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*10 止められない

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 夕暮れ時を外で時間をつぶすのに、薄手のロングカーディガンではそろそろ寒い季節になってきた。道行くサラリーマンはスーツ姿に変わりはないが、OLらしい女性たちは薄手のコートや厚めのカーディガンを羽織っているのが目に付く。

 類は歩道の柵に尻を預け、目の前の古ぼけたビルの玄関を見つめていた。

 誰かが出てくるたびにハッとするが、ぼやけた顔は目的の人物ではなくて息を吐く。ビルの上、四階あたりを見上げる。時間は十八時をとうに回っていて、気が付いたらあたりは真っ暗だ。



(……忙しい、かな)



 そういえば目的の相手──山斗の仕事スケジュールを知らない。いくつかの雑誌も担当していることは知っているが、そっちの締め切りが詰まっていたら、最悪深夜か朝になることも考えられた。

 けれど、類にはこの方法しか浮かばなかったからこの場から動くことができない。メールは何通か送ったし、珍しくも自分から出版社に電話もかけてみたが、山斗と連絡が取れることはなかった。

 それなら、待ち伏せをして直接会うしか方法がない。短絡的だと自覚はあったが、たとえ時間がかかっても、これなら確実に会えるはずだ。

 腕時計をちらりと確認する。十九時。ぐぅ、と腹が空腹を訴えてきたが、今ここを離れるわけにもいかない。いい子だからおとなしくしておいて、と自分の腹を撫で、また視線をビルの玄関へと戻した。

 しばらくぼんやりとして、また誰かビルから出てくる。その人物の顔を見て、反射的に柵から腰を上げた。山斗だ。はっきりと彼の顔がわかった。



「氷室、くん」



 何気なく振り向いたらしい山斗が、類を見ると驚きに変わる。



「……月城さん」

「よかった」



 ほっと息を吐く。山斗が口を開いて何かを言いかけたが、遮るように「ぐぅぅぅ」と腹が鳴る。



「…………何か食べましょうか」



 苦笑した山斗は、以前の山斗と同じに見える。それでも何か変わったのだろうか。









 移動した先は、出版社の近くにあったファミレスだ。夕食時のせいか少しだけ待たされた。あちらこちらで様々な話が飛び交って賑やかな店内に圧迫感を感じたが、なんとか気を散らして焼き魚の定食を食べる。山斗は和風ハンバーグ定食だった。

 食べ終わるまで無言で、どことなく緊張感があったが、食後のお茶を飲むと胃が満たされたせいか、空気が緩んだ気がした。



(どう、話せばいいんだろう)



 会わなければいけない、と強く思った。

 けれど実際会ってみると、何をどこから話せばいいのか。迷っていると、口を開いたのは山斗だった。



「どうしたんですか、今日は」

「……会って、話がしたいと思ったんだ」

「話?」

「そう。ずっと、考えてた。君のこと」

「俺の……?」



 意外そうな山斗にこくりと頷く。



「氷室くんがあの時言ったみたいに、君が本当に……今まで僕が好きになった動物たちと一緒なのかどうか、って」

「……一緒でしょう?」

「正直、まだよくわからない」



 ぎゅ、と膝に置いた手を握る。



「……あの時、君に抱きしめられてから……ずっとドキドキしていて。今思い出すだけでもやっぱりドキドキするし、……また、抱きしめてほしいって思ってる」

「月城さん……」

「こういうのが君と同じ気持ちなのか、今の僕にはわからないけれど……でも、今まで犬や、猫や、動物たちにはこんなこと思わなかったんだ。それじゃダメなのかな。君に会えないのも、素っ気なくされるのも……つらいんだ」



 以前と同じようにとはいかないのだろう、とは類にもわかる。山斗が言ったのは、今までの関係を変える言葉だ。

 けれど関係が変わっても同じように会いたい。傍にいたい。いてほしい。

 山斗が自分の世話を焼いてくれるから、面倒を見てくれるからではなくて。いてくれることが嬉しかった。落ち着くから。

 そんなことを他人に思うのは初めてで、どう言えばいいのかわからないし、結局は山斗の心次第だともわかっている。けれど伝えたいと思った。山斗に抱きしめられてあんな風に言われたけれど、イヤではなかったのだと。



「動物は……犬や猫は好きだけれど、君が僕のことを好きだと言って抱きしめてくれた時は、もっと嬉しかったんだ。……それじゃ、ダメかな……」



 なにしろ類は今まで誰かと積極的に関わろうとしてこなかった。だから感覚はどこかズレていることは充分考えられた。今までの自分を悔やむことはないにせよ、伝えられる限りのことは伝えたい。

 伝わるだろうか。

 すがるように山斗を見つめる。彼は驚いた表情をした後、真剣に類の言葉を聞いてくれていた。類が口を閉じると、周囲の喧噪がまた二人の間に横たわる。



(ダメかな……)



 少しの沈黙の間も緊張する。緊張というのも、初めて体験したかもしれない。山斗といると初めて経験することばかりだ、と頭の隅で思った。テーブルの上で、組んだ手をぎゅっと握る。



「……、……」



 山斗が小さく何か言った気がした。顔を上げる。戸惑っているような、嬉しそうにも見えるような、はにかんでいるような、困っているような、複雑な表情をしていた。



「……ダメじゃ、ないです」

「ほんとう?」

「むしろ、嬉しいというか……、あの、お願いがあるんですが」

 山斗の明るい茶の瞳が、まっすぐに類を見つめる。急に改まって、どうしたんだろう。

「なにかな」

「今すぐ……抱きしめたいんですけど、ここでするわけにもいかないんで」



 場所を変えてもいいですか。

 照れたように言う山斗を、どんな動物よりかわいいと思った。

 もちろん答えはひとつしかない。



 ベッドにはゆっくりと押し倒された。

 見下ろしてくる山斗の表情は熱っぽくもあり、据わっているようでもあり。たとえるなら獣の雄っぽい、と表現すれば近いか。

 カーディガンを剥がれ、シャツのボタンを外され、はだけられて。素肌を見られているだけなのに、妙に落ち着かない。



「……細い、ですね」

「そうかな」

「ええ。……ちゃんと食べてくださいね」



 心配している言葉なのに、食べられるのではないかと錯覚する。黒の眼の奥に、炎が灯っている気がした。

 顔が間近に寄せられた、と思うとくちびるが重なる。啄むような、優しい触れ合い。



「ん……、ふ……」

「……月城さん……」



 キスの合間にやわらかく呼ばれ、徐々に深くなるそれをうっとりと受ける。こんなに気持ちよくなるなんて、知らなかった。

 歯の隙間から潜り込んでくる舌が、縮こまっていた類の舌に絡んでくる。どう応えればいいのかわからなかったが、舌を舌で舐め返したり、上顎を撫でられるように舐められた時には未知の感覚に震え、思わずしがみついた。



(溶かされる、みたい……)



 普段はひんやりとした素肌に山斗が触れてくる部分からも熱が染み、泥のように溶かされてしまうのではないかと思った。

 部屋も徐々に湿度を帯び、ふたつの荒い呼吸だけが満ちていく。肌寒い季節なのに、肌も徐々に汗ばんできた。はだけていただけの上着はいつの間にかすべて脱がされていたが、触れ合っていれば寒くはない。



「は……、ぁ……」



 くちびるがほどかれると、惜しむようにもう一度触れるだけの口付けが与えられる。今度は顎から首筋、鎖骨を甘噛みした口は胸へと下りた。

 淡く色付いたところに口付けされると、舌がその部分を舐める。柔らかく、ぬめった感触に肌が震えた。



「……ん……」



 小さな声が鼻に抜ける。

 何度も舐められて吸われると、次第にそこがしこりを帯び、粒になる。そうなるとよけいに過敏に舌やくちびるの感触を感じた。



(そんな、ところで……)



 自分でいじったこともないようなところを触れられるのは、なんだかおかしな感覚だ。くすぐったいような、むず痒いような。



「ふ……、……」

「……ん……っ、あっ?」



 ひくりと体が跳ねたのは、山斗の手がズボンの上から股間を撫でたからだ。



「氷室、くん……っ」

「直接触って、いいですか。……俺のも、一緒に」

「ええ……?」



 触るとはどこを、とは、今触ったそこを、なのだろう。まごついていると頬に口付けされた。



「気持ちよくできると……思うんですが」



 見つめてくる瞳には強い意志がある。それに山斗が触りたいと言うなら、類に拒む言い訳はなかった。



「ん……わかった」



 こくりと頷けば、下着ごとズボンが脱がされる。普段人目に晒したことのない肌は生白く、ありていに言えば恥ずかしい。

 そこを隠すように立てた膝に、山斗の手がかかる。



「ひ、氷室くん?」

「脚……軽く、開いてください」

「ええ……と、……こう……?」



 羞恥心を押し隠し、ほんのわずか脚を開いた。それだけでも羞恥がわき上がるというのに、山斗は膝に手をかけるとさらに開き、体を割り入らせてきたのだ。



「え……、あ、あの」

「このほうが、触りやすいと思ったので」



 そんな言い訳を寄越す山斗は、すっかり獣めいた表情だ。欲のままに動いている。そう感じるのは怖くもあるし好奇心もあった。



(威嚇……とは違うから)



 飢えた肉食の動物の前に餌を差し出したら、きっともっと食い荒らされる。けれどその一歩手前のような錯覚。

 屈んでくれた山斗の顔が近い。



「しがみついてくれても、いいです」



 肌が近いほうが安心できる気がする。気遣いに頷くと、山斗の首から背へ両腕を回した。



「……あ……っ」



 ひくんと背が跳ねる。性器に根本から触れられ、ゆっくりと手のひらで擦られた。

 自分でもあまり触ることはない。つまり触られ慣れていないそこを他人の手で触れられるなんて当然初めてだ。

 腰も背も緊張していたが、宥めるような優しさで何度も擦られていくうち、息が乱れ始めた。



「っぁ、……ぁ、ん……っ」



 聞いたこともないような声が漏れる。口をつぐもうとしてもできない。



「ふ、ぁ、あ……ッあっ」

「気持ちいいですか……?」

「ん……きもち、いい……」



 どこか恍惚とした声。

 性器の裏側を撫でられ、手のひらを亀頭に押し付けられて擦られれば、ひっきりなしに声をあげてしまう。

 与えられる感覚に夢中になっていると、不意に性器へ熱いモノが押し付けられた。何かと思って山斗を見上げると、頬に口付けされる。



「……俺も、悦くなりたい、です」

 そういえば先ほど『一緒に』と言われたのだった。たしかに自分ばかり悦くなっているのは不公平だろう。

 いいですか、と問われるとこくこくと頷いた。熱が山斗のモノだとは気付いていた。



「ぁ、あぁ……、ん……」

「ふ……、ぅ……」



 山斗は熱をふたつ掴んだまま、腰を揺らして擦りつけ、手でも擦ってくる。



(あつ、い……)



 熱が腰から回って全身を侵していくようだ。ぐるぐると巡り、わけがわからなくなっていく。その感覚が恐ろしくもある。

 最後に自分で抜いたのはどれくらい前だろう。思い出すことができないしそのせいかもしれないが、今までの自慰より確実に悦い。だから自然と腰が揺れてしまうのも仕方ないと思いたい。



「あ、ッあぁ……っ」



 先端をまとめてぐりぐりといじられるのに弱い。山斗の手がなめらかに動いていることには気付いたが、それが互いの先走りによるものだとまでは気が回らない。



(氷室くん、も……悦いのかな……)



 そろりと山斗の顔を窺う。



「……っ」



 息を呑んだ。

 熱を灯した眼は類が山斗を見ていることに気付くと獰猛になり、噛みつくどころか食いちぎられるのではないかと思うくらい眼差しが強い。目許が赤く染まっているのは興奮のせいだろうか。



(そんな顔、するんだ……)



 背筋をぞくりと何かが走る。途端、快楽が強くなった。



「あっ、あ、ひむろ、くん……っ」

「すみません、も……」



 抑えられない、と言うより早く、山斗が性器を責める手が強さを増す。ぐちぐちと卑猥な音と、細切れの声が部屋を満たし、



「ッあ、もお……っあ、あああぁ……ッ!」



 びくんと腰が跳ねる。熱を吐き出す感覚。



「ぅ、あ……っ」



 山斗も低く呻き、びくりと体を震わせる。互いの腹が濡れる感覚に、ふたりとも達したのだとぼんやり気付く。

 荒い呼吸を整えようとしていると、片腕で山斗に抱きしめられる。彼もずいぶん呼吸が乱れていた。



「……そんな顔して、どうしたの」



 少しずつ呼吸が収まって、腕の力が緩むと互いの顔が見られるようになった。

 じっと類を見下ろしている山斗は、呼吸が乱れているせいだけではなく、どこか苦しそうに見える。

 何か我慢していることがある。そう思わせるような表情。

 山斗は一瞬何かを言い掛けたが一度つぐんで顔を逸らし、そうして少ししてからまた類を見つめた。



「あの……」

「うん?」
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