる知識の勉強が行われていく。

 どこの領では何が特産で、といった国内の把握は難なくこなせる。

 軍馬は安易に収入と結び付けられない。なにせ戦争の道具だ。そのため、どうしても他の品で収益を得る必要があるサルアーナ伯爵家では、土産物品などを他領へ販売していた。販売するには、相手が何を必要としているかを調査する必要がある。また、既にその地域で生産されている物品の競合品は売上が伸びにくいため、把握しておくのは当然のことだ。必要に駆られて自然と覚えた知識が、まさかこんな形で役に立つとは不思議なものである。

 計算も得意だ。日々の生活で役立つことは好きである。

 同時に、歴史などのお金に結びつかない知識は全く頭に入っていない未知の領域だった。建国云々、偉人が云々、聞かされても、それに纏わる何かを作り出せれば売れるだろうか、としか考えられない。

 マナーは割と大丈夫だった。姿勢に必要な筋肉がしっかりできているとの評価である。

 あとは、ドレスや宝飾品の選び方だ。付き人たちが選ぶ候補に流されず、しっかり見極めなければ、道化にされ、社交界のネタとなり笑い者になるのだと、女性特有の陰湿さを交えて説明された。これが一番精神的に辛い授業である。田舎で伸び伸びと育ち、兄と男の子のように過ごしてきたため、女が集団になった時の陰湿さは苦手だ。

「アリーシャ様は想定より早く教育が終了しそうだと先生方が褒めていらっしゃいましたよ」

 あの喧嘩腰だった侍女が、離宮到着5日目で初めて名前を呼んできたことには驚いた。どういう風の吹き回しだろうと勘ぐってしまう。

 5日目ともなれば最早農婦のような見た目ではなく、いち令嬢として、頭から足の爪先までお洒落で武装している。正直窮屈で仕方ないが、これが今後生きる世界なのだと、己に言い聞かせ、穏やかに微笑むのだ。

「そう…、延長を告げられなくて良かったわ」

 ちなみに歴史は絶望的すぎて教師に匙を投げられた。王弟も許可したらしい。

 不意に、廊下が騒がしくなり、客室のドアに目をやった。それを指示と受け取った侍女が「確認して参ります」とお辞儀をしてドアに近づいていく。───別にそういうつもりではなかったのだが、まぁ、いいだろう。

 侍女がドアを開けるより先に、彼女の目の前でドアが吹き飛ぶように大きく開いた。

 何事かと咄嗟に身構えていると、ドアの向こうの人物を見た侍女が慌てて道を譲る。ツカツカと足早に入ってきたのは長い銀髪の男性だった。優雅に座って紅茶を飲んでいる場合ではなくなり、立ち上がる。

「お前は───」

 

 挨拶より先に出てくるのが、不躾な呼称。男は、その粗野な態度がよく似合う体格をしていた。巨漢というわけではないが、引き締まった筋肉が着衣の上からでも感じ取れる。雑に伸ばされ手入れのされていない銀髪は、数日前までの自分を思い出させた。

 それはそれ。これはこれ。いくら似合うとはいえ、許容するわけにはいかない。

「ノックからやり直して頂けます?」

「なに?」

 怪訝に顰められた眉が、鋭くなった目が、威圧してくる。生家でよく遭遇した野生の猪に比べれば可愛いものである。そんなものではビビりようがない。

「淑女の部屋にノックもせず、挨拶もしないなんて無作法が過ぎます。貴方様がどなたかは存じ上げませんが、わたくしと貴方様はマナー不要になるほど親しい仲ではありませんわ」

 さて。彼はもっと怒るだろうか。そしたら、どうしようか。

 イタズラを考える子供の気分で相手を見据える。

「─────そうだな。全面的に俺が悪い。やり直そう」

 あっさり引き下がられると、それはそれで不完全燃焼だ。そんな不満など気づかれないよう、澄ました顔で不審者の退室を見守る。




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