ひとすじの想い

月夜野 すみれ

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第八章

第八章 第三話

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「初めて江戸に来た時、雪うさぎを作ったんだよ」
 水緒はそう言ってその時のことを話してくれた。
 物忘れになった直後は流に近付くなと止められていたが、最近は二人の仲睦なかむずまじいところを見ても桐崎は何も言わないから話しても問題なさそうだと判断したらしい。

 近付いてはいけないと言われていたから江戸から来てからの話をしていなかっただけらしく、実際にはこの五年間に様々なことがあったようだ。
 四六時中、何かしらの催しがあり、毎年それをしていたのだから色々なことがあって当然だ。

 そんな大切なことを全て忘れるなんて……。

 我ながら情けない。
 桐崎は入れ込みすぎていたと言っていたが、今以上に惚れ込んでいたのだとしたら何故忘れたりしたのだろうか。
 流は水緒の話に耳を傾けながらなんとか思い出す方法はないかと考えていた。

 翌日の夕方、流は水茶屋に向かっていた。

「流ってのはあんたかい?」
 男が声を掛けてきた。
「錦絵の娘からこれを預かってきたんだが」
 男はそう言って文を差し出した。
「え……?」
 これから迎えに行くと言う時に?

 まさか水緒に何かあったんじゃ……!

 流は慌てて文を開いた。
 文には、寺で待っている、としか書いてない。
 これだけでは水緒からの呼び出しなのか、誰かに捕まって書かされたのか分からない。
 いや、脅されたなら水緒は死んでも書かないだろう。

 ただ……。

 顔見知りに騙されたと言う事はあるかもしれない。
 流の為だとか喜ぶなどと言われれば書いてしまうことは有り得る。
 どちらにしろ水緒が待っていることに代わりはない。

「この寺へはどうやって行けばいい?」
 流が文を持ってきた男に訊ねると、
「そこなら知ってるから案内するよ」
 男はそう言って早足で歩き出した。

 寺に近付くにつれ鬼の気配が増えてくる。

 やはり罠か……。
 水緒、無事でいてくれ……。

 流は男をおいて寺に駆け出した。

 何故か男も一緒にいて来る。
 そして、
「ほら、あそこに錦絵の娘が……」
 と言って庭の奥を指した。
 そこには大勢の鬼に取り囲まれたつねがいた。

 流はハッとして手にしていた文に目を落とす。
 差出人の名前は書いていない。
 男も「水緒」ではなく「錦絵の娘」と言った。
 錦絵の娘とは、つねの事だったのだ。

 その時、
「族救」
 つねの声がした。
 流には何も起きない。
「族救」
 つねが今度はもっと大きな声で叫んだ。
 流はつねに構わず水緒がいないかと辺りを見回した。
 罠でもなんでも水緒がここにいなくて無事だという事が確かめられればそれでいい。

「どういう事だ! あいつを落としたのではなかったのか!?」
 大鬼がつねに向かって怒鳴った。
「落としたよ! あいつには腹が立ってたのに我慢して愛想振あいそふりまいてやってたんだ」
 腹が立つというのは散々無視していたのだから分かるが、愛想あいそを振りまかれた覚えはない。
 もしかして後ろで何やら話していたのが愛想のつもりだったのだろうか。

 つねは大鬼にそう言ってから、
「どういう事だい! あたしのことなんとも思ってないのかい!?」
 流に向かって声を上げた。
「当たり前だろ。セミに惚れるヤツがどこにいる」
 冷然と言い放った流につねは愕然とした表情を浮かべる。

「あたしのこと好きだって言ったのは嘘だったのかい!?」
「そんなこと言ってない」
「あたしに惚れたか聞いたら『ああ』って言っただろ!」
 どうやら適当に打っていた相鎚のどれかのことらしい。
 あれだけ無視されていながら何故つねに気があるなどと言う勘違いをしたのかと思ったら、惚れたかと訊ねられた時に肯定するような相鎚を打っていたようだ。

「けど、役には立っただろ、左無さん。そいつの物忘れを教えてやったから、またあいつに騙されたんだし」
 つねが大鬼――左無にすがるように言った。

 え……。
 また……?

「土田、次も頼むぞ」
 背後で鬼の声が聞こえた。
 振り返ると文を持ってきた男が鬼から金を受け取っている。

 土田というのは確か鬼の手先になって流と水緒を騙した男……。

 そうだ……!

 ここは寺だ。
 なのに鬼が入り込んでいる。

 つまり土田は流を再び騙しただけではない。
 また鬼のために内側から寺の結界を壊したのだ。
 建物や庭が手入れされているのに人の気配がないのは住職達がこの鬼達に喰われてしまったからだろう。
 土田は結界を壊す方法を覚えてしまったのだ。
 となると、この先も鬼達のために次々と寺社の結界を壊していくだろう。

 流は無言で土田に駆け寄ると抜刀し様、斬り上げた。
 土田が声もなく倒れる。

「そ、そいつは人間だよ。これであんたも人間から討伐対象にされ……」
「ここにいるのは鬼とその手先だけだ。討伐先では鬼か人間か区別しなくていと言われてる」
「つね! 余計なことを言いおって!」
 大鬼がつねを怒鳴り付けた。
 つねは流を睨み付けて唇を噛み締めるとその場から逃げ出した。

「まぁ良いわ。これだけ大勢いれば祟名を言うまでもなく、お前一人くらいどうとでもなる」
 左無が言った。
「母親ごと殺したと思っていたのにしぶといやつめ」

 え……。

「あの時、ホントにお前が死んだか確かめなんだのは失敗だったわ」
「…………」
「母親ごと、この爪の根元まで突き刺してやったというのに。お前の背まで貫いてやった感触があったんだがな」
 流は胸を押さえた。
 心の臓のすぐ側。
 あと少しズレていたら死んでいた場所に、確かに爪で貫かれたような傷がある。
「だが、今度こそ息の根を止めてやる。お前のお陰で名無なん可無かんも死んだから残るはお前だけだ。お前がいなくなれば後を継げるのは俺しかいなくなる。感謝してるぞ、流」

 左無の言葉を聞いているうちに幼い頃の記憶が溢れ出してきた。

 あの日、流は家の近くで栗を拾っていた。
 栗を集めて持って返ると母が煮てくれるのだ。
 それを母と一緒に食べるのが楽しみの一つだった。

 そうだ、あの頃は楽しいと思うことがあった。
 母と一緒に過ごすのは楽しかった。

 それなのに……。
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