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第九幕 砂の楼閣

腐った魂

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 さっきの震刃は普通に7、8割の出力で撃ったが、あっさり吸収されてしまった。ということは10割で撃った所で、黒腕を傷つけられない可能性は高い。

 震刃でそれなら震貫も同じことだ。震動を与える点が動くか動かないかだけの違いだからな。

 情けないが、俺は未だに震の歌術以外はほとんど素人か、それ以下だ。となると攻撃に使えるのはもう震歌か、そしてその進化版である砕歌サイカしかない。

 震歌を溜めに溜めて歌えば威力はどんどん上がる。そして最終的に砕歌になる。砕歌になってしまうと、一刻城の蛇女みたいに、分子レベルまでバラバラにしてしまう。存在そのものをこの世から消してしまう。全く手加減できない。

 いいのか、消してしまって?

 こいつはこの町に来て好き放題に暴れ、もう何人もの民を殺しているという。レジスタンスのリーダーも殺害した。元から馬鹿なヤツだったが、今は馬鹿と言うより、権力のために人の命を省みない殺戮者だ。こいつを生かしておけば、今後どんなにたくさんの人を殺すかしれない。

 いいよな? 消してしまっても。

 この勝負だって向こうから持ちかけてきたんだ。死んだって俺のせいじゃない。自業自得だよな。



 俺は構えた右手に力を込め震歌を歌い始めた。

「来いやっ、来いやっ、来いやっ、来いやっ、散れやっ、散れやっ、散れやっ、散れやっ♪」

 ゆっくりしたテンポから時間をかけて少しずつ盛り上げていく。テンポを上げるのと同時に声も張り上げ、右手から強力な震動波を送り込む。

 グルーヴを感じる。手の平が引っ張られる。見えない震動波が俺の歌声に乗って男の腕に伝導する。

 さしもの黒腕も激しく震動し、ブレて見える。首から上も揺さぶられ、意識が飛びかけているのだろう。男の目は焦点を失い、やがて白目になった。ぽかんと開いた口からヨダレが垂れた。

 震動は男の全身に拡がり、身体の輪郭が幾重にも見える。親分の勝利を疑っていなかった親衛隊の連中もざわめきだした。もう少しだ。もう少しでこいつをこの世から消し去れる。



 しかし、その時だった。

 突然、俺の脳裏にガイさんの心配げな顔が浮かんだ。

 そうだ。あの時と同じだ。

 ボナ・キャンプでこいつがニコにキスしようとした時、キレた俺は、こいつを震歌で殺しかけた。

 そこにガイさんがタックルしてきた。後で俺は『殺さなくて良かった』と、止めてくれたガイさんに感謝したんじゃなかったか。

 父親のいない俺には、息子に対する父の想いなんて分らない。でも曲がってしまった息子を真っ直ぐに戻そうとガイさんは必死だった。

 三歌試合の時も、こいつが怪我をする度に泣きそうな顔して介抱してた。そしてこいつが投げた剣で瀕死の重傷を負ってなお、こいつの行く末を案じ、何度も何度も「ゾラを頼む」と言っていた。今もきっと不自由な身体で、息子が改心して戻ってくるのを待ってるだろう。

 殺していいのか?

 どんな悪人だって、土から湧いてきたわけじゃない。家族がいて、愛し愛されていた時代があったはずだ。

 こいつが死んだことを知ったら、ガイさんはどうなるだろう。生きていけるだろうか。俺はガイさんをも殺すことになるんじゃないのか。

 ……殺せない。

 俺には殺せない。



 力を失った俺の右手はだらんと垂れた。震動から解放された男はその場にぶっ倒れ、子分の1人が駆け寄って抱き起こす。

 でもホッとした。良かった、殺さなくって。

 後を振り返る。

 ナラさんとハルさんは『はあ? 何で』っていう顔をしてる。

 でもニコとアミはホッとした顔をしてる。俺と目が合うと笑顔になった。俺の選択は間違ってないんだよな。



 しかし。

 意識を取り戻した男は立ち上がるなり大声をあげた。

「見ろ! 貴様の歌術では俺の腕に傷一つ付けられない。ざまあ見ろ。俺の勝ちだ!」

 冗談かと思ったが本気で勝ち誇った顔をしてる。どこまで馬鹿なんだ、こいつ。

「さあ、ニコ、行くぞ。そんな負け犬は放っておけ」

 ま、負け犬って俺のこと? そこまで言う?

「ちょっと待ちなさいよ!」

 大声をあげたのはアミだ。

「あんた、自分が命を助けてもらったのが分かんないの? ソウタはあんたなんかいくらでも殺せたけど、あえて殺さなかったのよ。どっちが負け犬よ。バカじゃないの」

「何だ? この女」

 男はなめ回すような視線でアミの身体を見た。

「お前も俺に可愛がって欲しいのか? あいにくだが今晩はニコの相手で忙しい。明日の晩、俺のテントに来い。そしたら抱いてやろう」

「はああ? 何言ってんのよ、この腐れ×××! フニャ△△! あんたに抱かれるぐらいなら今ここで舌噛んで死ぬわ」

 アミの悪口もなかなかだ。伏せ字にせざるを得ない。

「そうか、じゃあ殺してやろう」

 男はひるまなかった。黒い腕をかざし、ぶつぶつと何か歌った。

 まずい!

 俺はまた震壁を歌いながら、横っ飛びでアミをかばった。今のこいつの攻撃は、彼女の壁術ではかわしきれない。

『バキン!』

 飛んできた凍刃が半透明のバリアに当たって白く弾けた。ぎりぎり間に合った。

「あいつ何なの。もう、殺しちゃっていいわよ。腹立つっ!」

 アミはぷりぷり怒っている。



「おい、ゾラ。お前、ガイさんがどんなにお前のことを……」

 言いかけたが、しかし俺の話なんか聞きもしない。

「そんなゴミ野郎のことは知らん」

 吐き捨てると同時にまた凍刃を撃ってきた。だめか。こんな奴に家族の情愛を思い出させるのは無理か。

「ニコ、早くこっちに来い。腰が抜けるぐらい可愛がってやる」

 にたにた笑っている。話にならない。やっぱ殺しといた方が良かったか。



 その時、ニコが一歩前に出た。

「ふん、やっとその気になったか」

 男はにやける。しかしニコが投げた言葉は辛辣だった。

「私はあなたが嫌いです。寒気がするぐらい大嫌いです。こうやって話してても吐きそうです」

 空気が凍った。さしもの男も黙った。

「何故さっきソウタが震歌を止めたのか、あなたには分からないのね。頭からっぽのあなたに教えてあげるわ。ソウタは『息子を頼む』ってガイさんに何度も頼まれてたから、殺すに殺せなかったのよ。でもあなたのその様子じゃ……」

 そこで彼女はチラッと俺を見た。

「殺しといた方が良かった、って思ってるわ。みんなそう思ってる。もちろん私もよ」

 うわあ。

 言っちゃったよ。

 その通り。まさにその通りなんだけど、それ言ったら……



 男は額に青筋を立てたまま、不気味な笑みを浮かべている。

「ニコ……分かったよ。お前はそのクズ野郎にマインドコントロールされてるんだな。本当に愛すべき人間が誰か分からなくなってしまってるんだな。可哀想に」

 ニコはぶるぶると激しく首を振った。

「ニコ、お前にはマインドコンロールから抜けるための治療が必要だ。ちと荒療治になるがな」

 男は後にいる子分2人に声をかけた。

「おい、その裏切り者をこっちに連れてこい」

 強張った顔の剣術講師と体術講師がカロさんを羽交い締めにしたまま引きずってきた。

 男は短刀を取り出し、胸元に突きつけたかと思うと下着の肩紐を切ってしまった。薄い布地がはらりと落ち、白い肌が露わになった。

 男はいやらしい笑いを浮かる。カロさんは歯を食いしばって羞恥に耐えている。

「止めろおっ! 貴様あっ!」

 ナロさんが悲痛な叫び声をあげるが、男はそれに構わず、短刀を白い胸にあてがった。そして何のためらいもなくすっと横に引いた。

 かすかなうめき声と共に10センチほどの赤い線ができ、そこからみるみる血があふれ出した。

 凍りつく空気の中、男は一人熱い息を吐き、カロさんの胸に顔を寄せた。そしてそこに流れる血を……べろりとなめた。

 狂ってる。こいつ完全に狂ってやがる。

「ふふん。裏切り者でも血の味は同じだな。なかなか美味い。それにだ。白い乳房を赤く染める血潮、苦痛にゆがむ顔。これまた、なかなか良い眺めだ。そう思わないかニコ」

「止めて……止めて……」

 ニコはもう泣き出している。

「ニコ、お前が俺への愛を思い出すまで、俺はこの裏切り者の身体で遊びながら待つとするよ。さあ次は顔にしようか。それとも下腹にしようか。きひひひ」

 男は短剣の腹でカロさんの頬をピタピタと叩き、彼女の耳の辺りをまたべろりとなめた。

「止めてえっ!」

 耐えかねてニコが泣き叫ぶ。

「貴様ああっ!」

 ナロさんがまた砂の歌術を歌い始めた。俺も既に震歌を歌い始めている。ダメだ。こいつはもう心の底まで腐ってしまってる。殺さないと止められない。



 しかしその時だった。

 空の一点がカッと白く光ったかと思うと、男の身体を強い光が貫いた。

「うぎゃあああああああっ!」

 男の叫び声が響いた。
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