元カレに囲まれて

花宮守

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第3章 王子

第8話

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 大学同士の交流でどちらかのキャンパスに行く時は、あらかじめ知らせて、少しの間でも会えるようにした。それを見ていれば、周囲は察する。だから心配する必要はないのに、彼はその場から私を連れ去るようになった。紳士的に「では、そろそろ行こうか衣純」なんて言うから、みんなはぽーっとしちゃって、止めてくれない。
 二人きりになると、拗ねた顔で「すまない。また子供じみた真似をしてしまった」と謝ってくる。そうすると私はつい、「私の前でくらい、子供っぽくてもいいでしょ。まだ十九歳なんだから」と甘やかしてしまう。大勢の中にいるのを見ると不安になる気持ちは、痛いほど分かるから。そういう日はベッドの中で、いつも以上に甘い時間を過ごした。
「王子のこと、ちゃんと好きだよ」
「分かっている……」
 いっぱい私を愛してくれて、眠くなった彼を抱きしめ、寝顔を眺める。安心したみたい、よかった。
 ふと、思う。先生に対して、ぐちゃぐちゃ悩んでいたのをもっと上手にぶつけて、こんな風に続いていく道もあったのかな。でも王子は私より大人だから……私には、難しかっただろうな。
 恭一郎さん。あなたは、まだあの学校にいる? 私立だから、希望しなければ転勤はないよね。実家に時々戻っても、高校を見に行くことはないけど……。

 冬になると、夢を見た。去年も見た夢。あの公園で、雪の中で、恭一郎さんが一人で立っている。手のひらを見つめて、取り戻せないものを思い出しているような切ない目をして。見えているのに、声をかけることも、近寄ることもできない。見覚えのあるマフラー。時々私を一緒に入れて温めてくれたコート。車のナンバーも、座席の角度も、忘れたことはない。
 けれど今、寒い冬の朝に目覚めると、私を胸に抱いているのは王子。ホッとして、少し泣きたくなって、また目を閉じる。今は、この人を大事にしよう。王子に出会えて、好きになれたことを、大切にして生きていこう。
 先生には……「ありがとう」は言えたけど、「ごめんね」は言えなかった。言っちゃいけない気がしたから。
 いつか、どこかで会えたら。先生は白髪の素敵なおじさまになって、私は貫禄のあるおばさんになったりして、その頃には笑って話せるのかな……。
 
 年が明けると、早期の就職活動に備えて周囲が慌しくなった。私もいくつかの会社について調べ、希望と、今自分がやるべきことをすり合わせていった。
 お母さんも、役員をしている会社がアメリカに支社を作るのと、自分の会社も海外展開を始めるということで、忙しくしていた。
 何もかもが大きく変わっていく中、順調に思えた王子との仲が、突然終わりを告げた。

「衣純。これを渡しておこう」
 ホワイトデーの素敵な食事の後、彼の部屋でコーヒーを飲んで、いつもより長く愛されて。幸せだな、って思いながら眠りについた。翌朝、朝食の席で私の部屋の合鍵を返されるなんて、まったく予想していなかった。
 絶句している私が受け取らないのを見て、彼はテーブルに鍵を置いた。最近伸びてきた金色の髪は、リボンで後ろにまとめている。
「君の心には迷いがある。僕たちの出会いは早すぎたのかもしれない」
「……別れるってこと? ここのところ、就職活動で忙しくしてたのは悪いと思ってるけど……」
 企業の担当者の予定が変わって、デートをキャンセルしたことも、一度や二度ではなかった。そのたび、笑って受け入れてくれて、埋め合わせもしてきた。それでも、すれ違ってしまっていたのかな……。
「君のせいじゃない。今は、君に自由になってほしいんだ。僕もやりたいことがある。それぞれの道が再び交差した時、僕たちはいい仕事の相棒になれるはずだ。それは時に、パートナーを探すことよりも難しい」
 青と緑の瞳が、切なく揺れている。
「言ってることと目の表情、一致してないよ……」
「本音を言えば、手放したくはない。だが僕は、この方法による君との未来を確信している」
 だから頑張れ、って。今は恋は休んで将来を確実に掴め、って。そう言ってくれているんだ。王子は、そういう人。自己犠牲っていうか、騎士道っていうか、古い物語で読んだかっこいい要素を全部詰め込んだ、現代の王子様。あだ名は、容姿だけを意味しているんじゃない。
 私は、鍵を手に取った。
「そっか。もう、決めたんだもんね」
「もう一度言う。君と僕はいい仕事ができる。必ずだ。その時にまた男として見てくれるなら、二度と離しはしない。……いい男にならねばな」
「それ以上いい男になったら、世界中の女性が悶え死ぬと思う」
「ハハッ、そうか。それはすごいな」
 王子の目は、未来を見ている。私も、先へ進まないといけないんだ。
「今までありがとう。幸せだった。ほんとに」
「僕もだ。一時間後には、自分の決断に自分を殴りたくなっているだろう」
 笑顔だけを見せようと思ったのに、その言葉に涙が浮かんでしまった。事情は違うけど、私も先生と別れた時、自分で決めたことなのに泣いた。自分は何て馬鹿なんだろうとさえ思った。引き返せないから、少しずつ前を向くしかなかった。
 涙をごまかすために、コーヒーを飲んだ。彼も、同じようにした。今朝は、お砂糖が三つ。彼が飲み終わるのを待って、立ち上がった。

 お互いの部屋を行き来していたから、ここに置いてあったもので必要なのは、少しの着替えくらい。持ってきたバッグに全部入った。
「じゃあ、また、ね」
「ああ。必ず」
 出会いの日に交わした握手は、交際の始まり。今日の握手は、お別れと約束の証。いつになるかは分からない。私の人生も王子の人生も、どんな方向へ変わっていくか、誰にも確かなことは言えない。でも、意志を持って進むことはできる。彼のそばで、たくさんのことを勉強した。何人かの仕事の知り合いに、紹介もしてくれた。たとえ王子と二度と会えないとしても、彼が広げてくれた人生を丁寧に生きていきたい。
 名残惜しいけれど、どちらからともなく手を離した。
「衣純、ひとつだけ頼みがある」
「言ってみて」
「いつかまた会えたら、僕にコーヒーを淹れてくれないか。舌が肥えてしまってね」
「うん……そっちの腕も上げておくから、楽しみにしてて」
「それ以上腕を上げたら、世界中のコーヒー好きの男が君の虜だ。ほどほどにしておいてくれ」
「何それ……ふふっ」
 笑って、別れた。

 それぞれ一年にも満たない、三つの恋。そのひとつひとつが、宝物だった。
 王子と別れた年の末に、お母さんが海外勤務になった。当時の私は想像さえしていなかったけれど、その頃にはもう運命が、三人とのドラマチックな再会を準備していた。
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