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彼女の森

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 自室に戻ったアミルは、そのままベッドに倒れこんだ。
 色んな言葉が波のように押し寄せて、思考の海へと溺れていく。
 父の言葉。従者の言葉。
 婚約者の言葉。友人の言葉。
 自分の考えが誤っているのだろうか。我儘を言っているだけなのだろうか。
 いくら自問自答しても、答えは見つからない。

 自分は幸せになれるのだろうか。
 今は愛せぬ相手でも、時が経ては愛せるのだろうか。
 子を成せば愛せるのだろうか。
 全ては不確かで、未来は曖昧だ。
 どうしてこうなってしまったのだろうか、いつからこうなってしまったのだろうか。
 その答えは明確だった。
 運命を決められ、生き方を縛られるようになったのは――。
 母がこの世から消えた時だった。
 
 

 アミルの母親の名はパララ。
 神々しささえ感じる見目麗しさに加え、慈悲に溢れた温厚篤実な性格。
 非の打ち所のないその人となりは、神を忌み嫌い、名を呼ぶことも嫌悪された魔族達にさえ『ガジガラの女神』と讃えられた。
 誰も傷つけず、誰にも傷つける事の出来ない彼女。
 その尊い命を奪ったのは、病だった。

 人間より身体能力が高く、死を恐れず生に過剰な執着心のない魔族は、病に対して的確な治療法を有してはいなかった。ならば人間界に赴き、ワーワルツに存在する全ての治療法を根こそぎ集めようとの声も数多く上がったが、それはパララ自身が頑なに禁止した。
 結果、ガジガラの民は彼女が病に連れ去られるのをただ見守る事しかできなかった。   

 そんな彼女は、死の間際、一つだけ我儘を残していった。
 魔王であり、雄であり、インキュバスである夫オルガニックが他の女性と交わる事に、パララは文句の一つも言った事はなく、相手の女性を気遣う器の大きささえ見せていた。
 そんな彼女が、たった一つだけ。
 一方的で、身勝手な我儘をオルガニックに残したそれ。

 それは、オルガニックの種を奪う魔法だった。
 女性と交わり、精を放出しても、それが根付くことはない。
 オルガニックは、未来永劫誰かを孕ませる事は出来ない。
 アミル以外、魔王の血を引く者は生まれない。
 その魔法を、愛ゆえの我儘だと彼女は言った。
 愛する夫への愛なのか、
 愛する娘への愛なのか。
 呪縛にも似た愛を残し、彼女はこの世を去った。

  
 アミルの婚姻も、それが理由だった。
 女のアミルを魔王にするわけにもいかず、新たな跡継ぎも作れないオルガニックは、娘が跡継ぎを生む事を願った。
 自分と同じインキュバスであるザフズを婿に据えたが、婚姻の相手など、優秀な魔族であれば誰でも構わなかったのである。
 アミルとザフズの婚姻が決まると、ザフズが次期魔王などとの噂が流れたが、オルガニックにそんな気は微塵もなかった。

 魔王が魔王である所以は、その強大な魔力にある。
 生まれ持った個々の能力などではなく、『魔王の魔力』。
 魔王を討ち取った者に受け継がれ、新しい魔王となる。
 その為、たかが淫魔の青二才に自分の命を差し出す気はさらさらなく、自分の愛した妻との間に生まれた一人娘、その愛する一人娘が生んだ息子――つまりは自分の孫になら、この身をくれてやるのも厭わない。
 他言はしなかったが、オルガニックはそう決めていた。
 

 そんな父の想いなど知る由もないアミルは、ベッドの上で短剣を眺めていた。
 枕の下から取り出したその短剣は、パララの形見だ。
 美しい装飾が施された刀身に刃はなく、無論力づくで無理矢理に突けば刺さるだろうが、武器としての殺傷能力は皆無に等しい。
 『護身用』と渡された時には拍子抜けしたが、誰も傷つけられない短剣は母を連想させ、その安心感に抱いて寝る事も少なくない。
 この夜も、そうだった。
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