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第三節「杯の魔女、あるいは神敵【魔王】の帰還」
SCENE-059 代償行為
しおりを挟む魔術演算領域の使いすぎで、神経が昂っているのを感じる――。
久々にはしゃぎすぎて、普通なら体の方が先に音を上げそうなものなのに。今の伊月の体はドラクレアの魔力で満たされているから、肉体的な疲労はそれで誤魔化されてしまう。
魔術演算領域は脳ではなく霊魂に備わっている器官なので、ドラクレアの魔力による恩恵も、弊害も、関係がない。
はぁっ……と落ち着かない気持ちで息を吐き、伊月は短い髪を掻き上げた。
「飛び回って埃っぽくなったし、シャワー浴びてくる」
そう言って、工房に備え付けてあるバスルームへ向かう伊月に、〔イチイバル〕へ同乗していた奈月が「一緒に行っていい?」と伊月の顔色を窺いながらついてくる。
奈月の表情自体は相変わらず凪いでいるのだが。その仕草が大体キリエなので、色々とわかりやすくはあった。
上等な霊装はたいていの汚れを弾いてくれるし、ある程度の環境変化からも装備者を守ってくれるが、露出している部分についてはどうしようもない。
それでなくとも、体を動かしたあとは汗を流す、というのが習慣になっている伊月は、工房の地下に埋め込まれたいくつかの設備ユニットのうち、ユニットバスとランドリーがひとまとめになった部屋へ足を踏み入れると。振り向きざま、扉の横の壁に向かって突き飛ばすよう押しつけた奈月にガブリとくちづけた。
伊月を拒むということを知らない奈月がすかさず回してきた腕に抱き寄せられながら。少女らしい肉付きのいまいちな体を、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる女の、同じ女として憎たらしいほど嫋やかな肢体へ押しつけて。キリエのものとは違う、ほっそりとした女の手指が体を撫で回してくる感触に熱のこもった吐息をもらす。
「は、ぁっ……」
「楽しかった?」
「ん……」
もっと、と開いて強請った唇に、あやすようなキスが落ちてくる。
「ごめんね」
なに、と伊月が問い返すより先に、縺れ合う二人の体は、突然底なし沼のように変わった影の中へと落ちていた。
「(お前を触るのに、あんな場所でなんて私が無理だから)」
明確に言葉の体をなしているわけではない念話の思念。
ドラクレアが押しつけてきた魔力に含まれる意図を伊月が解釈しているうちに、影の中に広がる亜空間から、また外へ。放り出された体が背中からぼすんっ、と柔らかな感触に沈む。
伊月が奈月へ迫るよう抱きついていたのが逆転して。伊月のことを押し倒した奈月の向こうに、見慣れたベッドの天蓋が見えていた。
「汗をかいたままベッドに上がるの、嫌なんだけど」
「ごねんね。お前の肌に触れるものは全部、あとで新しいものに変えておくから」
「シャワーの前にちょっと触って気持ちよくしてくれたら、それでよかったのに……」
「ちゃんとお前がいいようにするよ。魔術演算領域を酷使したから興奮がおさまらないんだよね?」
わかっているから、大丈夫。
なにも心配しなくていい。
ドラクレアにだけはなんの気兼ねもなく我儘を言っていいのだと。繰り返し、根気強く吹き込まれてきた、その成果。
親が子供を甘やかすような口振りで伊月のことをあやしながら触れてくる奈月の手つきは、キリエのものとそっくり同じ。
その魔力。その手管に身を任せていればいいのだと、伊月は骨身に染みていた。
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