じゃじゃ馬令嬢の嫁入り

ひづき

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 兎にも角にも「無理」という一言で済みそうな薄っぺらい返事を手に、使者は王都へと引き返して行った。馬を途中の街などで替えながら休むことなく急いだところで、王都まで最短5日。王から伯爵家へ返事が来るなら早くて10日後だ。

 その頃には、そんな珍事があったことなど、伯爵家の面子は皆すっかり忘れていた。

 15日後に、豪奢な馬車が伯爵家の前に停車したことに驚いても、それがとうに忘れ去った縁談絡みだとは思い至らず、呆然とする。

 王からの分厚い手紙を受け取った伯爵は、いっそ気を失いたいと願いつつ、手にした上質な紙を恐る恐る開いた。

「───」





『これはあまり知られていない極秘事項なのだが、』

 手紙の冒頭から何とも重たい空気である。しかもその極秘事項とやらを家族に読み聞かせることで、この厄介な案件を一人で背負うことから逃れようとする父の想いが伝わってくる。

『貿易国のひとつである某大国の女王は御歳60を目の前にして尚極度の色狂いである。男女問わず気に入った者を集めて昼夜問わず大変乱れた生活をしている』

 既に成人している兄と、そこまで純粋無垢に育ってはいない年頃の妹は、しっかりその意味を把握して遠い目をする。まさか、その、男女問わず入れ食い状態のところに行けという縁談だろうか?と一瞬想像し、いやいやと振り払う。国内の貴族だと、最初の打診の時に言っていたから大丈夫なはずだ。きっと大丈夫、と思いながらも、兄と妹は幼少期以来久しぶりに手を繋いだ。

『その女王が、今年成人する私の弟を27番目の夫に寄越せと言ってきた』

 国王の弟───王弟殿下は今年18歳で、この国では成人を迎える。

 ちなみに女の成人は16歳だが、貴族社会では嫁ぎ先の仕来りを身につけてから婚家の一員として成人のお披露目をする女性が多い。そのため、14歳前後で嫁ぎ、成人するまでは白い結婚となるのが普通だ。

 王族なのだから婚約者がいそうなものだが、この王弟は女嫌いで有名だ。お見合い相手に心無い言葉を浴びせて傷つけるらしい。席にもつかず、盛大に顔を顰めて『そなたのような悪臭漂う女と茶など飲めない』と言い放つという、嘘か誠かわからない噂が田舎にまで聞こえてくるのだから相当だろう。

『国力の差が僅差で断り難い。私はとっさに、弟に婚約者がいると嘘をついてしまった。2人はもうすぐ結婚する、結婚の準備も進んでいて取りやめるなど花嫁のことを思うとできないと、必死になるあまり嘘を重ねた』

 色々ツッコミは入れたいが、取り敢えず王が弟を大切に思っていることはわかった。同時に何を要求されているのか、先が見通せてしまった家族は深い溜め息をつく。

『もちろん、そんなものはいない。代役を立てようにも、王家の婚約者は伯爵家以上の高位から出すことが通例。しかし、年頃の目ぼしい令嬢は皆既に嫁いでいる』

 そりゃそうだろうな、と兄が小さく呟いた。

『見合いだと周囲から認識されていた茶会などは全て女嫌いの荒治療の一環だと説明した。しかし、女王は弟の結婚式に出席して新婦を見るまで信じないと断言し、今も弟を婿にとせっついている』

 気持ちはわかるが、何故すぐバレるような嘘をつくのかと問いたい。

『どうか、形だけでいいので、私の弟の元にご令嬢を嫁がせて頂けないだろうか!身勝手なことは重々承知しているが、私にとって大切な大切な家族である弟をあのような化け物に差し出すなど耐え難いのだ!金の心配は一切不要なので、一刻も早く王都まで来て欲しい!』

 他国の女王を化け物呼ばわりしていいのか、いや、よくないだろうが、これが紛れもない王の本音なのだろう。

 サルアーナ伯爵家は、歴史だけはある。軍馬の生産地なので、王家が婚姻を使って手綱を握っておきたいのだろうと周囲を納得させるだけの材料もある。しかも嫁いでおらず、婚約者もいない、今年成人する16歳という適齢期の娘がいる。王家の信頼も厚い。

 実は2人は幼少期から婚約していて、成人というタイミングで結婚させますとなれば、確かに筋は通る。この国では慣例となっている、花嫁が事前に婚家で花嫁修業をする期間がないけれど、王弟の女嫌いを言い訳にすれば何とでもなりそうだ。

 なるほど、そりゃ、藁にもすがる思いで、うちに話が来るよね?───家族の見解は一致した。非常に納得した。

 それ以降の手紙は、ただひたすらに王の嘆きが綴られており、読む必要はないと父は判断したようだ。

「ここまで王に懇願されれば断りようがない」

「そんな貴方!この子に王族の嫁なんて、形にもなりませんよ!無謀です!不敬で瞬殺されます!」

「そうですよ、父上!このじゃじゃ馬ぶりでは王弟殿下の女嫌いも悪化しますって!!」

 王家の信頼以上に厚いと思われる家族からの信頼が、随分と不名誉な方向に傾いている。自慢ではないが、本人も全く同感である。

 それでも、王命である以上、従うしか選択肢はないのだけれど。

「大丈夫よ。いざとなったら王家の馬屋番の仕事にでも就くわ」

「バカ!見た目重視の王家の馬はうちの軍馬とは違う!鍛えるべき筋肉も食事も異なるんだ、ここでの知識なんぞ通用しないぞ!」

「父上、叱る論点がズレてます。妹よ、頼むから一族郎党処刑されるようなヤバい不敬はやらかすなよ!!」

「向こうでも刺繍だけは続けてちょうだいね!我が家が冬を越すためには刺繍の売り上げが必要不可欠なんだから、作品は必ず送ってきてね。お願いよ!」

「誰か一人くらい、体に気をつけて、とか言えないの!?」

 外に泊まる馬車は、迎えに来た王弟妃候補が乗るまで居座り続けるつもりらしい。断りきれないと悟った一同は娘の荷造りを手伝いながらも軽口を叩く。

 なんとも呑気な一家だと、突如王家に嫁ぐはめになった娘は呆れた。

「では、お父様、お母様、お兄様。わたくし、アリーシャ・サルアーナはお嫁に参ります。ここまで育てて下さり、ありがとうございました」

 事情がどうあれ嫁ぐのだから挨拶は必要だろうと、農作業の際によく身につけているエプロン姿のまま淑女の挨拶を家族に向ける。

「マジでその格好で行くのか…」

「これから嫁に行く妹を不安にさせるようなことを言わない!他にないのだから仕方ないわ。恐らく王家の方で既製品のドレスくらい用意していることでしょう。刺繍道具は持った?あなた一人いないだけで我が家一人あたりの作業は増えるのだから、その分しっかり売り物を作ってちょうだい!」

「いや、母上の方が俺より酷くないか?ねぇ、父上?」

「観賞用の馬と軍馬の違いをよく学んできなさい、リシャ」

「私は留学に行くわけじゃないんですけど!?」



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