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第七幕 崖の下の住人

浜辺にて

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『ざざざざ……ざざざざ……』

 夕暮れ時の砂浜に波の音がしている。

『ひゅうううううう、ぱんっ!』

 向こうではウメコさんと姉貴たちが打ち上げ花火できゃーきゃー盛り上がってる。



 俺が手にしてるのは地味な線香花火だ。

 でも俺の前で同じ花火を持って笑顔を見せている少女は決して地味ではない。とびっきりの美少女だ。

 お父さんがイギリス人らしい。髪は黒いが、瞳は少し青みがかった灰色だ。長い睫毛にぱっちりした大きな目。ちょっと太めの眉。上品な鼻と口。きゅっと締まった顎。そのままハーフの美少女タレントとしてTVに出てても全然おかしくない。

 しかしちょっと困ったことにこの子、天然というか、無邪気過ぎるというか、今もショートパンツ姿で足を開いてしゃがみ込んでるもんだから、太ももの内側にホクロがあるのまで丸見えだ。

 さすがの俺も中1女子の太ももに萌えるようなロリ趣味はない。

「なあ、もうちょっと足を閉じてくれないか」

「え? どうして? いいじゃん、別に」

 忠告するが聞いてくれない。やれやれ。

「ねえ、ソウタ」

 しかも2つ年上の先輩に向かって完全にタメ口だ。まあいいけどさ。

「何だよ」

「学校行っててさ、辛くないの?」

「そうだな……少なくとも、楽しくはないな」



 俺は中3になってから、また学校に行きだした。

 幸い新しいクラスには俺の黒歴史を知る者は数人しかいなかった。さらに3年の音楽の授業はリコーダーばっかりで歌がなかった。俺は音痴がバレることなく、地味キャラではあるが普通に学校生活を送っていた。

「まあ、2年の時ほど辛いこともない、我慢できないこともない、ってとこかな」

「ふうん……私も2学期から学校行こうかな……」

「おいおい、どうしたんだ。無理しなくてもいいぞ」

「だってね」

 美少女はふくれっ面をした。

「ソウタが来なくなってから、ウメコさんのお店に行っても面白くないんだもん。勉強教えてくれる人もいないし、一緒にゲームしてくれる人もいないし、カラオケでデュエットしてくれる人もいないし」

「ウメコさんが相手してくれるだろ」

「ううん。最近ウメコさん、携帯のゲームにはまっちゃって、全然相手してくれないの」

 向こうを振り返ると、ちょうどウメコさんたちがわーわー騒いでいるところだった。俺は大げさに肩をすくめて見せた。女の子は声を出して笑った。



「ソウタ、高校行ったらバンドやるんでしょ?」

「ああ、軽音に入って、ベース弾く」

「いいなあ。私もバンドやりたいなあ」

「え? 楽器は何やるんだ?」

「フルートじゃだめかな?」

 彼女のフルートは大人顔負けの腕前だ。俺も一度、ウメコさんのお店で聴かせてもらったことがある。何でも小学校にブラバンがあって、そこで吹いてたらしい。まあそのブラバンでいろいろあって不登校になってしまったようだが。

「ダメじゃないけど、バンドでフルートっていうのもなあ。ちょっと違うかなあ」

「フルートがダメならピアノでもいいよ」

 彼女は以前、うちの母親が教えてた生徒さんだ。ピアノももちろん上手だ。

「ああ、それならアリだな」

「じゃあ私、必ずソウタと同じ高校に行って軽音に入るから、私とバンドしてね」

「ああ、いいよ」

「約束ね」

「分った、約束だ」



 しかし彼女はふっと暗い表情になった。

「でも、そのためにはやっぱり学校に行かなきゃダメかなあ」

「……まあな。俺もそれがあるからもう一度学校行くようになったしな」

「ソウタはどうやって学校に行けるようになったの?」

「それはな……」

 俺が学校に行けるようになったのも、ウメコさんの言葉のおかげだ。

 とりあえず始業式に歯を食いしばって行ってみる。

 それでギブアップだったら無理をしなくても良い。でももう1日行けそうだったら、「もう1日だけ」と思って行ってみる。

 その次の日も行けそうだったら「もう1日だけ」と思って行ってみる。その次の日も。

 いつでもギブアップして良い。そもそも学校なんて無理に行かなくっても良い。でも行けば多少のメリットはある。

「……そんな風に1日ずつ、1日刻みで行ってるうちに、気がついたら毎日行けてた、っていう感じだな」

「ふうん、そうかあ……じゃあやっぱり私も2学期の始業式が勝負かなあ」

「あまり気負わず、『仕方ねえ、1日だけ顔出してやるか』っていう感じで行ったらいいよ」

「うーん、でも5年の途中から学校全然行ってないし、今の中学、入学式すら行ってないからなあ……どうしても気合い入れないと無理だよ」

「じゃあ、土曜日の午後にでも俺が一緒に行ってやるから、校門のところまで行く練習してみようか?」

「えっ!? いいよ、そんなの。悪いよ。それだったらウメコさんのお店に来てよ。また勉強教えてよ」

「学校行く練習しなくていいの?」

「いいよ。それよりも数学教えて」

「じゃあ、また土曜の午後にでも行くよ」

「うん!」



 最後の線香花火が燃え尽きてしまった。向こうでも最後の派手なヤツを打ち上げるようだ。

「ぼちぼちあっちに戻ろうか」

「うん……あ、ちょっと待って……」

 立ち上がろうとして彼女はちょっとよろけた。俺が差し出した手につかまって何とか体勢を立て直した。

「大丈夫?」

「うん……ごめん。私よく立ちくらみになっちゃうの」

「あ、そうか。最近は病気の具合はいいの?」

「うん、まあまあ。前は毎週病院行ってたのが、今は2週間に1回になった」

「でもあんまり無理するなよ。しばらくジッとしてていいよ」

「うん。もう大丈夫……あ、でも、手だけつないでてもいい?」

「ああいいよ」

 彼女は俺の手を両手で握りしめながら後をついてくる。振り返ると、夕焼けを映してるのか、ちょっと顔が赤い。

「ソウタ、私ね……」

 思い切って、という感じで彼女は話しだした。

「何?」

「私ね……ソウタの手が好きなの」

「え? 手?」

「うん。大きくて、ちょっと血管が見えてて、男の人の手なんだけど、指先が細くて真っ直ぐで、綺麗な手だなあ、優しい手だなあっていつも思うの」

 え? 何? ひょっとして、これって告られてるのか? 嬉しくってうひひと笑い出しそうになる。

 しかし、何かが引っかかった。

 あれ? 同じように俺の手を好きだって言ってくれた女の子がいたような……あれは誰だったっけ? 小学校の時の話か? いや、もっと最近だったような。誰だっけ? 言われてすごく嬉しかったことは覚えてるんだけどな。



 俺たちが手をつないで歩いてきたのを見て姉貴が冷やかした。

「あら、アンタたち、イイ感じじゃない」

「ち、違うの! 立ちくらみしたから手をつないでもらっただけ!」

 必死で言い訳する女の子を見て、ウメコさんが言った。

「ニコちゃんはソウタにべったりだもんねえ……」

 !!

 それを聞いた時、脳みそがぐるっと1回転したような衝撃を受けた。

 そうだ。確かに今、俺の手を握って赤い顔してるこの美少女はニコだ。

 でも、ニコって……あれ? この子がニコなんだっけ? 俺にとって、何よりも大事なニコは、このニコなんだったっけ?

 目の前の美少女は灰青色の瞳で俺を見つめてる。その顔が誰かの顔とダブる。いつも見ている顔、いつも俺の横にいてくれる顔……あれ? それはこの顔だ。

 あれ? あれ? ニコって、もう一人いるのか? この子だけなのか? 何だかワケが分からなくなってきたぞ。



 そもそもこの夕暮れ時の浜辺の景色。これは本当に今のリアルな景色なのか?

 いや……違う。夕暮れの色が何となく色あせた感じだ。これは過去だ。過去のことだ。中3の夏にこんなことがあったのか。

 だとしたらこの子、このニコは、この後どうなったんだろう。ちゃんと学校に行けるようになったのか。今は何してるんだ?

 今……今、俺は県立高校2年、軽音のトップバンドでベースを弾いてる……あれ? もう3年になったんだったっけ?

 っつーか、あれ? 俺、最近、高校に行ってないぞ。んんん? 俺は今、何をしてたんだっけ? 分からない。何だかおかしいぞ。分からないことだらけだ。

 息苦しさがだんだん増してきて溺れそうになり、俺は必死にもがいた。もがきにもがいて、ようやっと意識の水面に顔を出した。

 目が覚めた。
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