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第三節「杯の魔女、あるいは神敵【魔王】の帰還」
SCENE-051 その忍耐が報われてはいる
しおりを挟む「エヴナの手前まで、私が連れて行こうか?」
「普通に転移すればいいでしょ」
ティル・ナ・ノーグの小王宮。
イシュナフ宮の敷地内では個人の飛行も転移も禁止されているが、扶桑庭におけるありとあらゆる決まり事はティル・ナ・ノーグで暮らす市民階級が守るべきものであって、扶桑樹の小王であるドラクレアの行動を縛るものではない。
ドラクレアの寵愛を一身に受ける伊月もまた、特級市民として階級相応に身勝手な振る舞いが許されてしまう立場だった。
「私も連れて行ってくれるんだよね?」
「そう言ってるでしょ?」
ドラクレアが同行するなら気兼ねなく〔扶桑〕を使えると。転移のために奥宮の外へ出ようとしていた伊月の手を奈月が握ってくる。
伊月のことを引き止めようとするのではなく、置いていかないでと縋るように。
きゅっ……と指先を掴んでくる女の手に、伊月は小さく首を傾げた。
「エヴナはお前が〝吸血鬼立入禁止〟にしてるから、このままだと私はついていけないよ」
「確かにそんな設定にしてた気もするけど……あれってドラクレアにも有効なの? 荘園のインスミールだって〔扶桑〕の端末なんだから、〔扶桑〕の小王には意味がないんだと思ってた」
意味がないと思っていたのにそんな設定なのは、ドラクレアに対する当てつけ以外のなにものでもない。
八坂伊月として生まれ変わる前。黒姫奈と呼ばれていた頃の伊月は「付きまとうな」と、ドラクレアが自分のそばにいることを拒絶していた。
それでいて、その言いつけをドラクレアが律義に守るとは思っていなかったので。「姿を見せたらただじゃおかないぞ」と、そういう脅しも込みの。
「〔扶桑〕には私よりもお前のことを優先するように命じてあるから、お前がダメだと言えばそれが全てだよ」
仮にドラクレアが黒姫奈の言いつけを破っていたとしても、完璧に隠されてしまえば気付きようがないし、まだ我慢もできる。
そういうつもりでいた伊月は、その気になればティル・ナ・ノーグの全てを思うがままにできる小王の小心っぷり――黒姫奈に嫌われたくない、という自分本位な感情ありきだとしても、黒姫奈に対して誠実であったことには違いないドラクレアの主張――に気を良くして。奈月から繋がれていた手を握り返した。
「こっそり忍び込もうとしても無理?」
「影の中から様子を窺うくらいはできるだろうけど……連れて行ってくれるんだよね?」
「あんまり心配されると期待に応えたくなるからやめて」
伊月の言葉にきゅっ、と唇を引き結んだ奈月は置いていかれないよう、伊月へぴったりと体を寄せた。
奈月が伊月の指先を握っていた手はお互いの指を絡め合うよう繋ぎ直されて。すっかり鳴りを潜めていたドラクレアの魔力が、伊月の余剰魔力を巻き込んで二人の周囲を循環しはじめる。
ティル・ナ・ノーグにおいて一般的な委託式の〝転移〟が術理的に利用者一人一人を識別するような類いの代物であれば、伊月と奈月をまとめて〝一人〟だと誤認させることができてしまいそうなほどの、それは手の込んだ小細工だった。
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