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1巻ダイジェスト

ダイジェスト版1

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憑依系の物語です。
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 高度な魔導文明によって作られた装置。あらゆる生命体が溢れるこの現象界より一つ上の次元、魂の通り道となる次元への扉を開く魔導装置。
 利用者の意思に従い、長大な距離も一瞬で飛び越えて指定の場所へと送り届けるその装置は、魔導文明が滅んで数千年以上経った今でも、不定期的に目覚めては不安定ながら稼動を続けていた。

 ある時、装置の繋がる次元にこの世界とは別の、隣接する世界から大量の魂が流れ込んできた。それらは死を通じて生命と切り離され、魂の集う場所へと還っていく。
 だが、幾つかの魂は生命との離別にあらがった。彼等を利用者として認識した魔導装置は、彼等の意思に従い、適切な施設へと送り届ける。だが、想定外の利用法な上に不安定な動作だった為、事故が起きた。
 一人の若者の魂から、肉体と共に転送される筈だった精神が剥がれ、装置のある空間へと零れ落ちてしまったのだ。
 魔導装置は零れ落ちた精神の欠片を再転送する前に魔力が尽き、再び稼動可能な状態まで魔力を蓄積する待機モードに入った。数千年、幾度と無く繰り返されて来た長い眠りについた。

 沈黙した装置の傍らで、魂との繋がりを辛うじて残しつつも、精神のみの存在となってしまった"彼"の意識が、ゆっくりと目覚めた。


『ここは、どこだろう……?』

 霞掛かった意識と隙間だらけの記憶。ボンヤリとした意識の中で自問自答を繰り返す内、徐々に鮮明な意思を持ち始め、やがて"彼"は自分が人間であった事を思い出した。

 自分が誰なのか、なぜここに居るのか、何をすれば良いのか分からないまま、幽霊の如くただそこに浮かび続けていた彼は、足元を駆け抜けていく大きなネズミに気が付いた。
 成長した猫ほどの体躯を持つ大ネズミを観察していた"彼"は、そのネズミの首の裏付近に"穴"があるのを感じとった。身体に穴が開いているのではなく、そこに穴があるという感覚。

『なんだろう?』

 その穴に意識を向けた途端、吸い寄せられるように精神体が流れ始め、気が付くと彼はネズミの身体に入っていた。一体化したわけではなく、ネズミの意識の上に乗っかっているような状態。
 大ネズミに憑依した"彼"は、餌を探して徘徊する大ネズミの意識から、この場所について色々な情報を得る事が出来た。
 ここは危険な生物がひしめき、多くの冒険者が力や財宝を求めて訪れる地下迷宮ダンジョン。"彼"の欠けた記憶にある世界とは随分と違った日常が展開する世界。"彼"が憑依していた大ネズミは、この場所の邪悪な魔力の影響を受けて巨大化した変異体というモンスターらしい。
 大ネズミを討伐した冒険者グループの会話から、そんな情報が読み取れた。言葉は分からなかったが、精神体である"彼"は、言葉に乗って流れる彼等の意思を直接読み取って理解する事が出来た。
 ちなみに、討伐された大ネズミから読み取れた最後の意思は、『イタイ』『ニゲル』『ハラヘッタ』であった。

 "彼"が自分の中に残る記憶の世界と、今目の前に広がっているこの世界について、考察と記憶の整理をおこなっていた時、近くを大きなハサミムシが通り掛かった。
 大ネズミの時と同じ要領でハサミムシに憑依した彼は、あてども無くこの地下迷宮ダンジョンを彷徨い始めるのだった。


◇◇◇


 蟲や大ネズミなど様々な生き物に憑依しながらダンジョンを探索して彷徨う"彼"は、この地下一階を隅々まで調べ尽くし、地上に上がる階段や更に地下へと下りる階段も見つけていた。
 地上に上がる階段には地下のモンスターが出てこられないよう結界が張ってあるらしく、モンスターの身体では階段に一歩踏み出す事も出来ない。
 それなら人間の身体ならばと通り掛った適当な相手に憑依を試みたが、上手く行かなかった。人間には憑依出来ないらしい。
 仕方なく、"彼"はダンジョンの出入り口付近に陣取っては、時折下りて来る冒険者達を眺めたり、モンスターの身体で近づき過ぎて討伐されたりしながらダンジョンを彷徨う日々を過ごしていた。

 そんなある日、巨大化の影響でよく足を滑らせて落ちて来る大コウモリに憑依して出入り口付近の天井にぶらさがっていた"彼"は、一人の少女と出合った。
 如何にも初心者っぽい、おっかなびっくりの足取りでダンジョンに下りて来た彼女は、冒険者見習いで、訓練学校の生徒らしい。

 少女の事を観察していた大コウモリに憑依する"彼"は、足を滑らせて落っこちた。通常であれば、モンスターは冒険者の前に現れた時点で討伐される。
 だが、少女はかなりの初心者だったらしく、目の前に落ちてきたモンスターに敵意が無い事が分かると、不安を紛らわせるべく縫い包み代わりに抱っこしてダンジョンの探索を始めた。

「それでねー、多分昨日ここに来た時に落としたんだと思うのよ」
「キー」
「珍しく気の利いたプレゼントだったから大事にしてたのに、こんな所で落としちゃうなんてもう……」
「キィ~」

 一人と一匹の奇妙な会話が、ダンジョン地下一階の通路に響く。人とのコミュニケーションが出来て嬉しい"彼"は、言葉のやり取りは出来ずとも相槌を打つことが出来るので、少女の愚痴に近いお話の聞き役を楽しんでいた。
 話によると、彼女は訓練学校の講師に引率されるダンジョンの体験ツアーパーティーに参加した際、幼馴染に貰った大事なブローチを落としてしまったらしい。
 学校に戻ってからその事に気付いたのだが、入学したばかりの彼女には個人的な落し物を探す為にダンジョンまで付き合ってくれるような友人もおらず、件の幼馴染には『落とした』とは言い出せない。仕方なく、勇気を振り絞って一人で探しに下りて来たのだそうだ。

 暫らくそんな調子で話しながら進んでいると、腹を空かせて凶暴になっている大ネズミに遭遇した。少女は大コウモリの"彼"を下ろして武器を手に取り、戦おうとするものの、矢を一本射るにも手間取る有様。もたつく少女に飛びかかった大ネズミが、彼女の喉を食い破らんと牙を剥いたその時、"彼"が割って入って少女を庇った。そのまま大コウモリを捕食に掛かる大ネズミ。

「コウちゃん!」
『え、もう名前とか付けてたの!?』

 "彼"は大コウモリから抜け出すと、宿主が絶命する時の断末魔の波動に煽られない内に捕食者である大ネズミの方へと乗り移り、少女の狙う矢からひらりと身を躱して逃走を図った。少女の身の安全確保と移動手段の確保を両立させたのだ。

 壁の亀裂から隙間に逃げ込むと、後方から『ごめんね、ごめんね』と自分の身代わりとなって半分食われたコウモリのコウちゃんの死を嘆く少女の泣き声が響く。
 彼女が初心者だからという部分もあるのだろうが、少なくとも"彼"は今までにこのダンジョンを訪れた冒険者達の中でモンスターにあそこまで情を向けた人間を見たことがない。老若男女問わず、狩りの対象であるモンスター相手に心を痛める者などいなかった。

『優しい子なんだなぁ』

 初めて人とのコミュニケーションを取らせてくれた少女の為に何かしてあげたいと思った"彼"は、この大ネズミの身体を使って付近一帯を探索してみる事にした。
 少女の落としたブローチがどの程度の品物かは分からないが、宝石ないし貴金属が含まれる物なら一日ダンジョンに置いた分の魔力が染み込んでいる筈。精神体である為か、魔力を視る事が出来る"彼"の視点でなら見分けられる。

 そうして捜索すること暫らく、別の大ネズミが飲み込んでいたブローチを見つけて取り返した"彼"は、少女に届けてあげようと現場に戻るも、既に少女は立ち去った後だった。大コウモリの屍骸はダンジョンの清掃役でもある小さな蟲達のご馳走になっている。
 通路の奥に見えた人影に目を凝らすと、これも精神体の能力なのか望遠ズームのように視点が近づき、あの少女と並んで手を引く若い冒険者らしき少年の姿が確認出来た。
 少年は出口に向かって歩きながら、手を引く少女を宥めていた。

「だってだって、せっかくあなたがくれたモノなのに……」
「あんなのまた何時でも買ってあげるさ」

 本当は少女が冒険者協会の訓練学校に入る事にも反対だった少年は、頼むから今後こういう危ない真似はしないでくれと念を押す。

「それにコウモリが君を庇ったっていうのも偶然だよ」
「だって、コウちゃんは……」

 大コウモリの死体を地上に持ち帰ってお墓を作りたかったという少女に、冒険者の少年は自分の知るモンスターについて講釈を語る。
 基本的にダンジョンに巣食うモンスターはそのダンジョンに漂う憎しみや怨念が絡み合った集合意識の支配を受けて活動しており、浅い階の変異体はまだ普通の動物だった頃の意識で動いているモノもいるようだが、魔獣や魔物の類になると皆が同じ目的意識を持って行動するのだ。
 集合意識の存在により、ダンジョンのモンスターが人間になつくことはないし、餌付けなども不可能なのだと。

「まったく君は、なんでも良い方に捉えるんだから危なっかしくて心配だよ」
「うう、ごめんなさい」

 そんな会話を交わす二人の後を追いかける"彼"だったが、やっと追いついた時にはもう二人とも出口の階段を上っていた。結界の効果で大ネズミの身体では階段に一歩踏み出す事さえ阻まれる。結局、"彼"は名前も知らない少女の落し物を届けてあげる事が出来なかった。
 他の冒険者と鉢合わせる前に近くの抜け道へ避難した"彼"は、ブローチを前に思案する。

『これ、どうしようかな』

 直接物体に触れられない精神体の自分では預かっておく事も出来ない。そう思いつつ、ネズミの身体から半分ほど精神体を出してブローチを掴む仕草をする。

『ん?』

 微かに感触を得たような気がして、"彼"はブローチに意識を集中させてみた。すると、引き寄せるような感覚の後に、ブローチは彼の手元にあった。今までのようなボンヤリした感覚ではなく、しっかりとした感触がある。
 どういう仕組みなのかは分からなかったが、精神体である"彼"の干渉によって、現象界の物質が彼の存在する次元に喚び寄せられたらしい。試しにそこら辺の石ころに触れて手に入れるイメージで集中してみると、ブローチと同じように自分の元へ喚ぶ事が出来た。
 距離の概念が曖昧で、手元に寄せれば手元にあるし、遠くへ離せば遠くにある。収納スペースとしてはとても便利な無限の置き場所。

『こんな事も出来たのか……うん、これなら失くす心配もなく預かっておけるかな』

 何時かまた出会った時にでも返そうとブローチを異次元倉庫に保管した"彼"は、物に触れる方法を得た事で、他にも色々触ってみたい物を探してダンジョンの通路へと駆け出したのだった。


◇◇◇


 殆ど明かりも無い闇に覆われたダンジョンの通路を、体長一八○センチはあろうかという大きな体躯のトカゲがのしのし歩く。
 一階を探索し尽くした"彼"は、下の階も見てみようと大ネズミの身体で二階に下りて直ぐ、このオオトカゲに捕食された。なのでそのままオオトカゲに憑依、二階探索の身体に使っている。

『あ、コイン見っけ。拾っておこう』

 地下二階からはオオトカゲの他に犬型のモンスターで、野犬が変異体となった魔犬が出没するようになる。群れで行動するモンスターの存在により危険度は一階の比ではなく、ダンジョンで倒れた冒険者の死体なども時折見掛けるようになった。

 またそういった犠牲者が多い事により、ダンジョンで拾える"お宝"も増える。散らばったコインや、魔術の触媒に使うらしき魔力の篭った宝石の類、装飾品。まだ使える武具や薬など、色々なアイテムが手に入るのだ。"彼"はそれらのアイテムを収集しては、異次元倉庫に保管していた。

『おや? 誰かいる』

 遠くにランタンの明かりが揺れるのを見つけた"彼"は、久し振りに生きた人間と交流できるかもしれないと期待しつつ、明かりに向かって歩き出す。
 例え出合って直ぐに狩られてしまうのだとしても、人恋しい気持ちには抗えない。

 そうして見つけたのは、魔犬の群れと対峙している五人のパーティー。どうやら怪我人を抱えて身動きが取れなくなっているらしい。彼等の会話から、訓練学校の研修目的でこの階まで下りて来ている事が読み取れた。
 魔犬の機動力が欲しかった"彼"は、彼等の援護も兼ねて魔犬の群れに飛び込んで行った。"彼"の乱入によって魔犬の注意が削がれた隙に、五人パーティーのリーダーらしき女剣士が、魔犬の一匹を屠りながら指示を出す。

「今の内に行け! 入り口の協会関係者に救援要請を出せば直ぐに駆けつけてくれる」
「は、はい!」

 訓練生三人を送り出した女剣士は、怪我を負って動けない同僚の治癒術士を護れる位置に陣取って剣を構えている。"彼"は、オオトカゲの身体に噛み付いて唸っている魔犬の群れを見渡し、どれか一匹に憑依しようかと思案していたのだが、ふと通路の影に身を潜めている人影を見つけた。
 壁を背に座り込んでいる治癒術士の、傍に置かれたランタンの明かりが届かないギリギリの場所から、こちらの様子を窺っている。暗闇でも見通せる"彼"が視点を寄せて視ると、先ほど救援を呼びに行った三人の訓練生だった。

『何してるんだろう?』

 彼等の行動に不穏なモノを感じ取った"彼"がオオトカゲから頭だけ出した状態で観察していると、女剣士が魔犬との戦闘に入るタイミングで、武器を構えた彼等が走り寄って来た。援護に来た様には見えない。足音で彼等に気付いた治癒術士が、閃光を発する術で目晦ましを放った。
 突然の閃光と気配で背後に迫っていた彼等の存在と、その意図に気付いた女剣士が表情を険しくする。三人の訓練生は、自分達の軽率な行動で試験官の一人を負傷させてしまった事により、今回の修業試験で不合格になるのを恐れた。引率者が不慮の事故で死亡する事は珍しくない。訓練生達は試験官二人を口封じで殺害し、後日試験の受け直しをしようと目論んだらしい。

 魔犬と対峙している為、直ぐには対応出来ない女剣士を二人の訓練生が牽制し、一人が手負いの治癒術士に剣を振り上げた。そこへ、オオトカゲの"彼"が突撃、剣を振り上げていた訓練生に体当たりをかまして転ばせた。
 "彼"は自分の中に善悪の価値観がある事を自覚しつつ、治癒術士にダンジョンで拾った回復薬などの薬瓶を譲って試験官の二人を助けた。
 怪我から回復した治癒術士が戦闘に加わった事で魔犬は一掃され、試験官殺し未遂の訓練生三人も瞬く間に制圧された。彼等は罪人として地上で裁きに掛けられる事になったようだ。

 地上への通路を帰って行く二人の試験官と三人の元訓練生。女剣士と治癒術士が、自分達を助けてくれたオオトカゲに戸惑いの表情を向けている。
 最後に振り返った治癒術士に、"彼"はペタリと尻尾を振って見送った。日々増えていく経験と知識、いつか地上に出られる事を想いながら、"彼"は今日もダンジョンを彷徨う。

 『あのダンジョンには冒険者を助けてくれる不思議なモンスターが現れる』そんな噂が広まり始めたのは、それから暫らくしてからの事だった。


◇◇◇


 地下二階も粗方探索したので更に下の階へと下りて来た彼は、この階からその気配を感じられるようになる"集合意識"に支配されていた魔獣犬を乗っ取って、探索の身体に使っていた。
 一階、二階に現れる変異体と違い、集合意識の支配を受けて行動する魔獣犬は自意識を殆ど持たない。故に、憑依による身体の支配は全身に及んでいた。
 変異体に憑依していた時は宿主の意思に働き掛ける事で身体をコントロールしていたが、魔獣犬への憑依は自分の身体のように自由に動かせた。

『なにもない……』

 魔獣犬の身体を手に入れる前、オオトカゲが討伐された場所を通り掛ったハサミムシに憑依してこの地下三階を探索していた"彼"は、開けた場所に結界が張ってあるのを見つけた。
 ハサミムシの身体では入れなかったので、そのハサミムシを捕食した魔獣犬に乗り換えてから改めてその場所までやって来たのだが、結界の中は少しばかり整地された跡がみられる他は、特に何もない。少し開けた空間が広がっているだけだった。

 魔獣犬の身体で一階まで上がってみたり、浅い階では魔力が薄い影響で酷く力が抜ける事が分かったりと活発に活動していた"彼"は、疲労が溜まった魔獣犬をネズミの巣穴で休ませていた。驚くべき事に、餌場であるネズミの巣穴には大ネズミよりも更に大きく、丸っこく肥えた丸ネズミが、魔獣犬の餌となるべく繁殖を繰り返している。集合意識にそういう役割を与えられているらしい。

 そんな、モンスター達を支配する集合意識、ダンジョンを満たす邪悪な魔力が、突然うねる様な気配を以ってざわめき始める。集合意識のざわめきの波動を受けて、巣穴から丸ネズミ達が飛び出していった。まるでダンジョン全体が警告を発しているかのような感覚。

『なんだろう?』

 回復した魔獣犬を支配した"彼"は、何かが起きようとしているダンジョンの通路へと駆け出した。


◇◆◇


 ダンジョン中の魔獣犬や変異体、ダンジョンの清掃役でもある粘菌のような不定形生物までもが、ある地点を目指して一斉に移動している。
 集合意識に支配されている魔獣犬は、"彼"が憑依している魔獣犬を見ると攻撃対象と見做して襲い掛かって来ていたのだが、今は"彼"憑き魔獣犬を見ても反応する事無く、何処かを目指して駆けていく。
 "彼"がモンスター達の群れの後をついて行くと、少し狭くなった通路の一角で激しい戦闘が行われていた。大所帯の冒険者集団が通路を塞ぐように陣取り、次々に飛び掛かってくる魔獣犬や、丸ネズミ、足元から絡みつく粘菌の攻撃を捌いている。その中には見覚えのある顔もあった。

 暫らくモンスターの群れの後方から観戦していると、最前列で槍を振るっていた甲冑の戦士が短剣に持ち替えて戦い始めた。どうやら武器が壊れたらしい。

「ええい畜生め! だれか大剣か戦斧もってる奴いねえか!?」

 戦い難そうに短剣を振り回している戦士の叫びを聞いた"彼"は、異次元倉庫にそれっぽい物を拾っておいた事を思い出した。

『これを届けてあげよう』

 通路にひしめくモンスター達の背中に飛び乗り、そこを足場にして駆け寄った彼は、最前列の戦士達を飛び越えて彼等の陣地に着地。戦斧を置いて反応を待つ。
 自分達の陣地に入り込まれたと、慌ててこちらに向かって来ていた戦士が戸惑うように足を止めた。

「おい、どうした! 何を呆けている!」
「い、いやその……」

 この前の女剣士に怒鳴られた戦士が口ごもる。その後の戦士の呟きから、"彼"は今このダンジョンを訪れる冒険者達の間で、仮の姿ではあるが自分が噂になっている事を知るのだった。


 その後、冒険者集団に大勢の応援部隊が現れ、モンスターの群れはあっという間に蹴散らされた。彼等はこのダンジョン内に結界で護られる拠点を建設しにやって来たらしい。
 先程のモンスターの群れは、ダンジョンを支配する集合意識が拠点の建設を妨害しようとしていたのだそうだ。集合意識がそんな反応を示した事に、冒険者達は皆が驚いている様子だった。
 冒険者達の会話に耳を傾けつつ、"彼"は累々と横たわるモンスターの屍骸から使えそうなアイテムを収集して回っていた。魔力の染み付いた宝石や貴金属が飲み込まれていると、死体の中にボンヤリ光っているのが視えるので、精神体の手を突っ込んでアイテムだけ回収する事が出来る。

 やがて拠点建設隊の冒険者集団が移動を始めたので、"彼"もその後に付いて行く。警戒の眼差しを向けてくる者も多かったが、追い払おうとしたり、攻撃されるような事はなかった。
 大勢の人々と一緒に行動する事が楽しい"彼"は、終始上機嫌であった。


 拠点建設隊が目指していたのは、開けた場所に張られていた結界地帯だった。どうやらこの場所に強力な結界と外壁を設置し、地下を探索する冒険者達の休憩所として使える拠点にするようだ。
 冒険者集団の後方に控えていた作業員達が、運んできた資材で簡単な壁を構築していく。同時に、ここに張られている結界も、祈祷士の術によって強力なモノへと張り直される。

『あ、なんかじわじわ身体が重くなってきた……結界が強くなってきたのかな?』

 作業を見守っていた"彼"はこのまま結界の中にいると動けなくなりそうだったので、一旦結界の範囲外へと避難する事にした。そして結界強化の効果が十分に出始めた頃――

「敵襲!」

 第二波ともいうべき魔獣の群れが押し寄せて来た。しかし、結界の護りに応援部隊も加わっている冒険者集団側は、先程の攻防より余裕を以って対処していた。
 結界地帯を挟んで反対側の通路に出ていた"彼"は、ここからでは戦闘に参加する事も、後衛を手伝う事も出来ないので、どうしようかと結界前でウロウロしていた。
 この階のまだ探索してない場所でも見て回ろうかと考えていた時、一人の女性が結界越しに話し掛けて来た。

「あなたは、誰ですか?」

 彼女はこの拠点建設計画の要として、結界を張る為に雇われている優秀な祈祷士らしい。彼女が"自分"を見ている事に気付いた"彼"は、魔獣犬からひょいと顔を出した。
 魔獣犬の身体から精霊のような存在が顔を出した事に思わず息を呑む祈祷士。

「私はエイオアの祈祷士リンドーラ。あなたは?」
『ボク? ボクは……』

 彼女の問いに答えあぐねた"彼"は、以前、少女に呼ばれた名前を口にする。

『ボクは、"コウ"』
「"コウ"と言うのですね? コウ、貴方はどういう存在なのですか?」

『よく、わからない』

 コウと名乗る事にした"彼"は人と直接会話が出来た事に驚きと興奮、そして喜びを覚えていた。
 こんな風に人と話せる時が来るとは想像もしていなかったので、リンドーラが何か問えばそれに答えるだけという随分とぎこちない会話になってしまったが、とても満たされた気持ちになる。
 自分自身の事はよく分からないと答えるコウ。欠けた記憶に残る自分の居たであろう世界については上手く説明できないので語らない。

 幾つかの質問などをやり取りし、リンドーラはコウの事をダンジョンで倒れた冒険者の意識が、集合意識に溶け込まず自律して別の知的存在になった元人間であろうと推察した。
 相手の心に触れる事でその本質を見抜く事が出来る祈祷士として、リンドーラはコウを人の味方であると判定した。

「まだまだ不明な点が沢山ありますが、貴方の事情は大体分かりました。これを貴方に預けましょう」

 彼女はそう言って自分の首から緑色の石が付いたアミュレットを外すと、コウに差し出した。
 それは祈祷士のアミュレットという非常に貴重な呪術アイテムで、身に着けていれば大抵の結界を素通り出来る効果を持つ。

 受け取ったコウは試行錯誤して魔獣犬の身体の一部に埋め込む形で装着すると、早速この拠点建設予定地の結界地帯に足を踏み入れてみる。すると、結界に押し戻される感覚も無く入る事が出来た。

『おーーっ 入れたー! リンドーラさん、ありがとうーー!』

 リンドーラに顔を向けてブンブン尻尾を振っている魔獣犬。影の様な黒い毛並みに、殺傷力を増した長く鋭い牙も剥き出しの凶悪な見た目はそのままだが、全身に溢れる嬉しそうな雰囲気は本当に害の無いただのわんこのように感じられた。

 第二波との戦闘も魔獣が打ち止めになったらしく落ち着きを見せ始め、結界の前に溜まっている粘菌の焼き払いが行なわれている。
 拠点が造られるまでの間、この作業現場に留まる事を決めたコウは、直接話す事が出来る祈祷士リンドーラを通じて色々とこの世界の知識を深めていくのだった。


◇◇◇


 邪悪な魔力を遮断し、モンスターの侵入を許さない"永久浄化"という処置を施された結界内の作業現場を、額に緑色の宝石を付けた魔獣犬が横切っていく。
 ダンジョン内で安全に休む事の出来る拠点の建設が進められる中、コウは自主的に彼等の作業を手伝って資材搬入の作業員を先導したり、早速露店を開きに来た気の早い商人達を護衛するなど、活発に動き回っていた。
 コウの存在は街でも噂となり、数日の内に冒険者達の間で周知されて行く。そんな活動を通じて色々な人と触れ合うコウは、何人かの冒険者とも顔馴染みになりながら交流を重ねていった。

「いようコウ、今日も元気にやってるかー」
「ヴゥアッフー」『やあ、ガシェ』

 コウが贈った戦斧を装備しているガシェという戦士は、このダンジョンを所有しているバラッセという街で防衛隊の隊長をやっている。彼の親友に、先日コウがオオトカゲの姿で助けた訓練学校の講師をやっている二人がいた。女剣士をエルメール、治癒術士をリシェロといった。
 三人は時折パーティーを組んで冒険に出る事もあるらしい。

「ああそうだコウ、なんかお前の頭の石を狙ってる奴らが居るらしいぞ?」
「ヴァウ~ヴァフ?」『リンドーラさんが貸してくれたコレ?』

「最近は他所から来た連中も多いからな、知らない奴等についてっちゃ駄目だぞー?」
「ヴァーフ」『うん、気をつけるよ』

 ガシェは魔獣犬コウの言葉を明確に認識している訳では無いものの、何となく雰囲気でどんな事を言っているのかは予想できる。コウとの会話っぽい何かのようなコミュニケーションをガシェは結構楽しんでいた。
 コウの方も作業現場に居ると退屈や寂しさに苛まれる事もなく、人と意思の疎通が出来る事に喜びを感じている。

 そんなある日、今日も朝から地下で露店を開こうと下りて来る商人パーティーを拠点建設現場まで先導して来たコウは、資材置き場で冒険者らしき男に声を掛けられた。

「えーと、言葉は分かるのかな……? ここへ来たらコレを君に届けさせて欲しいって頼まれたんだけど」
「ヴァ? ヴァウァウ?」『え? なになに?』

 小さな箱を差し出す男。箱には何か魔力の籠ったモノが入っているようだ。この箱を出口の所にいる男に届けて欲しいという依頼だった。
 快く引き受けたコウは、ぱくっと小箱を受け取ると、上階を目指して通路に駆け出した。

 一階まで上がると、ダンジョンを満たす魔力の薄さで相変わらず力が抜ける。だが、拠点建設地の浄化された結界内で過ごしている内に慣れた気だるさだった。地上へ繋がる階段前までやって来たコウだったが、目的の人物が見当たらない。
 『外に出ても大丈夫かな?』と、少し躊躇しながら階段に踏み出すと、"祈祷士のアミュレット"の効果で出入り口の結界に弾かれる事無く進む事が出来た。そうして光の差し込む階段を一歩ずつ上って行き、やがて――

『おおー、外だー』

 初めて見るダンジョンの外の景色に魅入るコウ。すると、完全武装の冒険者らしき男が目の前に立った。その背後には杖を持った魔術士らしき格好の人が控えており、何やら杖の先端を撫でながらぶつぶつ呟いている。

「よしよし、ちゃんと持って来たみたいだな」
『この人が荷物の受け取り人かな?』

 お届けモノですよーと魔獣犬コウが咥えていた小箱を差し出そうとしたその時、杖を弄っていた魔術士が何かの動作をみせたかと思うと、突然小箱から冷気が噴出し、魔獣犬の口周りを凍り付かせた。

「今だ! やれっ」

 正面に立っていた男の合図と共に衝撃が走り、魔獣犬の首が落ちた。ゆらりと傾いだ黒い巨体が崩れ落ち、噴出した夥しい量の血が一帯を赤黒く染める。魔獣犬は意思が希薄だった為か断末魔の波動も小さく、精神体のコウは殆ど煽られる事の無いままその場に浮かんだ。

「やったぜっ 一撃だ!」
「こんだけへばってりゃ当然だろ」

「おい、早くアミュレットを回収しろ!」

 魔獣犬の首を一撃の下に斬り落とした剣士が得意気に誇るも、サポート役だった戦士に冷静なツッコミを入れられる。そんな二人に、リーダー格の男が早く仕事に移れと急かした。

『あ、そういうコトか』

 ガシェから『アミュレットを狙っている者がいる』と聞いていた事を思い出し、状況を把握したコウは咄嗟に手を伸ばすと、血の海に沈む魔獣犬の頭からアミュレットを喚び寄せたのだった。

 罠の小箱を運ばせて魔獣犬を討伐した彼等は、魔物討伐を専門にしているかなり腕利きの集団で、『噂の魔獣犬コウ』の事を客寄せ目的ででっち上げられたインチキモンスターだと判断していたらしい。
 しかしそのモンスターが結界を通る為に付けている貴重な呪術アイテム"祈祷士のアミュレット"は本物という事で、魔獣犬を討伐してお宝を手に入れようと画策したようだ。

 ダンジョンの出入り口である祠前で魔獣犬の屍骸からアミュレットを探している彼等を余所に、コウは近くを這っていた虫に憑依してその場を離れる。
 芝生の隙間を進んでいると、一匹の猫が伏せていたので猫に憑依した。そして先程から討伐集団のリーダーを睨んでいる女剣士、エルメールの足元へと歩み出す。彼女は魔獣犬コウを討伐した事について、討伐集団に抗議していた。

 剥けど捌けどアミュレットが見つからず、野次馬も増えた事でこれ以上の長居は無用と判断した討伐集団は、大赤字を出しながら速やかに去っていった。
 ダンジョンに放り込まれた魔獣犬コウの屍骸から残った毛皮などを採取しようと、人々が入り口に押し寄せている。
 心中複雑な険しい表情でその光景を眺めていたエルメールは、先程から自分のブーツをぺたぺたと叩いている猫に気付いた。彼女は溜め息を吐きながら猫を抱き上げ、少し表情を緩める。

「なんだ? 餌でも欲しいのか?」

 コウは猫の額にアミュレットの緑石を出現させて消した。

「っ……! まさか、コウか?」
「みゃー」『ボクだよー』

 声を潜めて訊ねたエルメールに、鳴き声を返すコウ

「みゃーみゃーみゃみゃみゃーみゃみゃー」『いやーもうびっくりしたよ、いきなり首が落とされたからさー』
「すまんが、何を言ってるのか分からん……とりあえずリンドーラの所へでも行くか」

 コウと直接会話を交わすことの出来るリンドーラを頼ろうと判断したエルメールだったが、彼女リンドーラは既に街を出て帰国の途に就いた事を知ったのは、冒険者協会から帰って来たリシェロに、コウの保護申請が却下されたと聞かされた時であった。


◇◇◇


 猫の手を借りて絵を描き、コウは自分の事をエルメールやリシェロに伝えた。エルメールは街の統治者が有力討伐集団との関係を重視して魔獣犬コウを見捨てた事に不実の念を懐き、コウの存在は公にしないと提案。コウはエルメールが預かる事になった。

 街猫に憑依したコウが、エルメールの部屋で世話になりながらバラッセの街で暮らし始めて数日。この世界の事や文字の読み書きなども少しずつ覚え、時折思い出す欠けた記憶の整理などしながら、コウは穏やかな日々を過ごしていた。
 そんなある日、エルメールの要請で訓練学校に同行し、"校舎猫"として生徒達と触れ合っていたコウは、『コウ』の名付け親でもあるブローチを落とした少女、ニーナとの再会を果たした。

「にゃーにゃにゃがにゃにゃにゃ」『落し物、預かってたよー』
「えっ! これって……」

「にゃにゃにゃーう」『確かに返したからねー』

 驚きと困惑の表情で固まっているニーナに一声掛けたコウは、初めて人とのコミュニケーションを取らせてくれた彼女に、預かり物を届けられた事を満足しながら廊下を駆け出した。


◇◇◇


 訓練学校で校舎猫としてすっかり馴染んでいるコウは、合同訓練を目的とした強化合宿キャンプが行われると聞き、興味を持った。

「そうだコウ、お前も一緒に行くか?」
「にゃにゃー」『行く行くー』

「そうだね、君が居てくれれば色々と心強い」
「にゃっにゃにゃがにゃー」『薬とか一杯あるよー』

 講師として引率するエルメールやリシェロ達に付いて行く事になったコウ。この日、コウも交えた強化合宿キャンプの打ち合わせは夜遅くまで続いた。


 合同訓練強化合宿の当日、バラッセの街より少し離れた場所に位置する山の麓にキャンプ地が設けられ、訓練場の設営作業が訓練学校の生徒達によって進められた。
 主に初心者クラスの生徒がテント張りを担当し、修行者クラスの生徒は付近を整地して訓練用の案山子などを立てて行く。
 水や食糧は馬車に十分積まれているが、一応狩りによる調達も訓練内容に入っている。

 ニーナや彼女の幼馴染で上級クラスのルカベルも参加しており、二人は校舎猫のコウが届けてくれたブローチの謎について話し合い、その事を飼い主であるエルメールに相談した。

「なるほどな……」

 二人の話を聞いたエルメールは腕組みをしながら頷く。コウの名前に纏わるエピソードについては、絵を使ったコミュニケーションとコウが僅かに覚えた文字で大まかな内容を把握していた。
 少し考え、名付け親となった少女ニーナや、この少年ルカベルには教えても構わないかと、エルメールはコウの存在について語り始めた。あまり公にするのは憚られるが、おそらくそのコウモリは"コウ"であると。
 多くの人に知られる事となった例の魔獣犬も中身はコウであったと教えられ、ニーナはそんな事もあるんですねーと素直な反応を見せる。一方で幼少の頃から冒険者の両親に連れられて色々な所を旅して回った経験により、他の訓練生達に比べると冒険者として精通しているような素振りを誇示していたルカベルは、世の中にはまだまだ自分の知らない事が沢山あるのだなぁと、己が慢心を自覚したようだ。

 本人の知らない所で一部訓練生達の意識改革に役立っていたりする当のコウはといえば――

『猫ぱーんち! 猫ぱーんち!』

 設置された訓練用案山子の肩に登り、革兜の顔に猛ラッシュを浴びせて遊んでいた。


◇◆◇


 強化キャンプの訓練授業が本格的に始まり、班分けされたグループがそれぞれ講師の指導の元、冒険者としての知識や戦闘訓練などを体験学習で学んでいく。

 順調に進んでいた強化キャンプだったが、二日目の朝にトラブルが起きた。キャンプが設営される一帯は予め訓練学校の依頼で冒険者協会による調査が行われ、危険な猛獣や変異体は一掃されている。だが、そこに思わぬ見落としがあった。
 この山の奥には巨大な変異体蛇の生息が確認されていたのだが、かなりの大物で討伐には相当な手勢が必要になるものの、山奥まで踏み入らなければ危険は無いという判断で放置されていた。
 ところが、麓から追いやられた猛獣や変異体が山奥に逃げ込んで活動した事により、餌場を荒らされた巨大蛇が、獲物を求めて麓まで下りて来てしまったのだ。
 巨大蛇の接近に気付いたコウがエルメールに報せ、エルメールも直ぐに異変に気付いて生徒達を避難させる。

「全員作業を中止してこの場から離れろ! 訓練場まで走れ!」

 一体何事かと戸惑いの表情を浮かべた生徒達は、剣に手を掛けて臨戦態勢に入っているエルメールの姿に慌てて走り出した。

 体長十八メートル近い巨大蛇。エルメールが避難する生徒達から遠ざけようと誘導に動く。その肩に飛び乗ったコウは、蛇に狙いを定めて態勢を低くした。

「お前なにを――まさか、乗り移る気か?」
「にゃっ」

 コウがどのようにして対象の生物に憑依するのか、原理までは不明だが、その手順は絵を使ったやりとりで説明を受けている。『それならば』と、エルメールはコウが大蛇に憑依出来るようサポートに動いた。


◇◆◇


 この日の午後、連絡を受けた応援部隊がキャンプ地に到着。要請したのは討伐隊ではなく、猛獣など大型の動物を飼育する為に使う大きな檻で、運んで来たのはガシェの率いる防衛隊であった。

「こりゃあまた……すげえ大物にクラスチェンジしたもんだなぁ? コウよ」
「シャ~~シャシャ」『ガシェ、久し振りー』

 コウが他の生物に憑依して生きる特殊な存在である事を詳しく知っているのは、直接会話をしていた祈祷士リンドーラや、コウと同居生活を送っているエルメールにリシェロ、二人から話を聞いているガシェ、他は訓練生のルカベルとニーナだけである。

 巨大蛇捕獲の報を聞いたバラッセの街の統治者は早速、観光資源に利用しようと準備を進めており、使わなくなった闘技場を飼育場に改装させているらしい。あまりに巨大な体躯は猛獣用の檻も心許ない。輸送中に暴れられたりすると直ぐに壊れそうだ。
 飼育場に移動させるにも苦労しそうだという事で、コウには巨大蛇を街まで運んで飼育場に放すまで憑依し続けて貰う事になった。


◇◇◇


 巨大蛇の身体で一足先にバラッセの街へと帰って来たコウ。無事、飼育場に移されたコウは、近くに適当な憑依対象は居ないかと、蛇の身体を伸ばして飼育場の観客席を覗き込む。
 すると、観客席の端から吠え掛かっている子犬を見つけた。ギリギリ憑依出来そうな距離だったので、これ幸いと子犬に憑依。
 コウの支配を解かれた巨大蛇が『なんだ? ここは』といった雰囲気で飼育場の中をウロウロし始めるのを尻目に、子犬の身体で街へと繰り出した。

 子犬の意識から感じ取れた限り、誰かの飼い犬である事が窺えた。他人の飼い犬なら長く憑依している訳にもいかないなと、コウは他に乗り移れそうな個体はいないか辺りを見回す。
 鳥にでも憑依出来れば、また直ぐキャンプ地まで戻れるかもしれないと考えていたのだが――

「ここに居たのねファスター、やっと見つけたわよ?」

 ――と、子犬の名前を呼んだ少女にひょいっと後ろから抱き上げられた。見上げれば歳の頃はニーナ達と同じくらいだが、ふわっとした美しい金髪に澄んだ碧眼、高級そうなドレスを纏い、整った顔立ちは幼げでありながら何処か大人びて見える。

「まったく、一人で何処かへ行っては駄目でしょう?」

「アリスー? もう行きますよー?」
「はーい、お母様。直ぐ行きます」

 通りに並ぶ高級馬車の窓から控え目な声が響き、アリスと呼ばれた少女は子犬をよいしょと抱き直すと、馬車に向かって歩き出した。

「さあ、行きましょう」

 少女は他所の街に住む貴族の令嬢らしく、彼女達を乗せた馬車は大通りを抜けて街を出る門へと走り出す。
 近くに手頃な動物が居なかったので少女の腕に抱かれている子犬コウも一緒に街を出る事になってしまい、どうしたものかと悩んでいたコウは、門を出る所でガシェ達の姿を見つけた。
 彼等と擦れ違うタイミングで、子犬コウは馬車の窓から顔を出して一吠え。『ん?』と振り返ったガシェによく見えるよう、子犬の額に緑石を出現させた。

「あっ」

 というガシェの表情を確認し、後はエルメール達に説明してくれる事を期待して、コウは宿主となる子犬のファスターや、その飼い主であるアリス嬢たちと共にバラッセの街を後にするのだった。


◇◇◇


 バラッセの街から西へ、山岳地帯を抜けた先に広がる大平原地帯に、クラカルという大きな街が栄えている。
 二日間の馬車の旅を経て到着したのは、この街の統治者でもあるディレトス伯爵家の屋敷だった。馬車のまま通過できそうな程に大きい両開きの扉前から、使用人達が列をなして出迎える。

「さ、着いたわ。部屋に戻ったら毛の手入れをして貰うのよ? ファスター」
「アウ」

『大きい家だなぁ、貴族の人の家ってみんなこんな感じなのかな?』

 あまり子犬を支配せず、殆ど乗っかっているだけの状態で旅の道中を過ごしたコウは、子犬の主である少女アリスの家の規模に感嘆の声を上げていた。バラッセの街の訓練学校校舎より大きいかもしれない。

 屋敷に上がったアリスはファスターを飼育部屋に預けて着替えをしに自室へと向かう。
 広々とした空間にフカフカの絨毯が敷き詰められ、沢山のクッションを重ねた高級そうなソファー、天幕付きの小さなベッド。この部屋はファスターの為に用意された犬小屋ならぬ犬部屋であった。ペット用の浴槽も完備している。

『凄いなぁ、ファスター君セレブじゃないか。……セレブってなんだっけ?』

 貴族の生活スケールに驚いたり、不意に浮かんできた記憶の整理などするコウ。子犬のファスターと共に優雅な生活が始まるのかと思われた。だが、この屋敷には大きな問題が潜んでいた。

 まずファスターの世話係が日常的に子犬への虐待を働いていた。その事を知ったコウは、アリスに伝えるべきかと考えていたのだが、屋敷の庭園で友人とのお茶会を楽しんでいるアリスに対して、お茶の世話をしている使用人が悪意を向けていた事に疑問を浮かべる。
 ファスターが懐いている庭師見習いの青年も、犬の身体に良くないモノを仕込んだお菓子をワザとファスターに与えており、その内心からはこの屋敷の主、ディレトス伯爵に対する恨みの念が窺えた。

『この家、なんか変だ』

 屋敷に仕える多数の使用人が、ディレトス家に対して恨みを懐いている。
 暫しの癒しタイムだったお茶会の席で友人達と接する姿や、バラッセの街から二日間の旅で見知ったアリスの人柄にも、特に人から恨まれるような要素が見つからない。
 一体何が原因でこんな状態になっているのだろうと小首を傾げるコウ。そんな折、ちょっとした事件が起きた。
 それは半分事故だったのだが、ペットの世話係がファスターを軽く蹴飛ばした際、運悪くファスターの伸びていた爪に靴先が引っかかり、爪が割れてしまったのだ。

 ファスターの鳴き声を聞いて駆けつけたアリスは、『手入れ前の爪をどこかに引っ掛けたらしい』という世話係の釈明を聞くと、何かを吹っ切るような大きな溜め息を吐いた。そして不意に表情を無くすと、なんと世話係の爪を叩き割って償わせると言い出した。
 まるでその為に連れて来ていたかのような、屈強な護衛役の男達に指示を出し、青褪めて許しを請う世話係が床に押さえ付けられる。
 この時、コウはファスターを支配して世話係の手の上に陣取り、その凶行を止めた。
 表情から一切の感情が抜け落ちたような、整った顔立ち故にまるで人形のように冷たい雰囲気を纏ったアリスがファスターのつぶらな瞳を見詰めながら言った。

「お前の爪が割れたのは、この世話係の怠慢のせいよ?」
「くーん」

「赦せというの?」
「わん」

 人の言葉を理解しているかのように振舞うファスターの姿に皆が驚いた様子を見せ、アリスの表情にも感情が戻ったようだった。

「……そう、ファスターがそういうなら」

 そんなやり取りがあった後、獣医に治療を受けたファスターを連れて自室に閉じ篭ったアリスは、独白のようにその胸の内を語る。

「私ねファスター、今日は覚悟を決めていたのよ?」

 使用人達のディレトス家に対する悪意に対して、彼等が普段の業務で犯す些細なミスなら赦すが、今回のようにペットへの虐待などを行った場合は、彼等が向けてくる憎悪に見合った懲罰を与えて支配してやると、彼女なりに決意しての行動だったのだ。
 ファスターの爪が割れた事件は、苛烈な罰を与え始める事への切っ掛けになる筈だった。

 まだまだ多感な時期にある少女は、屋敷に居ながら自分や両親に向けられる悪意と憎悪に、これから先も気付かぬ振りをしながら過ごして行く事は耐えられない。母のように日がな一日自室に籠もる生活も考えられない。
 ならば、こちらから攻勢に出て彼等に自分の立場を解らせるしかないと考えたのだ。

『そうだったのか』

 アリスの独白に彼女の本当の気持ちを知ったコウは、この大きな屋敷の中で孤立無援な少女を何とかしてあげたいと思った。バラッセの街で培った冒険者の心得と、自身に内在する異世界の記憶が持つ知識を頼りに、自分と子犬ファスターに出来る事を考える。

『まずは屋敷の中でアリスの味方を探す事、からかな』


◇◇◇


 その日から、コウはアリスの為に屋敷の環境改善に向けて動き始めた。アリスの独白を聞いた夜、コウはファスターの身体を借りている自分という存在を伝え、彼女に協力を申し出た。
 突然机上に上り、ペンを咥えて紙にたどたどしい文字や絵を書き始めた愛犬に驚いたアリスは、初めコウと名乗る存在に警戒心を向けていた。
 だが、バラッセの街に滞在していた時に聞いた"魔獣犬コウ"の噂を思い出す。聡明な彼女は短いやり取りでコウの事情を理解し、危険な存在ではないと判断した。
 ファスターの意識もちゃんと存在している事を聞いて、安心したようだ。

 コウはまず、アリスが安心して過ごせる拠点造りから始めた。ファスターの姿で物陰から使用人達を観察したり、時には精神体の状態で誰も居ない部屋や廊下に浮かんで情報収集。
 人目につかない場所での彼等の会話や、普段考えている事など内面を探り、ディレトス家に悪意を持つ者達と、そうでない者達とに選り分ける。
 アリス自身も、その活動に役立つ屋敷の使用人名簿を執事長に用意させたり、細かい人事の入れ替えを指示する。三日ほど掛けてアリスの周辺で働く使用人達を味方で固め、安心して過ごせる環境を得た事で、彼女の心にも余裕が生まれたようだった。

 その後、ファスターの足の包帯が取れて自由に動けるようになったコウは、屋敷の中を歩き回って本格的な調査を始めた。その中で、執事長セバスや庭師ハルバードが屋敷の問題とその原因を探っている事を知り、問題解決に向けて彼等と協力する事にした。

 彼等の情報を元に調査を進めたコウとアリスは、行政院で不正が行われている事や、その被害者とも言える者達がこの屋敷に雇われている事などを掴んだ。
 その者達は、クラカルの統治者として行政院で最高位の立場にあるディレトス家当主、バーミスト卿が、数々の不正の黒幕であると思っているらしい。それがディレトス家を恨む理由であった。

 コウの読心の能力を使い、ディレトス家に恨みを懐く者達の聞き取り調査をアリス自らが行って手がかりを得ると、ディレトス伯爵の内心も読んで父が潔白である事を探り出した。
 そうしてアリスは、屋敷の現状に気付いていなかった伯爵に、これらの一連の調査結果と事実を突きつけた。行政院による不審な裁定を受けて財産を失い、この屋敷に雇われる事になった使用人達が、行政院で最高位に就くディレトス家に疑いを持ち始めた事。
 同じ境遇の者が増えていくに従って募り過ぎた疑いは何時しか確信に変わり、悪意と憎悪が復讐という形で現れた。

「――恐らくこれが、今の現状を作り出した原因だとおもいます」
「それを……独りで突き止めたというのか……」

 子供だとばかり思っていた愛娘アリスから思わぬ現実を突きつけられ、呆然と訊ねる伯爵。アリスは一人ではありませんと首を振った。セバスも内心で驚きながら、コウが手伝ったのであろう事に納得していた。 

「お父様に罪を擦り付けている者がいます。それも、行政院の幹部に就く――――」
「待ちなさいアリス」

 行政院で不正が横行しているというアリスの指摘に、これ以上はこんな場所で話す内容ではないとして止める伯爵。侍女や使用人達も、アリスお嬢様の変わり様に皆が驚いていた。

「では、後ほどお父様の部屋に行きますね」
「…………うむ」

 席を立ったアリスは優雅に礼をすると、ファスターを抱いて食堂を出て行った。後には何ともいえない重い雰囲気が残される。

「セバス」
「はい」

「私の目が節穴だった事は兎も角として、娘に何があったのだろうな?」

 あれは一体誰の入れ知恵なのかと訪う伯爵に、セバスは"コウ"という存在を思い浮かべながら少し考え、答えた。

「アリスお嬢様は、とても心強い御友人を味方に付けられたようです」


◇◇◇


 その後、伯爵とも相談して行政院に出向いたコウとアリスは、ディレトス家の令嬢として将来のお相手探しを匂わせつつ、アリスが行政院の貴族達と会話し、ファスターに憑依しているコウが彼等の言葉からその胸の内を読み取るという方法で怪しい人物の探り出しを行った。
 二人の活動により、不正行為の中心にいると思われるとある幹部貴族が特定されると、小さい虫に憑依して諜報活動などもこなせるコウの潜入工作により、その幹部貴族が保管していた不正に関係する書類や、色々と公に出来ない危険な内容が記された書類の山が、証拠として回収された。

 その日、普段よりも早めに帰宅した伯爵は、自室でセバスやハルバードを交えて書類の整理を行なっていた。最初はアリスも部屋にいたのだが、コウがテーブルの上に出した書類の束を二、三枚捲ると、伯爵は顔色を変えて退室するよう促し、アリスも父やセバス、ハルバード達の様子に何かを感じ取ったらしく、大人しく自室に引き揚げた。

「しかし、なんというか……」
「密偵としては非常に優秀、どころではありませんな、コウ殿は」
「優秀などと言う以前に、ありえんだろう……これは」

 コウが持ち帰った書類の束は宝の山であり、危険極まりない劇薬の山でもあった。どうするんだコレと言わんばかりに書類の束をぽんと叩く。行政院に所属している多くの中流から上流の貴族達のみならず、王都の王宮関係者に至るまで、あらゆる人物に纏わる裏金の流れや非合法な取り引き内容が記されていたのだ。

「使い方を誤れば、国が傾きやすね……」
「それ以前に我がディレトス家自体が消し飛び兼ねんぞ」
「幾つかの情報は見なかった事にしておいた方が宜しいでしょう。手元に置いておくのも危険です。コウ殿に預かっていて貰うのが最善かと」

 件の幹部貴族を告発する為に必要な書類や、握っていれば色々とディレトス家の強みになる書類を選り分けてその他の危険な書類は破棄。
 といっても燃やすには惜しいので、部屋に呼んだコウに『くれぐれも取り扱いには気をつけてくれ』と念を押して保管して貰う事になった。コウは預かった書類を一纏めにして"取り扱い注意"の札を付けると、異次元倉庫の一角に保管したのだった。


◇◇◇


 行政院内部の汚職に対する一斉取締りが行われ、不正に奪われた土地や財産が元の所有者に返還されるなど、大きな混乱もなく行政院業務の正常化が行われ、数々の疑いが晴れたディレトス家にも平穏が訪れる。屋敷の雰囲気も暖かいモノになり、全てが良い方向へ流れ始めたかと思われた。
 だが、屋敷と街の問題が解決すると同時に、一つ新たな問題が発生していた。

 最近のアリスは日がな一日、ファスターを通してコウと過ごしている。部屋で読み書きの練習とお喋り、庭園での散歩を日課にした平穏な毎日。
 何時もコウと一緒にいるようになったアリスは、コウを通して他者の内面に触れるうち、以前のような社交性が影を潜めて次第に人と話をしなくなってしまった。
 まだまだ多感な時期にあるアリスにとって、身内以外の人間との触れ合いはとても煩わしくて怖いモノになっていた。

『うーん、やっぱりこれは駄目なんじゃないかなぁ』

 これから先ずっと一緒にいて傍で支えになるというのも構わないが、今のままではアリスにとって良くない。彼女の依存傾向を憂慮して距離を置くことを考えたコウは、その日の夜、アリスにこの屋敷を出る事を伝えた。

 不安がるアリスに友人達との触れ合いをもっと大事にするよう促し、お互いに気持ちの分からない相手と話し合う事も大切だと説く。
 明確に自身を示す肉体を持たないコウは、この世界に個人としての立場を持つことが出来ない。古い祭壇の傍で意識を覚醒させた時からここまで、ずっと借り物の姿で存在して来たからこそ言える。
 人が人として人の世界に居られる事は、とても幸せなことだ。屋敷には執事セバス庭師ハルバードのような心強い味方もいる。困った時には彼等が相談に乗ってくれるだろう。

 "アリスの成長を、ボクのせいで妨げたくないんだ"
「コウ……」

 多少なりとも、今の自分の状態に自覚があったアリスは強く反論することが出来なかった。

「屋敷を出たら……もう、あなたとは会えないの?」
 "そんな事はないよ、また会える日も来ると思う"

 またファスターの身体を借りる事になるかもしれないし、別の身体で会うかもしれない。それが何時になるかは分からないが、何かの折でクラカルに立ち寄った時は必ず顔を出しに来ると約束するコウ。一晩じっくり説得したコウの提案を、アリスは渋々受け入れた。

 翌早朝。コウは例の不正捜査で用意して貰っていた伝書鳥に憑依すると、アリスの部屋の窓からまだ薄暗い夜明け前の空へと飛び立った。眠そうなファスターを胸に抱いて静かに見送るアリス。
 住人が寝静まっているディレトス家の屋敷でそこだけ明かりの灯る窓辺にて、朝焼けの空を見上げながら手を振るアリス。コウは、屋敷の周りをくるりと旋回してそれを別れの挨拶にすると、東の空へと進路をとってクラカルの街を離れるのだった。


◇◇◇


 クラカルの街から東へ、馬車で半日ほどの地点を飛行するコウを乗せた伝書鳥。この一帯は山間部が広がっているので、眼下に見える景色は殆ど青々と緑の生い茂る山々や灰色の岩山ばかり。その間を縫って切り開かれた幾つかの細い街道が、解れた糸のように走っている。
 バラッセの街に帰ろうかと考えながら飛んでいたコウは、上空から見える遠く地平線の付近に薄っすらとそれらしい街の影を見つけた。馬車で二日掛かった距離でも鳥なら一日で着けそうだ。
 訓練生のキャンプ地はどの辺りだろうかと視線を巡らせるうち、ふと見れば、ごつごつした岩山が連なる一帯に、崖沿いの山道を行く馬車隊が見えた。

『おや? あれは……』

 二台連なってゆっくり進む馬車の回りを武装した集団が固め、後方から追い縋る獣の群れと対峙している。先頭の馬車は街中でもよく見掛ける極一般的な貴族が利用する型の馬車だが、その後ろを追走する馬車はふた回り程大きく、屋根にも武装が取り付けられていて見た目もゴツイ。
 どうやら先頭を行く馬車の護衛をしているようだ。追い縋る獣の群れの中には一際大きいのが二体混じっている。狼に似た頭にねじれた黒い角、熊のような体躯を持つ白い毛並みに覆われた魔物。 コウは伝書鳥に意思を伝えて急降下して貰うと、魔物の一体に狙いを定めた。

 角熊と呼ばれる大型の魔物に憑依したコウは、もう一体の角熊と周囲の変異体狼に攻撃を仕掛けて群れを混乱させると、吊り橋前で足止め状態になっていた馬車隊を援護した。
 多少なりとも知恵を使えるだけの高い思考力を持つ角熊は、これまでに憑依した動物や変異体と違って意思への干渉に対する抵抗も強かったが、コウの高度な思考に触れた途端、萎縮するように奥へと引っ込んでしまった。なのでコウの支配は魔獣犬の時のように全身まで及んだ。

 魔物が魔物と戦い始めた事に戸惑った様子を見せながらも、二台の馬車は無事に橋を渡って山道の向こうへと去って行く。それを見送ったコウは、戦闘中の角熊に対して以前に思いついた戦法を試した。
 異次元倉庫に保管してある色々な武具類、剣や斧を用意し、それらを攻撃の瞬間に出現させる。摩訶不思議な暗器攻撃に脅威を感じた角熊と変異体狼の群れは、岩山の奥へと逃げていった。

『行っちゃったか。本当はちゃんと倒しておかないと駄目なんだろうなぁ』

 いずれまたここを通る誰かが襲われるかもしれない事を考えると心配だが、当面の目的は達成できたので良しとするコウ。吊り橋の方を見ると、既に馬車隊の姿は無く護衛隊も含めて一人も見当たらない。橋も落とされていないようだ。

『そういえば、さっきの人達って……』

 ゴツイ馬車に乗っていた護衛役の集団には見覚えがあった。彼等の馬車には多くの怪我人が乗せられていたようだ。先頭を行く馬車の回りを、へろへろになりながら走っていた使用人風の人達の事も気に掛かる。この山道の先で疲れて困っているかもしれない。

『回復薬とか一杯持ってるしなぁ……役に立てるかも』

 気になったコウは彼等の後を追ってみる事にした。頭の上に下りて来た伝書鳥にアリス宛ての手紙を託し、コウは吊り橋に向かってのっしのっしと歩き出したのだった。


◇◇◇


 岩山の崖沿いを通る道を暫らく進んだコウは、道幅が少し広くなった場所で休憩している彼等を見つけた。怪我人の治療や馬車の修理などもしているようだ。
 微かに聞こえる話し声から情報を読み取ってみると、どうやら魔物二群れの襲撃という想定外の事態にかなりの損害が出てしまい、怪我人の治療などに薬が足りなくなっているようだ。
 コウは彼等の様子を窺いながら、隠れている岩の陰に必要な薬瓶を並べていく。すると――

「リーパ、来い! マンデルはリーパの補佐、カレンは二人を援護しろ」

「ぉお? なんだなんだ、敵か?」
「あの岩陰だ、犬共が潜んでいるかもしれんから注意しろ」
「あー、さっきケンカしてたクマちゃんだー」

 角熊が隠れている事に気付き、この討伐集団を率いるガウィーク隊長が指示を出す。血の気の多そうな剣士リーパが剣を抜きながら駆けつけ、副隊長のマンデルが目標の位置や注意事項を述べる。
 二人を援護する弓を持ったグラマラスな女性は、何だかのほほんとしていて危機感がない。彼等が近付いて来たので、コウはすかさず距離を取ると、更に後方の岩陰に身を潜めて様子を窺った。
 コウが最初に隠れていた岩陰までやって来た彼等は、そこに並べてある大量の薬瓶を見つけた。

「なんじゃこりゃ?」
「おー、クスリがいっぱいだー」

「触るなカレン、リーパは周囲を見張れ。隊長! フランチェを寄越してください」

 彼等の仲間から薬の鑑定が出来る者が呼ばれ、危険が無い事を確認すると、『とりあえず』といった様子で薬瓶を回収していった。

 その後、コウの置いていった薬瓶で怪我人の治癒や術士の魔力を回復させた彼等は、修理機材で簡易荷車を作って歩きの使用人達を乗せると、山道を下るべく出発した。
 傭兵団仕様のゴツイ武装馬車に乗るガウィーク隊の隊員達から警戒の視線を向けられつつ、コウは距離を置きながらその後に付いて行く。

 そうして山道を下り切り、森を抜ける街道を前に再び休憩に入る馬車隊。コウは角熊の意識が空腹を訴えて来たので、餌を探しに道をそれて藪に分け入った。
 木々の間を抜けた先に川があったので魚を獲ったりして角熊に食事をさせる。空腹を満たせた角熊の意識は、満足そうに奥へと引っ込んでいった。
 コウの支配にも慣れて来たようで、最初に憑依した時のような抵抗感も無く、身体のコントロールを明け渡している。

『食っちゃ寝モンスターか……』

 馬車隊が休憩している場所まで戻ると、丁度出発しようとしている所だった。岩陰からこそっと顔を出して観察しつつ、このまま何処までついて行こうかと考えていたその時――

「えいっ つーかまーえたー!」
「グォッ?」『えっ?』

 首に飛びつくようにして腕を回して来たのは、先程カレンと呼ばれていた弓を使う女性であった。接近されていた事に気付かなかった角熊コウが驚いて立ち上がると、武器を抜いたガウィーク達が慌てた様子で駆け寄って来た。
 副隊長のマンデルが若手魔術士のディスに、治癒術士のトリスンや薬士のフランチェ達を呼ぶよう指示を与えてガウィーク隊長の後に続く。

「カレン! 離れろっ」
「だいじょうぶだよ~たいちょー。このコ、おとなしいよ?」

 ガウィーク達の緊張感をまるっと無視するカレンは、自身の倍程も身長のある角熊の首にぶら下がりながら、のほほんとそんな事をのたまう。頭を抱えたそうにしているガウィーク隊長。
 やがて参謀のレフィーティアを始めガウィーク隊の主だったメンバーが集まり、カレンが懐いた角熊について議論を始める。
 どうもカレンは本能で敵と味方を選別するらしく、隊内ではカレンが懐いたのなら魔物でも危険性が少ない可能性があると判断したらしい。魔力の流れを操り、あらゆる術を補佐する機能を持つ特殊な杖を使う参謀のレフィーティアことレフが角熊の状態を調べ、角熊の中にその身体を支配する別の意識が存在している事を発見した。

「……あの角熊はおかしい、本体の意識が表に居ない」
「どういう事だ?」

「……強い自我を持つ別の存在が本体を支配している」
「別の存在? なんらかの術で服従や魅了の効果を受けているって訳じゃないのか?」

 ガウィーク隊長の疑問に対し、レフ参謀は角熊の状態をバラッセのダンジョンに存在していたとされる『集合意識とは別の知的存在による被支配』が最も該当するとの推測を示した。

「バラッセの知的存在だって?」
「魔物の支配……」

 思わず顔を見合わせるマンデル副長とガウィーク隊長。目的を果たせず大赤字を出した苦い記憶が蘇える。街ぐるみの客寄せインチキモンスターと判断して討伐した魔獣犬、アレを支配していたとされる"知的存在"なるモノが本当に実在するのか俄かには信じ難い。

 メンバーであれやこれやと角熊について議論がなされる。彼等のやり取りを余所に、カレンは角熊コウの肩から隊仲間に手を振りながらこんな事を言った。

「ねーねー、このコもつれていこうよー、あたしこのコにのっていくー」

「……獣避けにはなる」
「うーむ」

 ここまでのやり取りの間、この角熊がカレンを肩に乗せたまま大人しくしている時点でレフの示した"知的存在"とやらに支配されているという推測の信憑性は高く、魔物としても強力な部類のモンスターなので連れ歩けば小物のモンスターが寄って来ないというメリットもある。角熊が使役獣や召喚獣代わりになるのなら十分心強い。

「連れて行くんですか?」
「ああ、アレからカレンを引っぺがすのも大変だろうし、レフの解析結果もある。それに、そろそろ出発しないと不味いしな」

 護衛対象である仕事の依頼主が気忙しそうに、魔物を前にして話し込むガウィーク達の様子を窺っている。どのみち山道からの行動を見た限り、放っておいても勝手について来る可能性が高い。ならば、こちらの想定する範囲内に収めておいた方が、何かあった場合にも対処し易いというモノだ。

「しかし、バラッセの冒険者に味方する魔獣犬も本物だったんですかね?」
「どうだろうな」

 街ぐるみの客寄せインチキモンスターでなく、本当にそういうモンスターがいたのなら、王都の魔術研究棟にいる変態博士にでも教えてやれば良かったかもなと、ガウィークは時々魔術道具などを都合して貰っている昔馴染みの事を思い浮かべながら呟いた。

「リーパとダイドは前の馬車に張り付け。ディス、カレンに弓と矢筒を渡してやれ。レフは台に上がってくれ。 出発するぞー!」

 キビキビと指示を飛ばしたガウィーク隊長の号令が響く。カレンに弓を受け取らせる為に中腰となっていた角熊コウが立ち上がると、武装馬車の屋根も悠々と超える巨大な体躯に、ディスがひえっと後退った。

「クマちゃん、よろしくねっ」
「グォウー」『よろしくー』

 あれよあれよという間に彼等の仲間に引っぱり込んでくれた女射手カレンを肩に乗せ、角熊コウは上機嫌で武装馬車の後ろに続く。
 エルメール達と強化合宿のキャンプ地へ行った時や、大蛇となって街まで運ばれた時、そしてアリス達と二日間の旅をした時にも感じていた物足りなさ。
 冒険者の旅への憧れ。これまでは乗り物で運ばれるだけだったのだが、今回はしっかりこの世界の大地を踏みしめて、借り物だが自分の足で歩いて旅する事が出来るのだ。

『なんだかワクワクするなぁ』

 貴族用馬車と仮設荷車、武装馬車に徒歩の角熊を加えた馬車隊は、森の街道を進み始めるのだった。


◇◇◇


 夕刻。途中の二度の休憩を挟んで馬車隊は目的地の街に到着した。どうにか無事に護衛任務を果たせたガウィーク隊だったが、護衛対象の馬車一台が山道での襲撃で破壊されていた為、報酬から天引きされて儲けは微々たるモノだったようだ。
 大型モンスター姿のコウはそのまま街に入る訳には行かないので、近くの森に身を隠した。

 その夜、角熊の餌に大きな肉刺しを持って来てくれたカレンを暴漢から助けたり、カレンが射手の特殊な術技"射術技"で仕留めた湖の巨大魚を焼いてくれたり。
 角熊コウの膝で寝入ってしまったカレンを迎えに来たガウィーク達に、自分がバラッセのダンジョンに居た魔獣犬コウである事を伝え、その後謝罪されたりと、色々な交流を通じてガウィーク隊のメンバーと親睦を深めていった。
 そうした中、前回の仕事の儲けが少なかったので次の街に移動する前に何か仕事が欲しかったガウィーク隊は、護衛してきた商人貴族から大きな仕事を紹介された。

「盗賊団の討伐ですか……」
「ああ、まあ君らの専門じゃないのだろうが、単独でやる訳ではないからな」

 街軍指揮による盗賊団の討伐。徒党を組んで活動している盗賊団が、この街から少し離れた場所にある神殿跡の廃墟を根城にしている事が突き止められた。凡そ五十人近い規模の集団らしい。
 討伐には複数の傭兵団や冒険者グループ、フリーの傭兵も何人かいるが、何れも無名の集団なので、"戦斧と大蛇"のメダルを持つガウィーク隊の参加は歓迎された。

 角熊コウはガウィーク隊が使役している事にして同行が決まり、その際、ソレらしく見せようとあれこれ工夫を凝らした結果、鎧と盾と戦斧で武装した角熊という、討伐専門の戦闘集団にして『ちょっと戦いたくないぞ?』と思わせる魔物戦士が誕生した。

 討伐決行の夜。街軍の馬車に分乗して盗賊団のアジトになっている神殿跡へと赴いた討伐隊は、先行していた偵察隊から報告を受けつつ、神殿跡を見上げる丘の下に陣取った。
 神殿跡周辺はひっそりと静まりかえり、人の気配も感じない。だが、暗闇でも遠くまで見通せるコウは、神殿の屋根付近に弓を構えた人影が並んでいるのを見つけてガウィーク隊長に報告した。

「やはり待ち伏せが――」

 と、その時、ヒュウヒュウという風を切る音と共に矢が飛んできた。一斉に姿勢を低くとりながら岩陰に隠れたり盾を構えたりして回避行動に入る討伐隊。
 目立つ角熊コウには矢がプスプス刺さっているが、硬質の体毛と丈夫な皮膚に阻まれて深くは刺さらず、掃えば落ちる。とりあえず、コッソリ矢を異次元倉庫に保管するコウ。

「こちらの動きを把握されているな」
「ええい仕方ないっ 全軍突入せよ!」

「おいおい、マジに言ってんのかよ」

 街軍士官の無謀な号令にリーパが口を出す。好戦的な彼とて攻め時と退き際くらいは心得ている。詳細の分からない敵に先手を取られた状態で相手側のテリトリーにまで踏み込むなど自殺行為だ。それこそ自ら罠の中に飛び込んでいくようなモノであると。

「長く留まるのは危険だ! 一旦退く事を提案する」
「我々もガウィーク隊に同意する、このまま突入しても無駄に被害を増やすだけだ」

「指揮権は我々にある、ここは契約に従って貰おう」

 功を焦っているのか強行策を推す街軍士官に、ガウィークも傭兵団長もこれは何を言っても聞かないタイプだと諦めた。
 こういう仕事をしていれば、任務上で困った上官をいただく事も、実際よくある事なのだ。闇色に塗られた矢が夜空から降り注ぐ平原の一角にて、一応防御しているのか頭に両手を乗っけた角熊コウが背中に沢山の矢を受けながら一人? 平然と突っ立っている姿に、現状を打破する突破口を見出すガウィーク隊長。

「コウ!」
「ヴァル?」

 ガウィークは作戦を伝えるべく、角熊コウを手招きして呼び寄せた。


◇◇◇


 討伐隊の中で最も防御力が高く、夜目も利く角熊コウは、偵察員として神殿前のなだらかな坂をのしのし歩き回りながら、途中に見つけた拘束系の罠も戦斧で叩き壊して行く。
 既に矢は射るだけ無駄だと悟ったらしく、飛んで来なくなっている。そうして坂の中頃まできた時、不意に見えない壁に阻まれた。もしや結界かと、角熊から精神体を出して見えない壁に顔を突っ込んだコウは、結界による偽りの風景の向こうに、大勢の盗賊が待ち伏せしているのを見つけた。
 これは危ないと、皆の下へ報告に戻る。

 結界の存在とその向こうに待ち伏せがいたという情報を得た討伐隊は、急遽作戦会議を開き、どうにかして結界を破らなくては迂闊に近づけないという事で意見を一致させた。
 だが現在の戦力では有効な方法が見つからず、一度撤退して態勢を整えるべきだという傭兵側の意見と、今回の機を逃す訳にはいかないとする街軍指揮官の主張で会議は行き詰まりをみせる。
 そんな折、ガウィーク隊の参謀レフが現在の戦力で確実に結界を破る方法があると提案。色々秘匿したい術も絡むので身内だけで相談したいとの訴えに、ガウィーク隊以外の面々は席を外す。

「で、方法ってのはもしかしてコウのアミュレットか?」
「……そう。彼の持つアミュレットの力を利用すれば、単独でも結界の破壊は可能」

 レフの示した方法とは、彼女の持つ呪法の杖、"流動の御手"を使って祈祷士のアミュレットが持つ"結界破りの力"に同調させた魔力を練り上げ、それを適当な武器に付与しながら結界を斬り裂くという内容だった。
 初めは如何にしてレフを安全に結界の所まで連れて行くか、という議論を進めていたのだが、杖の使い方を聞いたコウがその場で魔術の使い方を覚え、更に魔力を視認出来ると聞いたレフは、付与魔術のやり方を教える事で、コウ自身が杖を使ってアミュレットの力を武器に纏わせ、結界破りに挑む事になった。

 話が纏まり、ガウィーク隊の提案を受けた街軍指揮官は、討伐を進められるならと一時的に指揮権を預けてガウィーク隊の作戦を採用。各傭兵団や冒険者グループが配置につく中、レフから杖を借りた角熊コウは単身、結界のある場所まで進み、戦斧に結界破りの魔力を付与して結界を切り裂いた。
 水面に映った景色を薙ぎ払ったかの如く、静まり返った神殿跡前の景色がぐにゃりと歪んで本当の姿を曝け出す。入り口付近から点々と続く篝火に、ズラリと並んだバリケード。
 その周囲に三十人は下らないだろう数の盗賊達が待ち伏せている。

「なっ! 結界が破られた!」
「やべえっ かしらに報告しろ!」

 結界の向こうで完全に油断しきっていた盗賊達は、慌てふためきながらも迎撃態勢を取り始めた。コウは至近距離からの弓攻撃に盾を構えて後退しながら、先程覚えた明かりの魔術を照明弾として空に打ち上げ味方を援護する。
 一気に坂を駆け上がって来る街軍と傭兵団に、盗賊達は我先にと逃げ出した。

「盗賊共が神殿跡に逃げ込むぞ!」
「入り口の罠に注意しろ! 無闇に突っ込むな!」

 逃げ遅れた盗賊が投降したり、その意思を示す間もなく討伐されたりして血に染まる神殿跡前。街軍の工兵がバリケードを解体して場所を開けると、集まった討伐隊から突入する部隊の編成が行なわれる。
 ガウィーク隊は作戦の指揮を執っていた為、傭兵団や街軍より少し遅れて坂を上って来た。

「コウ、良くやったな」
「クマちゃーん、かっこよかったよー」
「おめー中々やるじゃねーの」

「ヴォルルー」『てへへー』

 皆から口々に褒め称えられ、仲間に認められる喜びを実感したコウは照れた。レフ参謀に杖を返し、また何か術を教えて貰おうかなーなどと目論んでみる。


 束の間の休息――と表現するには少々血生臭い戦いの現場にて、盗賊達の死体を踏み越えながら談笑する討伐隊の各グループ。
 後は神殿内部に突入して中の盗賊達を制圧すれば任務完了という所で、一つ問題が起きていた。

 トンネル状の神殿入り口は三人も並ぶとギュウギュウ詰めになる位の幅しかない通路が、五メートル程奥へ伸びた造りになっている。
 元々あったらしい木の扉は既に朽ち果て、通路の真ん中辺りに鉄の格子で出来た柵が取り付けられているのだが、柵には近隣の村々から盗賊団に攫われたと思しき人質が縛り付けられていた。
 人質の数は四人。衣服を剥ぎ取られた若い女性がまるで木板のように鎖で張りつけられており、その中には年端のいかない娘の姿もあった。彼女達の身体を盾に柵の向こうでは盗賊達が弓や槍を構えているので、迂闊に近づけない。救出は難しく、こちらからの攻撃も躊躇われる。

 ここまで常に強行策を訴えて来た街軍の指揮官も、流石に気にせず行けとは言えないでいた。しかし――

「だが……このまま篭城されても結果は同じか」

 柵に縛り付けられたまま数日掛けて苦しみながら死ぬか、討伐に巻き込まれてあっけなく死ぬか。どのみち助からないのなら、なるべく早く楽にしてやる方が、彼女達の為にもなるのではないか。街軍指揮官の自分に言い聞かせているような言葉に、今回は反論の声も上がらない。

 と、その時、ヒュンヒュンという矢の翔ける音がして皆の注目がそちらを向くと、盗賊達の矢に曝されながら入り口の前に立ち尽くす角熊コウの姿。


 暗闇でも遠くまで見通せるコウは、柵に縛り付けられた彼女達の姿をしっかり捉えていた。所々赤黒く、紫色に変色しているのは痣だと分かる。切り傷や擦り傷も多く、酷い状態にある事が分かった。皆鎖の付いた首輪を付けられ、時折柵の後ろから引っ張られて呻き声を上げている。
 彼女達を盾に柵の向こうから挑発する盗賊達。無数の矢を浴びながら、コウは胸の内に何かモヤモヤとしたモノが浮かび上がってくるのを感じた。

『あれは、きっと、とても悪いコトだ』

 それは、"怒り"や"嫌悪"の感情だった。意識の奥に引っ込んでいた角熊の意思が、コウのそれに共鳴するように活発になる。

「クマちゃん?」

 コウの気配が変わった事を敏感に感じ取ったカレンが声を掛ける。


「グルォオオオオオオオオオオオオオ!」

「く、クマちゃん! だめ!」

 カレンの制止も届かず、真っ直ぐトンネルに突っ込んで行ったコウは、人質が縛り付けられている柵の両端をガシャリと掴む。怖ろしい怪物が牙を剥きながら迫ってきた事で、人質の彼女達は早々に意識を手放した。
 至近距離からの直接攻撃には流石に角熊の身体も耐え切れない。次々と柵の向こうから鎧の隙間目掛けて突き込まれる槍の穂先を受けながら、コウは渾身の力で柵を引っ張る。
 コウの闘争心に刺激された角熊本体の意思が浮上し、身体のコントロールに協力してくれた事で角熊が本来持つパワーが開放される。
 メキメキと、鉄柵の枠が埋め込まれたトンネルの壁に亀裂が入り、やがて最後の一踏ん張りで柵を引き千切った。その柵ごと人質を連れ帰るコウ。盗賊達は我先に神殿の奥へと逃げていく。

「よし、突入だ! 盗賊共を制圧せよ!」

 入り口が開けた事で、よくやったと突入を開始する街軍士官と突入部隊。コウはふらふらと入り口脇まで運んだ柵をそっと下ろす。
 すぐさま彼女達の拘束が解かれ、治癒も行われる。彼女達の無事を確認しつつ、血を流し過ぎて力の抜けた角熊コウはその場でゆっくりと倒れ臥した。

「クマちゃん!」


 角熊の傷は深く、治癒術士の力でもどうにも無らなかった。ガウィーク隊に使役されていた魔物の角熊。だが、その魔物らしからぬ行動に皆が親しみを感じ始めていた。そんな角熊の死という現実に、討伐隊の仲間としてここまでやって来た傭兵団や冒険者グループ、フリーの傭兵達も、それなりに感傷を覚えるようであった。

 突入した街軍部隊から応援要請があり、弔いの意味も兼ねながらガウィーク隊も制圧に加わる。カレンはコウの傍に付いていて構わないと、突入メンバーから外された。

 倒れ臥した角熊の傍で優しく毛を撫でているカレン。そこへ、一羽の鳥が舞い降りた。
 クラカルから後を追い、ずっと付いて来てくれていた伝書鳥だ。やがて角熊が息を引き取ると、コウは伝書鳥に憑依する。
 角熊は魂が離れる際、コウと短い意思の交換をすると、安らかに魂の還る場所へと旅立った。


 盗賊団のアジトは、それから間もなく制圧された。


◇◇◇


 ガウィーク隊の皆はコウが不滅の存在である事は知っている。しかし、角熊の戦死は隊員から殉職者が出たモノとして扱われた。皆、彼も仲間として認めていた気持ちがあったのだ。

 盗賊団の討伐成功により、十分な報酬も得られたガウィーク隊は、街軍指揮官の依頼で王都に向かう事になった。

 王都にはガウィーク隊がよく魔術道具などを都合してもらっている知り合いの魔導技師が居る。奇妙な発明品ばかり作ってはよく騒ぎを起こすせいで『変態博士』などと評されているが、腕は確かだ。ガウィークは博士にコウの事を紹介してみようと考えていた。

「ピィーちゃ~ん」
「ぴぃ」

 伝書鳥の柔らかい羽毛に頬をすりすりしているカレン。まだ若干元気の足りない様子だが、コウの献身的? な慰めにより幾らかは気持ちが回復したようだ。具体的には肩に乗って頬や首回りを羽でこちょこちょしたり、寝転んでいるカレンの身体の上を歩き回ったりというアニマルセラピーな触れ合いだったりする。

 街を出て半日ほど街道を進み、川を渡った所で一行は休憩に入った。クラカル方面から来た馬車隊も川原で休憩しており、ここは中継地として旅人達の丁度よい憩いの場となっているようだ。
 ガウィーク隊の護衛に便乗して王都に向かう旅人達が、最近の王都を話題に噂話などを交わしている。
 宮中の権力争い。三人居る王子の内の、第一王子と第二王子による王位継承者争いなどという、王都内で口にするのは憚られる内容だ。

 そんな彼等の噂話を耳にした食事中のガウィーク達は、自分達の知る王都の情報に照らし合わせて噂の信憑性について語らう。
 第一王子は冒険好きでよく城を抜け出しては、自ら集めたパーティーを率いて何処ぞのダンジョンを探索したりモンスターを討伐したり、時には身分を隠して冒険者協会の仕事を引き受けたりというような事をやっている行動派の王子だ。
 既に"双剣と猛獣"というガウィーク隊の一つ下、ランクで言えば七位のメダルを有しており、腕の方も中々である。

「またぞろ何処かのダンジョンにでも挑む気なんだろうかね」
「結構入れ替わりが激しいみたいですからね、あの王子の隊は」

 優秀な人材を金にモノをいわせて集めては難易度の高いダンジョンに挑み、名声を上げている第一王子の率いる冒険者グループ。だが雇われ者気分で参加している者が殆どで、一儲け済ませれば抜けてしまうメンバーが多い。
 リーダーが公務も担った第一王子であるという都合上、活動が不定期になってしまう事も固定メンバーが付き難い原因の一つであるようだ。

「……隊員の引き抜きに注意が必要」
「うちは目を付けられてますからねぇ」

 ガウィーク隊の上位メンバーを引き抜かれる心配はしていないが、これから伸びそうな見習いなどの下位メンバーはグランダールの第一王子から直接『俺と一緒に冒険しようぜ!』等と誘われれば、ふらふらと付いて行ってしまってもおかしくない。

「ははは、違いない」


◇◆◇


 休憩を終えて川原を後にしたガウィーク隊の護衛する馬車隊は街道を順調にひた走る。王都までの道程で途中、クラカルにも立ち寄ったので、コウは伝書鳥姿でアリスの所へ顔を出しに行った。

 アリスは貴族学校の友人達と定期的にお茶会を開いており、以前の明るさと社交性も戻っていた。ファスターも元気そうであった。

「これ、エルメールという方の手紙よ」
「ぴゅりりり?」『エルメールさんの?』

 コウが屋敷を出たあと、アリスはバラッセの街のエルメールに手紙を書いたという。コウの事を話題に、何度かやり取りをしているらしい。
 上流貴族の令嬢と訓練学校の講師という通常は接点を持つ事の無い二人。最初の二枚ほどは社交辞令的なやりとりだったが、三枚目辺りからは年頃の仲の良い友人のような内容になっていた。
 エルメールの近況にも触れており、リシェロやガシェ達と上手くやっている事が分かって、コウは何となく安心した。

「ねえコウ、あなたも彼女に手紙を書いてみてはどう?」
「ぴゅーい」『うん、ボクも考えてた』

 コウ直筆の手紙はアリスの手紙と一緒に冒険者協会支部から送って貰える事になった。


 "そろそろ隊の皆の所へ行くよ"
「そう……、また街に寄った時は会いに来てね?」

 "もちろん。ただ、どんな姿してるか分からないけど"

 無害な動物の姿をしている時であればこうやって簡単に会う事は出来るが、『どう見ても危険生物』な姿で屋敷に向かえば大騒ぎになってしまうとコウ。

「うふふっ そうね、庭師が部下に召集を掛けてしまうわね」

 アリスは笑って同意した。


◇◇◇


 ガウィーク隊とグランダール正規軍の馬車隊に乗り換えた街軍指揮官がクラカルの街を出発して六日目、順調に旅を続けた一行は無事王都トルトリュスに到着した。
 四方を険しい岩山で囲まれた平地に多くの建築物がひしめき合い、重厚な外壁により難攻不落の要塞都市でもあるトルトリュスは、非常に高度な魔導技術による文明を栄えさせている。

 魔導技術の発達により王都の生活水準は他の街々と比べてかなり進んでおり、上水道や下水道も街の隅々まで整備され、一般民向けの水道設備や魔導調理器なども売りに出されている。
 照明機器なども殆どが魔導化され、通常の生活において薪や油といった燃料が使われる事は少ない。

 三重の街門で行なわれる入国審査で隊の伝書鳥として審査をパスしたコウは、一飛び王都の上空へ舞い上がると、空からトルトリュスの街並みを見渡した。

『うわー、凄いなぁ……大きい建物が沢山並んでるよ。あのでっかいのはお城かな?』

 何処から何処までが城なのか、如何にも城っぽい形をした建物の中頃からは大きな屋敷が連なり、それらが全部繋がっている。城を中心とした建物群は城壁と堀で囲まれており、城下街との境界がはっきりしていた。城下街の建物もバラッセやクラカルに比べると大きなモノが目立つ。

 王都の空には飛竜や魔導船なる空飛ぶ船が飛行しており、空中に離発着場が浮かんでいる。

『凄い進んでる街って感じがする』

 暫らく上空を旋回していたコウは、審査を終えたガウィーク隊の馬車が王都入りするのを見計らって降下、御者台脇のランタンにとまった。
 ガウィーク隊は一旦団体向けの馬車置き場に隊の馬車を停めると、長期滞在する為の宿を借りに参謀組が宿場通りへと繰り出し、今回の任務報酬を受け取りに行く副長組は冒険者協会中央本部のある通りへと向かう。残りの隊員とガウィーク隊長は留守番組で隊の馬車を護る。

「とりあえず宿が決まったらコウ、明日辺りお前に――というかお前を紹介したい人物がいるんだが、構わないか?」

 "いいよー、前に言ってた変態博士な人?"
「ああ、その変態博士な人だ。つっても本人に会ってそれを言うなよ?」

 伝書鳥の翼の隙間から出したメモ紙で答えるコウに、ガウィークは苦笑しながら言った。


◇◆◇


 トルトリュス行政府の管轄下にある魔術研究棟区画。ここには魔術に関する各種研究施設が建ち並び、日々多くの魔術師達が実験に研究にと勤しんでいる。
 朝陽を反射して緋色に輝く研究棟群から少し離れた広場のような場所に、ぽつんと建つ研究所らしき建物。壁や屋根から歯車が生えており、煙突だかなんだか分からない管が無数に伸びる独創的な外観、周囲の研究施設と比べて異彩を放つその施設の入り口には『アンダギー魔導兵器開発所』という看板が掲げられている。

「ここは相変わらずだな、前より更に混沌としている」
「おもしろいお家だよねー」
「ぴゅいぴゅい」『凄い外観だね』

 アンダギー博士の研究所にやって来たガウィークとカレン、その頭に乗っている伝書鳥コウは前衛芸術的オブジェの塊な研究所を見上げる。
 暫らくそうしていると、研究所の出入り口から木桶を持った白衣の若い女性が現れた。

「はぁ~、やっぱり水道設備は博士が作ったのじゃなく正規のモノを使わないと駄目ねぇ……あら?」

「サータちゃーん、オハヨー」
「カレンちゃん! それにガウィークさんも」

「やあ、博士はいるかい?」

 彼女は魔術研究棟に所属する見習い魔導技士で、自ら進んでアンダギー博士の助手をしている割と奇特な人物である。

 サータ助手に研究所の中へと案内されると、足の踏み場も無いというほど散らかっている訳ではないのだが、ズラリと並んだ研究机の上に何やら多くの管が絡み合った細長いオブジェが置かれているかと思えば、うっすら明滅する水晶玉のようなモノが台の上に乗せられていたり。
 その隣には毒々しい模様の植物が鉢植えで花を開いており、更に向こうの卓上では色んな形をした沢山の研究用フラスコの中で色とりどりの液体をぐつぐつと沸騰させている。
 天井には騒がしく回転する無数の換気用らしきプロペラ。これが止まったら大変な事になりそうだ。統一感の無い研究部屋のカオスな光景を、暫し呆然と眺めるコウ。

 サータ助手が奥の部屋にいる博士に呼び掛ける。

「博士~? ガウィークさん達がいらっしゃいましたよー」
「ああん?」

 少々しわがれたような声で答えたお爺さんと呼んで差し障り無い年代に見える白衣の男性が、背中を丸めながら奥の部屋から顔を出した。
 "王都おうと行政府ぎょうせいふ魔術研究棟まじゅつけんきゅうとう魔導兵器まどうへいき研究開発部けんきゅうかいはつぶ所属しょぞく"魔導技師まどうぎしアンダギー博士である。

「おう! 小僧か、久しいのう。元気にやっとるか」
「お久しぶりです」

「ハカセもゲンキそうだねー」
「カレンも相変わらずええ乳しとるのう、またでかくなったか? クワッカカカカ」

 カラカラと笑うアンダギー博士はその節くれだった手をカレンの胸に伸ばしてサータ助手に叩き落とされた。前に来た時と変わらない光景に、まだまだ元気そうだと肩を竦めて見せながら安心したような表情で笑うガウィークであった。


◇◆◇


「ほう、集合意識とは別の知的存在とな?」
「ぴゅりり」『こんにちはー』

 比較的マシな環境の応接間にて、中央のテーブルに乗る伝書鳥コウを挟んで向かい合うアンダギー博士とサータ助手に、ガウィークとカレン。ナッハトーム産の甘辛いお茶を啜りながらコウの存在について話に耳を傾ける博士は、幾つか質問を投げ掛けた。

「お主は、自分を何者じゃと思うね?」

 "よく、わからないです"

「ふむ、生前は冒険者であったかも知れぬという事じゃが……魔物に憑依する事には特に忌避を感じぬのじゃな?」

 "そうですね、魔物って呼ばれてる彼等も内面は他の動物と大差無いようにも感じましたし"

「なるほどのう」
「何か、分かりましたか?」

「さっぱりじゃ」
「……さいですか」

 予想していたとはいえ、重々しく頷きながらのその答えにガクッと肩を落とすガウィーク。コウの存在については詳しく研究しなければ考察のしようが無いとする博士は、コウの正体よりもその能力に興味を示した。
 あらゆる動物や魔物に憑依して操る事が出来る能力も然ることながら、物体を異次元へ喚び込んで保管する能力を研究解明する事が出来れば世紀の大発見、大発明にも繋がる。

「話を聞いた限り容量にも限界が無いようじゃし、物質を異次元へ移動させる方法……是非とも仕組みを知りたいのう」
「まあ、本人にもよく分かってないらしいですからね」

 "うん、出来る事に気付いただけで、どうなってるのかはよく分からない"

「そうか。うむ、その辺りはまた折をみて調べるとして、サータや」
「はい博士」

「倉庫に封印してあるアレ(・・)は使えると思うか?」
「え、アレ(・・)ですか? そうですね……確かに、魔物にも憑依出来るのならアレにも可能かもしれません」

 アンダギー博士の真剣な問いに暫し脳内で検討したサータは、頷いてそう答えた。


◇◇◇


 アンダギー博士は一応"魔導兵器研究開発部"に所属している身なのだが、研究棟に向かう事は少なく、普段は特別に用意されたこの研究所に籠もっている。
 博士の作る物は独創的といえば聞こえは良いが、いつも何処かズレていて暴走したり爆発したりと問題を起こし、発想や着眼点、博士自身の持つ技術は凄いのだが使えないモノが多い。
 だが、国王が博士の事を気に入っているので好きに研究する事が許されているのだそうな。

 魔導兵器の試作品、何度か暴走して騎士団が出動する騒ぎを起こした"魔導兵"が並ぶ廊下を進み、奥の倉庫へと案内されたコウ達は、そこで結界に封印された二メートル近い体躯を持つ、一体の甲冑のようなゴーレムを紹介された。

「こいつは……これも、魔導兵ってやつですか」
「うむ、だがコヤツは他のと少々毛色が違っておってな。――どうじゃコウ、お主のいう"穴"は見えるか?」

 "見えます、この甲冑って生き物ですか?"

「一応、擬似的な生命体じゃな。他の魔導兵も召喚獣の仕組みをベースにした擬似生命体じゃが、コイツは肉体の構築から行なっておる」

 召喚獣は形態の維持や命令の判別など一個体の頭脳を司る中枢部分に、擬似人格を付与できる呪術品を触媒として使い、大量の魔力で構築された身体を動かしている。
 博士の作った試作魔導兵は、通常の召喚獣が魔力で構築している身体の部分に適当な甲冑を使い、甲冑を身体として動かす為の魔力を、甲冑に仕込んだ魔導器で常に補給し続ける事で、稼働時間の限界を無くそうとしたモノだ。

 色々と試行錯誤を繰り返し、安全性やコスト面から結局まともに使える機体は完成しなかったが、この封印されている"複合体"はそれらの試行錯誤から発想を転換して作られた新型ゴーレムだという。
 様々な魔物の血肉から生み出された素材が使われており、魔導器に頼らず自力で魔力を集める事が出来る。謂わば生体魔導器として常に身体を維持し続ける事が出来る生きた甲冑だという。

「理論上は半永久的に活動できる仕様になっとる」
「またそんな無茶なモノを……よく許可が出ましたね」
「実は無許可じゃ」
「……」

 最早突っ込む気力も湧かないガウィークを余所に、博士はこの複合ゴーレムの問題点を説明した。それは問題というよりも欠陥では無いかと言えるような致命的な内容で、元々あまり複雑な命令には対応出来ない仕様であるゴーレムの技術を使っている為、自己修復や身体の維持など能動的な擬似生命活動を行なう事に命令を判別する受動認識枠を全て使ってしまい、外部からの命令を受けて活動する事が出来ない。

 要するに、通常はゴーレムの持つ処理能力の六割程が身体の維持や制御に使われ、残り四割で命令を認識したり実行したりするのだが、この複合ゴーレムは特殊な身体の維持制御に処理能力の九割近くを使ってしまっているので、起動中は常時待機状態のまま他に何も出来ないのだ。

「……なるほど、コウに動かしてもらう事で安全に性能実験が出来るという事ですか」
「如何にもじゃ! で、どうじゃコウよ、実験に付き合ってくれるならこの複合体はお主にくれてやっても構わんぞ?」

「ぴゅりっぴゅりり」『ちょっと試してみます』

 そうして複合体に憑依を試みたコウは、伝書鳥から抜け出し、吸い込まれるように精神体を滑り込ませる。
 自己意識を持たない複合体への憑依は、自意識の薄い魔獣犬に憑依した時よりも更にスムーズに行われた。全身に馴染むような感覚で、指先一つまで細かい動作が可能だ。

 その後、研究所前の広場で複合体の動作実験をしていたコウは、憑依感覚の違和感から複合体が持ち物として異次元倉庫に保管可能である事を発見した。
 見物していた皆の前で突然姿を消し、伝書鳥に憑依して別の場所まで移動し、再び取り出した複合体に憑依して見せた事で、『今のは瞬間移動か、空間転移か!』と大層驚かれてしまった。


◇◆◇


 それからのコウは、王都に滞在するガウィーク隊と戦闘訓練や魔術の習得に励む傍ら、博士の研究所で複合体の動作実験を行う生活を送っていた。
 常時複合体で生活するわけにもいかないので、普段は街猫や伝書鳥に憑依してガウィーク隊の皆と宿で過ごしたりしている。

 最初の動作実験を行った日、複合体での魔術行使実験なども行い、博士から正式にこの複合体からだが譲渡されたのだが、その際、博士はコウを一人の冒険者として冒険者協会に登録する事を提案した。

「ここまで確固たる自我を持って存在しとるのじゃ、本人も元は人間だったと自覚しとるのじゃろ?」

 正体不明である事は兎も角として、身を立てるにも己が立場を示せる証があった方が便利だろうという事で、名を『コウ』それ以外は不明。ダンジョンの探索中に身体を失い、複合体に意識を移植された元冒険者。そんな素性をでっちあげて登録するのだと計画を語る博士。

「冒険者として活躍するもよし、傭兵として戦功を上げるもよし、世界中に"魔導技師アンダギー博士"の名を轟かせるのじゃ」


 そんな訳で、コウは"珍しい冒険者ゴーレム"として、この世界に確固たる立場を得た。ガウィーク隊に所属する冒険者ゴーレムという触れ込みで、王都でも少し名の知れた存在となりつつあった。


◇◇◇


 冒険者協会中央本部の建つ王都の冒険者通りには、協会と縁のある高級武具店や大衆食堂が軒を連ねている。その通りにある酒場にて、上位メンバーで集まったガウィーク隊は数日後に予選を控える武闘会について話し合っていた。コウは街猫に憑依してカレンの膝に乗っている。

「コウも武闘会に出てみるか?」
「みゃ?」

「俺やダイドは個人戦で出るけどよ、隊長と副長と参謀、それにカレンがグループ戦に出る予定なんだと」
「ディスはまだ未熟。ヴィードは向いてない」

 三人から六人パーティーでのグループ戦。上位メンバー候補のディスは今回のような大きい大会の対人戦に出るには今一つ実力不足で、守備特化気味なヴィードは基本攻め姿勢となる武闘会のルールに戦闘スタイルが合わないのだという。

「……召喚獣の使用も許可されているから、貴方がいれば心強い」
「みゃみゃーん!」"おもしろそう!"

「コウちゃん、出るの?」
「みゃうー」"出てみたい"

 そういって、コウは猫の頭上に光の文字を浮かべる。これはコウとの意思疎通にその都度メモ紙を出されるのも面倒だという博士が、サータ助手に指示してコウに覚えさせた空中に文字などを描き出す装飾魔術の一つである。ちなみに、コウの本体である精神体のみの状態でこれをやると、宙空にいきなり文字だけが浮かぶ。

 街猫の首回りを覆う脂肪を楽しそうにムニムニと揉んでいるカレンの首筋に、尻尾を引っ掛けてふにふにしたりしつつ、コウは武闘会への参加を希望した。特別戦いが好きという訳ではないが仲間と一緒に何かをするのは楽しいし、競い合うのも面白そうだとワクワクする。

「よし、じゃあグループ戦のメンバーは俺とマンデル、レフにカレン、それにコウで決まりだな」

 明日からは連係や陣形にコウをどう組み込んで活かすかという訓練と戦術構築に取り掛かる方針で固め、今日はこれにて解散と相成った。銘々が席を立って部屋に戻るなりカウンターで飲み直すなりと自由行動に入る。ふと、ガウィークが思い出したように振り返った。

「ああそうだコウ、博士がそろそろ次の実験を行う予定だと言ってたぞ?」
「みゃうみゃ? みゃうみゃうみゃみゃーうみゃ」"そうなんだ? わかった、またハカセの所へ行ってみるよ"

「ああ~ん、街猫のコウちゃん可愛いっ」
「みぎゃっ」

 うみゃうみゃ話す猫が可愛い過ぎると、堪らず抱き寄せるカレン。むぎゅっと豊満な胸に抱かれたコウは、思わず空気を吐き出したのだった。




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