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4巻ダイジェスト

ダイジェスト版4‐1

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 施設内で反乱兵を追いかけていたコウは、彼等の思考から重要な情報を読み取れたので、京矢にその内容を伝えた。

――えっ それマジかよ!――

 反乱兵の彼らは施設の警備をしていたエッリアの兵士ではなく、数日前に襲撃して正規兵と入れ替わった反乱軍の兵である事。正規兵を埋めてある場所も読み取れた。

 何か色々と裏がありそうだが、必死で逃げ回っている彼等の思考から更なる情報を探り出すのは難しい。コウは彼等、反乱軍組織に潜り込めば、もっと詳しい情報が得られるのではないかと考え、提案する。

――潜り込むってどうやって……ああ、なるほどその手があったか――
『うん、さっき壁を叩いた時に落ちてきた虫がくっついてるから』

 京矢を通じてスィルアッカから許可を得られたコウは、複合体を片付けて虫に憑依。兵士の一人に取り付いた。撤退する反乱軍兵士達から得た情報を逐一京矢に送る。
 その中でも、ヴェームルッダから派遣された雇われ兵がこの反乱軍部隊、『特務別働隊』を指揮しているなど、複雑な背景を匂わせる情報も得られた。

 途中、彼等が補給に立ち寄った集落で部隊から一旦離れたコウは、集落で調達した子供服を着て少年型になり、部隊が通る道に先回りして村の孤児を装った。
 反乱軍は常に新しい人材の確保、それも組織構成員として教育し易い子供を探しているので、コウの目論見にまんまと引っかかり、反乱軍の新たな同志としてコウを迎え入れた。

『というわけで、ばっふぇむと解放軍に潜入するよー』
――独立解放軍な。とりあえず宮殿こっちも今はバタバタしてるけどその内そっちの動きにも呼応できると思うから、無理せず頑張ってくれ――

 京矢と意識の奥で交信したコウは、『りょーかい』と返して特務別働隊の隊列が進む山道に視線を向ける。徐々に険しさを増す周囲の山々。低く流れる千切れ雲が岩肌に影を落としては去っていく。
 渓谷から吹き上げる風に髪を撫でられながら、コウは反乱軍、バッフェムト独立解放軍の人達との出会いに期待するのだった。


**


 渓谷を越え、廃鉱と繋がる入り組んだ洞窟を抜けると、そこだけ切り取られたかのような開けた空間が広がる。険しい岩山の連なる山脈の中に出来た平地空間。
 この辺りの岩山には同じような場所が幾つか点在しており、バッフェムト独立解放軍が隠れ家に使っていた。

 「別働隊が帰還したぞー!」

 洞窟前の見張り役が叫ぶ。出入り口を塞ぐ格子状のバリケードが開かれ、帰還した特務別働隊を本隊の同志達が出迎えた。

「おお、砂馬じゃないか! 調達してきたのか?」
「エッリアの施設からかっぱらって来たんだ、残念ながら任務は失敗してしまったが」
「そうか……いや、しかしお互い無事で何よりだ」
「本隊もかなり危なかったそうだな」

 わらわらと集まって来た若者や年配の同志達が互いを労い、無事を称え合う。そんな中、後方から人垣が割れて若い男性を従えた少女が、特務別働隊の前に現れた。
 ゆるくカールした金髪混じりの斑な茶色髪を後ろで纏め、橙色の瞳で真っ直ぐ別働隊の隊長を見上げる年の頃は十六、七歳くらいの少女。別働隊の隊長はさっと姿勢を正して敬礼を向けると、部隊の兵士達もそれに倣う。

「申し訳ありませんフロウ様。どうにか帰還は果たせましたが、任務は完遂出来ませんでした」
「いいえ、無事に戻ってくれて何よりです。危険な任務、ご苦労様でした」

 頭を垂れて任務失敗を詫びる隊長を優しく労う少女。彼女こそバッフェムト独立解放軍の指導者として崇められる、嘗て組織を立ち上げた"プック一族"の長の娘"フロウ・プック"であった。

『この人がリーダーなのかな?』

 厩舎に運ばれて行く砂馬から降りたコウは、集まった人々から敬意を払われている少女を観察する。解放軍を統べる指導者としては随分歳若く、スィルアッカのような支配者らしい毅然とした覇気も感じられない。極普通の少女に見える。

「あら? その子は?」

 特務別働隊の隊員達に混じってこちらの様子を窺っている黒髪の子供を認めたフロウが徐に訊ねると、隊長は少年コウを道中の村で拾った孤児だと説明した。身寄りも無く、寂れた村に独りで暮らしているようだったので同志に誘ったのだと。

「まあ、そうでしたか……。ようこそ、コウくん。私達はあなたを仲間として歓迎するわ」
「よろしくー」

 大勢の知らない大人達に囲まれてきっと緊張しているだろうと思い、気分を解してあげようと声を掛けたフロウは、妙にあっけらかんとしたコウに少し驚きながら思わず笑みをこぼした。見かけによらず肝が据わっている子なのかもしれないという印象を懐く。

「うふふ。ではマズロ、コウくんに同志の服を用意してあげて? 所属は少年部になるのかしら」
「畏まりました、お嬢様」

 フロウに付き従っている男性が丁寧に答える。彼は先代であるフロウの父に参謀役として仕えていた解放軍でも古参のメンバーで、今は参謀総長としてフロウの補佐をしながら、組織のまとめ役を引き受けている。
 実質、独立解放軍を動かしているのはこの男であった。

「初めましてコウ君、私はマズロッドという」
「コウです」

 灰色の髪に長身で面長、冷静沈着な光を携えた碧眼がコウに向けられる。子供の扱いも心得ている雰囲気で優しく微笑みかけるマズロッド。だが、コウは彼に対してバッフェムト独立解放軍の中では最も注意しなくてはいけない相手であるという判断を下した。

「じゃあ行こうかコウ君、少年部のテントに案内しよう」
「はーい」

 マズロッドの注意しなくてはならない部分、それは彼がマーハティーニと通じている事であった。


 コウが配属された"少年部"は、一般訓練生や攻撃隊候補生になる前段階の、まだ若過ぎる子供達が主に所属している。少年部を卒業する年齢になれば"青年部"へと上がり、そこで組織の一般構成員として訓練生になるか、素質があれば攻撃隊の候補生として各種訓練を受ける事になる。
 解放軍構成員少年部の制服となる衣装に着替えたコウは、早速少年部に所属する他の子供達に紹介された。

 一通り顔合わせの挨拶が終わり、少年部に配属されたコウの最初の仕事は武具磨きからだった。
 武具磨きに衣類の修繕といった内職的な仕事で解放軍の生活環境に慣れ、清掃業務や配膳係りに就く期間で各部隊の関係者や部署を覚える。そうして組織内で同志の皆と顔馴染みになる頃には支給品の配達なども任せられるようになる。


 積み上げられた武具を磨きながら、解放軍内のシステムやら懐事情など確認できる範囲で情報を集めて記憶していたコウは、ふと、作業場の奥からこちらを窺う小さな影に気付いた。
 武具の山から半分顔を出してじぃ~っと観察している女の子。自己紹介の顔合わせが行われた時は見なかった子だ。
 コウが視線を向けると、ビクッと肩を震わせて武具山の向こうに隠れてしまった。しかし、女の子から向けられる視線のような気配は、まだハッキリと感じられる。その"視線"というよりも"思念"といった方がしっくり来る感覚は、祈祷士リンドーラの事を思い起こさせる。
 コウは、試しに女の子の気配に向かって話し掛けてみた。

『……君、ボクのことが分かるの?』
――っ! ……あなた、にんげんじゃない……――

 なんと思念による答えが返ってきた。この子には祈祷士系の才能があるらしい。

『うん、この身体は召喚獣だけど、ボクはちゃんと人間だよ』
――……ウルハには、こわい影がいっぱいみえる……――

 このウルハという少女、まだ能力が形をなしていないようだが、人の心をある程度見通せる方面の才があり、その人に関連する"命の残り香"を視覚的に感じ取る事が出来るらしい。
 そしてこの能力故に人を怖がり、何時もどこかに隠れてはこっそり観察するという引っ込み思案な子になってしまった。

『それはみんな身体を借りたり、一緒に旅したりした動物やモンスター達だね。凶暴なのもいるけど、ここには来ないから怖くないよ』

 ウルハはふるふると首を振る。そしてハッと顔をあげると、何時の間にか目の前まで迫っていたコウに驚いて逃げようとした。が、武具山からはみ出していた篭手を踏んづけてしまい、足を滑らせてペタリと尻餅をつく。

「は、はわわわう」
「こわくない、こわくない」

 なでなでなで。――首を竦めてはわはわ言っているウルハの頭を優しく撫でつけ、少し癖っ毛のある髪を軽く梳く。暫くすると、ウルハの表情が恍惚でポヤーとしたモノになった。
 ちなみに、頭を撫でつける際の絶妙な手つきや、髪を梳く繊細な指使いなどはコウの意志によるモノではなく、例によって"身体の性能"が発揮されたモノである。

 警戒心を蕩かされてポーっと見上げるウルハに、コウは自分の正体について『内緒にしておいてね』とお願いする。
 こくりと小さく頷くウルハ。『コウは怖くない』と知って落ち着きを取り戻した彼女は、以後、解放軍どうしの中でも自分の能力で話が出来る唯一の相手としてコウに懐いていくのだった。


**


 解放軍キャンプの中で活動を続けるコウ。ここ数日で組織の色々な事情が見えてきた。組織の補給部隊は近隣の集落や商隊を襲って略奪をしている事。組織の長フロウは、その事に薄々感づいてはいるものの、組織の維持の為に目を瞑っている事。
 そもそも彼女は組織の象徴的な存在として指導者に担がれているだけの傀儡に過ぎず、組織の活動全般はマズロッドが掌握している。また、組織の構成員の殆どがマーハティーニと裏で取り引きしている事を知らない。

 マーハティーニの征伐隊を指揮するディードルバード王子の名声を高める為、バッフェムト独立解放軍はそのマーハティーニから資金援助を受けながら、適当に近隣国の領土を荒らしては、征伐隊から逃げ回っているのだ。
 そのサポート役として、マーハティーニがヴェームルッダから雇った上級戦士長が、特務別働隊の指揮官として、この組織に協力している。

 これらの情報は逐一、コウから京矢に送られ、京矢からスィルアッカに挙げられる。反乱軍として近隣国を脅かす組織の活動は、積極的に征伐軍を派遣し、支援金をばら撒くマーハティーニの帝国内での名声を押し上げる。
 宗主国の座を狙うマーハティーニ。レイバドリエード王が仕掛けていた数年に及ぶ策略は、近隣国の有力家と密接な関係を築き上げ、かなりの段階まで進んでいた。
 それらを突き崩すべく、スィルアッカ達も対策に乗り出そうとしていた。が、スィルアッカにして策略家の狸親父と呼ばせるレイバドリエード王は、策略に関してかなりのやり手だ。

『そういうのに詳しい人なら、ルッカブルク卿がいいと思うよ』
――ああ、なるほど。前に敵じゃないって言ってたな、そう言えば――

 そうして、スィルアッカ達が対抗策を練っている間、コウは組織の中で諜報を行いながら、独自の判断を以て動いていた。

「その人たちってもう、フロウのお父さんが作った組織とは関係なくなってるんじゃないかな」
「そうよね、私もそう思うの。だけど、彼等がいないと今の組織を維持できないってマズロは言うし……」

 本当は昔のような平和的な団体に戻りたいと願っている指導者フロウの気持ちや、事情。実は同じように思っている古参の同志達も多い事など、探り出した情報を駆使してフロウとも親睦を深め、会話を通じて考え方に影響を与える。

「元の平和な抗議団体に戻ろうってみんなに話してみたら?」
「えぇー、今更そんな事……」
「もしかしたら、フロウと同じこと思ってる人とか沢山いるかもしれないよ?」
「……そうかしら」

 確信を持って語られるコウの言葉は、着実にフロウの気持ちを脱戦闘集団へと傾かせていくのだった。


 そんなある日、帰還した偵察隊より、マーハティーニで王子の謀反による内乱が発生したという急報がもたらされた。組織内の好戦派からは、今がマーハティーニ領の街を襲撃するチャンスだという声が上がる。一方で、マーハティーニ主導の征伐軍相手に幾度となく戦ってきたとは言え、元々エッリアの横暴に抗議する目的で集まった自分達がマーハティーニを攻撃する事に意味はあるのかという慎重論も同志の半数以上を占めた。

 そんな中、指導者フロウがこれを機に組織の在り方を見直して方針転換を図る事を訴えるという行動に出た。

「もっとも、転換というよりは原点回帰というところでしょうか」

「しかしフロウ様、我々は既にナッハトーム帝国全体から反乱軍として見られているんですよ?」
「今更ただの抗議団体に戻るといっても……」

 慎重派の同志達は穏便路線で行く事に関しては賛成するものの、組織の知名度としては周辺国から征伐隊を向けられるまでに至ってしまった我々が『今後は平和的に活動する』と表明したところで、受け入れられるものだろうかと疑問を呈する。そこへ――

「私に良い考えがあります」

 ――議論で紛糾する中央広場に、遅れて現れたマズロッド参謀総長が、そう言ってフロウの隣に立った。


 組織が分裂した事にすればいいというマズロッドの提案により、"バッフェムト独立解放軍"の名は第二軍と特務部隊で構成された戦闘集団を中心にマズロッドを指導者として引き継ぐ。
 フロウはかつての自由な漁を訴える会、"バッフェムト自由漁業組合"の組織名に戻し、主に非戦闘員の同志達を引き連れて街へと帰る。
 一応、本隊の大部分がそのままフロウの配下となり、それなりに戦力を保持した集団なので道中は盗賊団に襲われる心配もないだろう。

 実は昨晩、ヴェームルッダから派遣されていた上級戦士長が、母国より引き揚げ命令を受けて組織を抜けた。彼は、マーハティーニの政変によって今後は資金援助も無くなり、征伐隊も本気で潰しに掛かって来る筈なので、命が惜しくば早めに解散しておいた方が良いと忠告を残して去って行った。
 だが、組織の権力を棄てられないマズロッドは、マーハティーニの資金がなくとも武装集団としてならやっていけると考えた。
 戦闘部隊さえ持って行けば、本隊のような集団はまた再構築できる。この際、先代への忠義からフロウを慕う古参メンバーはここらで切り離してしまおうと目論んでの提案だった。

「それではフロウ様、道中お気をつけて」
「ええ、あなた達も。みんな元気でね」

 臨時の本拠地としていた平地空間にはマズロッド達が引き続き滞在し、フロウ達はバッフェムトの港街に帰郷する。

 コウから京矢へ、京矢からスィルアッカへ、何時もの方法で情報が伝えられ、スィルアッカも彼女達"自由漁業組合"を征伐する気はないと、非公式にだが明言した。自分が皇帝になった暁には、バッフェムトの求めていた漁業拡大に寛大な処置を考える。
 いずれ再び支分国として迎えるつもりである事も、フロウ達にはまだ内緒にしておくようにと前置きしてコウに伝えられた。

――まあそんな訳だから、そっちも戻るのはゆっくりでいいぞ。つーか、今帰って来られるとメルやスィルアッカ達の内心が読めて辛い――
『うん、わかった。バッフェムトの街で旅の準備ができたら、ウルハを連れて帰るね』

 祈祷師的な能力を持つウルハについては、本人の希望もあって、コウが帝都に戻る際は連れて帰る事が決まっていた。

 一路バッフェムトの港街に向かった"バッフェムト自由漁業組合"は、昔プック一族が住んでいた屋敷を根城に新たな生活を始める事となった。

 そんな中、コウはフロウに自分がエッリアから来た諜報員である事を一部明かし、今後はマズロッド達の組織に関わらないようアドバイスしたり、ウルハを連れて行く事などを話した。
 初めは驚き、いぶかしみ、分かれた仲間マズロッド達を見捨てさせようとするかのような進言に猜疑を深めたフロウだったが、コウからそのマズロッドが裏で行っていた事を教えられて言葉を失っていた。

「フロウは良い人過ぎて、こういう組織の指導者には向いてないのかもしれないね」
「……コウくん」
「エッリアのスィル将軍には全部バレてる事だよ。だから向こうの組織と関わらなければ、フロウ達は安全だと思う」
「……分かったわ……」

 コウの配慮と慰めにより、聡明な彼女はどうにか気持ちを立て直すと、コウからのアドバイスに従う事を了承したのだった。

「そう……分かったわ、必要なモノがあれば何でも言ってちょうだいね」
「ありがとう」


**


 コウがバッフェムトの港街で旅の準備を進めていた頃、グランダールの研究家で星の配列による魔力への影響とその関連性などを調べて天体観測をしていた魔術士達が、奇妙な星を発見した。

 今まで何も存在していなかった場所に突然現れた二つの星。昼間でも見える白月のように浮かんだその星は、何故か見る者によって姿形を変える。
 普通の一般人には薄っすらとした雲の欠片のようにしか見えないが、魔術を扱う者にはハッキリとした岩の塊に見えるのだ。

 エイオアやナッハトームの研究者からも報告が上がっており、特にエイオアでは実力の高い呪術士や祈祷士達から『空に浮かぶ二つの島が見える』という不思議な報告が寄せられていた。


――俺にもぼんやり月の小さいのっぽく見えるけど、コウは島に見えるんだよな?――
『うん、なんかキョウヤの記憶にある古いゲームにあった天空のなんとかみたいな感じに見えるよ』

――ふーむ、なんなんだろうな。こっちの人もこんな現象は初めてだって騒いでるみたいだし――
『悪いことが起きないと良いんだけどねー』

 世間では何かの凶兆ではないかと不安がる者や、吉兆に違いないと楽観的な者、星をシンボルにしている土着神の信仰者達が連日祈祷を捧げて回るなど、少しばかり騒がしい事になっていたが、何れも大きな問題には至っていない。
 そんな話をしていた所でふと、京矢はコウの記憶からこの現象に関する気になる情報を読み取った。

――ん? なんか悪いイメージがあるみたいだな?――
『うん、ちょっとね。ウルハが言ってたんだけど――』

 空に浮かぶ二つの島を見上げていたウルハが、"多くの魔物や魔獣が呼び集められて押し寄せる"というイメージが強まっている感じがすると不安を口にしていたそうな。

 もしかしたら予知的なモノかもしれないというコウに、京矢は昼間ルッカブルク卿のお抱え魔導技士ティルマークから聞いた話を思い出す。
 冒険者協会で出回っている噂の中に、世界中の祈祷士や呪術士の中でも特に精霊との交感力が強い一部の者達が、予知のそれに近い感覚で凶兆を感じ取っているらしいという話。

――うーむ、ほんとに何か起きるのかもしれないな……今日出発だっけ、道中気ぃつけて帰って来いよ?――
『うん、大体五日くらいで帰れると思う』

 京矢と交信を終えたコウは、ウルハの安全を考慮してなるべく早くエッリアに到着できるよう、特殊な移動手段を考えていた。


 ――空に謎の双星が現れてから三日ほどが経過した頃。

 力ある祈祷士達が双星から微かな”意思”のようなモノを感じ取れると訴え始め、吉凶どちらを暗示しているとも言えないが、何かが起きる前触れでは無いかという声に応える形で、エイオア政府より冒険者協会や近隣国に向けて注意が呼び掛けられた。

 それから間も無く、二つの星に変化が見られた。双方の距離が徐々に近付き始めたのだ。そして、世界に異変が訪れる。

 双星の接近が観測されると同時に、世界中で魔導製品全般に異常動作が報告され、各地の古代遺跡からは謎の発光現象が確認されるなど、ここ数十年の記録にも見られない不可思議な出来事が次々と起こり始めたのだ。
 "凶兆の双星が世界に災いをもたらせる"そんな噂が、人々の間に広がっていく。


 エッリア領の国境に近いマーハティーニ領の街道脇にて、迎えの応援・・が来るのを待っているコウとウルハ。岩陰に干草を包んだシーツを敷いて座っているウルハの傍で、コウは精神体になって浮いている。
 少年型召喚獣も複合体も長時間出しておけるのだが、制御そのものには然程問題もなかったものの、動作に問題があった。

 今朝方、複合体の膝にウルハを乗せて街道を滑走中だったコウは、突然魔導輪が浮力を失った事で地面にスライディング急停止。複合体はちょっと尻を擦っただけで済んだが、下敷きになった魔導輪が一部破損。
 魔導輪はトルトリュスまで持っていって博士に直して貰わなければと異次元倉庫に片付け、ここからはウルハを肩にでも乗せて歩こうかと立ち上がり掛けたコウは、複合体からだの調子がおかしい事に気付く。

 力の調整が効き辛く、うまく動けないのだ。大雑把にならば動けるが、ゆっくりとした精巧な動作が難しい。今までこんな状態になった事はなく、危険と判断したコウは一旦ウルハに離れて貰った。
 そうして何処かぎこちない動作で立ち上がった複合体は、下腹部を左右に開いて普段は収納されている生殖用の管を勝手に露出させた。

 ハッと息を呑み、顔を赤らめたウルハは複合体コウを見上げると一言、こう訴えた。

「無理……」

 『わざとじゃないよー』と釈明していたコウに、意識の奥から京矢が送ってきた情報で大まかな原因や状況を把握した。そこでコウは、現在エッリアの離宮で世話をしている伝書鳥のぴぃちゃんを送って貰えるよう京矢に頼んだ。現在はぴぃちゃんの到着待ちであった。

 年端も行かない女の子に一人で街道を歩かせるのは危険だ。伝書鳥のぴぃちゃんに憑依すれば、上空から常に周囲の状況にも目を配れるので、安全に移動させる事が出来る。危険が近付いている場合は直ぐに物陰へと隠れさせ、複合体を出して対処する。
 例え相手が盗賊団のような類であっても、自己主張する立派な象徴を露にした巨漢ゴーレムに遭遇すれば裸足で逃げ出すであろう。

――別の意味で逃げるだろ、それ――

 コウの"かんぺきなけいかく"に突っ込む京矢であった。


**


 凶兆の双星が重なり、一個の凶星となって空に輝き始めた頃。道中に多少のトラブルもあったが、伝書鳥コウとウルハは国境を越えてエッリア領に入った所で迎えの部隊に拾われ、砂馬に乗って無事に帝都へと運ばれた。

 魔導製品の動作異常や古代遺跡の発光現象など、三日も経てば皆慣れたもので、街の人々は普段と変わりない生活を送っている。

「ぴゅぴぃ」"ただいまー"
「お帰り、大変だったな」

「はじめまして……」
「君がウルハちゃんか、ようこそエッリアへ――って、俺が歓迎してもいいんだろうか」

 一応自分はこの世界と帝国の客人であると自覚する京矢は、公務中で不在の皇女殿下に代わって出迎えつつ小首を傾げる。と、そこへ、ターナ達側近の侍女を引き連れたスィルアッカがタイミングよく現れた。珍しくメルエシードも一緒だ。
 この場で一番偉い人である事を把握したウルハがペコリと頭を下げた。

「ウルハです」
「うむ、よく来たな。コウ共々道中無事で何よりだった」

 ウルハの事に関しては既にコウから京矢を通して話が付いている。とりあえず、人の心を読み取る能力の披露など確認を済ませると、スィルアッカが責任をもって身柄を預かる事を告げた。当面は離宮で従者として侍女の教育を受ける。

「がんばれなー」
「はい、ありがとうございます。キョウヤさん」

 コウの本体である京矢に対しては"優しいお兄さん"と認識したようだ。素朴で控えめな純真の笑顔を向けられ、最近色々と気忙しかった京矢はとても癒された気分になった。
 本来なら和やかな雰囲気に包まれそうな微笑ましい場面なのだが――

「…………」

 『またライバルが増えたのか!』と危惧するメルエシードが、スィルアッカに抗議の視線を向けた。一番"堅気っぽい"のを近づけてどうするんだという視線。目配せで通じ合う二人。

 『自信がないのか?』とばかりにフフンとした挑発の視線を返すスィルアッカ。
 『スィル姉さまこそ諦めた振りですか?』と更に挑発返しをするメルエシード。

 視線の応酬で何だか部屋の雰囲気がおかしい状況。ターナや侍女達は高貴な身分にある女性の間では珍しくない、よくある静かなやり合いを傍観しながら、皇女殿下スィルアッカ王女様メルエシードの仲が少しだけ良くなったようだとすまし顔で控えている。

 しかし、この場にはコウがいるのだ。二人の思考戦闘は全部筒抜けで、ある意味元凶の位置にいる京矢はひたすら胃が痛い。

「たいへんですね」

 ウルハに優しく気遣われ、思わず感激する京矢。なるほどコウに通じるモノがあると納得する。彼女がコウと一緒にいると落ち着くと言うのは、似た性質を持つ者同士という部分もあるのだろう。
 同属嫌悪という心理もあるが、それに当て嵌まりそうな例は別の二人が担当しているようだ。

「!」
「!」

 早速自然体でポイントを稼いでいるウルハにちょっぴり危機感を募らせる皇女様と王女様なのであった。


「ところで、コウはこれからグランダールに向かうのか?」
「ぴゅり」"うん"

 複合体や少年型召喚獣の調整と、魔導輪の修理もして貰いにアンダギー博士の所へ行くのだという。コウの身体に関してはどういう状態にあるのか、ある程度の内容を京矢から聞いていたスィルアッカは、何となく興味本位で今どんな具合なのかを訊ねてみた。
 とりあえず、複合体は危険なのでまだ安全な少年型に憑依してみせるコウ。

「こんなかんじだよー」

 上気した表情に潤んだ瞳、少し浅い息遣いで囁くように語り掛ける。普通の内容を受け答えで喋っているだけなのに、やたらと艶かしくて色っぽい。
 仕草が一々官能的だ。溢れるフェロモン。少年コウを中心に結界の如く広がる桃色空間。色々とヤバイ事が理解できた。

「なるほど、分かった。いって来い」

 そう言って送り出すスィルアッカ。伝書鳥に憑依し直したコウは装飾魔術で"いってきまーす"の文字を浮かべながら、離宮の窓より飛び立った。部屋ではスィルアッカやメルエシードの他、ターナと彼女の直属達も赤面しており、京矢は何故か落ち込んでいる。

「ちがうんだ……アレは元々少女型だったからなんだ……」

 反応してしまった事を気にする京矢だったが、『生理現象だから気にすることはない』とウルハに慰められ、またしても感激。

「す、スィル姉さま……」
「…………」

 優秀な能力を持つ新しい人材の確保は、そのリスクも高かったようだ。


**


 各国が凶星の影響対策に追われている中、グランダールでは王都の地下遺跡で訓練中だった騎士団が突然余所のダンジョンへ飛ばされるなどの事件があり、なんとか無事に帰還を果たした彼等と同じような体験をした冒険者達からも事情を聞くなどして、各地に点在する古代遺跡の魔術装置や仕掛けが不規則に稼動しているらしい事が突き止められていた。

 王都の地下遺跡に関してはアンダギー博士が陣頭に立った調査隊によって安全な場所と近寄らない方が良い場所の確認が行われ、謎の明かりについても天井や壁の一部が発光しており、元々そういう仕掛けが施されていたのだろうという結論に至っている。
 許可制で一般の冒険者に開放されている区画にも何箇所かどこかへ飛ばされてしまう危険地帯が見つかっている為、暫くは閉鎖する処置が取られていた。

「魔導輪は外殻がちょっと割れただけじゃな、どっちみち今は正常に動かんから暫くは使えんぞい」

 昨夜トルトリュスに到着して研究所にやって来た伝書鳥コウの魔導輪をちょちょいと修理した博士は、そう言って魔導輪に加速装置も装着する。複合体の検査もしたい所だが、今は実験用機器の大半が使い物にならない状態だ。
 召喚石の加工機器は復旧しているので、少年型の演出効果をコウ側から制御出来るよう調整して貰った。

「しかしお主の本体とは中々興味深い存在じゃのう、是非とも会って話を聞いてみたいものじゃ」
「ぴゅぴぴぃぴゅいぴゅい」"キョウヤも博士くらいの天才なら帰る方法みつけてくれるかもって言ってるよー"

「ほうほう、中々分かっておるなぁ。――ん? なんじゃ、考えてみれば今コウを通して話しておるようなものか」

 色々と聞きたい事のある博士だったが、研究所の状態が正常に戻らないうちは出来る事も限られる。
 ナッハトームに機械化技術をもたらせた――という事になっている京矢の持ち込んだ書物についての質問はまた次の機会にという事にして、博士は凶星対策の一環で進めている地下遺跡の調査に参加しないかと持ち掛けた。

「どうじゃ、今からまた出向くんじゃが、コウもついてこんか?」

 調整の済んだ召喚石を伝書鳥コウに渡しながら、地下遺跡の調査でコウと京矢にも意見を聞いてみたいと提案する。
 それを聞いていた沙耶華がちらっと視線を向けた。アンダギー博士の思考にハッキリとした目的があって誘っている事を読み取るコウ。博士は何かを確かめようとしているようだ。

「おもしろそう」

 召喚の光が溢れ、さっそく少年型召喚獣に憑依したコウは調査への参加を了承した。


 王都トルトリュスの地下遺跡。コウがここを訪れるのはガウィーク隊の薬士フランチェと地脈草の採取に来たのが最初で、後に隊の若手を鍛える修行に付き合う形で赴いたり、暗部同盟が暗躍した事件で沙耶華とレイオスの救出に乗り込んだ時以来だ。

 暗闇でも普通に見通す事が出来るコウにとっては、謎の明かりに照らし出されている今の地下遺跡の様子も以前とあまり変わりはないのだが、コウの視覚情報を鮮明にとは行かずともリアルタイムで感じ取る京矢は、この地下遺跡の雰囲気に対して『まるで地下街のようだ』と感じた。
 その京矢の感想が、コウから博士に伝えられる。

「ほう……これは、非常に興味深い話じゃのう」

 そう言って顎に手を当てる博士は、今回の調査で確かめようとしていた事の一端を教えてくれた。
 実は地下遺跡の調査で幾つか動いている事が確認された仕掛けの中に、動く床や階段といったモノがあり、その事を研究所で話していた際、沙耶華から"ムービングウォーク"や"エスカレーター"と言った名称が語られたのだ。

 沙耶華の知る、地球世界にあるものとよく似た装置が存在していた事に興味を覚えた博士は、安全が確認されたその一角を直接沙耶華に見て貰おうと地下遺跡へ招いて連れ歩いた。
 その際、沙耶華はなんだか地下街を歩いているようだと、自分の住んでいた世界の事を話したのだ。

 以前、攫われて地下遺跡へ連れて来られた時は周りが暗くてよくわからなかったが、居住空間にしては間取りや部屋の形状に人の生活を感じられず、通路に沿って等間隔に並ぶ広い空間などは商店街の店舗スペースをイメージさせる。
 通路の壁に設けられた謎の隙間、ショーウィンドウのような空間などが今はハッキリ見えるので、より強く地下街の通路っぽさを感じるのだと。

「同じ人間の作る文明じゃ。多少性質が違っても進んだ文明同士、何処か似通ってくるのかもしれん」

 この魔導技術文明の進んだトルトリュスでさえ、京矢や沙耶華の住んでいた世界から見れば"まだ少し遅れた街"に見えるという機械化技術の街、所謂科学技術の発展した街と、現在の魔導技術ですらその境地に至っていないと思しき古代魔導文明の地下遺跡。

 京矢と沙耶華が同じ感想を持った事について、博士は案外地下遺跡の正体を言い当てているのかもしれないと言う。

――やっぱ発想が他と違うな、その博士――
「キョウヤが博士の発想は他と違うって感心してるよー」

「クワッカカカッ そうじゃろう、そうじゃろう。さて、お前さん方にはもう一つ見て貰いたいモノがあるんじゃ」

 先導する博士とサータの後に続くコウ。今回は調査して周る場所の安全が既に確保されている事と、沙耶華や京矢について博士の個人的な研究考察も兼ねている為、他の調査員はいない。


 一般の冒険者は立ち入り禁止になっている区域の更に奥。遺跡が明るくなってから色々動いている仕掛けの中でも、何に使われているのか、どんな意味があるのか、これといった効果も観測できない謎の仕掛けが幾つか見つかっている。

 その内の一つ。壁の一部分に動く象形文字が浮かんでおり、何かを示しているようだが、何を意味しているのかよく分からないモノ。この地下遺跡の作りが異世界の文明とよく似ているのだとしたら、そこから謎の仕掛けの意味を解明するヒントが得られるかもしれない。

「これじゃ」

「絵がうごいてるね」
――これは……――

 壁の一部に正方形の枠があり、そこに映し出される簡素な絵と文字らしき模様。これを見た沙耶華は何かの宣伝ではないかと感じたらしい。京矢も同じような感想に至ったようだ。

――なんか、AEDの使い方マニュアルとかに似てる感じがするな――

 簡略化された人体の絵と何かの操作手順を表現しているような短い動画が繰り返し表示され続けている。

「――って言ってるよ? えーいーでぃーって言うのは救命処置のための装置なんだって」
「ほうほう、救命処置とな。治癒装置のようなものか」

 これを解読できれば地下遺跡でまだ見つかっていない魔術装置を発見したり、そこから画期的な発明に繋がる新しい発想を見出せるかもしれないという博士は、コウと京矢にも協力して貰って帝国側にいる研究者達との連携を提案する。

――え、それっていいのか?――

 王都の地下遺跡で一般の冒険者にも公開されていないような遺跡の秘密染みた情報を、帝国側に知られても良いのだろうかと気にする京矢だったが、コウからその危惧を伝えられた博士は今更じゃと言ってクワッカカカと笑い飛ばした。

「んなもん気にしても仕方ないわい。コウやお主と今こうして地下遺跡で話している時点で秘密なぞ無意味じゃろ」

 それに、こういったモノの検証は一面からの視点で得られる情報など欠片の真実、微々たる量に過ぎず、そこに固執すれば間違った答えを踏んでしまう。未知のモノへの研究に国境のような足枷を設けるのは真の研究者足りえないと胸を張る博士。

――……やっぱ考え方が他の人と違うんだな――
「――ってキョウヤが感心してるよ」

「そうじゃろう、そうじゃろう」
「おかげでよくレオゼオス王とやりあってるんですけどね……」

 上機嫌な博士とは対照的にサータが溜め息など吐きながらポツリと呟く。あまりというか殆ど公にされる事はないが、アンダギー博士とレオゼオス王の付き合いは前国王時代からと長く、意見を対立させて殴り合いまで演じた事があるほど親しい間柄だったりする。

 互いに相手の才を認め合っており、レオゼオス王はアンダギー博士が好きなように研究できる環境を。アンダギー博士はその奇才を如何なく発揮して役立つ発明や意味不明の発明品を創り出す。そこからまたレオゼオス王が使えそうなモノを拾い上げるのだ。

「この際じゃ、凶星がいぶりだした様々な問題に挑んでみるのも一興というものじゃな」

 凶星の影響が何時まで続くのかは分からないが、あの星の影響で今まで殆ど解明されていなかった古代遺跡の謎や、魔導技術文明の脆弱な部分が浮き彫りにされるなど、騒がしくはあれど世界が新たな時代に進もうとしている気運を感じられると博士は語る。

「なんだか、わくわくするなぁ」
――俺もこういうのは嫌いじゃない――

 何となく"激動"を感じさせる"世界"の流れに"ロマン"など感じてみる『男の・・・』なコウと京矢なのであった。


**


 "月が黄色かった"。

 王都の遺跡から何処かの地へと飛ばされた後、更に別のダンジョンへ転移してどうにか帰還を果たした騎士団より決定的な証言が得られた事で、京矢はコウを通じて行われるアンダギー博士の遺跡研究にかなり前向きに取り組んでいた。

 危険な夜の平原で碌な武装もせず、色鮮やかな装飾の少ない貴族服にも似た格好で、先端がやけに明るい光を放つ長い棒や、銀色の板を掲げた男達。
 "対の遠声"のような伝送具の一種なのか、手に持った短い棒状のモノに向かって何かを喋り続ける浅黒い肌色の女性。その後ろで、魔導砲を小型化したような、紐の付いた何かを肩に背負ってこちらに向けている人物。

 平原を見渡せる石柱群に囲まれた場所へ飛ばされたらしい騎士団が遭遇したという奇妙な格好をした一団の話。聞けば聞くほど、その姿に"現代人"の像が浮かび上がる。
 京矢のイメージからコウが絵に描いて見せると、『ああそんな感じだった』という騎士達の反応。円形に配置されていたという石柱群の特徴を聞いて描き出されたそれは、イギリス辺りにある有名なストーンヘンジそのものだった。

――テレビの撮影スタッフが観光地の取材にでも来てたような感じか。なんで夜なのかは気になるけど――
『おまつりだったとか?』

 ダンジョンから一度地上へ飛ばされ、そこからまたダンジョンへ飛ばされるなどした騎士や冒険者の中には、何人か意識を失ったままの者がいる。その様子はまるで、一年前に帝国の遺跡内で発見保護された京矢のように。

 "黄色い月を見た"という証言内容から、彼らが転移した場所が地球だった可能性が高まる。

「しかし、必ずしもその石柱群のある場所に出た訳ではないという辺りが、コウやサヤ嬢がこちらへ来てしまった理由に繋がるかのう」

 この際だからと、京矢や沙耶華が世界移動してしまった原因の一端を推測してみる事にしたアンダギー博士の見解では、十中八九こちら側の遺跡にある装置が原因であろうという結論に至っていた。
 遺跡の装置が何かを切っ掛けにして唐突に稼動した例は、過去にも幾つか確認されている。

「二人が同じ時、同じ場所で死を覚悟するような魔導船事故に遭った事。まずこれは条件から外せんの」

――飛行機事故な――
「魔導船事故じゃなくて飛行機事故だよー」

「ふむ、機械技術だけで大勢を乗せて飛べるというのも興味深いのう」

 脱線しそうになった話題を戻し、その事故とこちら側の転移装置が稼動した瞬間が偶々重なったのか、もしくは転移装置の稼動が事故の原因となったのか。

――エンジンから火噴いてたし、こっちに来たのって多分、海に投げ出されてからだからなぁ――

 転移装置の稼動が事故の原因という事はないだろう。京矢は思い出せる状況からそう分析する。海に投げ出された後で転移したらしいという仮説は、沙耶華も地下遺跡の通路で目覚める直前の記憶が、暗い海に沈んでいくところだったという部分で合致する。

「コウはバラッセのダンジョンで目覚めたのじゃったな」
「うん、一階の壁の奥にある祭壇みたいなところ」

「むん? はて……ワシが把握しとる限り、バラッセのダンジョンは一階に祭壇の間なぞ無かった筈じゃが」
「あそこはまだ誰も入ったことないんじゃないかなぁ」

 あの場所への出入り口は無く、ネズミの身体で穴から通路へ出たのだ。コウが目覚めた場所についてさらっと説明した中に、重要なヒントを掴み取るアンダギー博士の発想アンテナ。

 場所は違えど、コウも京矢も沙耶華もみな古代遺跡の中で発見されたり、目覚めたりしている。コウが目覚めた古い祭壇も古代遺跡の装置である可能性が高いとして、まずそこの調査を進めようと提案する博士。

「もしかしたら、"生命の門"が絡んでるかもしれんぞい」
「ああ、なるほどー」

 バラッセまでの道のりは遠いので、魔導船が使えない今は直接調査に行く事が難しい。そこで、王都の冒険者協会中央本部を通じてバラッセの冒険者協会から信頼できる冒険者に調査の依頼を出す事になった。
 コウのお勧めもあり、コウと深い関わりも持つエルメール、リシェロ、ガシェ達に祭壇の調査が依頼された。


**


 エルメール達がバラッセのダンジョンで遺跡調査をしていた頃、王都では地下遺跡で見つかった動く絵の内容がある程度解析され、アンダギー博士を中心にした調査隊がそちらの調査を進めていた。

――この地下遺跡が古代の地下街みたいな通路だとすると、簡単な地図板とかあっても不思議じゃないわな――
『もしかしたらその場所に何かあるかも知れないんだって』

 動く絵に描かれていた図形が、地下遺跡の一角にある通路と一致したのだ。

 調査隊といっても現在のトルトリュスは街の復旧作業など凶星対策に忙しいので、メンバーはアンダギー博士に助手のサータ、少年型なコウと思念だけ参加の京矢、それに沙耶華と金色の剣竜隊から以前護衛についた二人という顔ぶれである。

 調査と探索を進めるうち、コウ達は壁に隠されていた部屋を発見した。倉庫のような広い空間。壁際に何本もの管が走り、机と椅子らしきモノが埃にまみれて散乱している。部屋の中央には液体の満たされたプールのようなモノがあり、その縁には管で繋がった長丸い物体。京矢達の知る水道タンクっぽいモノが並んでいた。
 そしてプールの中から泡のように"ボー"が浮かび上がり、天井付近の通気口らしき穴からふわふわと何処かへ流れていく。

「なんじゃここは……ボーの繁殖場か?」

 プールの部分は幾つか仕切り分けされていて、液体の満たされている部分と空になっている部分が見える。空の部分に繋がっている管は途中で千切れていたり、繋がっている槽に穴が開いていたりしているのが確認できた。

「博士、こっちの壁に何か書いてありますよ」
「おう? どりゃどりゃ」

 机と椅子らしき物体が散乱している側の壁に大きなパネルがあり、何かを記した絵付きの古代文字。動く絵にも出て来た丸い物体について解説しているような内容に見えた。早速解析を始める博士。サータは机回りを調べている。
 コウはプールを覗き込んだりしながら周りで漂うボーを観察していた。その様子を入り口付近から眺める沙耶華と護衛の二人。

「あの白いくらげのお化け、初めてこっちで目覚めた時に追いかけられた怪物だわ……」

「確か、保護した騎士達も何かから逃げて来た様子だったと話していたな」
「アレは人を襲うようなものではない筈だが」

 訓練場にしている区画には実験生物も訓練用のモノしか放っていないので、一般開放されている区画から迷い込んで来たモノに追われていたのではないかと考えられていた。
 まだ沙耶華がこちらの言葉も話せず、意思疎通が困難な頃だった事もあり、特に注視する程の問題でもないので流されていたのだが――

「なるほど、分かったぞ」

 ――解析を済ませた博士がこの場所とボーの生態について、かなり細かい事が分かったと説明を始めた。ここはボーの繁殖場。正確には製造工場兼、管理室だったという。ボーに関する詳しい仕様の記された資料も見つかった。

 ボーは人工精霊を使った自動治癒装置で、特定の思念の送り方で呼び寄せる事が出来るらしい。生き物ではなく、実態を持たない召喚獣のような類の"装置"なのだという。

 古代文明の地下商店街? に設置されていた緊急自動治癒装置。気分が悪くなったり、怪我をした時に特定チャンネルで思念を送って助けを求めると、飛んできて治癒してくれるシステム。
 元々はあの宣伝パネルに描き出されているように丸っこい形をしていた。今は形が崩れて水くらげみたいになっているようだ。

「これはワシの仮説じゃが、サヤ嬢らが世界を渡る際、別次元を通って来たと思うのじゃ」

 沙耶華は白いくらげの怪物に追われているつもりだったが、ボーは助けを求める沙耶華の思念を受けて救援に来ていたのだろうと博士は語る。

「まあ、色々穴はあるがの」

 転移装置についてもまだまだ解明されていない事は多いので、今はバラッセの調査結果待ちじゃの、と締めくくる博士。なんにせよ、この場所の発見は非常に有益な事だと言える。
 コウと京矢が動く絵について意見を求められた時にも話していた『これを解読できれば地下遺跡でまだ見つかっていない魔術装置を発見したり、そこから画期的な発明に繋がる新しい発想を見出せるかもしれない』という博士の言葉が証明された形だ。

――博士すげぇ!――
「博士すごいってキョウヤが言ってるよー」

「クワッカカカカ! そうじゃろう、そうじゃろう」
「ホントに見つかるとは、わたしも予想できませんでした」

 またぞろ110度ほど踏ん反り返って高笑いしている博士に、今回は本当に感心しているサータ。研究所内にいるような賑やかで和やかな雰囲気に浸りながら、沙耶華はプールの周りを漂うボー達を見詰める。

 その時代の人間がいなくなっても、ずっと稼動していた緊急自動治癒装置の製造工場と管理室。時折ふわふわと天井付近の穴から何処かへ流れていくボーの姿に、なんだか切ないような哀しいような気分になる沙耶華なのであった。

 バラッセからの調査報告が届いたのは、それから三日後の事だった。


**


 コウが目覚めた最初の場所。バラッセのダンジョンに隠されていた古代遺跡らしき祭壇。その調査結果が届いたアンダギー博士の研究所では、ようやく機器が復旧して調整に入った複合体に新しい能力を付与する実験が行われていた。

 先日の地下遺跡調査で発見されたボーの製造工場は直ちに国の重要施設として軍管理下に置かれたのだが、博士がちゃっかり入手しておいた液体"ボーの素(仮)"を複合体に注入して超回復能力を持たせる実験である。

「馴染むまでには暫く掛かるじゃろうな、こっちはまだ様子見じゃから置いておくとして――」

 バラッセの調査結果はやはり予想通りだったかと、報告書をパラパラと捲りながら内容をチェックする博士。スケッチに描かれた祭壇の型はエイオア評議会が保管している転移装置と同型だと思われる。

「最近稼動した痕跡があったという事は、まだ装置が完全に壊れている訳ではないという証拠じゃ」

 それはつまり、凶星騒ぎ以前にも何かを切っ掛けに稼動した可能性が考えられるという事だ。

 博士の仮説によれば沙耶華や京矢は別次元を通って世界を渡ったと思われ、転移装置の仕組みも現在判明している内容の中には、対象を転移させる際、別次元への扉を開いてそこを通しているという説がある。

 本来なら転移する際に入り口と出口が繋がれた状態で転移の扉が開かれていたとして、装置単体の偶発的な稼動によって出口と入り口がきちんと結ばれないまま別次元への扉が開かれてしまい、本来の座標とは違う場所に転移させるなどの事故が起きているのではないか。
 アンダギー博士はそう睨んでいた。


 複合体の調整が済むまでグランダールに滞在する事になったコウは、二、三日手持ち無沙汰になる所だったのだが――

「どうせなら稼動が確認された転移装置を直接調べてみるのも悪くないのう。お主が視れば何か分かるかも知れん」

 ――という博士の発想と破天荒な行動力によってレオゼオス王から『転移装置の回収許可書』が発行され、もし持って来られるようなら持って帰って来てくれと"バラッセにある祭壇の調査と回収"を依頼された。


――いいってさ、こっちもまだ暫くはバタバタしてるからな――

 差し当たりコウの力が必要になるような事態も起きておらず、古代遺跡の調査研究については帝国にも益をもたらせているアンダギー博士の依頼なら、グランダールで活動しても構わないとスィルアッカも理解を見せたそうだ。

 そんな訳で、皇女殿下スィルアッカの許可も得たコウはこれからまたバラッセの街へ赴く事になった。魔導船が使えない今は飛竜も各方面に大活躍中という事で、今回の貸し出しは無理。したがって伝書鳥ぴぃちゃんで二日ほど掛けて飛んでいく。

「ぴゅぴゅーい」"じゃあ、いってきまーす"
「おう、良い知らせを待っとるぞ」

 帰ってくる頃には複合体の調整も済んでいるだろうと送り出す博士とサータ、沙耶華達に見送られ、コウは研究所を飛び立った。


 凶星騒ぎ以降、グランダールの空は行き来する魔導船の姿もなく、偶に飛竜を見掛ける時があるくらいでとても静かだ。
 逆に地上ではそれまで魔導船を使っていた層が馬車を利用するようになった事で、護衛の需要も増えて傭兵達には楽な割りに実入りの良い仕事が増えていた。
 トルトリュス近辺や大きな街との間を走る街道にはひっきりなしに馬車隊の車列が続く為、盗賊団も迂闊に手を出す事が出来ず、一般の旅人達にとっても安全な環境が出来上がっている。

 そんな街道を見下ろしながらバラッセに向けて一直線に飛ぶ伝書鳥コウは、トルトリュスとクラカルの間にある街の上空に差し掛かる頃、伝書鳥の飛ぶ高度よりも更に高いところを行く黒い翼を広げた存在を見掛けた。
 人間の少女に見えるが、物凄い濃度の魔力に包まれているらしく、コウの視点からだと光り輝いて見える。その存在は一瞬こちらに意識を向けたあと、バラッセ方面へと飛び去って行った。速度もかなりのもので、飛竜より速いかもしれない。

『すごいなぁ いまのなんだったんだろう』
――そういやあんまり聞かないけど、飛行系の魔術でもあるんじゃないか?――

 遠ざかる魔力の光を見送りながら、コウは京矢と今見た存在についてあれやこれやと推測してみたりするのだった。


 バラッセまでの道中、休憩に降りたクラカルの街でバーミスト伯爵の屋敷でお世話になったり、アリス嬢と親睦を深めたり、冒険者協会支部で紅狼傭兵団と交流したりと、コネ作り人脈作りに勤しんだコウは、翌日バラッセの街に飛んだ。

 夕刻過ぎにバラッセに到着したコウは、街猫として過ごしていた頃によく使っていた抜け道の途中にある開けた場所に下りると、少年型召喚獣を喚び出して憑依する。ピュイッと一鳴きしたぴぃちゃんがコウの頭の上に陣取った。

「さて、じゃあ冒険者協会にいってみよー」
「ピュィッピ」

 冒険者協会バラッセ支部は普段、この時間帯は閑散としているのだが、協会の職員や行政関係者が何かを確認しながら走り回り、受付も窓口に詰め掛けている傭兵集団からの問い合わせ捌きにてんてこまい状態。
 賑わっているというよりも浮き足立っているような騒然とした雰囲気に包まれていた。

『なんだろう? 何かあったのかな?』
――みんなエイオア、エイオア言ってるみたいだな?――

 受付前を埋める傭兵集団の思考を読んで何の騒ぎか調べようとするも、内容が雑多過ぎて焦点が合わずよく分からない。
 窓口には暫く近づけそうにもないが、"深刻そうな表情で何やら話し込んでいる協会職員を見つけたコウは、彼等の思考を読み取って情報収集を試みる。――結果、この騒ぎの原因を特定できた。

『エイオアの首都が魔物で溢れたんだって』
――エライこっちゃな――

 エイオア側の国境の街アルメッセから首都ドラグーンに向かおうとしていた商人達が皆、クラカルやバラッセに引き返して来ている。
 首都を脱出したエイオア評議会はアルメッセに拠点を移してこの事態に対処するべく動いているとの情報を得た傭兵達や賞金稼ぎが、戦力の募集枠などの情報集めに詰め掛けている。

 グランダールからエイオアを支援する声明などは出されていないので、まだ王都には伝わっていないのかもしれない。

――凶星の影響で景気が良いらしいって話だったのにな――
『魔物が討伐しきれないくらい集まり過ぎたのかなぁ?』

――確か、結界の隙間に迷い込んだのを討伐してたんだよな?――
『討伐隊に見つからなかった魔物が街に入り込んでたとか?』

 詳しい情報が入らないので詳細は分からないものの、コウを通じて得たこの情報をスィルアッカに伝えると言って離宮の奥部屋を出た京矢は、一旦交信から意識を外した。

 一向に途絶える事のない受付前の喧騒をざっと眺めたコウはここで人が空くまで待つよりも先に、バラッセの行政院を訪ねて『転移装置の回収許可書』を提示しておこうかと考える。

『後で下見にも行かなくちゃ』

 もし装置が床と一体化していた場合は一度掘り出して単体で存在する状態にしなければ異次元倉庫に移せない。工事に人手を借してもらう事にもなるかもしれないので、事前ににも挨拶と話を通しておいた方が良いだろう。
 そろそろ眠そうにしている伝書鳥ぴぃちゃんを胸に抱えたコウは、行政院と統治者の屋敷を目指して冒険者協会バラッセ支部を後にするのだった。


**


 翌日、装置の回収に立会人として前回調査依頼を受けたエルメール達が同行する事になり、コウは待ち合わせ場所であるダンジョン前の公園に向かっていた。

 "生命の門"が持ち出されて魔物の脅威が無くなったバラッセのダンジョンは、新たな観光名所とするべく地下迷宮街の建設が進められており、現在は凶星騒ぎで作業が中断されているものの一部区画は地下露店用に開放されていた。

 鉄柵前にエルメール達の姿を見つけたコウはそちらへと足を向ける。何時もと変わらずビシッと剣士の甲冑で固めたエルメールに、治癒術士のローブを纏ったリシェロ、部分的に弄ってある防衛隊の甲冑を身に付けたガシェ。
 それにもう一人、若い剣士風の少女が居た。訓練生の甲冑を纏っているのでエルメール達の教え子かもしれない。

 彼等の傍に駆け寄ろうとしたコウは、ふと視界に飛び込んで来た違和感に足を止めた。
 まばらな人込みの中、明らかに異質なを放つ存在。赤いコートを纏い、艶のある黒髪をふわりと靡かせた少女、の姿をした何か・・が、エルメール達の様子を窺っている。

 コウはその存在に見覚えがあった。

「あ、光の人だ」
「え?」

 その声に気付いて振り返るエルメール達。

「おお、来たかコウ。ん? そちらのお嬢さんは知り合いか?」

 コウと向かい合っている黒髪の少女に視線を向けたガシェが声を掛ける。特に知り合いと言う訳でもないので『ちがうよー』と答えるコウ。すると、その少女は会話の切っ掛けを掴んだとばかりに話し掛けてきた。

「あの~、実はあたしそちらのアルシアちゃんに用がありまして――」
「え、わたし?」

 キョトンとするアルシア。"サクヤ"と名乗った黒髪の少女は、アルシアに『最近こういう夢をみませんか?』と、何かの御伽噺の一節のような内容を訊ねる。


 それは以前、発掘調査に参加したアルシアがエルメール達に話した最近よく見る『自分が勇者をやっている』という夢の内容と同じだった。

「見る見る! 確かにそんな夢見てるっ この前辺りから夢の登場人物に新しい人が増えて、その中の一人が……――」

 凄い勢いで肯定していたアルシアは、二、三日前から少し展開に変化が見られ始めた夢の内容を思い出そうとしてハッと目を瞠ると、見る見る表情を強張らせた。夢の中の自分が出会った"悪夢のような友人"という矛盾する存在。
 目の前に居る少女があまりにその"友人"にそっくりなので、思わず言葉を失う。

「この前って事は……カルツィオの人達と一戦交えた日の事かな? もしかして、あたしの事――覚えてる?」

 『知っているか』ではなく、夢の中で見た人物として自分を『覚えているか』と訊ねる朔耶に、アルシアはかくかくと頷いた。
 "勇者"として超人的な力を持つ夢の中の自分が"悪夢"に例える"友人"。そんな夢の世界の登場人物が、現実世界の自分の前に現れるなど、ちょっとした恐怖モノである。

 アルシアの様子が明らかにおかしくなった事で、エルメールは教え子を怯えさせる朔耶に警戒を向けながらも、コウに判断を仰いだ。

「大丈夫だよ。この人、沙耶華やキョウヤと同じ世界から来た人みたい」

 コウから沙耶華や京矢の事を聞かされていたエルメール達は『ほぅ?』と興味深そうな視線を朔耶に向け、朔耶はまだ詳しい自己紹介もしていないのに自分の素性を言い当てたコウに対して、特に驚くでもなくうんうんと頷いていた。

 "都築朔耶"と改めて名乗った異世界からの来訪者は、訓練生である"見習い剣士アルシア"に、"狭間世界"というこの世界と別世界との隙間にあるもう一つの世界に居る"勇者アルシア"について語った。

 今現在、世界中に混乱を引き起こしている魔力の乱れは"狭間世界"での出来事が原因であるなど、コウの真偽判定がなければとても信じられないような"事実"が明かされる。
 驚くべき事に、彼女は異世界からの来訪者というだけに止まらず、元の世界とこの世界、更にはその隙間にあるという世界を自由に行き来しているらしいという事だった。

「これは覚えてるかどうか分からないけど、アルシアちゃん、三年前この街に来る途中で"来たれ勇者よ"って声を聞かなかった?」
「っ! き、聞いたっ それ覚えてる! あの時は周りに誰も居なかったし、不気味で怖かったから駆け足になっちゃったのよ」

 そこからはスムーズな会話がなされ、この世界のアルシアに会いに来た理由等が伝えられた。
 狭間世界の勇者アルシアはその国の信徒達から"神に喚ばれし者"と崇拝され、信望される立場にありながらも、支配者層からはほぼ便利な道具として扱われているらしい事など、何処の世界にもありそうな現実的な話が語られる。

「夢で感じてた焦りや閉塞感って、そういう事だったのね……」
「それで、向こうのアルシアちゃんを励ます意味でも、こっちで頑張ってるアルシアちゃんのメッセージが欲しいわけなのよ」

 手紙を届ける事も出来るという朔耶に、アルシアは手紙と一緒に届けて欲しいモノがあると言う。

「故郷の品なんだけど、あと手紙も書かなきゃね。――あの、エルメール先生」
「ああ、事情は分かった。こっちはただの立ち会いだから行って来て構わん」

 転移装置回収の立会いから外れる事に許可を貰ったアルシアは、ぺこりと頭を下げると訓練学校の遼へと走っていった。それを見送る朔耶に、エルメールは付いて行かないのかと訊ねる。

「ん~、なんか勘が引っかかっちゃって。その立ち会いってのに同行していいですか?」

「? それは、別に構わんと思うが――どうだリシェロ?」
「うん、同行するだけなら問題ないよ」
「コウの同郷人って事だしな、俺もいいと思うぜ」

 同行を許可する理由にコウの同郷人である要素はあまり関係無いのだがと突っ込みつつ、エルメール達はとりあえず自己紹介をする。

「私はエルメールという。訓練学校の講師をやっている」
「僕はリシェロ。彼女と同じ講師だよ」
「ガシェだ。一応この街で防衛隊ってのを指揮してるぜ」
「ボクはコウ」

 コウの自己紹介は肩書きのないシンプルなモノだったが、グランダール寄りの討伐集団であるガウィーク隊のメンバーで且つ、グランダールと敵対していたナッハトーム帝国で皇女殿下(スィル将軍)の従者をやっているが、グランダール随一の魔導技師アンダギー博士から与えられた特殊ゴーレムを本体として冒険者に登録されている元魔獣犬に憑依していた精神体、その実、異世界より迷い込んで来た者の精神から分離独立した存在――

 という、説明すると意味不明な肩書きになってしまうので、シンプルに名前だけ告げたのは無難だろうとエルメール達は思っていた。しかし、実際はコウと京矢の関係や事情を含めて、朔耶がこちらのほぼ全容を把握していると判断したが故の省略であった。

 コウの視点からは朔耶と重なる光の存在が世界と溶け合うように繋がっている様子が見て取れる。この"都築朔耶"という少女は、この世界にただ"存在している"だけでなく、世界と"繋がっている"のだ。
 そして世界と朔耶を繋げている光の存在が、自身コウの事をつぶさに観察しているのが分かる。

「朔耶です。オルドリア大陸のフレグンスにある学生で一応、精霊術士見習いと小物作りの工房主やってます」

 よろしくねっ と、フラキウル大陸では中々お目にかかれないレアな肩書きを披露した朔耶の言葉には『戦女神とか呼ばれてます』という通り名や『フレグンス王室特別査察官もやってます』という役職や『精霊神殿の象徴シンボルにされてます』等の思考情報が含まれていた。
 勿論それらを読み取れたのはコウだけである。

――しっかし、世界を行き来してるとか……――
『びっくりだねぇ』

 コウを通じて朔耶の在り方を知った京矢が、そんな人もいるのかと驚く。装置の回収にダンジョンへ向かう道すがら、コウと京矢は後で元の世界に還える方法を聞いてみようかと相談しあっていた。
 直ぐにでも帰還方法を訊ねようとしなかったのは、既にこちらで自分の居場所や役割を抱えてしまっている立場にあるからだ。

 元の世界に未練が無い訳ではない。しかし、もし帰還出来るとなれば今の環境を全て棄てる事になるかもしれず、こちらで知り合った少なくない親しい人達とも、もう会えなくなるかもしれないという別れを惜しむ気持ちが、元の世界に帰る方法の問い掛けを躊躇させていた。

 調査隊メンバーに朔耶を伴い、地下街化が進められているバラッセのダンジョンに下りて来た一行は、綺麗に掃除された一階の通路を進んで行く。

「ここだ。先日発掘したばかりだから、まだ通路が整地されていないんだ。石の欠片を踏まないよう足元に気をつけてな」

 祭壇の間への通路は入り口の脇にまだ崩した壁の欠片が山積みにされている。関係者以外立ち入り禁止の札付きロープを外し、暗い通路を松明で照らし出す。
 その時、ふとコウが前隣にいる朔耶を見上げると、何やら細い"光の糸"が朔耶を中心に広がっていくのが見えた。コウの視点からだと朔耶は常に光を纏って輝いているように見えるのだが、その放射状に広がる光の糸はまるで生き物の触覚のように感じる。

 やがて奥へと伸びる一本を残して"光の糸"が収束し、先導するガシェの後ろからひょいと通路を覗き込んだ朔耶が小首を傾げながら言った。

「なんか大きな犬が居るみたいだけど、魔物?」

「魔物が……? ガシェ、壁際に寄れ。リシェロは照明を頼む」
「お、おう!」
「わかった」

 剣に手を掛けながら素早く指示を出すエルメール。先程の紹介し合った中で聞いた限りでは見習いという事だったが、祈祷士よりも強い交感能力を持つと謂われる精霊術士が言うなら信憑性は高いと判断したらしい。
 リシェロが魔力で作り出した光源を通路の奥へと投げつける。通路の起伏を陰影に浮かび上がらせながら真っ直ぐ飛んでいった光源は、奥の転移装置にぶつかってそのまま祭壇の間を照らし出す。

「よし、いくぞ」

 松明を仕舞ったガシェが戦斧を持ち、剣を構えるエルメールと並んで進み始めると、リシェロも二人を援護すべくその後ろに続いた。三人が組んだ時の何時もの布陣である。警戒しながら慎重に踏み出す三人に、朔耶は祭壇の間の様子を伝える。

「奥の右の窪みに居るけど、こっちに気付いてるみたいね。敵意は無いみたいだよ?」
「そんな事まで分かるのか?」

 やけに具体的な索敵情報に振り返ったエルメールは、ちらりとコウに視線を向けた。コウは直ぐその意味を理解して朔耶の内心を探ろうとしたが――

――コウくん、さっきからずっと覗いてたでしょ? あんまり乙女の心を盗み見しちゃダ・メ・よ――
「っ!? え、と、ごめんなさい」

 他者との念話は初めてではなかったが、直接意識が繋がっている京矢や、思念がそっと触れてくる感覚の曖昧なウルハと違って、がっしりと結びついて来るような強力な思念。
 朔耶の意識から読み取れた表現では"意識の糸"というらしいソレから感じ取れる余りに強大な力の存在に、思わずびっくりしたコウは、とりあえずゴメンナサイした。にっこり笑みを返す朔耶。

 いきなり謝罪するコウに微笑む朔耶、という今のやり取りの意味が分からず、コウと朔耶の顔を交互に見やりながらハテナ顔のエルメール達。その時、何かに気付いたように通路の奥へと視線を向けた朔耶が呟く。

「あ、出てきた」

 つられて皆が視線を向けると、転移装置にくっついた光源に照らされながら通路の正面に現れる黒い影。
 長く鋭い牙が剥き出しになったゴツイ顔の魔獣犬。元々は地下三階付近に現れる危険な魔獣で、"生命の門"が取り払われて以降、大量に押し寄せる冒険者達によって他の変異体や魔獣類共々全て討伐された筈だ。

「生き残りがいたのか……しかし、これは――」
「コウ、な筈はないよね」
「コウならここに居るもんな」

 ガシェがコウの頭にぽふっと手を置く。困惑するエルメール達の前で、その魔獣犬はまるでコウが憑依していた魔獣犬のように"お座り"をしてペタペタと尻尾を振っていた。


 天井まで届きそうな大きさの祭壇、転移装置を一瞬で消し去るコウの異次元倉庫能力に『なにそれ、便利過ぎ!』と驚いている朔耶の隣で、全身を洗浄されてふさふさの毛並みになった魔獣犬が"伏せ"をしている。
 ちなみに、全身洗浄は『獣くさい』と嫌がった朔耶の仕業である。精霊の力で汚れを落としたらしい。いきなり漆黒の翼を生やした朔耶に、エルメール達が何事かと驚いていた。なんでも強い力を使う時は魔力の翼が生える――事にしているらしい。

 この魔獣犬、コウが意思に触れて調べてみた所、以前"生命の門"を探索しに来た時に憑依して"亡者の階"と呼ばれていた地下五階に下りる階段前で別れた魔獣犬であった事が分かった。

「そっかぁ、君だったのかぁ」
「ヴォフ」

 ヘッヘッヘッと舌を出しながら尻尾を振っている彼は、コウに憑依されて地下探索をしていた中で、僅かながら"楽しい"と感じた時から自意識が育っていた。主に朽ち掛けの骸戦士にローリングアタックをかます戦術辺りで。

 その自意識はコウと別れて再び集合意識に支配されながらも保たれ、行動を指示する集合意識に対して自分の"楽しい"と感じる行動を通そうと反撥を起こす事で更に育って行き、徐々に明確な自己意識へと進化し始めた。
 そこへ"生命の門"の破壊によって集合意識の干渉がなくなり、自己意識の膨らんだ彼は完全な自律行動を取るようになったのだ。

 大勢の冒険者が地下に押し寄せている間、彼は小さな壁の隙間に入り口が隠されて目立たない所にある餌用丸ネズミの巣に潜り込んでやり過ごしていた。

 そうして先日、エルメール達が掘り開いたこの祭壇の間にうっすらとコウの気配が残っているのを感じ取って下の階から上がって来た彼は、ここを拠点にして時々地上まで狩りに出たりしながら過ごしていたのだ。
 この部屋の壁は掘り込まれた彫刻による突起物が多いので、壁を伝って天井に開いた亀裂の隙間から出入りしていたようだ。祭壇の間は丁度街の外辺りに位置している。

「蟲やコウモリの変異体は、元はこういった抜け穴部分からダンジョンに迷い込んでいたのかもしれないな……」
「確かに、小動物だとここに落ちたら戻れそうにないもんねぇ」

 広くなった祭壇の間に射し込む陽の光。壁際の天井に走る亀裂を見上げながら、エルメールとリシェロがそんな推測を並べる。

「にしても、ある意味こいつぁ本物の魔獣犬コウってとこだな。武器や薬を出したりはしねぇけど」

 ガシェがそう言って魔獣犬の頭を撫でる。身体は見た目も凶悪なごつい魔獣犬だが、中身は割と普通のわんこ。
 自意識を持ち始めるきっかけであり、自意識が育ち始める最初に触れた"他者"であり"仲間"がコウだった。魔獣犬のはコウに仲間意識、家族意識を持っている。

「"三つ子の魂百まで"状態なわけね」

「ほう、面白い喩えだな、オルドリア文化で盛んな賢者の言葉というモノか」
「賢者の言葉と似たようなモノだけど、今のはあたしの住んでた世界のコトワザって言います」

「それにしても、貴女の言った"勘に引っ掛かる"というのはこの事だったんですね。流石は予知に聡いと噂に聞く精霊術士です」
「う~ん、勘に引っ掛かってる事には関係してそうなんだけど、まだ何かありそうな……あ、それとあたしの事は朔耶サクヤでいいよ」

 装置回収の仕事はコウが実質二秒で終わらせてしまったので、今は祭壇の間に入り込んでいた魔獣犬の事と、朔耶の精霊術について考察や雑談が交わされている。
 そんな穏やかな雰囲気の中――

「魔王?」
「えっ! 今、魔王って言った?」

 ――魔獣犬の意識に触れながら情報を読み取っていたコウが口にした一言に、朔耶が強い反応を示した。

「魔王というと、神話や御伽噺に出てくるアレか?」
「ちょっと昔なら偶にとち狂った魔術士が魔王を名乗ったりしてた事もあったらしいけどなぁ」
「こっちでも自称魔王ってそんな感じなのね……」


 なぜ魔物がエイオアの首都に集まっているのか。今エイオアで何が起きているのか、魔物達の行動の謎、当事国政府のエイオア評議会でさえ掴みきれていない事実と現状を、魔獣犬のから把握する事が出来た。

 地上に集合意識を発現させた呪術士が、自らを魔王と自称し始めたのだという。
 呪術士の魔王宣言は自らが操る魔物達に対してしかされておらず、まだ世間一般には知られていない。自己意識を持った魔獣犬と今日こうして再会する事が出来たコウが、一番にその事実を掴んだ。

 自己意識の育った魔獣犬のは過ごしていた場所がエイオアから遠い事もあり、"支配の呪根"による呼び寄せを無視する事が出来た。一応、影響は受けているので"支配の呪根"が発現させている集合意識からどんな命令が出されているのかは分かる。
 魔獣犬の彼に干渉しようとする集合意識から、自称魔王についてもっと詳しい情報を読み取りに掛かるコウ。

 地上で魔物を支配する魔王がエイオアの首都ドラグーンを制圧し、魔物の国を造ろうとしている。首都に住んでいた人々は魔王の命令を受けた魔物達に捕らえられ、街で奴隷として働かされている等の、今の常識では凡そ考えられない内容だった。

 これらの情報はコウからエルメール達を経て冒険者協会へと上げられ、王都やエイオア評議会に確認の問い合わせが行われる中、信頼できる筋の情報であると言う事でバラッセの冒険者協会支部を中心に噂が広まっていく。

 ダンジョンを後にして直ぐ冒険者協会へ報告に赴き、色々な手続きを終えて再びダンジョン前の公園に戻って来たコウとエルメール達。魔獣犬の確認に協会から派遣された人間も同行している。
 高い鉄柵に囲まれる祠を出た所には、ガシェと朔耶が魔獣犬と共に待っていた。

「おかえりー」
「ただいまー」

 しゃがんで魔獣犬を撫でていた朔耶とハイタッチなど交わすコウ。てしてしてしっと尻尾を振っている魔獣犬。"魔王の支配から逃れて人間の味方についた魔獣犬"が冒険者協会の派遣員に紹介される。

 朔耶は先程まで精霊術士が使う"交感"によってオルドリア大陸にいる仲間・・と連絡をとっていたそうだ。向こうでは精霊術士の持つ予知的な力で"魔王の出現"が予言されていたらしい。

「それで朔耶はその事を調べに来てたの?」
「うん、一応ね。アルシアちゃんを捜索するついでだったんだけど、探しものいっぺんに解決しちゃったよ」

 魔獣犬の取り扱いについて協会の派遣員とエルメール達が話し合っている間、アルシアを待つ朔耶と雑談を交わすコウ。
 世界の渡り方について聞き出すタイミングを計っているのだが、心の覗き見禁止を出されてからは不思議なことに、言葉に乗って伝わる筈の思考を読み取る事も出来ないでいた。朔耶と重なる光の存在、"精霊"がブロックしているらしいのだ。

「えーと……」
「うん? なにかな~?」

 相手が何を考えているのか全く分からないという状態は初めての事なので、珍しく言いよどんでいるコウに心の奥から『もうストレートに聞いちまえ』と発破を掛ける京矢。

「ん、じゃあたんとーちょくにゅーに、元の世界に帰る方法教えて?」
「沙耶華ちゃんって人と京矢君の事ね」

 既に事情を察している朔耶はコウ達の質問に答えてくれた。結論から言えば、簡単にはいかないとの事。朔耶が世界を自由に行き来できるのは"精霊"の力による所であり、世界を渡る行為は精霊の加護がなければ危険なのだと言う。

 世界を渡る際、肉体から精神と魂が一旦分離する事になるらしく、精霊の加護によってそれぞれがバラバラに離れてしまう事のないよう包み込みながらでなければ、離れた精神が迷子になってしまう場合があるそうだ。
 何となく身に覚えがあるコウと京矢は、直ぐにその意味を理解した。

「安全に世界を渡る条件は肉体と精神と魂を保護する精霊の助けがいるってとこね」
「精霊かぁ」

 知り合いに精霊は居ないなぁ等と呟くコウ。しかし世界を渡る事が出来る人物と知り合えた事は大きい。博士に相談すれば何か手を考えてくれるかもしれない。

「教えてくれてありがとう、何かいい方法が見つかったらその時は――」
「うん、時々こっちにも顔出すようにするから、その時は言ってね」

 コウ達の提示する方法が安全か否かは、朔耶の精霊が判断してくれるそうだ。

「朔耶には一度、沙耶華や博士にも会ってほしいな」
「そうだね、また機会があればこっちの王都にも行って見るよ」

「コウ、済まないがちょっと来てくれないか」

 魔獣犬の事でエルメールからお呼びが掛かった。『いってらっしゃい』と手をひらひらさせる朔耶と別れ、コウは鉄柵前に集まっているエルメール達の所へ向かう。

「あっ いたいた! サクヤさーん!」

 入れ替わりに道の向こうから現れたアルシアが朔耶の所へと駆けて行く。振り返ると、アルシアから荷物を受け取った朔耶は一言二言アルシアと何かを話し、それじゃあねと手を振って唐突に姿を消した。

『元の世界に帰ったのかな?』
――かもな――

 何にせよ、元の世界に帰る手掛かりが得られた事で、京矢には一つ大きな目標が出来た。
 ただ、沙耶華に対するレイオス王子のように、京矢にもスィルアッカ皇女がどう動くか分からない部分があるので、誰に何処まで情報を明かすのかはよく考えなければならない。

『とりあえず、博士には出来るだけ詳しく報告しないとね』


**


 異世界からの来訪者。同じ世界から迷い込んでいる身でもあるコウ達からすれば、元世界からの来訪者という事になるのか。自由に世界を行き来しているらしい"都築朔耶"との出会い。
 彼女が還った後、魔獣犬の処置についてエルメール達と二、三の意見を交わし合い、軍用犬としてバラッセの街軍に所属させる事になったという内容を当の魔獣犬に伝える役割を果たしたコウは、暗くなる前にバラッセの街を発つ事にした。

「随分急ぐのだな」
「うん、今はきんきゅうじたい・・・・・・・・だからね」

 回収した祭壇をアンダギー博士に届けて調整の済んだ複合体を引き取り、博士の調査研究にも引き続き協力しながら状況を見てエッリアに戻る時期を見定める。
 帝都への帰還はイザとなれば京矢の裏技で戻る手もあるので、転移装置と世界渡りの関係について博士の考察と研究を見守りたい。

「じゃあ君もまたね」
「ヴァフーン」

 バラッセの街軍紋章入りスカーフを首に巻いた魔獣犬の額を一撫でして伝書鳥に憑依したコウは、茜色に染まりかけた空へと飛び立った。

 その夜クラカルに到着したコウは、バーミスト伯爵の屋敷で一泊した翌日、伯爵が手配してくれた飛竜に乗って王都トルトリュスまでひとっ飛びで帰還した。


 屋根に落ちた魔導船の撤去作業もほぼ完了し、上空が少し寂しい以外は平常通りの姿を取り戻している王都トルトリュス。コウを乗せた偵察飛竜が到着したのは丁度お昼になろうかという頃であった。

「ただいまー博士、持ってきたよー」
「おお、戻ったかコウっ 待ちかねたぞ!」

 魔術研究棟区画の名所でもあるアンダギー博士の研究所。その施設内にある実験用倉庫に運び込まれた"古代の転移装置"と思しき祭壇。
 博士は早速構造や魔力の道筋を調べに掛かったので、コウは調整の済んだ複合体の引き取りと新たに追加された仕様の説明をサータ助手から受ける。

「体内を循環するボーの素が治癒効果だけでなく、複合体組織を活性化させる効果もあるの」

「一時的にパワーが上がって素早く動けるのかー」
――バーサーカーモードみたいだな――

 複合体に超回復能力を付与する過程で見つかった副産物ともいえる要素だという。実際にどの程度の効果があるのか、練習で試すなりして確かめておいた方が良いかもしれない。
 コウが京矢と交信で相談しながら研究所前の広場で少し身体を動かしてみようかと検討していた所へ、買い物から戻った沙耶華が倉庫に顔を出した。

「あら? おかえりコウ君、いつ帰って来たの?」
「ただいまー、今さっきだよ」

 これから昼食の準備に入るという沙耶華に、コウは"都築朔耶"の事を話すべきか京矢に相談を向けた。少し迷った様子の京矢は、今の状況が落ち着いてからの方がいいのではと答える。

――魔王の問題が片付いてからなら、博士も研究に専念できるだろうしな――

 アンダギー博士なら周りの状況に関係なく、興味のある研究には没頭しそうだがと思念を付け加える京矢に、コウも同意した。


 街が魔術の灯りに包まれ始める夕刻頃。研究所前の広場を飛んだり跳ねたりと縦横無尽に走り回っていた巨体が消え、召喚の光と共に黒髪の少年が現れる。
 新しい機能を得た複合体で一通り動作確認を済ませたコウは、博士の様子を見に倉庫へと足を運んだ。

 ずっと倉庫に籠もって転移装置を調べていた博士は、壁際に設置された机の上に資料を広げては別の用紙になにやら書き込んでいる。その隣ではサータ助手が散らばった資料や博士が書き殴った書類を集めて整理していた。

 わしゃわしゃと研究対象の考察を書き記していた用紙にトンッとペンを置く。どうやら一段落ついたらしい。

「お疲れ様でした、何か分かりましたか?」
「うむ、この前の仮説を補強できる発見があったぞい」

 長くなるので晩餐の席で詳しく話してやろうと言って、博士は肩をコキコキ鳴らしながら倉庫の出入り口へと歩きだす。コウも同席するよう言われたので、沙耶華と連れ立って皆でぞろぞろと食堂に向かうのだった。


「まずあの転移装置じゃがな、魔力を貯える仕掛けが組み込まれておった」

 周囲に魔力があるならば、僅かずつでも装置に触れた魔力をそのまま貯め込み、恐らくは一定量の魔力を得る事で装置が稼動する仕組みになっていると推測する博士。

「ボーの製造施設を調べた限り、古代遺跡の魔術装置には常に一定量の魔力が供給される環境が出来ておったようなのじゃ」

 その例から考えるに、本来の転移装置は常時稼動していて、扉を潜って部屋から部屋へ移るような感覚で別の場所と空間を繋げていた可能性があるという。

「それって、凄い事ですよね?」
「うむ。言うなれば、ある線から一歩踏み出せば隣街に立ち、一歩下がれば元の街に立つような距離の超越を得るわけじゃからして」

 世界はさぞかし狭くなっていた事だろうと考察を述べる博士は、世界中に同じ文明の痕跡と思しき古代遺跡が散らばっている事の説明にもなると頷く。

 そして転移装置が空間を繋ぐ際、通り道として別次元を使っている可能性を挙げ、ダンジョンから地上に飛ばされるだけでなく、別の世界に飛ばされた冒険者達の例に"生命の門"の仕様を絡める。

「ワシの仮説ではサヤ嬢やコウ、キョウヤも別次元を通ってこちらの世界に来た事になっとるじゃろ?」

 博士は一時的に稼動した転移装置に"生命の門"の機能が何らかの干渉を引き起こした可能性を挙げた。本来の転移装置は特定の一箇所ではなく、複数の場所と常時空間を繋ぐ回廊であった可能性。
 一時的な稼動に巻き込まれた対象はそれらの内の何れかの場所に出るか、或いは一時稼動で接続可能な場所に出ていたのかもしれない。

「その仮説で言いますと……異世界にも元々繋がっていた可能性がある、という事ですか?」
「うんにゃ、それはまだ分からん。繋がっとったのかもしれんし、異常動作で偶々繋がったのかもしれんし――」

 ――それこそが"生命の門"による干渉の影響やもしれん。サータの問いにそう答えた博士は、それらを踏まえた上で沙耶華やコウ、京矢がこちらの世界に迷い込んだ原因は複数の要素が絡んでいると推測したようだ。

 まずコウの場合。バラッセのダンジョンにあった転移装置に一定量の魔力が集まって装置が稼動。
 他のダンジョンなどとも一時的に空間が繋がった際、"生命の門"が入り口となって"魂の通り道"から精神の一部であるコウの部分がバラッセの転移装置の傍に零れ落ちた。
 本体である魂と肉体、つまり京矢は空間が繋がっているナッハトーム領の古い遺跡に現れた。

 異世界で起きた飛行機事故により急激な魂の流れが発生。死者の魂が集う"場所"へと繋がる"魂の通り道"に"生命の門"が繋がっていた事から、コウの本体である京矢の"生きたい"という強い思念を"生命の門"経由で拾った転移装置のシステムが、"魂の通り道"を移動中だった京矢の魂を転移対象として捉え、転移先候補地として生存率の高い場所へと転移させた。
 転移対象の魂が宿る肉体も同一対象物として転移させたが、その際にコウという精神の欠片が零れてしまったのだ。

「異世界の事故とバラッセの転移装置が稼動したタイミングは偶然という事にしておいても良いじゃろな」

 このタイミングで稼動していなければ、コウという存在は勿論、沙耶華や京矢も世界を渡る事はなかったかもしれない。

 沙耶華が王都の地下遺跡に現れたのは、偶然とも必然とも言える。バラッセの転移装置が稼動して"生命の門"の影響を受け、各地に残るそれぞれの遺跡が繋がっている時に京矢と同じく"魂の通り道"の次元から世界を越えた。

 どの遺跡に現れるかは何か引き合う要素があればそちらに流れると仮定するならば、沙耶華は次元を越える際、助けを求める思念を強く持った。それにより、緊急自動治癒装置のボーが配備されている地下通路へと転移の扉が開かれたのかもしれない。

 京矢の"生きたい"という思念は"生命の門"からダンジョンに溶け出した集合意識の元であるダンジョンコーディネーターの思念と共鳴する部分があったので、そちらに精神の一部であるコウの部分が引かれたと思われる。

 本体の京矢がナッハトーム領の遺跡に現れたのは、一応そこは民間治癒術士の医療施設として利用されていたので、それなりに引かれた理由があったのかもしれない。実際、京矢を発見した治癒術士によって心肺停止状態だった身体は蘇生されたのだ。

「博士の仮説では、転移装置が転移対象の転移先をある程度選んでいるという事になるんですね」
「そうじゃ。キョウヤの現れた帝国の遺跡も、古代では案外病院のような施設だったのやもしれんの」

 この仮説が正しかった場合、京矢や沙耶華の他にもまだ、同じ飛行機事故の被害者がどこかの遺跡に現れている可能性もある。


「コウ君、意味分かった?」
「大体は」
――俺は半分くらいしか分からなかったけど、コウの記憶から何となく分かった気がするよ――

 夕飯を口にしながら博士とサータの会話を聞いていたが途中でついていけなくなった沙耶華が訊ねると、概ね仮説の中身は理解したと答えるコウ。京矢もコウの把握した内容からイメージ的な形で何となく理解出来たようだ。

――しかし流石は博士って感じだな、もしかしたら転移装置の仕組みとか解明して世界を渡れる装置とか作っちまうかも――
『朔耶の事はいつ話そうか?』

――そうだなぁ……この様子ならあんまり時期を置く必要もないかもなぁ――

 考察と仮説を一通り語り終え、沙耶華手製の和風おひたしを掻き込んでいる博士を眺めつつ交信で相談し合うコウと京矢。朔耶に教わった"精霊の保護無しで世界を渡る場合の危険性"についても、博士には話しておいた方がいいだろう。
 何れにしても、今は魔王の事や凶星の影響という問題も残っているので、それらが落ち着いてから朔耶と精霊と異世界の事も含めてじっくり話し合えれば良いのではないかという結論に至ったのだった。

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