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第六幕 踊り子

滝の裏の密会

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 町に戻った俺たちは、ニコが行きたがっていた古本屋であれこれつまみ読みしながら夕方近くまで時間を過ごした。

 宿に帰ってきて階段を上がろうとしたら、奥の方で誰かが言い争っている声が聞こえた。

 ん? あれはアミとエメさんの声だ。

「だから何度も言ってるでしょ! そんなのイヤだって!」

「あなたの将来のことを考えて言ってるのよ!」

 ああ、思春期の娘と母親が親子ゲンカしてるのか。微笑ましいというか何というか。

 俺たちは顔を見合わせ、そっと階段を上がった。



 その後、夕食を持ってきたのはアミだった。さっきのケンカの影響か、見事なぐらいのふくれっ面で超・機嫌悪そうだ。奥に座ってるハルさんにお皿を回そうと思って手を出したら、

「触んないでよ!」

 と怒られてしまった。はい、触りません、すいません。

 それでも料理は美味しい。お肉にしっかり味がしみ込んでいる。下ごしらえに時間も手間もかかっただろうに、本当にお疲れ様だ。

 ニコも今日はしっかり食べてくれた。俺と半日デートしたことでちょっと元気になってくれたんだろうか。



 ニコを部屋まで送って、自分の部屋に戻ろうとしたら……いた。アミがいつものポーズで俺を待っていた。

「今日の肉料理も美味しかったよ。ごちそうさま」

 こちらから声をかけるが、彼女はそれには答えず、違うことを尋ねてくる。

「で、あの子は元気になったの?」

「あの子って、ニコのことだよな」

「だから名前なんか知らないって言ってるでしょ。あんたの彼女よ。今日、デートに行ったんでしょ?」

「あ、ああ。ちょっと元気になったみたいだ」

「ふん。だったらいいけど、あんたね、ちょっとニブ過ぎるんじゃないの」

 何だかいきなり怒られてるぞ、俺。

「あんたが私に話しかけてる横で、あの子が辛そうにしてるの分んないの?」

 ああ、それな……

「今日、本人に聞いたよその話。俺も反省してる」

「あのねえ、私は誰かの彼氏に手を出すようなことはしたくないのよ。あの子、結構傷ついてると思うよ。あんたがそんなんじゃ、あのババアの思うつぼじゃん」

 ババアって……エメさんのこと? しかも

「思うつぼって何のこと?」

 気になるが、彼女はそれには答えてくれず、いつものメニュー予告だ。

「明日の夕食は陸ウニの山盛りパスタ。それにウニのクリームスープと焼きウニ。ウニ風味ドレッシングのサラダ。ウニ尽くしね」

「あ、その陸ウニって針に毒があるヤツかい?」

 ウニと聞いて思わず食いついてしまった。

「そうよ。それがどうかしたの?」

「以前、ウニを投げてくるヒヒっていう猿と戦ったことがあってな」

「……ふうん。ヒヒがウニを投げるって本当だったんだ」

 アミも話に乗ってきた。

「ああ、本当だ。ぽんぽん投げてくるんで壁術が忙しかったよ。戦った後は周り一面ウニだらけになってて、これが食えたらなあって思ったんだけど、本当は食えたんだ」

「あ、でも毒針を全部取って、身も毒抜きするの結構大変なんだから」

「なんだ、そのまま食えるもんじゃないんだ」

「当たり前でしょ。そのままだったら毒だらけよ」

 アミはウニの毒抜きについて説明してくれた。

「ふうん。君は本当に料理好きなんだな」

「だって食べ物は健康の基本じゃない。癒術も料理が重要なの」

 今度は癒術における食事の重要性について語り出した。この子、本当はこんなにおしゃべりなんだ。



 しかし彼女は話の途中で不意に黙り込んでしまった。

「どうしたの?」

「……だから私、あんたとこんなに話し込んでちゃいけないんだって」

 そう言ってうつむいた顔は、こちらが息苦しくなるぐらい寂しげだった。

「じゃあね、また明日」

 くるっときびすを返して行ってしまった。

 さっきはお母さんとケンカしてたよな。思春期の女の子があんなフリーダムなお母さんと二人で暮らしてるってどんなんだろう。いろいろストレスがあるのかな。

 でも癒術にしても宿の仕事にしても料理にしても、すごいがんばってるよな。正直偉いなあと思う。それにニコにもいろいろ気を使ってくれてるみたいだ。ぶっきらぼうだけど、いい子なんだな。

 ……いけない、いけない。

 俺にはニコがいる。本命はニコだ。それ以外はあくまでそれ以外だ……よな?



 残り3日間はあっという間だった。

 相変わらずエメさんは事ある毎にセクハラを仕掛けてきたが、いつも良いタイミングでアミが助けに入ってくれて、おかげで俺の貞操は守られた。

 最終日の夕方、エメさんが改まった様子で説明した。

「さあ、これであなたの左腕は99%まで回復したわ。運動機能、感覚機能とも、もう問題なし。ただその協調機能だけがまだ少し落ちたままよ。それが残り1%ね。最後の仕上げの癒術でそこを治療するわ」

「仕上げの癒術……」

「そうよ。ところがね、これは『秘術』なので真夜中にしかできないのよ。今晩やるから、夕食とお風呂の後、部屋で待機しておいてちょうだい」

 はあ、真夜中?

「どんなことするんですか?」

 気になるけど、当然、教えてくれない。

「それはその時に説明するわ。あ、それと、これは『秘術』だから、ハルにもニコちゃんにも、今晩やるって言っちゃダメよ。絶対に内緒よ」

 えええ、何かそんなこと言われるとすごい怖いんですけど。



 俺は隠し事が苦手だ。それに、ニコもハルさんも敏感なタイプだ。

 夕食の時や、ニコを部屋まで送って行った時に、何か俺が変だということは気付かれていたと思う。ただ二人ともすぐにそれを追求するほど無粋ではないので、何事もないかのように普通に振る舞ってくれていた。

 しかし部屋で一人待っていると心臓がドキドキしてくる。

 もうすぐ治療が完了するという喜びよりも、残り1%のために何をされるのかの不安の方がはるかに大きい。『秘術』って何だ? 何されるんだ? 危険なことないよなあ?

 アミは大丈夫と思うが、エメさんは今一つ信用できない。もし何かあった時のため、ニコとハルさんに置き手紙をしておこう。今から何か秘密の治療をされるらしい、とメモに書いてサイドテーブルに置いておいた。



 夜11時を過ぎた頃、エメさんが部屋に来た。上着を着てランプも持ってる。

「さあ、出かけるわよ。支度をして」

「え? どこへ行くんですか?」

「行けば分るわよ」

 やっぱり教えてくれない。

 俺は念のため装備一式を身につけて部屋を出た。置き手紙をしてきて正解だったか。何事もなければいいんだけど。



 外は雨が降っていた。

 エメさんと傘を並べて夜道を歩いて行く。夜遅いのでもう街灯も消えている。真っ暗な中、手元のランプだけが頼りだ。

 エメさんは珍しく黙ったままだ。街道を外れ、裏山に入って行く。こんな夜中に山の中に入っていくのか? これ、ヤバいやつじゃないのか?

 俺は高額の懸賞金をかけられた男だ。殺せば1000万円、生け捕りなら1200万円、情報提供だけでも200万円もらえる。エメさんが俺の首を狙っていないとも限らない。そういえば最初からアミが「気をつけろ」と言ってたじゃないか。

 いやしかし、この1週間、エメさんが俺を殺そうと思えばいくらでもチャンスはあった。わざわざ最終日まで引っ張って、腕をちゃんと治して、それから夜中に山に連れ出して殺す必要はない。

「こっちよ」

 エメさんは三叉路を左に曲がった。あれ? この道はこの前、ニコと滝に行った時の道だ。滝に行こうとしてるのか? こんな夜中に?



 雨でぬかるんだ道に足を取られながら歩くうち、ドドド……という音が聞こえてきた。やはりそうだ。女滝だ。

 展望スペースは真っ暗だ。数日前にニコとキスをしたベンチがランプの光に浮かび上がる。しかし雨で増水しているせいか、滝は数日前よりも荒々しさを増し、激しい水音を轟かせていた。

「ふう、やっと着いたわ。雨の山道はやっかいね」

 エメさんは笑っているが、俺は警戒心MAXだ。夜中にこんな所に連れてきて何をしようっていうんだ。滝に突き落とすつもりか? まさか心中してくれとか変なこと言わないよな?

「そんな怖い顔しなくても大丈夫よ。別にあなたに危害を加えようっていうわけじゃないわ。むしろこの後、バラ色の素晴らしいひとときを送ってもらおうと思ってるの」

 それって天国に連れてってあげる、っていう意味じゃないだろうな? 信用できねえよ、全く。

 しかしエメさんは笑顔でさらに信用できないことを言った。

「仕上げの癒術はアミがやるわ。そこの岩を越えると滝の裏に続く通路があるの。滝の裏、岩と岩の間に扉があるわ。その中でアミが準備して待ってるから行ってあげて」

 はあ、アミが? こんな所に? 滝の裏?

「じゃ、私は宿に帰るわ。明日の朝までたっぷり楽しんでね」

 呆然とする俺を残して、エメさんはスタスタ歩いて行ってしまった。



 しばし暗闇の中で立ち尽くす。

 滝の音はごうごうと鳴り響き、雨がぽつぽつと傘を叩いている。

 たっぷり楽しむって何を? 夢か? キツネに化かされたのか?

 いや、これは現実だ。時々風が吹くと水滴が顔に吹きかかる。夢なら覚めるぐらいの冷たさだ。

 一瞬、宿に帰ろうかなとも思ったが、もし本当にアミがこんな所で待ってくれてるんだったら行ってやらないと可哀想だ。

 よし、行こう。ここまで来たんだ。だまされついでに滝の裏をのぞいてやろう。



 ベンチの裏に岩があり、その奥……確かに細い通路が滝の横に向かっている。

 全身に滝の飛沫がかかる。濡れて足元が滑る。危ないな。すぐ横は滝つぼだ。増水してるし落ちたら助からないんじゃないか。

 ランプをかざし、びくびくしながら歩いて行くと、確かに滝の裏側に回り込むことができた。滝の裏側……岩と岩の間……あった。こんな所に扉があった。

 トントントン……ノックしてみる。いつまで経っても誰も出てこないんじゃないか。中から黙呪兵が出てきたらどうしよう。もっとえげつないモンスターが飛び出してきたら……いろいろ考えてしまう。

 しかしすぐに扉は開いた。隙間からこちらをのぞいたのは切れ長の美しい目だ。

「アミ! こんな所で何してんだ」

「あんたを待ってたのよ。ぼうっとしてないで、早く入ってよ」



 中に入るとそこはこぢんまりした部屋になっていた。

 真ん中にどーんとベッドが置いてあるのが気にかかるが、小さいキッチンもあるし暖炉もある。居心地の良いワンルームみたいな感じだ。滝の裏にこんな空間があるとはにわかに信じがたい。

 俺がきょろきょろしているとアミが言う。

「何でこんな所にこんな部屋があるのか、って思ってるんでしょ?」

「あ、ああ」

「ここは元々は倉庫だったんだけど、滝の音や振動でマスクされてるから歌術を使っても大丈夫なのよ。だから母さんが買い取って癒術用の部屋にして使ってるの」

「ああ、なるほど」

 確かにずっと滝の音が響いている。しかし、アミはいつもの踊り子の格好をしている。歌術を使っても大丈夫なんだったらこの格好は必要ないんじゃないか。まあ可愛いからいいか。



「はい、お茶」

「ありがとう」

 温かいお茶を出してくれた。いつも飲まされる苦い薬茶ではなく普通のお茶だ。美味しい。冷えた身体に有り難い。

「これは普通のお茶だから安心して飲んでいいよ」

 え?

「いつもの薬茶はやたらと苦いけど、あれも飲んで大丈夫なんだよな?」

「そうね。害はないわ」

「害はないって……あれはいったい何に効くお茶なんだ?」

 アミはちょっと間をおき、きっぱりした口調で言った。

「あれは性的興奮を高めるもの、つまり惚れ薬よ。ハルさんが採ってきてくれたヒルから作ったの」

 ニコが焼き払ったヒルを袋に集めてるハルさんの姿が目に浮かぶ。あれか!?

 っつーか、惚れ薬? 何で?

「俺は毎日3回、惚れ薬を飲まされてたのか!?」

「そうよ」

「な、何のために?」

「教えてあげましょうか? うちの母さんの本当の狙い」

「う、うん」

「あんた、私のこの格好見て何も思わない?」

 アミはバレリーナのように両手を挙げてその場でクルッと一回転した。束ねた革紐がパッと広がり、鈴の音が響いた。

 それを見て俺は固まった。

 何故なら、彼女は着てなかったのだ。いつもは革紐の下に着ているビキニのようなものを。つまり全て見えていたのだ。

「うちの母さんは、1週間かけてあの手この手であんたを刺激し続け、彼女とも隔離して、性的欲求を高めに高めた上で、裸の私と一夜を過ごすようにしたの。母さんが狙ってるのは、私があんたの子供を産むこと。自分が歌い手様の義母になることよ」

 俺の鼻腔から、静かに血液が流れ出した。
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