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第一章 天満夕輝
第一話
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街灯が夜道を明るく照らしている。
両側に建つ団地はまだ明かりがついている家が多かった。
天満夕輝は気が付かなかったが、天空では満月が輝いている。
満月は下手な街灯より明るい。昔、中国の砂漠にある寺院では勉強部屋に天井がなかった。
暑い日中を避けて、夜、月明かりで勉強をするためである。
夕輝はこの春高校に入ったばかりで、今は予備校からの帰りだった。
「それでさ、佐藤のヤツが……」
クラスメイトの小林と話していた夕輝は誰かに手を掴まれた。
振り返ると十歳くらいの赤い着物を着た女の子が夕輝を見上げていた。
「十六夜」
少女が言った。
「え?」
聞き返した夕輝の声に小林が振り返った。
「どうした?」
「来て」
少女が夕輝の手を引っ張った。
「迷子か」
小林が言った。
日はとうに暮れている。
今は四月で日は大分長くなっているから、日が暮れるのは割と遅い。
なのに、日が沈んで残照も見えないと言うことは今は相当遅い時間と言うことだ。
周囲を見回しても親や兄弟、友達らしい人影は見えなかった。
すぐそこに公園がある。
きっとそこで時間を忘れて遊んでいたのだろう。
こんな時間に小さい女の子を一人で歩かせるわけにはいかないな。
「ごめん、小林。俺、この子送ってくるわ」
「分かった。じゃあな」
小林の背を見送り、
「じゃあ、行こうか」
と、その子に声をかけると、少女が笑みを浮かべた。
人懐っこい子だな。
前に雨が降っていたとき、傘を差さずに歩いている小学生に、傘に入っていかないかと言ったら断られて走って逃げられてしまったが、昨今はそれくらいじゃないと危険だ。
俺がこの子の親なら、こんな時間に知らない人についていくなって叱るけどな。
送っていくのはいいが、変質者と間違われたらどうしよう。
少女は何も言わず、夕輝の手を引いて歩いて行く。
街灯と月明かりに照らされた道を少女に導かれて進んでいった。
街灯を通り過ぎる度に、背後の灯りが一つ、また一つと無くなっていくが、満月が辺りを明るく照らしていたので夕輝は気付いていなかった。
とうとう最後の街灯も通り過ぎた。
あれ? 街灯がない……。
夕輝はようやく辺りを見て街灯がなくなっていることに気付いた。
箱根山に入った……にしても街灯はあるからなぁ。
首をかしげたとき、叫び声が聞こえてきた。
金属がぶつかる音も聞こえる。
意外に近い。
複数の人間が争っているようだ。
覆面の男が五人と、顔を隠してない男が三人。
いや、四人だ。
一人は樹にもたれて蹲っている。
覆面の一人が振り上げた日本刀の刀身が月の光を反射した。
このままでは樹にもたれた男が斬られる!
とっさに鞄を放り出して駆け寄った夕輝の手に、いつの間にか刀が握られていた。
夕輝はその刀で、振り下ろされた覆面の刀を弾く。
青白い火花が取った。
覆面が更に斬り付けてきた。
その刀を跳ね上げざま、左肩に突きを見舞った。
刀が着物を破り、その下にある肩の肉まで切り裂く。
血飛沫が上がり、辺りに血の臭いが立ちこめる。
その大量の血とその臭いに思わずたじろぐ。
血の臭いなんて初めて嗅いだ。
勿論、血を見るのも紙で指を切ったときくらいだ。
生臭い鉄に似た臭いに自分が刃物で人を傷つけた事を思い知らされた。
剣道をやってはいたものの、喧嘩なんて幼稚園の頃の取っ組み合いくらいしかしたことがない自分が、日本刀で人に斬り付けたのだ。
左肩の怪我は意外に深かったらしく、男の刀を持つ手が震えていた。
それでも尚、こちらに立ち向かってくる。
左足を少し引いて相手の刀をよけたとき、他の男達の戦いが目に入った。
髷を結った着物の男が覆面男に小手を見舞った。
浅く入った刀は、それでも敵の親指を切断した。親指が血を引きながら飛んでいく。
それを見てはっとした。
辺りに立ち込める血の臭いが更に強くなった。
突きだけではなく、斬り付けても相手を傷つけてしまうのだ。
かといって手を抜けば自分が斬られる。
周りで男達が斬り合っているらしく、剣戟の音が聞こえる。
夕輝の相手をしている男はあまり剣術にたけていないらしく、油断しさえしなければやられることはなさそうだった。
しかし、戦いの決着はなかなかつかなかった。
次々と打ち込んでくる刀を捌きながら、どうすればいいのか必死に考えた。
とにかく、これ以上怪我はさせたくなかった。
殺すなんてもってのほかだ。
だが、敵は頭に血が上っていて刀を引いてくれそうになかった。
夕輝の方も必死になるあまり、日本刀で戦っているという異常さに気付いてなかった。
何故自分が日本刀を持っているのかということにすら。
どうすればいいのか分からないまま、振り下ろされた刀を、下から峰で跳ね上げた。
そのときようやく、峰打ちというものを思い出した。
素早く刀を峰に返す。
峰に返しても突けば刺さってしまうから、突きは使えない。
それでも、峰で打ち込めば斬れたりはしない。
打ち込まれた刀を払うと、小手を打った。
左肩に深い傷を負っていて、左手は殆ど添えてる程度だったところに右手首を打たれて、刀が落ちた。
すかさず、右肩に打ち込んだ。
当たる直前で両手を絞って力を加減した。
いくら峰に返しているとは言え、刀は鋼の棒だ。
そんなもので頭を殴ったら死んでしまう可能性があったので頭を避けて肩を狙ったのだ。
男が膝をついた。
そのとき、別の覆面が襲ってきた。
振り下ろされた刀を弾き、小手を見舞った。
覆面が夕輝の刀を弾いた。
そのまま突いてきた刀を横に弾くと、抜き胴を見舞った。
覆面が腹を押さえて蹲った。
そこへ別の男がよってきて、覆面を後手に回わして縄をかけた。
見ると戦いは終わっていた。
ほっとした瞬間、身体の力が抜けた。
眩暈を感じ、膝が崩れそうになったとき、
「助かったぜ、あんちゃん」
男の一人が肩を叩いた。
夕輝は倒れそうになるのを必死でこらえた。
「いえ……」
「俺の名は平助ってんだ。あれが伍助……」
その声を聞きながら夕輝の意識が遠のいていった。
両側に建つ団地はまだ明かりがついている家が多かった。
天満夕輝は気が付かなかったが、天空では満月が輝いている。
満月は下手な街灯より明るい。昔、中国の砂漠にある寺院では勉強部屋に天井がなかった。
暑い日中を避けて、夜、月明かりで勉強をするためである。
夕輝はこの春高校に入ったばかりで、今は予備校からの帰りだった。
「それでさ、佐藤のヤツが……」
クラスメイトの小林と話していた夕輝は誰かに手を掴まれた。
振り返ると十歳くらいの赤い着物を着た女の子が夕輝を見上げていた。
「十六夜」
少女が言った。
「え?」
聞き返した夕輝の声に小林が振り返った。
「どうした?」
「来て」
少女が夕輝の手を引っ張った。
「迷子か」
小林が言った。
日はとうに暮れている。
今は四月で日は大分長くなっているから、日が暮れるのは割と遅い。
なのに、日が沈んで残照も見えないと言うことは今は相当遅い時間と言うことだ。
周囲を見回しても親や兄弟、友達らしい人影は見えなかった。
すぐそこに公園がある。
きっとそこで時間を忘れて遊んでいたのだろう。
こんな時間に小さい女の子を一人で歩かせるわけにはいかないな。
「ごめん、小林。俺、この子送ってくるわ」
「分かった。じゃあな」
小林の背を見送り、
「じゃあ、行こうか」
と、その子に声をかけると、少女が笑みを浮かべた。
人懐っこい子だな。
前に雨が降っていたとき、傘を差さずに歩いている小学生に、傘に入っていかないかと言ったら断られて走って逃げられてしまったが、昨今はそれくらいじゃないと危険だ。
俺がこの子の親なら、こんな時間に知らない人についていくなって叱るけどな。
送っていくのはいいが、変質者と間違われたらどうしよう。
少女は何も言わず、夕輝の手を引いて歩いて行く。
街灯と月明かりに照らされた道を少女に導かれて進んでいった。
街灯を通り過ぎる度に、背後の灯りが一つ、また一つと無くなっていくが、満月が辺りを明るく照らしていたので夕輝は気付いていなかった。
とうとう最後の街灯も通り過ぎた。
あれ? 街灯がない……。
夕輝はようやく辺りを見て街灯がなくなっていることに気付いた。
箱根山に入った……にしても街灯はあるからなぁ。
首をかしげたとき、叫び声が聞こえてきた。
金属がぶつかる音も聞こえる。
意外に近い。
複数の人間が争っているようだ。
覆面の男が五人と、顔を隠してない男が三人。
いや、四人だ。
一人は樹にもたれて蹲っている。
覆面の一人が振り上げた日本刀の刀身が月の光を反射した。
このままでは樹にもたれた男が斬られる!
とっさに鞄を放り出して駆け寄った夕輝の手に、いつの間にか刀が握られていた。
夕輝はその刀で、振り下ろされた覆面の刀を弾く。
青白い火花が取った。
覆面が更に斬り付けてきた。
その刀を跳ね上げざま、左肩に突きを見舞った。
刀が着物を破り、その下にある肩の肉まで切り裂く。
血飛沫が上がり、辺りに血の臭いが立ちこめる。
その大量の血とその臭いに思わずたじろぐ。
血の臭いなんて初めて嗅いだ。
勿論、血を見るのも紙で指を切ったときくらいだ。
生臭い鉄に似た臭いに自分が刃物で人を傷つけた事を思い知らされた。
剣道をやってはいたものの、喧嘩なんて幼稚園の頃の取っ組み合いくらいしかしたことがない自分が、日本刀で人に斬り付けたのだ。
左肩の怪我は意外に深かったらしく、男の刀を持つ手が震えていた。
それでも尚、こちらに立ち向かってくる。
左足を少し引いて相手の刀をよけたとき、他の男達の戦いが目に入った。
髷を結った着物の男が覆面男に小手を見舞った。
浅く入った刀は、それでも敵の親指を切断した。親指が血を引きながら飛んでいく。
それを見てはっとした。
辺りに立ち込める血の臭いが更に強くなった。
突きだけではなく、斬り付けても相手を傷つけてしまうのだ。
かといって手を抜けば自分が斬られる。
周りで男達が斬り合っているらしく、剣戟の音が聞こえる。
夕輝の相手をしている男はあまり剣術にたけていないらしく、油断しさえしなければやられることはなさそうだった。
しかし、戦いの決着はなかなかつかなかった。
次々と打ち込んでくる刀を捌きながら、どうすればいいのか必死に考えた。
とにかく、これ以上怪我はさせたくなかった。
殺すなんてもってのほかだ。
だが、敵は頭に血が上っていて刀を引いてくれそうになかった。
夕輝の方も必死になるあまり、日本刀で戦っているという異常さに気付いてなかった。
何故自分が日本刀を持っているのかということにすら。
どうすればいいのか分からないまま、振り下ろされた刀を、下から峰で跳ね上げた。
そのときようやく、峰打ちというものを思い出した。
素早く刀を峰に返す。
峰に返しても突けば刺さってしまうから、突きは使えない。
それでも、峰で打ち込めば斬れたりはしない。
打ち込まれた刀を払うと、小手を打った。
左肩に深い傷を負っていて、左手は殆ど添えてる程度だったところに右手首を打たれて、刀が落ちた。
すかさず、右肩に打ち込んだ。
当たる直前で両手を絞って力を加減した。
いくら峰に返しているとは言え、刀は鋼の棒だ。
そんなもので頭を殴ったら死んでしまう可能性があったので頭を避けて肩を狙ったのだ。
男が膝をついた。
そのとき、別の覆面が襲ってきた。
振り下ろされた刀を弾き、小手を見舞った。
覆面が夕輝の刀を弾いた。
そのまま突いてきた刀を横に弾くと、抜き胴を見舞った。
覆面が腹を押さえて蹲った。
そこへ別の男がよってきて、覆面を後手に回わして縄をかけた。
見ると戦いは終わっていた。
ほっとした瞬間、身体の力が抜けた。
眩暈を感じ、膝が崩れそうになったとき、
「助かったぜ、あんちゃん」
男の一人が肩を叩いた。
夕輝は倒れそうになるのを必死でこらえた。
「いえ……」
「俺の名は平助ってんだ。あれが伍助……」
その声を聞きながら夕輝の意識が遠のいていった。
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