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新たなる影
⑥
しおりを挟むシュリは臆する事無く、青年と対峙していた。
ルルイエの魔術書を、右手に開いて持つ。
開いてしまえば、1メートルは有るだろうルルイエを、無造作に片手だけで持つ彼の姿は、書の重さなど全く感じていない。
そんな何気ない仕草でさえ彼を、人、成らざる者にしている。
そう。
シュリは、遥か昔に人では無くなっていた。
「ひとつ、聞いておこうか」
シュリが、落ち着き払った声音で、ナイアルラトホテップと呼んだ青年に問う。
「何なりと…… 」
にっこりと微笑む青年の笑顔は、明るい口調とは違い、邪悪だ。
どす黒い微笑みも、シュリには全く通じないのか、彼は淡々と会話を続けた。
「お前達が、こう何度もこちらへ来る真意はなんだ? 本気で俺を連れ戻す、なんて考えて無いだろう? 誰の命だ?」
「ふふっ……言わぬものがな……ではないですか? 予想はついていらっしゃるのでしょう」
「ふ……ん………… 」
鼻を鳴らして息を吐くシュリの様子で、何かの目的と、誰が、なのか予想がついているのだと思われた。
「アザトースの命令か? それとも、ジュブニグラスに頼まれたのか……まぁ……それもどうでもいい事か。ようは、追い返せばいいわけだからな」
「そう上手く行きますかね……」
「自信過剰も大概にした方が良いと思うがね」
「そちらこそ……私を甘く見ないで貰いたい」
何が戦いの合図だったのか。
突然、シュリ目掛けてナイアルラトホテップの腕だった所から、触手が唸りを上げて、襲い掛かって来た。
咄嗟の反応で、シュリの風が触手を跳ね返す。
一歩も動かず、何の呪文も口にしていない。
感情の僅かな動きが、風の壁を、シュリの前に出現させたのだ。
騙し討ちの様な攻撃に、彼は見事に応え、返した。
「おや? 『私』に会うまで待つのではなかったのかな?」
「ははっ……これは失礼。いけませんねぇ……高揚しているせいで、思わずフライングしてしまいました」
顔色一つ変えずに、口元だけで笑んだシュリが、
「なら、始めようか。ぐずぐずしても仕方が無いしな」
と、冷たい声音で言い放った。
風が立ち昇る。
それと同時に、シュリがルルイエを投げ上げて叫ぶ。
「ルルイエ! 捕縛の椅子召喚! ロイ、お前、空間を切り離せ! アイツは俺が引き受ける!」
シュリの風が、轟音を上げてナイアルラトホテップに襲い掛かる。
鎌鼬。
防御から攻撃に転じた風は、ルルイエとロイを避けて猛威を振るった。
触手を何本も切り捨てられていると言うのに、ナイアルラトホテップは、何事にも動じず、シュリの鎌鼬攻撃の隙間を縫って、先端を尖らせた触手を彼に送り出す。
それを寸前で交わして、シュリは後退する。
突かれれば、痛いではすまない。
死ぬ事の無い彼でも、手痛いダメージは必然的に喰らってしまう。
攻撃の鎌鼬に加え、防御の風も同時に起こす。
そしてシュリは、イシスの目前まで追いやられ、彼女の前で唐突に変化した。
立っていられない程の風が吹いているはずなのに、イシスの側に吹く風は優しかった。
シュリの戦いを、固唾を飲んで見守る。
本当は崩れそうになる脚を、立っていられる様に踏ん張る。
幸いにも、漣がイシスを支えてくれる。
「私は何も出来ない……シュリさまが戦っておられると言うのに、私は…… 」
呟く言葉に、悔しさが滲み出る。
漣が、そんなイシスを見て、支える彼女の肩をぎゅっと握った。
「イシスちゃんが、気にやむ必要はないよ。大変そうに見えて、あれであいつ、ナイアルラトホテップ相手に遊んでる。余裕ぶっこいてんね~」
感心したというか、呆れたというか、漣の口調は複雑だった。
「元々、ナイアルラトホテップごときが、相手になる奴じゃないんだよ。ハスターは。あれは、クトゥルーの弟だからね。強いよ」
漣の言葉に、イシスが彼を見上げる。
漣は、にこりと彼女に笑いかけた。
「今は考えなくていいよ。おいおいわかって来るから」
「? わかりました。シュリさまにはシュリさまの事情がありますもの。話して頂ける様になるまで待ちます」
本当はシュリの事なら、何でも知りたい筈だと思う。
だが、イシスはちゃんと待つ気でいた。
シュリが自ら打ち明けてくれるまで。
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