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第一節「レナトゥスの目覚め」
SCENE-013 かつて〝キリエ・ヘルシング〟だったもの
しおりを挟む「お前とまた会えてうれしい」
一度は死んだ女の生まれ変わりと再会できたことが、本当に嬉しくてたまらないのだと。言葉通りの喜色を滲ませ抱きついてきたキリエに、伊月は「うん……」と、言葉少なに首を揺らした。
(私も……)
私も会いたかったと、まるで長い間離ればなれになっていた恋人同士のようキリエのことを抱きしめ返す前に。伊月には、どうしようもない未練を残したまま死ぬはめになった黒姫奈の生まれ変わりとして、やるべきことがある。
「私……」
成熟した大人のそれとは言いがたい、肉付きが薄く華奢な少女の体躯を両手に抱きしめ、頬をすり寄せて。
誰に憚ることもなく、思う存分、〝黒姫奈の生まれ変わり〟との再会を喜んでいたキリエは、らしくもなく沈んだ伊月の声に、はたと顔を上げた。
「うん?」
甘やかな魔力への誘惑を振り切ったキリエが、不自然なほど視線を落とした伊月の顔色をうかがおうとすると。今度は逆に伊月の方から、キリエの首元へかじりつくよう腕を回してくる。
まさか伊月の方から抱きついてくるとは思わず、驚いたキリエはぱちぱちと目を瞬かせた。
(酔ってるわけではないんだよね……?)
驚きのあまり、軽く疑心暗鬼に陥ったキリエが目を向けた先では、薄情な〝弟〟が瓦礫の向こうへ姿を消すところだった。
鏡夜が向かった先には、因子持ちの吸血鬼から真性竜種へと転化したうえ狂乱状態に陥っていたキリエとともにこの監獄島へ閉じ込められた、もう一人の虜囚がいるが。今や瓦礫の山と化した〔パンデモニウム〕の城主がどうなろうと、キリエの知ったことではない。
どちらも同じ〝ドラクレアの分霊〟という術理的な繋がりがあり、その気になれば苦もなく念話のパスを通すことができる鏡夜へ確認を取るかどうかを一瞬本気で悩んだキリエは結局、誰にも何も尋ねることなく、しがみついてくる伊月を抱えたまま適当な瓦礫の上に腰を下ろした。
トランク――あるいは物置――代わりに使っている亜空間へと手を伸ばし、適当につかみ出したローブを頭からすっぽりと被せ、体を包んでやると。キリエ相手に何をそれほど緊張することがあるのか、静電気のようピリピリとしたものが滲みはじめていた伊月の魔力も一旦落ち着いて。
瓦礫に腰掛けたキリエの膝の上へと乗せられ、キリエにしがみついていた腕を下ろした伊月は、見るからに心細そうな仕草でローブの前をたぐり寄せた。
「あの日……帰ったら、キリエに言おうと思ってたの。今度こそ、ちゃんと……いい加減、仕方がないから許してあげる、って」
生まれ変わった黒姫奈がこうして腕の中にいるというだけで、キリエはもう充分すぎるほど報われていて、幸福なのに。
ただでさえ調子に乗りやすい人外を、これ以上つけ上がらせてどうするつもりなのか。
伊月の告白に、キリエは内心頭を抱えた。
「それなのに、あんなことになっちゃって……私、あのまま生きていくのは絶対に嫌だったの」
「――わかってるよ」
これ以上はキャパシティオーバーもいいところだと、キリエの膝に乗せられて大人しくしている伊月を抱き寄せる。
「お前は自分一人で死ぬことだってできたのに、私を呼んでくれたから。私のことを当てにして、死んだらそれっきりなんて、そんなつもりじゃないことは、私もちゃんとわかってたから……お前が気に病むようなことは、何もないんだよ」
あの日の出来事に関して、伊月は何も悪くない。
それが、キリエの偽らざる本心だった。
「でも、竜になっちゃうくらい嫌だったんでしょ」
「それは、まぁ……お前がいなくて寂しいのは仕方がないよね」
キリエにしてみれば、素直になれない口先で何を言われたところで、黒姫奈の態度ほどわかりやすいものはなく。どんなに憎まれ口を叩こうと、黒姫奈がとっくにキリエのことを許していて、言い出すタイミングを失っているだけだということには察しがついていた。
キリエが持つ客観的な価値など歯牙にもかけないような、恐ろしく気位の高い女をまんまと籠絡せしめたことへの確信と、憎からず想われているという自負があったからこそ、黒姫奈を死なせ、見送ってやることができたわけで。
「……お前が許したかった〝キリエ〟のままでいられなくて、ごめんね」
こんなことになるとわかっていれば。どんなに哀しくて、つらくてたまらなくても、キリエは黒姫奈と過ごした〝キリエ・ヘルシング〟のまま、こうして再会出る日を大人しく待っていたのに。
「私も……」
「私はお前に『許す』なんて偉そうなことは言えないから、謝ったらだめだよ」
ようやく顔を上げた伊月が、キリエの言葉に不服そうな顔をする。
「謝らせてもくれないの……?」
「だってお前、もしもまた同じような目に遭ったら、次も同じようにするよね?」
用心深い伊月が同じ轍を踏むかという、根本的な問題はさておき。
伊月がそれほど我慢強いたちではないことを、キリエは知っている。
てっきり「それはそう」とでも、あっけらかんとした答えが返ってくるものとばかり思っていたキリエは、くしゃりと顔を歪めた伊月に「おや?」と。首を傾げ、目を瞬かせた。
「それはそうかもしれないけど……そこは、次なんてないようにキリエがちゃんと守ってよ」
「私にお前を守らせてくれるの?」
伊月からそんなことを言われるとは思ってもみなくて。驚きのあまり声を上擦らせたキリエに、伊月はふて腐れたよう、ぐりぐりと頭を押しつけてくる。
「あんまり過保護にされるのは嫌だけど……少しくらいなら」
それが死への恐怖から、という話なら、また意味合いも違ってくるが。伊月に限って、そんな理由でキリエを頼るような真似はしないだろうと。
なまじ実力があるばかりに、他人を信用できず、人に頼るということができないでいた黒姫奈の生まれ変わりを、キリエはたまらない気持ちで抱きすくめた。
「――嬉しい」
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