大きな人形の涙

olria

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哀悼の形

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ある雨の日の午後。僕はいつものごとくお散歩をしていた。慣れ親しんだ道を歩くだけで心が安らぐ。僕が住んでいる場所は都会の中心部から離れていて、丁度農村との境界線上にある。

仕事を辞めて、比較的に土地の値段が安いところに家を建てて、二匹の猫と共に静かに暮らす。それは長年の夢で、やっとかなった僕は静かな時間の中で平穏を感じていた。

都会の喧騒から離れ、自然と触れ合うだけで心地よく過ごせる。一時期は酷く鬱だったもので、ただ自然があるだけで治るなどと考えたこともなかった僕は何かを知っているように思えて、実はそうでもなかったんだろう。

今になってはなぜそこまで都会に憧れていたのかすらも自分自身でさせわからなくなってしまったんだから。

家に帰ったら猫を眺めながらためていた本でも読もうかと考えていた時、視界の端っこには誰かが佇んでいる姿がうつった。幽霊のようにも思えてしまうほど、不気味に髪を卸している人。髪の毛が長いだけで女性か男性かも遠くではわからない。こっちを見ているようには見えなかった。

だけど、そう。普通の人に見えているわけでもなく。何か人体の比例がおかしいというか。手足が異様に膨らんでいるような。ただ太っているだけなら失礼だと思うが。しかしどうしたものか。

その異様さに少しだけ胸の中がざわついたものの、それでもなぜか目が離せない。当の本人は農村と森の境目で森の方を見ていて、僕の視界から右側の方を向いていた。

怖いという感情はわかなかった。いつだったか。長年付き合っていた彼女と別れ、親の葬式を二回も終わらせて。

地元の友人と離れ、知っている人はほんの一握りでしかなく。仕事を辞めたのはぶらりとどこかへ行きたいとこに行けなくなることを残念に思っていたからで。

まだ30過ぎだというのに、難儀な人生を送っているのだと、懇意にしていた職場での先輩に言われたことがある。確かにその通りかも知れない。

つまるところ、僕はどこか人として大事な部分が抜くてしまったようで、だから怖いと思うこともなくその髪の長い人物に近づいてしまったのであろう。

その人はこちらに顔を向けた。ああ、人だと思っていたが、その姿は人形そのものだった。小さい子供が遊ぶような人形がそのまま大きくなってしまったような。体全体は布のような素材で出来ているようで、しかし実際に見た感じだと降って来る雨粒をそのまま吸収しているようには見えない。

鳥肌が立ったが、同時に思った。別にここでその人形、女の子の姿をしていたから彼女と呼ぶことにしよう、彼女が例えば僕に危害を加えたとして、それは野生動物に攻撃されたようなものだろうと自分を納得させて、僕は話しかけた。もしかしたら中に人が入っているかもしれないし。

「何かお困りでしょうか。」

横顔が正面からこっちを向いた。ゆっくりと、こっちを向いたのである。やはり鳥肌は立ったままだが、怖いというより何がしたいのか気になったのも事実で、人形さんの答えが戻るのを待った。

もしかしたら言葉が喋れないかもしれないと思ったのはそれから数十秒ほど経った後。人形は無機質な瞳でじっとこちらを見ているだけだったから、僕もじっと人形を見つめていたのだ。意外と愛らしいかもしれない。

人形は首を傾げた。赤ちゃんのように大きな頭を少しだけ傾けて。そして口をパクパクと開いたり閉じたりしていた。

何かを話そうとしているのだろうか。

「この森の方をずっと見ていたんですよね。何か森の中に用事でもあったんでしょうか。」

そう聞くと人形は首をたてに振る。よかった。言葉は喋らなくても意思疎通は出来るようである。

「お探し物でも?」

人形は今度も首を縦に振る。ここでお前の命を頂戴とかになったら二匹の猫に悪いと思ったけど、隣人には僕に何かあったらと言っていたから、多分大丈夫だと思う。

隣の家に家に住んでいるのは若い夫婦で、近くでキノコ栽培をしている。口数は少ないけど、優しい人たちで…。そうじゃなかった。

「一緒に探しましょうか。」

そう言うと人形はキョトンとした顔?雰囲気でこちらを見ているような気がした。

僕は彼女の手を取った。意外と柔らかく暖かかった。僕たちはゆっくりと森の方へと歩いた。はたから見たら僕が少女を誘拐しているように見えなくもないけど、幸い誰もいなかった。僕は彼女の濡れた髪の上に傘を向ける。

彼女はこちらを見て、また首を横に少しだけ傾けてこっちを見た。僕が笑うと彼女は何も言わずに正面を向いた。通じたのかそうでないのかわからない。

それでしばらく彼女と手を繋いで歩いて、木々がなく少し開けた場所に出られた。たくさんの落ち葉の上に人形は屈んで、指のない手で地面を探った。

「手伝いましょうか。」そう聞くと人形はまた首を縦に振った。

僕は落ち葉が地面からなくなるまで手を動かした。そしたら硬くてつるっとしたものが手に当たった。石かと思って掴んでみたら、人の頭蓋骨だった。それも小さな子供の。

僕は周りの土を掘った。そうすると服とそれ以外の骨も出てきたのである。服装を見るに女の子だろうか。

人形の彼女は僕と反対側を探していた。拙い動きで、熱心に動かして。とても力があるようには思えない。野生動物と違って、彼女の力は兎にも負けてしまうほど弱々しいと感じた。

「お探し物はこれでしょうか。」と、僕は彼女にその頭蓋骨を見るように言ったら彼女は頭蓋骨に手を伸ばし、ゆったりとした動きで近づいて、その頭蓋骨を短い腕で精いっぱい抱きしめたのである。

そしてその無機質なはずの黒い目からはとめどなく水、いや、涙が流れていた。

「大切な人だったんですね。」と僕が言うと人形は首を縦に振った。音も出せず、涙だけが流れていた。しばらく見ていたら、人形の姿が見えなくなった。消えたのか。

そこまで深い森の中でもなかったし、遠くに目印となる送電塔が見えたから戻るのに時間はかからなかった。僕はそこでまっすぐに警察へ行った。そして警察に自分が見つけたものを話した。人形の話はしなかった。動画をとることもなかったし、証拠を残す気にもならなかった。そういう無粋な真似をする理由なんてなかったんだし。

僕は警察官と共に白骨を見つけた森の中へ向かった。どうやって探したのか聞かれた。僕は犯人ではなかったけど、警察にそれを証明するには時間がかかることだろう。それはわかるし、僕も別に今すぐやるべきことがあるわけでもないので、長い時間、尋問か問答かわからない少しだけ警戒心が含まれた会話に付き合った。

家には戻られたが、次の日にまた来ると言っていた。

次の日には少しだけ騒ぎになっていた。科学捜査をしている人たちが到着して、現場検証をしていたんだろう。

なぜか水たまりがあったことに対しては、ただ雨が降ってそうなったんだとでも思ったか、それを聞かれることもなかった。

僕の取り調べを担当していた警察官とはそれからもよく話す中となった。彼から聞いた話によると、その少女はここから車で三十分ほどの距離にある住宅街に住んでいて、五年前に行方不明になって騒ぎになっていたらしい。

当時十歳だった少女がうつった写真の中には、少女が大事そうに抱きかかえていた人形があった。人と見間違うほどのサイズではなかったけど、あの人形で間違いなかった。

どうしてあれほどまで大きくなったのか、どうして一人で出歩けるようになったのか、どうやって少女のいる森を探し当てたのかはわからない。そしてその人形はなぜ、どこへと消えてしまったのかも。

少女の葬式が執り行われ、犯人が五年ぶりに捕まったという話も聞いた。どうやって五年も経ったのに捕まったのか。

それは聞いただけで少女の痛みを想像するとあの人形のように泣いてしまいそうになったからもう思い出さないようにと記憶の箱の中に封印することにした。

世の中には途轍もなく残虐なことが出来る人もいるということなのだろう。

そしてその日の夜、二匹の猫が妙にソワソワとしていて、何かを僕に伝えたいのか近づいてきてはにゃーと鳴いて、こっちに来るようにと少し歩いてから僕を振り向いて、また少し歩いてから僕を振り向いたりしていたから何事かと僕は彼らが向かう方向へと足を進めた。

ベランダの外に、何かしらの気配と言うか、暗くてよく見えないけど影があった。

電気をつけるとそこにはあの写真のように小さくなっていた人形が立っていて、その隣にはうっすらとしたシルエットが見えた。小さい少女のような大きさの、白いシルエット。あの写真で見た、被害者の少女。彼女は人形の手をぎゅっと握りしめているように見えた。

「ごめんね、もっと早く見つけてあげられなくて。」

僕が言うと少女は首をよこに振ってから僕に頭を下げた。言葉は喋らないみたいだった。幽霊に空気を振動させる機能なんてものはないのかもしれない。

人形は顔を少しだけ傾けて、こちらに手をあげては振って見せる。それが妙に可愛かった。少女も手を振っていた。僕は涙でぼやける視界でそれを見てて、多分最後になるであろう、彼女たちに笑って見せたのである。

それからの日々はまた平穏に過ぎて行った。

しかしふとした疑問、なぜ僕にそのようなことが起きたのか思う時があって。

霊感があるなんて思ったこともないし、あんな明らかな心霊現象を経験したのも初めてというか、多分、滅多に経験できるものではないんだろうけど。

ただ、そう。

人は良く知らないことを見ると先にそれに恐怖を感じるか、敵とみなすだろう。人形が悪霊退散なんて叫びながら札だらけになる姿を想像すると、笑いが込みあがってくると同時に、どことなく悲しくなる。

だってそれが、幽霊やそのたぐいのものが何を欲しがっているのかなんて、聞いてみないとわからないものではないかと。

あの人形は自分を大事にしていた少女とまた出会いたかっただけだったんだろう。あの涙は彼女を思ってのことで、僕はそれを怖い心霊現象とか、そう言う風に受け取りたいなんて思わない。

しかし殆どの人にとっては、あれはただ不気味で、叫びながら逃げて、夢に出ることを心配するような出来事なのであろう。

それも仕方がないことだと思うも、それでも。

誰かはただ亡くなったものを悲しんでいるだけに過ぎない。その姿を不気味に思うとも、せめて僕だけでも、これからもずっとそうしないように、心に誓う出来事であったのだ。

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