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 第一節「レナトゥスの目覚め」

SCENE-021 奥宮のサロンにて

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 亜空間化する一歩手前、という強度で空間が歪められ、物理的には小規模ながらも術理的にはぞっとするほど深い〝迷いの森〟と化したイシュナフ宮の中庭に、奥宮と呼ばれるヴラディスラウス・ドラクレアの住まいは建っている。

 次元跳躍艦〔ハイブラゼル〕を所有する、人造王樹デミドラシルの小王。
 ティル・ナ・ノーグで最も尊い個人が暮らしているにしてはこぢんまりとしていて、同じイシュナフ宮の他の区画エリアと比べて格段に温かみのある屋敷。

 奥宮の中へと連れ込まれ、〔扶桑〕の端末オートマタの手によって入り口の扉が閉め切られたところでようやくキリエの腕から下ろされた伊月は、かつての自分が出入りしていた頃と何も変わっていない屋敷の中を感慨深く見渡した。



(帰ってきた……)
 黒姫奈として生きていた頃は必要がなければ寄りつかなかった場所に、思い入れと呼べるほどのものはない。

 そう思っていたのに。

 ティル・ナ・ノーグには、黒姫奈が個人的に所有していた荘園もある。
 黒姫奈の生まれ変わり・・・・・・・・・・が帰る場所としては、イシュナフ宮よりも、むしろそちらの方が相応しいはずなのに。ティル・ナ・ノーグへ帰る・・と考えたとき、伊月が真っ先に思い浮かべたのは、キリエと過ごした記憶おもいでのあるイシュナフ宮の方だった。

 だから、なんの相談もなく竜の巣穴・・・・へと連れ込まれたことに不満や不安を抱くこともなく、キリエが控えめな所作で差し出してくる手を取った。



 エスコートと言うほど気取ったものではない。
 単純に、少しでも触れている口実が欲しくてやっていることが明け透けなキリエに手を引かれ、伊月が連れて行かれた先。

 エントランスホールを抜けた先のサロンには、思いがけない先客がいた。



「こっちにいるなんて珍しいわね」
「あれだけ目立つ色の竜がイシュナフの上を飛んでいる間、私が普段通り仕事をしているというのも風情がないだろう」
 伊月たちの到着を待つことなく、一足先に落ち着いたサロンで一服していた黒髪白皮の男は、伊月がかけた声に手元で広げていた本から顔を上げると、鷹揚な態度で肩を竦めてみせる。

 ヴラド・ツェペシュ。
 ドラクレアの表の顔・・・を担う、黒姫奈とはあまり関わりのなかった分霊に興味を引かれて。

 添えられていたキリエの手を素気なく払った伊月は、自分からヴラドのもとへと向かい、同じソファのすぐ隣へと腰を下ろした。



 個人としては初対面に近いヴラドが相手だろうと、キリエや鏡夜と同じドラクレアの分霊・・・・・・・・に対する遠慮はなく。自分の相手をするのが当然だ、と信じて疑いもしない。
 そんな伊月の態度に、ヴラドは愉快な気分になる。

 ヴラド・ツェペシュがヴラディスラウス・ドラクレアにとっての雑事を片付けるために作り出された分霊であることは事実だが。ヴラドの存在理由と言って差し支えない、本霊から割り当てられた役割・・を果たそうとする意識と、伊月との関わりを喜ばしく思い、その歓心を買おうとする感情が矛盾するようなことはなかった。

 その点、伊月はドラクレアの性向や分霊というものの在り方について、よく理解している。

 そうでなければ、ドラクレアを巻き込んでとっくに破滅していただろうから。伊月がドラクレアでさえ手を焼くほどの意思の強さと、ドラクレアを手玉に取れるだけのさかしさを持ち合わせていることは、誰にとっても幸運なことだった。


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