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中編: ハル編
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しおりを挟む一気に何も聞こえなくなる耳。
肌を突き刺すような冷たい水。
視界がぼやけて、声を発しようと開けた口からは泡しか出てこない。
(あれ…僕、海に落ちた……?)
ゆらゆら揺れる海面を見ながら、重たい手足を海中に投げ出した。
びっくりするほど身体が重くて、動かせない。
こんなに深くまで水に入ったのは初めてで、この状況に頭が真っ白になる。
どうするんだっけ、こういうとき。
泳いで海面を目指すんだっけ。
でも僕泳げないし、服が水を吸ってもっと沈んでいく。
これは、やばい。苦しいのには慣れてるけど、いつ意識が飛んでもおかしくない。
(…けど、海の中って…こんなに綺麗なんだなぁ……)
日の光がまるでオーロラのように降りそそぐ海中。
この2週間外からしか眺めなかったけど、中から見る海もすごく綺麗。
なにより、静かだ。
外は鳥の声や波の音があんなに響いてるのに、中は静寂でなにも聞こえない。
心地よくて、つい目を閉じてしまいそうになる。
……死ぬときの感覚も、こんな感じなのだろうか。
(…………)
コポリと口から出た泡が、上へと登る。
さっきアキが駆け寄ってくれてた。
流石だ、普通なら動けないだろうに瞬時に動いた。レイヤにも知らせてるかもしれない。
あの先にみんながいて、もう大分遠いけどあそこまで行ったら多分…またみんなと生きれる。
でも、別にいいんじゃない?
もともとみんなに迷惑かけたくなかったんだし、高校卒業までっていうのが今になっただけ。
ここで死んでも僕はいい。
寧ろ、最期をこんな綺麗な景色で迎えられるって最高なのでは……?
こんな、太陽の光が差し込む 夏の海でーー
『知ってる? 太陽ってさ』
(太…陽……)
『大きくてあったかくて眩しくて、あんなに遠くにあるのに安心できるよね。
でも、近づきすぎるとその熱に耐えられなくなって……
溶けて なくなっちゃうんだよ』
……思えば、先生は太陽のような人だった。
遠目で見ると優しくていい人だけど、近づけば近づくほどその危険な本性に気づく。
出会ってまだ1年も経ってないのに、僕だけしか眼中になくて僕だけを「欲しい」と言っていて、くん付けばかりのなか僕だけを特別な呼び方で呼んでいた。
ーー『ハルちゃん』と。
(………ねぇ、せんせ)
僕、ここで死ぬよ。
夜話したときあんなに海に取られたくないって言ってたのにさ、取られるよ。
いいの? 死んでも。
先生が殺さなくていいの?
一緒に死んでくれるんじゃ、なかったのーー?
(っ、ぇ)
今
今、なにを思った……?
一緒に死んで欲しいの? 誰かを道連れにしたい?
馬鹿か、そんなのは犯罪だ。迷惑かけたくないと言いながらかけまくってるじゃないか。
(でも…あのひとは)
それを犯してでも一緒にいてくれると、言った。
「ーーっ!」
落ちてくる光の線へ向けて、真っ直ぐに手を伸ばす。
何やってんだ僕。身体が重いんじゃなかったのか。
もうこんなに沈んでるのに、背中は望んでいた真っ黒い世界なのに
どうして…真逆のほうへ行こうとする……?
(違う、そうじゃない)
別に光を選んだわけじゃない、黒いほうへ落ちていってもいい。
ただ、
ただ、僕は ひとりになりたくなくてーー
「…………ぁ、」
大きく目を開いた先
僕の声だった泡が、ボコリと上にあがっていった。
そう、か……そうだ。
先生が言った、もうひとつの感情。
どす黒いものの影に隠れていた、その大きなものの正体は
(ひとりに、しないでという……想い)
寂しさに似た、まったく別のもの。
寂しくなくても側にいてほしいという、我儘で自己中心的感情な
ーーその、幼稚で可哀想な 想い。
僕は、自分だけのものが欲しかったんだ。
自分だけの何かが欲しかった。
誇れるものじゃなくていい。
1人じゃなにもできない僕に、空っぽな僕に、たったひとつの特別なもの。
それだけで、本当によかったんだ。
(……せん、せぃ)
その何かと過ごして
(せん、せ)
いつまであるかわからない僕の生に、付き合わせて
(ヨウダイ…せん)
死ぬときも、最後まで側にいてもらって
そして
「~~~~っ、」
できれば死んでからもずっと、僕といてくれるような
そんな僕だけのものが……欲しかったんだ。
「っ!」
大きく口を開けてしまい、大量の水が一気に入りこむ。
苦しい、さっきと比べ物にならない。ベッドでもこんなに苦しいことってあったっけ?
(でも……!)
ひとりは、嫌だ。
ひとりぼっちのまま死ぬなんて、そんなのは嫌だ。
僕の使命は確かにアキを隣から羽ばたかせること、小鳥遊から飛び立たせてあげることだった。
けど、僕だって自分のために生きてみたい。飛んでみたい。何かを、手に入れてみたい。
「っ、っ!」
人じゃなくていい、物でもいい。
何かひとつ、僕に付き合ってくれるもの。
こんな僕の隣にいて、どす黒いものを抱えてるのに気にもしなくて
寧ろ
「ーーーーぁ、っ」
それを笑って「いいよ」と、許してくれるようなーー
「カハッ、は……ゴホッ、っ、は」
「ハル!!」
一気に入ってくる空気に身体が追いつかず、上手く呼吸ができない。
飲み込んだ海水が迫り上がってきて、吐き出してしまう。
パァッと明るくなる視界にクラクラして、苦しくて耳がまだぼやけて聞こえなくて。
光に向かって必死にもがいてたら、何かにグンッと腕を引かれた。
そのまま抱えられて、海面すれすれで持ち上げるように思いっきり背中を押されて。
「はぁ……は、は…っ」
まだ力の入らない僕を支えながら、一緒に救護用の浮き輪に捕まる人物。
荒い呼吸をしながら重い体でなんとか振り向くと、そこには
「………ぇ? レ、イ……」
「先生が浮いてこない!!」
まだ戻らない耳に、つんざくようなイロハの声。
「水飛沫も全然立ってないよ!
どうしよう…まさか、沈んでるんじゃ……!」
「レイヤっ、やっぱり俺も降りてーー」
「駄目だやめろ!お前らは動くんじゃねぇ!」
船から叫ぶアキたちを牽制するレイヤ。
(待って…先生……浮いて、こないの………?)
辺りは、僕の忙しなく繰り返される呼吸の他に何もない。
水面も、ただ静かに海風が流れているのみ。
「っ、は、ヒュッ」
痛かった心臓が更にドクリと震えて、呼吸に嫌なものが混じってきた。
(せん、せ)
あの時、海中で僕の腕を引いたのは先生だったはず。
最後に下から背中を押してくれたのも、多分。
でも、それで? その後は……?
「ぅそ…はっ、うそ……だっ」
「ハル、落ち着いて息しろ。
おい!早く引っ張り上げろ!!」
背中を撫でてくれる手を振り解き、必死に周りを見渡す。
ねぇ、なにやってんの。
さっさと上がってきなよ、僕のこと手に入れるんでしょ。
こんな見せ物みたいなことして、能天気にも程があるよ。
(ゃだ、嫌だ……!)
何言われてもケロッとしてるくせに、たかだかあれくらいの言い争いで間あけて、医者らしいことしか言わなくなって、触ってもくれなくて。
それが最後なんて、馬鹿みたいじゃんか。
大体そっちから言ってきたんだろ。「なんでもしてあげる」って。「君の所有物になりたい」って。
なのに、僕のこと残して死ぬなんて…そんなの許されるわけがない。
あなたは…あなたは、僕と一緒に
「ぃて、くれるんじゃ……なかったn」
「うん。いるよ、ずっと」
バシャリと跳ねた、すぐとなり。
水飛沫の中から現れたのは、キラキラに輝く綺麗な金色。
「大丈夫だよハルちゃん。僕がハルちゃんを置いて死ぬわけないじゃん。
僕は、ハルちゃんのなんだから」
「っ、~~~~っ、は、ぁ」
「レイヤ変わる」
「お前何してたんだよ…ったく……焦った」
「ごめんごめん、なんかイルカが見えた気したんだよね。ハルちゃんが探してたから見つけてあげようと思って。
上手く息できないね。いいよそのままで、ちょっとずつ吸おうか。もう平気だから早く船上がろうね」
支えてくれる人が変わり、いつもの体温にグッと抱きしめられる。
密着する肌が気持ちくて、冷たい海の中なのにじんわり温かさが広がって
(溶け…ちゃい、そ……)
太陽に近づきすぎると溶けてしまうのは本当だと思いながら、怠すぎてどうしようもない体を預けて目を閉じた。
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