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逃げの一手

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 天を刺すような咆哮が湧き上がる。
 肉体の筋がギンギンに張りつめ、全身は燃えるように熱い。
 頭の中で何かが叫ぶ。
――抜け! 
 いいのか!? 抜いていいのか!? 
 ここは天下の往来――ではないが外だ。屋外だ。
 人目もある。多くはないが――女子二人。
――抜け!
 犯罪じゃないのか!? 捕まるんじゃないのか!?
 いや、でもこれは『夢の中』だ。誰が俺を罪に問える? 何が俺を裁ける?
「夢の中なら――何でもアリだあああああああああ!」


 閃光が辺りを包む。身体の底から力がみなぎり、全ての感覚が鋭敏になっていく。
 眩しさに顔を覆った雅が、その指の隙間から見た光景に呟く。
「す、すごい……。ビンビンしてる……」


 そう、ビンビンである。
 先程までは存在すらしていなかった剣の刀身。
 それが今では、猛々しいオーラが刀身の形を成していた。
「これが――セクシーソードの真の姿か……」
 フェロモンを刀身に変える伝説の剣。
 これで――闘える。



「形勢逆転――いや、ここからが本番か」
 呆然と立ち尽くす少女に剣を向ける。武器さえ手に入ればこっちのモンだ。いや、実際剣なんて握った事ないけど。まぁ何とかなるだろう。
「ふん。武器を持ったくらいでいい気にならないで下さ――」
 少女が注射器を構えた。が、どこか様子がおかしい。
 俺と視線が合わず、口も半開きで間抜け面。戦意の欠片もない。

 ははぁ。分かったぞ。
 これは不利になった戦況を打破しようという作戦。
 俺を油断させるつもりなんだな。思わず後ろを振り返るところだった。

「その手には乗らないぜ。いくら俺でも、そこまで馬鹿じゃない」
 剣を逃げる手に力を込める。が、相変わらず少女は動かない。
 あくまでも作戦を続けるらしい。
 ならばこっちから仕掛けるか? いや、それはダメだ。
 いくら敵意を向けられていても、相手は女の子なんだ。
 女の子に斬りかかるというのは男としてどうかと思う。
 襲われるのであれば正当防衛だと言い訳も出来るが、先に仕掛けるのはナシだ。

 まさか! 俺を苛立たせる作戦か!?
 確かに、こうしている間にも色々と考える。試行錯誤。疑心暗鬼。
 そんな小さなストレスが俺の集中力を削っていくだろう。
 巌流島で宮本武蔵に待たされて冷静さを欠いた佐々木小次郎の様に!
 ふっ。くだらない。種が分かればこっちのものだ。ならば待とうじゃないかいつまでも。
 日が傾き、影も差してきた。完全に日が落ちるまででも待ってやる。

 影が――差した? 昼間なのに?
 目の前の少女には差してないのに、何で俺にだけ影が差す?
 おい、何でちょっと後ずさりするんだ?
 俺の後ろに何か居るっぽいリアクションをとるんだ?

「……何かいるのか?」
 極めて意識して、小声で訊ねてみた。
 少女はただ頷くだけ。
 ため息が出た。お決まりのコントを自分が体験するとは。
 そう思いながら振り返る。

「――ってでけぇ!?」
 そこにいたのは、三階建てのビルに匹敵するような大きさのスライムの塊。
 見た目は完全にぬりかべ。
 緑色をしたゲル状の液体がドロドロとこぼれている姿には、愛らしさの欠片もない。
「このモンスター、洞窟にいたやつだよ!」
 雅が叫ぶ。そういえばいた。合体しそうだとか思った自分を責めたい。

「お、おいコスプレ少女! 何とかしろ!」
「出来るわけないじゃないですか! 注射器ですよ!? どう考えても剣を持っているあなたの方じゃないですか!」
 うむ。全くその通りだ。

「しかたねえ。伝説の剣の力、見せてもらおうか」
 剣を握りなおし、目の前で構える。
 武器を手にすると、何となく自分が強くなった気がするから恐ろしい。
 目の前のドでかいバケモノすら雑魚に思えてしまう。
「うおおおおおおっ!」
 力任せに剣を薙ぎ払う。その瞬間、刀身を形作っているオーラが伸びるように広がっていき、スライムの身体を両断した。真っ二つに別れた身体が崩れ落ち地面を揺らす。

 生まれて初めて剣を振るい、敵を倒した。
 その事実が気分を高揚させる。現実では味わえない感覚だ。
 心なしか俺を見る二人の表情が恍惚としている気までしてきた。まぁ無理も無い。
――俺は今、最高に輝いているんだ!

 しかし、何か様子がおかしい。
 黄色い歓声など期待してはいないが、もう少し盛り上がってくれてもいいはずだ。
 それなのに二人は未だ無言。そして視線は――俺の後方に向けられている。
……うん。流石に俺も馬鹿ではない。
 意を決して振り返ると、そこには半分のサイズになったぬりかべが二体居た。
 普通にいた。
 何事も無かったかのように居た。

「倒してない!? ってか増えてるじゃねーか!」
「そのモンスターは剣で斬られると増殖するの! だから魔法じゃないと倒せない!」
 俺の前に飛び出した雅が、モンスターに向かって両手を広げた。
 周囲の大気が凝縮されて、その両手に集まっていく。
「最強魔法――ダークネスララバイ!」

 思わず息を飲んだ。
 残念なネーミングセンスに落胆する事も忘れさせるほどの、圧倒的大魔法使い感。
 闇の彼方にでも消し去ってくれるのだろうか――そう思っていた。


――LVが足りません。


「      」
「      」
「      」
「に、逃げるが勝ちっ!」
 雅は逃げ出した。
 釣られて俺達も走り出した。
「おい! どう考えても今はかっこよく倒す場面じゃないのかよ!」
「だ、だってLVが足りないなんて分からないよ!」
 確かに夢の中に入ってから一度も戦闘はしていない。
 たいまつに火をつけるだけでMPが枯渇するくらいだから相当LVは低いのだろう。
 いや、夢なんだからカンストくらいさせてくれよ。

「って何でお前まで付いてきてるんだよ!」
「仕方ないじゃないですか。何故かここでは私の能力は制限されているんですよ」
 聞いたのが間違いか。こいつは痛い子だった。都合良く使えなくなる能力は無いモノと同じだ。
 妄想だ。虚言癖だ。

「このままじゃ追いつかれるよ!」
 地面を揺らしながら、二体のぬりかべスライムが跳ねるように追いかけてくる。
 いくら半分になったからといっても、あの巨体に潰されたらひとたまりもないだろう。
「巨体――? そうか! 洞窟だ!」
 最初にスライムと遭遇した洞窟。やつらはあそこに生息していたが、今の大きさでは入り口につかえて入れないはず。推測でしかないが、もうそれしかない。
 俺達は滑り込むようにして洞窟に飛び込んだ。
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